第107話 千里の先から
冬の魔物はさほど強くない。
少なくとも、今、襲ってきている個体にそこまでの脅威を感じない。
身に纏う吹雪こそ、冬の権能の気配が感じられる強力なものであるが、それだけだ。
魔力強化された肉体の強度は、科学世界の銃弾でも貫ける程度。
知能は獣よりも劣り、無駄に攻撃性が高すぎる。
総じて、大翔からの評価は『天涯魔塔に於ける中層の雑魚エネミー』程度だという結論になった。
ただ、問題があるとすれば、その数だ。
「さぁ、狩りの時間だ、猟犬たち」
大翔が放った陽炎の猟犬の群れ。
不可視の攻撃者たちは、ここ数日の強化により、見事に冬の魔物を討ち果たしていく。
隠密性を保ったまま、爪と牙の強化。
麻痺毒だけではなく、攻撃力を高めるために猟犬の身体構造を根底から見直したのだ。
そして、そんな改修型の猟犬は合計で四体。
大翔と真白を守るには、十分過ぎるほどの戦力だ。
「ひ、ひぃっ!」
「なんだよ、こいつら!?」
「う、うわぁあああ! 足が! 足が凍り付いて!?」
「警察! 警察を呼ばないと!」
「馬鹿! 怪物相手に警察が何かできるかよ!」
「逃げろ! 逃げろ! 逃げ…………え?」
「そ、そらぁ! 空からまだ降って来る!!」
けれども、『全校生徒』を守り切るには足りないことは、遠くから聞こえる悲鳴が証明していた。何せ、冬の魔物たちは次々とその数を増やしていく。
最初は数体だったのが、次は数十体。
更には数百体と、まるで無尽蔵のように増援が湧いて出てくるのだ。
「まったく、数で攻めるのが好きだよねぇ、そっちは」
数が多いだけの雑魚。
その対処方法を大翔は既に、天涯魔塔の冒険で学んでいた。
「クーラ、術札の設置は?」
『当然、完了済みだ。黄金の猫缶に賭けて』
「なんだかんだ、君は猫缶が一番美味しいで落ち着いたよね?」
『なんだかんだ、猫の体だからなぁ』
足元のクーラと雑談を交わしながらも、大翔の手は魔術印を結ぶ。
さながら、フィクションの忍者か魔術師の如く。
指先の動きで魔力を操り、学校を中心に結界を敷いた。
害意や悪意ある『人間以外』の者を拒絶する結界が。
「三上君、状況確認。学校内に仕込んである協力者から、生徒たちの被害を教えてくれ」
手早く最善の行動を終えた大翔は、猟犬と共に残敵を掃討する九郎へと声をかける。
「そん――いや、そうだな。わかった、今すぐやる」
「四肢欠損程度なら、即座に治せるポージョンがあるから、怪我人は優先的に俺のところに運ぶようにしてくれ」
「悪い、助かる」
九郎は少し引っ掛かる部分は見せていたものの、すぐに状況に合わせて態度を修正。
大翔の指示に従い、生徒たちの安否を確認し始める。
年齢相応に未熟な部分はあるが、それでも鉄火場に於いては十分優秀な柔軟性だ。
守るべき優先事項を間違えず、不確定要素である大翔の指示にも逆らわない。
この場では最善に近い判断だっただろう。
「…………ねぇ、佐藤君。貴方、大丈夫なの?」
従って、大翔の異常に気づけたのは真白だけだった。
「ん、何が?」
「魔力……そういうの、無理している感じがする」
「ははは、そうかな? これでも結構、余裕なんだけど?」
「…………」
飄々と言う大翔であるが、真白は見逃さない。
指先から段々と、大翔の血色が失われていく様子を。
つい最近、ずっと大翔と共に異能の訓練をしていたのだ。その際、大翔の魔力を感じる機会はたくさんあった。
だからこそ、真白は見逃さない。
結界を敷き、学校全体を守る大翔の魔力は、今もなおがんがんと失われていく最中であることに。
「貴方が嘘を吐くと、私も困ることになるから」
今まで大翔の腕の中に居た真白は、そこから抜け出して、きちんと地面に立つ。
自分の足で立ってから、真剣な表情で大翔へ視線を向けたのだ。
「……んんー」
真白の言葉と視線に、大翔は虚勢の笑みのまま考える。
どうしてものか、と。
はっきり言えば、ここで弱音を吐いても状況はまるで好転しない。むしろ、状況悪化に繋がる可能性すらあるのだ。
ただ、真白の推察通り、大翔に余裕が無いのも確かである。
真白だけを守り通すならともかく、学校全てを無数の魔物たちから守り通すのは、今の大翔でも大変に難儀なことだ。
しかし、この世界が仮想だったとしても、他の生徒たちを見捨てるのは心情的に躊躇われる。合理的な理由を言えば、『他者を見捨てるような勇者を、真白が信じるようには見えない』のだ。故に、生徒たちを見捨てるという判断は易々と下せない。
「私も、何か貴方を手伝いたい」
大翔を見つめる真白の瞳は、恐怖や興奮で揺らいでいても、根底の善性は揺らいでいない。
自分の異能――権能ならば、この場を切り抜けられるんじゃないか? そんな風に推察、あるいは期待しているのだ。
そして、それは間違ってはいない。
大翔と真白が協力すれば、この程度の窮地は易々と打開できるだろう。
何せ、相手は冬の魔物だ。
冬の権能の残滓を感じるような相手だ。
真白がその力を振るえば、易々と雪の一欠けらに戻すことも可能である。
――――強大過ぎる力を周囲に晒すリスクを飲み込めば、の話だが。
「さぁて、どうしようかな」
結界を維持する負荷で、大翔の魔力はそろそろ限界が近い。
冬の魔物はまだまだ空から落ちてくる。
多少の切り札はあるが、ここで使うべきかどうかは悩ましいところ。
真白から協力の申し出があったのは嬉しいが、ここでその手を取るのはいささか、『冬の女王の思惑に乗り過ぎてしまう』という懸念がある。
ロールプレイングゲームとは、ゲームマスターの意図通りに演じるだけではない。
自分の目的を果たすために、選択をしなければならないのだ。
ゲームマスターが敵である場合は、特に。
「よし、それじゃあ――」
故に、大翔は選択し、決断した。
最善であるとは限らない。最悪かもしれない選択を、それでも自分の意志と責任によって実行しようとして。
『《ハロー、皆様方。頼まれていなくとも、希望をお届けに参りました》』
学校の放送から、頼もしい相棒の声が聞こえて来た。
◆◆◆
学校から放送が響いた後、結界の外側には一つの変化が生じていた。
結界の周囲を取り巻く雪嵐。
次々と落下する冬の魔物たち。
その光景が、斜めに『ズレた』のだ。
――――キィン。
ガラスを割ったような硬質な音は、空間を切断した際に生じた、僅かな余波。
そう、次なる攻撃を放つための予兆に過ぎない。
「舞え、炎華」
空間切断の後、舞い踊るような紅蓮の炎が雪嵐を飲み込んだ。
冬の魔物たちは抵抗できない。
冬の権能を使うこともできない。
何故ならば、空間を切断したのは『冬の権能を供給する相手』の影響から、冬の魔物たちを切り離すため。
そして、冬の権能の残滓すら機能しなくなれば、魔物たちは単なる有象無象に過ぎない。
「案外、疑似聖火でも上手く行くものね?」
「ふん。本物とは比べるのもおこがましいレベルだがな……ほら、次が来るぞ」
「ん、なるほど。アレが今回のエリアボスって奴ね」
けれども、襲撃はまだ終わらない。
雪嵐を起こしていた灰色の雲。
そこから、一際強大な魔物が姿を現したのだから。
例えるのなら、それは翼を持つ獅子だった。
ただし、大きさは象よりも二回りほど巨大だ。結界が無ければ、そのまま着弾するだけで、学校の校舎を半壊させる程度には巨大だった。
そして、大きさに比例するように、込められた権能の残滓も多い。
超越存在の眷属には及ばずとも、それに近い力を持つ個体だ。この仮想世界の人類文明が相手にするには、多大な犠牲を強いられるような怪物だろう。
「雑魚ね」
「ああ、雑魚だな」
だが、逆に言えばその程度の怪物でしかない。
学校を守るように虚空に立つ二人にとっては、もはや『馬鹿にしているのか?』と問いたくなるほど、格下の相手に過ぎなかった。
「切り裂くわ」
「消し飛ばすぞ」
特に必殺技でも何でもない、二人にとってはただの通常攻撃。
それだけで大型の魔物は、宣言通りに切り裂かれ、消し飛ばされた。
その身に込められた権能の残滓を発揮する機会もなく、まるで道中の小石を蹴り飛ばすような気軽さで排除されたのである。
「エリアボスの排除完了……ふん。今回の襲撃はこの程度か」
「この程度でもマスターにとっては脅威でしょう?」
「装備を全部奪われたあいつなんて、一般人同然だからな」
「ええ、だから私が付きっ切りで護衛をしないと」
「それはそれで問題だから、今回の護衛は俺が担当する」
「…………」
「年下相手に、無言で抗議するんじゃねーよ」
魔物の増援は無い。
二人が撃破した大型の魔物が、何らかの役割を担っていたのか、排除された瞬間に雪嵐は止んでいた。
元の夏らしい気温と、黄昏の空を取り戻しつつある。
「お、結界が解除された」
「じゃあ、行きましょうか」
残敵が居ないことが確認されたのか、学校を守っていた結界は解除された。
すると、二人は真っ先に懐かしさすら感じる気配の下へと転移する。
一人は魔術師として。精一杯に『らしく』気取った、枯草色のローブ姿で。
一人は騎士として。ちょうどいい全身鎧が見つからなかったので、妥協した革鎧の姿で。
「よぉ、大翔」
「久しぶり、マスター」
二人は――ニコラスとイフは精一杯に気取って、いつか言いたかった言葉を告げる。
「助けに来たぜ」
「助けに来たわ」
その言葉は懐かしい気配の主――大翔にとって、紛れもなく希望に相応しいものだった。
◆◆◆
大翔たちが滞在する街から遠く離れた場所。
海上。
見渡す限りの海が広がる、一切の陸地が見当たらない海上に一人、少女が佇んでいた。
椅子にでも体重を預けるかのように虚空に腰かけて。
遠く離れた場所の騒動を観察していた。
「なるほど、そうなったかー」
間延びした声で頷く少女は、この状況を除けば、普通の女子高校生という容貌だった。
黒髪のセミロングに、一切の険が見られない柔らかな笑顔。
動物に例えるのならば、野生を失った大型犬。
他の大多数と同じく、学校の制服を身に着けている姿は、どこからどう見ても普通の女子高校生にしか見えないだろう。
――――そう、大翔や真白が通う学校の制服を身に着けている、その姿ならば。
「流石、勇者。悪くないね。安易な力に飛びつかず、最善を尽くして人事を待つ。そして、仲間たちがそれに答える。うん、悪くない。むしろ良い……本当に、良いなぁ」
少女は遠く離れた場所を見通す。
仲間と合流し、安堵の笑みを浮かべる大翔の姿を。
「私もあんなふうだったら、何か違ったのかな?」
突如として現れた二人の救援に、人見知りを発動させている真白の姿を。
懐かしくも愛おしい姿を眺めて、少女は思わず笑ってしまう。
苦笑いではない。
ふとした瞬間、幸福な思い出が零れ出てしまったような笑みだった。
「ふふふっ、今更何を言ってもね!」
しばしの間、何かを懐かしむように笑った後、すっと少女の表情が引き締まる。
「状況は不利」
遠く、遠く、離れた世界各地の状況を確認。
自らの配下である、冬の魔物たちの進行状況を把握し、即座に判断を下す。
「夜鯨とのリソースの奪い合いで、私は満足に力を使えない。世界各地に散らばった勇者たちは、誰一人欠けることなく、力を増して合流を続けている」
敗北は決定的。
冬の魔物を操る程度では、大翔たち勇者同盟には敵わないと。
「ほどなくして、冬の魔物は全て狩り尽くされるかもしれない。でも、それでいい。問題はそこじゃないから」
されど、少女の笑みには懸念の色は無い。
焦燥も、恐怖も、失意も何もなく、まるでこの状況が何もかも望み通りだと言わんばかりの顔で、世界全てを見通す。
「ヒロト。君は果たして、『冬の魔王』を滅ぼせるかな?」
少女――冬の女王は、届かない声で『対戦相手』へと問いかけた。
いつか来る選択の時に、大翔がどのような答えを出すのか、心待ちにしながら。




