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第104話 冷たい少女

 音無真白は夢を視ていた。


「ごめん……ごめんねぇ……私が、私がもっと……」


 それは、温かくて冷たい夢。

 頬に落ちる雫はとても温かいのに、真白自身の体は冷え切っている。

 どんどんと、体から熱が失われていく。

 けれども、真白は嬉しかった。

 抱きしめてくれる彼女の体温を。

 頬に落ちる温かな雫を。

 より強く、大切な彼女を感じることができるから。


「――――」


 真白は彼女に、何かを伝えようとした。

 だが、声は出ない。言葉は紡げない。かすれた空気音が喉から漏れるだけ。

 どうやら、真白はもうすぐ死ぬらしい。

 ただ、もうすぐ死ぬ割には恐怖を感じていなかった。

 体から段々と失われていく熱にも、未練なんて一欠けらも無い。

 きっと、自分は死ぬべき存在なのだから。

 生きることに未練なんてない。


「私がもっと、ちゃんとしていたら……強くて、賢くて、器用で、なんでも、なんでもできたら、真白がこんなことをしなくてもよかったのに……」


 そのはずだったのに、彼女の顔を見ていると不思議なことに未練が生まれた。

 まだ、一緒に居たい。

 まだ、彼女の体温を感じていたい。

 まだ、もっと、彼女と共に生きていたかった。

 しかし、その願いは敵わない。

 真白と彼女の世界は、優しくなかった。

 二人の少女に味方してくれる人は、誰も居なかった。

 故に、世界で真白と彼女の物語はここで終わる。


「――――」


 最後に、とても大切なことを伝えようとして、けれどもやはり、声は出ない。

 言葉は紡げず、想いは届かない。


 そんな、温かくて冷たい夢を、真白は視ていた。




「変な夢」


 音無真白の朝は、違和感から始まる。

 それは、昨日から始まった違和感。

 世界がまるで五分前から始まったような、ずいぶん昔に終わったはずの物語が続きを始めたような、そんな意味不明の違和感だった。


「本当に、変な夢」


 しかも、昨日の朝から起きる度に涙を流しているのだ。

 起床した直後は、大切な誰かを忘れているような焦燥感にも駆られてしまう。


「……はぁ」


 本当に意味不明で、最悪な目覚めだと真白はため息を吐く。

 それでも、一日が始まったのならば、動かなければならない。

 いくら憂鬱でも学校はサボってはいけない。規則正しく生活しなければ、また施設の職員から注意を受けてしまうのだから。


「おはようございます」


 真白はパジャマから部屋着に着替えると、寝室の外に取り付けられた『監視カメラ』へと挨拶をする。

 人の姿は見えない。

 クリーム色の廊下を歩き、一人分の洗面所で身支度を整える。


「いただきます」


 身支度を終えたのなら、一人分のキッチンで食事をする。

 メニューは日替わり。

 味はそれなり。美味しくも無ければ、不味くも無い。

 ただ、栄養バランスと見栄えはそれなりに考えられているらしく、この食事が嫌いというわけではなかった。

 人の姿は見えない。

 自室に戻り、部屋着から制服へと着替える。

 本当はパジャマのまま身支度も食事も済ませたかったが、施設の職員から『だらしがない』と苦情があったので、渋々の着替えルーチンだった。


「いってきます」


 制服に着替えたのならば、学校へと登校する。

 真白の声に応える者は誰も居ない。

 真白が住んでいる施設に、人の姿は見えない。

 けれども、それは『配慮』の結果であることを真白は知っている。

 真白が望み、施設の職員が応えたからこその状況だと理解している。

 ――――だから、寂しさなんて感じない。



 真白の登校は早い。

 野球部の朝練習とすれ違う程度には早い。

 校門が開いてすぐに玄関へと足を踏み入れて、真っ直ぐに教室へと向かう。

 可能な限り、教師にも会わないように。

 可能な限り、誰かが自分と遭わないように。

 静かに歩いて、静かに教室へと入る。


「…………ん」


 案の定、誰も居ない。

 校庭からは野球部が練習している声が響いてくる。

 けれどもそれは、『蝉の声』のようなものだ。教室の静寂を際立たせてくれるものだ。

 だから、真白は特に気にしない。

 スクールバックに入れた文庫本を取り出して、自分の席で読書を開始する。

 もちろん、ブックカバーはきちんとかかっている。自分の趣味趣向を、他者に対して披露するような余分は持ち合わせていない。


「…………」


 無言のままページに目を通して、特に内容も理解しないまま、ページをめくる。

 真白にとって、この読書は単なるポーズに過ぎない。

 誰も関わって来るな、という意思表示をするため。

 何もしていない時間を潰すための、道具として文庫本を使っているだけ。

 小難しい哲学書の内容なんか、さっぱり頭に入ってこない。

 だが、こうしていればうるさい輩が接触してくる割合が少なくなるのだから、やらないよりはやった方が良い。

 勤勉な高校生ならば、こういう時に自習をするのだろうが、生憎、真白はそこまで勉強が好きではなかった。

 苦手ではないが、好きでもなかった。

 何故ならば、勉強とは『将来』のためにするものだからだ。自分の未来をより良くするための準備こそが、勉強なのだから。

 ――――悍ましい力を持つ自分が、未来を想う必要などは無いのだ。


「…………いや」


 そこまで考えた時点で、真白は小さく否定の言葉を呟く。

 未来に希望を持つ資格のない、悍ましい力の持ち主。

 周囲を凍り付かせて、誰かの熱を奪おうとする、迷惑極まりない存在。

 それが自分なのだと、真白は今まで考えていた。

 誰にも自分の力を抑えることができず、自分が離れることだけが最善なのだと考えていたのである。

 たった一人の勇者と出会うまでは。


「…………ん」


 真白は文庫本で隠しながら、自分の携帯端末を操作する。

 交換した連絡先に、短いメッセージで【起きてるの?】と送りつけてみる。

 そして、しばらくじっと携帯端末の画面を眺めて。


「くくっ、なにそれ」


 一分後に帰って来たメッセージの内容に、小さく笑みを零した。


【起きています。無駄に舌の肥えた黒猫のために、朝食の準備を頑張っています】


 そして、その三十秒後に送られてきた『偉そうに椅子に座っている黒猫』の画像を見て、真白は思わず吹き出しそうになる。


「変なの」


 真白はクラスメイトが教室に入って来るまでの間、連絡先の相手――佐藤大翔という勇者と、他愛もないメッセージを送り合った。

 まるで、どこにでもいる普通の女子高校生のように。



●●●



 佐藤大翔と出会ったことにより、真白の生活は少しだけ変わり始めた。


「やぁ。おはよう、音無さん」

「…………おはよう、佐藤君」


 まず、教室内で大翔の挨拶にだけは声を返すようになった。

 仏頂面のまま、か細い声での返答だったが、周囲はそれを逃さず聞き取っていたらしい。


「ば、馬鹿なっ!」

「難攻不落の冷徹姫が!?」

「しかも、あの大翔が!?」

「こ、これは今学期荒れる予感しかしねぇぜ!」


 クラスメイトたちは勝手に喚いてはいるものの、真白は特に反応を返さない。

 最低限の妥協は、大翔に対してだけ。それ以外の他者と慣れ合うつもりもないし、慣れ合ったところで待っているのは、冷たい結末だ。

 故に、真白は概ね学校ではいつも通り。

 冷たくて不愛想な少女のままだ。



 変わり始めたのは、主に学校の外で。


「なるほど、これが噂のドリンクバーなのね」

「特に何の変哲もない、普通のドリンクバーだけどね?」

「…………これ、スイッチを押しても怒られない?」

「ちゃんとドリンクバーを注文したから大丈夫だよ」

「ん、知ってる。確認しただけだから…………ん?」

「コップを置く場所を間違えているね」

「間違えていない、わざとだから。これは一種の素振りみたいなものだから」

「ジュースがもったいないから、素振りはほどほどにね?」


 真白と大翔は下校時間の後、ファミレスで作戦会議を始めようとしていた。

 議題は、真白の異能について。

 真白の現状の大半は、真白自身が異能を扱いきれていないことが原因なので、そこを解消さえすれば、今後はもっと生きやすくなるはず。少なくとも、『特別』な施設にいつまでも収容される生活からはおさらばできるんじゃないか、という大翔からの提案だったのだ。


「……っ! サラダバーって、ポテトサラダも取って良いの? おかわりも?」

「そうだよ」

「ふむ。中々侮れない、これがファミレス……」

「音無さんが楽しそうで何より」


 なお、真白は初めてのファミレスに興味津々だったので、予定していた時間の半分はファミレスに関する話題になった。

 学校では滅多にみられない笑顔と、好奇心に溢れる表情のオンパレードである。

 この姿を見ていれば、冷徹姫なんてあだ名が付くことは無かっただろう。


「もぐもぐ」

「えー、ファミレスを御満悦のところ申し訳ありませんが、そろそろ時間が差し迫って来たので、異能に関する説明をさせていただきます」

「ぱちぱちぱち」

「異能っていうのは、基本的には魔力を使って扱うものなんだけどね? 音無さんの異能はその中でも最上級の権能クラス。ぶっちゃけ、魔力を使わなくても無尽蔵に使えるようになったりします。何せ、そこまで行くと、世界や法則に対する『命令権限』になるからね。こちらがリソースを支払うまでもなく、周囲を書き換えることが可能になるんだ」

「ふむ。いわゆる、チートって奴?」

「そうだね。語源的な意味合いでのチートのように不法な干渉じゃなくて、上位次元からの干渉権限ってことになるけど。そういう認識で構わないよ。権能クラスの異能は、相性にもよるけれど、同格以外の相手にはほぼ無条件で通るから」


 もそもそとリスのようにフライドポテトを食べる真白。

 理解しているのかどうか、いまいち定かではない顔つきではあるが、大翔は気にせず説明を続けるようだ。


「なのでまず、注意点がその一! 音無さんの異能はとても強力です。使いどころは考えましょう!」

「……使うな、ではないの?」

「いや、『使うな』も何も。異能は音無さん自身の力だからね。使うか使わないかを判断するのは俺じゃないよ。ただ、使うとしたら思ったよりも強力だから、扱いには気を付けて」

「…………ん」

「そして、注意点その二! どちらかいえば、こっちが本題になるんだけど。音無さんは異能の使い方がとても下手くそです」

「下手くそ?」

「そう」


 小首を傾げる真白に、大翔は深々と頷く。


「自分の魔力を使わなくていいのに、無理に魔力を使って異能を発動させようとしている。折角の権能クラスの異能なのに、その権限を有効活用できていない。だからこそ、無意識に異能を行使する時、無理にでも自分の魂から魔力を絞り出して、苦しみながら発動させてしまうんだ。しかも、不完全な形で」

「…………もっと簡単に」

「無料クーポン券があるのに、それの使い方がわからずに自腹で払おうとしている感じ」

「なるほど」

「しかも、財布から無理やりお金を支払った所為で、光熱費が払えなくて電気が止められてしまいそう」

「それは……とても駄目なのでは?」

「うん、駄目だね」


 笑顔できっぱりと『駄目』と告げる大翔に、真白はじろりと抗議の視線を向ける。

 すると、大翔はやはり笑顔のままで、今度は真白に向かって手を差し伸べた。


「だから、俺と一緒に無料クーポン券の使い方を学びませんか? という提案」

「…………いいの?」

「いいもなにも、これも仕事の一環だからね」

「くくっ。大変なんだ、勇者って」

「そうとも、大変なのさ」


 お道化て言う大翔の手を、真白はそっと握る。

 久しぶりに他人の体温を感じながら。

 夢の中の誰かの体温を思い出しながら。

 真白はぎこちない笑みで、大翔へ言葉を紡いだ。


「じゃあ、悪いけどよろしく」


 ささやかに、けれども確かな信頼を込めて。




 冷たい日々は、少しだけ熱を取り戻していく。

 たった一人の例外。

 佐藤大翔という勇者との信頼が、少しずつ真白の熱を取り戻していく。

 無論、学校での真白のスタイルは変わらない。

 多少なりとも周囲に対する敵意が落ち着いたとしても、異能の暴走があるのは事実。

 大翔と共に訓練をし始めたとしても、まだ実感が湧くほどの効果は得ていない。そもそも、ここまで孤高を気取ったのだから、例え異能の制御が可能となったとしても、進級するまではこのままで行くつもりだった。

 ただ、学校生活に於いて、真白が変わった点があるとすれば一つだけ。

 放課後の時間。

 バドミントン部として活動している大翔を待つまでの間、真白の時間が余るようになった。

 本来は、即座に施設へと戻っていた時間だが、大翔を待つまでの間、少しの時間が余るようになったのである。


「…………ふむ、明日の課題はこれで大丈夫」


 故に、真白はこの時間を利用して勉強することにした。

 場所は図書館。

 誰もが静かにしなければいけない場所。

 放課後はほとんど人が来ない場所。

 目的としては、大翔との訓練の時間を不安なく過ごすため。課題や復習、予習などを手早く済ませることにしたのである。


「後は、数学の復習でもしようかな?」


 それは紛れもなく、真白にとっての変化だった。

 例え将来のことではなくとも、未来のことを考えて動く。

 冷たい少女の中に宿った、人間らしい情動の始まりだ。


「ごめん、音無さん。ちょっといいか?」


 そして、それを見逃せない立場にある者もまた、変化を余儀なくされていた。


「…………」

「ええと、せめて返事を――」

「図書館ではお静かに」

「そうしたいんだけどな。こっちの方も仕事だ」


 真白に声をかけたのは、三上九郎というクラスメイトだ。

 赤色に近い茶髪に、柔らかな笑みを浮かべる端正な顔つきの男子生徒。

 同じ学年では誰もが、『あいつは良い奴だ』と答えるような人格者。


「そう、君の『保護』に関することでね」

「…………」


 けれども、その正体を真白は知っている。

 冷たい瞳を向ける程度には知っている。


「君と度々接触を図っている生徒――佐藤大翔。彼は一体、何者なんだ?」


 『特別』な施設の職員と同様に、自分を管理しようとする組織の一員だということを。

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