第11話 別れは寂しくない
契約成立までの手順は、以下の通りになる。
まず、子供たちが安全な場所への転居に納得すること。
次に、子供たちを安全な場所に送り届けること。
最後に、子供たちがどのような場所で過ごすのか、ソルが納得すること。
この三つの手順を経て、大翔たちはソルを雇うことになるのだ。
『《既に子供たち一人一人に適した進路を用意してあります。学費も生活費もこちらが負担しましょう。現地でいくつかの手順を行い、自治体からの補助を受けて貰うことになりますが、そこはご了承ください》』
「ふん、その程度の手間を惜しむほど贅沢じゃねーよ、俺たちは。でも、数人単位で別の場所に預けられるのはどういうことだ? 全員一緒だと不都合があるのか?」
けれども、まずは三つのステップの前段階として、シラノとニコラスによる交渉が行われることになった。
何事も、互いの意識のすり合わせというのは大事なのである。
『《貴方も含めた子供たちが全員同じ場所に預けられると、高い確率で治安悪化を招きます。その場合、貴方たちの安全は格段に下がるでしょう》』
「……ちっ。薄汚いドブネズミは、大人しく周囲の色に染まれと?」
『《腹の色はいくらでも黒くて構いません。ですが、泥沼から逃げようとした先で、自ら泥沼に嵌るのが趣味だというのはいただけませんね》』
「俺たちは上手くやれる」
『《統計上、この辺獄市場でその台詞を吐いた悪党の九割以上が無惨に殺されています。そのことは、貴方の方が良くご存じなのでは?》』
「…………それは」
『《ご安心ください。一生、仲間同士が会えなくなるわけではありません。異世界同士の交流が可能な場所を選んで、貴方たちを預ける予定です。ただまぁ、これでもなお、『寂しい』と言われるのならば、私も渋々ですが――》』
「うっせぇ! わかったよ、それでいい! 仲間は俺とクソ馬鹿が説得する!」
『《賢明なご判断です》』
そして、交渉は概ね滞りなく、シラノの思い通りに合意を得られた。シラノの能力がある以上、どれだけニコラスが賢くあっても、その論理と提示される利益から逃れることはできない。
なお、この時、ニコラスが言った『クソ馬鹿』とは大翔のことであり、無意識に味方側として認識している。大翔もまた、普通にニコラスと共に交渉に参加するつもりだったので、特に食い違いが起こることなく、当然のように二人で子供たちの説得を始めるのだった。
子供の内の一人。
ある少年は、ギャングスターとなって成り上がりたいのだと告げた。
「年下の女にも喧嘩で負けるお前が? 魔導式銃器も怖くて握れないお前が? そもそも、お前は人殺しが怖くて逃げて来た、『鉄砲玉のなりそこない』じゃねーか。身の程を弁えろ」
そんな少年に、ニコラスはため息交じりの説教をする。
少年は半泣きになって抗議したが、結局、ニコラスの方が正しいと身をもって実感しているので、大人しく異世界に行くことを了承した。
子供の内の一人。
ある少女は、金持ちの男の愛人となって贅沢三昧をするのだと告げた。
「お前にそんな器量はねぇよ、鏡を見ろ。女装した俺の方がまだ美人だぞ?」
そんな少女に、ニコラスは容赦ない現実を突きつける。
少女はガチギレして、『ブスじゃないもん!』と泣きわめくことになったが、ニコラスの女装姿を見た瞬間に、乙女としての何かが敗北を悟ったらしい。渋々ではあるが、大人しく異世界に行くことを了承した。
「……別にブスだとは思っちゃいないが、あいつは馬鹿なんだ。この街の金持ちを上手く転がせるほど賢くない」
「あの、ニコラス? 愚痴ぐらいは喜んで聞くけど、女装姿で俺の尻を蹴るのは何でかな? 八つ当たり? つーか、ニコラスが余計なことを言ったのが悪いんじゃん」
「うるさい」
なお、説得のために女装することになったニコラスは、シラノ協力の下、化粧と着付けを手伝った大翔に対して、盛大に八つ当たりをすることになった。
その後、ニコラスは大翔を連れて、仲間である子供たちを一人一人説得していく。
喜んで提案に乗る者。
街の知人が心配だと言う者。
環境が変わるのが怖いと泣いてしまう者。
一人一人、異なる理由の仲間たちと向き合い、ニコラスは大翔と共に、その全てをきちんと納得させたのである。
悪徳の街で偽りの希望に手を伸ばすよりも、確実性が高い現実に齧りつくのが自分たちらしいだろう? と不遜さすら感じるほど、強く言い切って。
かくして、子供たちの説得は滞りなく完了した。
その間、シラノとソルが辺獄市場の顔役たちと挨拶をしていたおかげか、余計なトラブルが発生することもなく、彼らは新天地へと旅立つことになった。
説得と比べて、子供たちをそれぞれ異世界の安全な場所、しかるべき施設に預けることは順当に進んだ。
大翔は、子供たちが別れを惜しんで駄々をこねることを危惧していたが、そのような反応はほとんど見られなかった。これは、ニコラスの説得のお陰もあるが、主にシラノによる場所の選定と人数選定の成果によるものだった。
自らの能力が及ぶ範囲に於いて、シラノの千里眼に失敗はあり得ない。
過去を知り、現在を見定め、未来を予測する。
これら三つの過程に矛盾や異常がない限り、シラノは思うがままに結果を導くことができるのだ。そのため、ニコラスを含めた子供たちから、新天地に関する文句は出てこない。
悪態の一つも出ないほど、シラノは完璧に『最善』を実行してみせたのだった。
『《私は正しい配慮を行っただけです。この程度、勇者の道先案内人としては朝飯前ですので、これからも頼りにしてください》』
そのことを大翔が賞賛すると、シラノはどこか誇らしげに言葉を返した。
完全な仕事をこなす、というのは今までのシラノからすれば当然のことだったが、大翔からその結果を褒められると満更でもない気持ちになるらしい。
これより、ドラゴン襲撃によって失ったシラノの自尊心は回復し、子供たちの転居手続きは最後まで滞りなく進められた。
もちろん、肝心のソルも、シラノが用意した場所の全てをきちんとチェックし、問題ないと判断している。従って、不幸な事故によって子供たちが失われる可能性は低いだろう。
少なくとも、自然の雷に当たるぐらいの可能性よりも低いとなれば、十分な安全性を確保できていると言っても過言ではない。
子供たちは少しの不安と、胸いっぱいの期待を抱きながら巣立っていく。
そして、最後の一人――ニコラスの番がやって来た。
●●
「世話をかけたな、大翔」
「対等な取引って奴だろ? 気にするなよ、ニコラス」
ニコラスが希望した進路は、魔術師の卵として生活することだった。
仲間たちよりも――否、同世代の子供よりも群を抜いて賢いニコラスは、既に己の進路についてある程度の指針を決めていた。独学で魔術の勉強も始めており、実技はともかく学力は魔法学校と呼ばれる教育施設に入る水準を優にクリアしている。
本来は、グループを作ったリーダーとしての責任として、新しい後継者を育ててから辺獄市場の外に向かう予定だったが、今やそんな責任を背負う必要はない。
後顧の憂いなく、魔法学校へと通うことにしたのだった。もちろん、ニコラスらしく当初予定していた場所よりも、遥かに充実した教育制度の学校へと。
「対等ね。そう言って貰えるのは嬉しいが、生憎、俺はそう思っちゃいない。シラノって奴にとっては、あくまで俺たちはソルのおまけみたいなもんだろうさ」
「そう? 俺は逆に、ニコラスたちが居たからこそのソルだと思うけど」
「……まぁ、お前は馬鹿だからなぁ」
「しみじみと憐れむのは止めてくれる?」
従って、現在はその魔法学校のある街まで、大翔たちは足を運んでいた。
街並みは華やかではあるが、粗野ではない程度に雑多。路上生活者もゼロではないが、辺獄市場と比べれば、絶滅危惧種として扱われても良い程度に少ない。
辺獄市場ではBGMのように聞こえていた、怒号や悲鳴すらもここでは珍しいようだ。
平和で豊かな街並みだった。
思わず、ニコラスが顔を顰めてしまうほどに。
「なぁ、ヒロト。この街をどう思う?」
「ん、良い街じゃない? 言語問題は翻訳魔術で何とかなるだろうし、シラノの話によれば、人種が混合しているから、異世界人だからって差別はされにくいって」
「そうだな、良い街だよな。文明レベルも辺獄市場に負けず劣らず。しかも、俺みたいな孤児にも教育と生活の機会を与える……まったく、天国みたいな場所だ」
ニコラスと大翔が言葉を交わしているのは、街の公園だ。
安全面に配慮された頑丈な遊具。新鮮な果物が置かれた無人販売所。無警戒に遊びまわる子供たち。
そんな光景を眺めながら、ニコラスは再度問いかける。
「なぁ、ヒロト。この制服、どう思うよ?」
皮肉げな笑みを浮かべて見せるのは、真新しい制服だ。
上等なシャツに、赤のネクタイ。傷穴一つないスラックス。肩から背中までを覆う、黒のマント。そこにはもう、孤児のニコラスは存在せず、魔法学校の生徒としてのニコラスが居た。
「いいね、格好良い」
「格好良いってお前……くそっ、最後の最後まで調子が狂うなぁ! 俺は! ストリート上がりの孤児が、こんな似合わない制服を着て、滑稽じゃないかって聞いているんだよ!?」
「似合うか似合わないかを決めるのは、出身じゃないぜ、ニコラス――外見だ!」
「最低の言葉で返すなよ、お前! もっと気合を入れて俺の気持ちを察しろ!」
「そんなセンチメンタルにならなくても、ちゃんと仲間やソルともまた会えるって」
「察しすぎるな! ええい、このクソ馬鹿っ!」
「おいおい、転入前に制服を汚すなよ?」
けらけらと笑う大翔に、顔を赤くしながらも蹴りを食らわせるニコラス。
出会ってからの時間は短いものの、二人のやり取りはもはや兄弟のようですらあった。
「ふんっ! 神妙になっていた自分が馬鹿らしいぜ! 見てろよ、ヒロト。俺は絶対、こんな温い街のガキどもには負けねぇ! 通う学校ではテッペンをとってやるよ……もちろん、実技も勉強も両方だ!」
「はははっ、精々頑張れよ、ニコラス」
しばらくの間、大翔とじゃれ合って気がまぎれたのか、ニコラスの表情にふてぶてしさが戻る。先ほどまでは柄にもなく、制服に着せられた状態だったというのに。今ではもう、制服を己の一部のように扱っていた。
「おーい、ニコラス。僕の方で手続きを終わらせておいたから、後は案内の人について行って、説明を受けてくれ。すぐそこまで来ているからさ」
公園から少し離れた通り。
そこには、鎧を纏っていない平服のソルが、暢気に手を振っている。
どうやら保護者という身分で対応していたソルが、施設の確認を終えたらしい。軽やかに声を掛けてくるところを見ると、他の子供たちが向かった場所と同じく問題はないようだ。
「わかった、今行くー!」
ニコラスは大声で言葉を返すと、改めて大翔と向かい合った。
「あのな、ヒロト。ずっと言い忘れていたけどな…………あの時、助けてくれてありがとう」
荒んだ、けれども力強い光が宿っている緋色の瞳が、真っ直ぐに大翔を見る。
「この借りは絶対に返すから! ソル共々、その情けない面を見せに来いよな、クソ馬鹿!」
「――――ははっ」
その光に、その視線に。
大翔は、真っ暗な夜の中で、ようやく星を見つけたような気分になった。
「もちろん。きっちりと取り立てに行くから、覚悟しろよな? クソガキ」
互いに憎まれ口を叩き合って、ニコラスと大翔は別れる。
アクシデントによる出会いから、ほんの数日間程度の付き合い。友達なんて口に出せるような関係ではない。そもそも、別れを告げる時に寂しさすら感じない者同士だ。そんな湿っぽさは欠片も感じさせない。
「「またな!」」
故に、二人は晴れ晴れとした笑顔で再会を誓い合った。
友達と呼ぶには離れていて、他人と呼ぶには気安い相手と、再び憎まれ口を叩き合うために。




