第105話 燃える少年
三上九郎は退魔機関に所属する異能者だ。
生まれつき炎を操る異能を所持しており、そのランクはB。
異能のランクは破壊力や殲滅力を基準として付けられるので、九郎の異能は『そのつもりになれば街一つを焼き滅ぼせる』程度のもの。
人類が持つ異能としては、最上位に近い。
ここから先のAランクやSランクなどは、人の領域から外れた者。あるいは、最初から人ではない者に与えられるものだ。
退魔機関に所属する九郎としては、そのほとんどが敵である。
人の世に仇を為す魔を討つ。
人の世を乱す悪を断つ。
秩序のために力を振るい、欲望のためには動かない。
これが退魔機関の理念であり、また、所属している九郎の信念でもあった。
人のために動く。
社会秩序に尽力する。
それが三上九郎という少年の存在理由である。
少なくとも、九郎自身はそう思っているし、自負している。
故に、音無真白の監視という仕事もまた、社会秩序のために必要なものだった。
――――音無真白。
先天的な異能者であり、異能の暴走により親元から捨てられた孤児。
様々な施設を転々とするものの、度重なる暴走の所為で、どのような施設も受け入れ拒否をするようになってしまった問題児。
ただ、ここまでならば、まだ『よくある異能者のバックボーン』に過ぎない。
九郎が十六歳の人生の中で、何人も見て来た『自分を世界一不幸だと思っている異能者』の一例だ。特に珍しくもない。
問題は、そのよくある『不幸な異能者』が持つ力が、途轍もなく強大であるということだ。
Sランクですら生温く、真白のためだけに『世界崩壊級』という区分ができたほどに。
「不幸だったのは、普通の感性を持つ少女が強大過ぎる異能を所持していることだ。幸いだったのは、強大過ぎる異能を所持する者が、『普通の倫理観を持つ少女』であったことだ」
九郎の上司は、真白についてこのように評していた。
それほどまでに、真白の異能――『冬』と呼称される力は強い。
温度操作でも、天候操作でも、凍結能力でもなく。
もっと高次元の、世界の法則すら軽々と凌駕する『何か』であると機関は判断した。
概念クラスの異能すら上回る、神の如き力。
権能クラスの異能であると。
事実、真白の異能は、世界最高峰とも呼ばれていた異能者たちの干渉を凌いでいた。
炎の魔人とも呼ばれた、Sランクに位置する歩く災害。
その正体は、強者との戦いを熱望し、そのためならば社会秩序など平気で犠牲にするテロリスト。
不夜城の主にして、Aランクに位置する吸血鬼の王者。
その正体は、数多の異能者の血を吸い、眷属とすることで一つの国家を作り上げた侵略者。
退魔機関の最終兵器にして、Sランクに位置する秩序の番人。
その正体は、対処不能と判断された者を洗脳し、その意志を奪うことで平和を築く必要悪。
その他、世界中に散らばる、凶悪なる力を持つ異能者たち。
――――自らに干渉しようとした者たち全てを、真白の異能は凍らせた。
真白本人は意識すらしていない。
真白の異能は暴走すらしていない。
無意識の内に、世界最高峰の異能者たちを凌駕していたのだ。
どのような強力な異能だろうとも、真白に向けようとすれば『凍結』によって効果を失う。そもそも、真白を害そうとした時点で、真白の異能である『冬』の条件に引っかかってしまうので、その時点で異能者自身が凍結されてしまうのだ。
万物を溶かすような灼熱の使い手でも。
万全に近い耐性を持つ不死者でも。
他者を秩序の駒とする洗脳者でも。
真白にとっては無意識に排除できるような、羽虫にも満たない塵芥なのである。
この事実をもって、退魔機関も含めた他の組織は、一つの結論を下した。
音無真白は世界を滅ぼしうるほどの異能者である、と。
だが、結論を下したところで対処すべき方法がなければどうしようもない。世界最高峰の異能者ですら、戦いにすらならずに敗北したのだ。
明確な対抗手段が見つからない限り、待っているのは破滅だけだろう。
従って、退魔機関の対応は管理とは名ばかりの腫物扱いだった。
幸いなことに真白本人は『普通の少女』なので、外見が強面の職員がそれっぽい言葉で言い含めれば、大人しく施設に収容されてくれる。
害を与えなければ、敵意を向けてくることも無い。
ただ、温く対応していればいいというわけでもない。『管理されている』という意識を持たせるために、定期的な圧力をかけることは必要なのだ。例え、圧力をかけている側が内心で『勘弁してくれ』と思っていたとしても、だ。
音無真白には『普通の少女』で居てもらわなければ困るのだ。
そして、前述したとおり、三上九郎は音無真白の監視者である。
社会秩序を守るため、この強大過ぎる異能者を監視しなければならない。
異能の暴走を観察し、致命的な変化が起こらないか見守らなければならない。
過酷な仕事であり、困難な任務である。
クラスメイトとして同じ教室に馴染むのは問題ない。
だが、過度な接触をして音無真白の精神を揺さぶってはならない。思春期の少女の精神は繊細で不安定だ。ボーイミーツガールを演出して、世界を賭けたハニートラップを始めるには分が悪すぎる。
適度な距離を保ち、あくまでも『監視者』として意識されることが肝心なのだ。
その点からいえば、今までの音無真白の状態は『良好』だった。非常に都合の良いものだった。他者を拒絶し、孤高を気取る。精神も低く安定し、このまま何かしらの対抗手段を見つけるための時間稼ぎになればいいと思っていた。
――――佐藤大翔という不確定要素が出現するまでは。
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「君と度々接触を図っている生徒――佐藤大翔。彼は一体、何者なんだ?」
真白へ問い詰める九郎の言葉は、心からの疑問だった。
佐藤大翔。
特筆すべき点も見当たらない、普通の高校生。
バドミントン部所属であるが、目立った成績は残していない。学問の成績も平均程度。クラスでの立ち位置は、『社交的で絡みやすい馬鹿な男子』に過ぎない。
特定の個人やグループに執着しているわけでもなく、八方美人のその場しのぎの付き合いが多いイメージの生徒。
そう、『どこにでもいるような男子高校生』だったはずなのである。
――――『夏休み』が明ける前までは。
「……ぐっ」
ただ、その認識に九郎は違和感を持っていた。
夏休み明け……本当に? 何かを忘れていないか? 何かがおかしくないか? 何か、途轍もなく愚かな過ちを忘れていないか?
けれども、その違和感は時間が経てばすぐに消えてしまうようなものだ。
事実、九郎はその違和感を数秒で『何も気にすることは無い』と、無視するようになってしまったのだから。
「…………?」
一体、突然何がどうした? という怪訝そうな目で睨んでくる真白。
その様子に、九郎は現状を思い出す。『余計な』ことを考えず、今は佐藤大翔に関する問題に注力すべきだと、気合を入れ直した。
「佐藤大翔。彼は、普通の生徒だったはずだ。だが、どうやって君の暴走を止めたんだ? 君の異能はそう易々と止められるものじゃなかったと記憶しているが」
「…………それを言う必要は?」
「言っただろう? 俺は君の監視者だ。何か異変があればそれを記録し、解明しなければならない」 (下のせりふと不一致のため)
努めて冷たく、けれども傲慢になり過ぎない口調を演出し、九郎は真白と向き合う。
経験上、真白はこの程度の『圧』が適切であるとの判断だった。
真白は基本的に他者を遠ざける。
他者と深くかかわり合うのを嫌う。
故に、こちらが一歩踏み込めば、あちらは渋々一歩譲る。ただ、二歩目の踏み込みから敵対判定が入るので気を付けなければならない。
だが、逆を言えば、その線引きさえ間違えなければ交渉を通すのはそう難しくない。
「監視者。記録と、解明…………ふぅん」
しかし、この時は違っていた。
真白の様子が、今までとは明らかに違う。
九郎に対して、敵意と軽蔑が向けられているのは問題ない。
だが、その冷たい瞳の中には、不安定に揺れる期待の灯がある。
上手くやれる。試してみたい。
まるで、異能初心者のような興奮が、真白の中にあるのを九郎は確認した。
「でも結局、数年経っても何も進歩してなかった」
「……だから、佐藤大翔の肩を持つと? 正体不明で、貴方を上手く騙してやろうとする輩かもしれないのに?」
「じゃあ、貴方がその輩ではないという証拠は?」
「今まで君に害を与えていない」
「かもね? でも、利益も与えられていない」
「我々は君の生活を保障している」
「かもね? でも、『いつでも殺せる状態を保っている』みたいなことじゃない?」
まずい、と九郎の生存本能が警鐘を鳴らす。
人払いの術で、図書館から一般生徒を避難させたのが悪い方向に転がったらしい。
監視者である九郎と対面した真白は、今までの鬱屈を思い出したかのように不満を滲ませる態度になっていた。
これがまだ衆人環視の中ならば、真白は面倒や周辺被害を嫌って早々に話を打ち切っただろう。大翔のことは語らずとも、沈黙を持って抗議するだけに留まったかもしれない。
「それって本当に、感謝してもいいことなの?」
しかし、九郎という監視者と一対一の場面であるが故に、真白は叛意を抱いてしまった。
今までの不満も着火材料だったのだろう。
そこに、恩人である大翔に対する追及により、火が付けられてしまった。
最悪なことに、真白は自身にも期待してしまっている。
――――今の自分なら、上手く異能を扱えると。
「…………っ!」
冷や汗と共に、反射的に出そうになった敵意と殺意を、九郎は必死で抑え込む。
かなりまずい状況だった。
なまじ、九郎には『真白の異能に対抗できるかもしれない』奥の手が存在する。だからこそ、恐怖よりも先に戦闘の意識が先に出てしまう。
今までは上手く自分を律していたが、今までとは違い過ぎる真白の態度に動揺していたのが問題だったらしい。
「へぇ」
真白の目が細められた。
九郎が抑え込もうとした敵意を察知した顔だ。
九郎に対する信用――元々少なかったそれが更に暴落した顔だ。
真白は孤高を気取って入るものの、中身は普通の少女だ。故に、他者の顔色を読み取るぐらいの真似はできるのだ。できてしまったのだ。
「そっちの判断は理解できた」
「いや、ちがっ……ええい、くそがっ!」
完全に戦うつもりの真白に、九郎は思わず悪態を吐いてしまう。
このまま自分が死ぬだけならば、まだマシだ。だが、その余波で罪もない一般市民が死んでしまえば? きっと真白はその罪悪感に耐え切れない。普通の少女である真白の精神は罪悪感で崩壊し、世界を滅ぼすきっかけになるかもしれない。
だが、上手く制圧しようにも、相手は無意識で自分よりも格上の異能者を倒す規格外。
最低限でも、奥の手を用いた殺す気の戦闘でなければ話にならない。
そして今、真白に殺意を向けてしまえば本当に後戻りができなくなる。
まさしく、絶体絶命にして、世界の危機。
九郎のちょっとした判断ミスが、この世界に冬の滅びを招こうとしていた。
「はーい、そこまで」
そんな世界の危機を防ぐのは、場違いに暢気な声。
今までに幾度も世界を救い、数多の滅びを退けて来た勇者の呼びかけだ。
「わぷっ」
「んぎっ!?」
真白には『やたら目つきの悪いペンギンのぬいぐるみ』を押し付けて。
九郎の額には、軽く悶絶する程度のデコピンを炸裂させて。
「図書館での喧嘩はよろしくないよ? というか、図書館じゃなくても喧嘩はよろしくないと思うんだよ、俺は」
余裕綽々の表情の勇者が――佐藤大翔が姿を現した。
まるで、この程度の危機は日常茶飯事だ、とでも言うかのように。




