第102話 偽りの日常、孤狼の少女
「大翔。お前ひょっとして――――童貞を卒業したのか?」
黒幕である結衣を盤面から排除した後、大翔は無事に学校に登校できた。なお、教室に入った直後の、親友からの開口一番がこれである。
梶岡弥太郎。
この仮想世界でも大翔の親友役として抜擢された弥太郎は、やたら真剣な表情で問いかけていた。それはもう、『おはよう』よりも先にこの問答である。大翔が思わず安堵を覚えるほどの馬鹿さ加減だった。
「んー、まぁ、卒業したよ。つい最近」
「マジか!? この裏切り者ぉ!」
「ああ、俺の仕事を邪魔する奴を、この手で血祭りにしてきたばかりだ」
「セックスじゃなくて、キル的な意味での童貞!?」
「やっぱり、童貞を捨てると世界が全然違うように見えるな」
「な、なんて悲しい瞳をしているんだ……馬鹿野郎! お前が人殺しだろうが何だろうが! 俺たちは友達だろうが!」
「でも、セックス的な意味で童貞を捨てた場合は?」
「お前なんざ友達じゃねぇ!」
「なるほど。それじゃあ、君との友情もあと少しになりそうだね」
「えっ、大翔!? 大翔さん!? マジですか!? えっ!? 肩でも揉みましょうか!?」
「女友達を紹介して貰えそうな可能性にがっつきすぎる」
「いや、夏休みにクラスの女子全員を遊びに誘って、悉く振られたお前ほどじゃないぜぇ」
「「はっはっは!」」
大翔と弥太郎はげらげら笑いながら、くだらない雑談を楽しんでいる。
かつては毎日、こんなくだらない幸せに満ちていたことを思い出し、大翔はうっかり泣きそうになったが、この場で涙を流せば気持ち悪いことこの上ない。だから、得意になった痩せ我慢で平静を装うのだ。
例え仮初だったとしても、まだこの日常を懐かしむわけにはいかない。
結衣を盤面から排除したとしても、まだ冬の女王が居る。
ゲームマスターである彼女が提示した勝利条件は、『冬の魔王』を滅ぼすこと。
その意味を正しく理解するためには、まずは『冬の魔王』について探らなければならない。そして、それには恐らく、これがロールプレイングゲームであることが関わって来るだろう。
アクションや推理、シミュレーションでもなく、ロールプレイングゲームとこの仮想世界を定めたのだ。
ならば必然と、『役柄を演じる』ことが重要となる。
「さぁてと」
「お? どうした、大翔?」
ここで肝心なのは、刷り込まれた情報の重要性を見抜くことだ。
冬の女王はゲームを開始する際、大翔にこの世界の基本情報と共に、仮初の記憶を与えた。故郷の世界の大翔としてではなく、この仮想世界で生きて来た『役柄』としての記憶を。
それはほとんど大翔本人の記憶と相違なかったが、高校生となってからの記憶は、何かのつじつま合わせのように、違いが目立つようになっている。
例えば、教室の中心でクラスカースト上位組と楽しく談話しているイケメン――三上 九郎。彼は弥太郎とは異なり、大翔の知らない人物だ。大翔の記憶とは『異なる必要があった』ために、配置された人物だろう。
加えて、他にも見覚えのないクラスメイト達が三分の一ぐらい存在するが、刷り込まれた情報の中では、明らかに九郎の情報量は多かった。
そう、まるで冬の女王から『こいつは要注意だよ!』とでも親切な忠告を受けているかのように。
「いや、ちょっと……これから童貞を捨てる男の力を君に見せつけておこうと思ってね」
「おい、いきなりどうした? もうすぐ朝のホームルームだぞ?」
「弥太郎は人がノリノリになっている時、常識的になるよね?」
「そういうお前は唐突にテンションが振り切れるよな?」
そして、見知らぬクラスメイトたちの中でも、群を抜いて情報量が多い者が居る。
それはもう、この『役柄』はどれだけそいつのことを見ていたんだ? と首を傾げたくなるほど、情報量が多い。
他のクラスメイトの情報が一文程度ならば、九郎はアニメのキャラクタープロフィール程度なのだが、そいつだけは短編小説レベルにぎっしりと情報が詰まっている。
刷り込まれた時、大翔が思わず『え、そういう役割なの? 恋愛シミュレーションでも始めるの?』と思うほどには、情報量が多かったのだ。
これでゲームには何も関係ない人物です、は流石に通らないだろう。
「やぁ、おはよう、音無さん! 夏休みはどうだった?」
だからこそ、大翔はその相手――彼女へと声を掛ける。
音無 真白。
大翔の隣の席に座る、目つきの悪い美少女へと。
気軽に声をかけながらも、油断なく観察する。
ざっくばらんに切りそろえられた短い髪。その色は、鈍色の混ざった黒色だ。瞳は他者に対するとげとげしい敵意で満ちており、頬には何かの傷を隠すようなガーゼがある。
体つきは小柄で痩せ気味。一番小さなサイズの制服でも、丈が余るような小柄な体躯だ。そして、露出した肌は夏場だというのに、恐ろしく青白い。美しい純白ではなく、不健康の象徴としての青白さだった。
そして、これらのマイナスが吹き飛ぶほど、音無真白は美しい。
あえて美しさを消すように切られた髪も、アンバランスな魅力を生み出して。
敵意に満ちた瞳は、研ぎ澄まされた刀身のように輝きを映し出す。
傷を隠すようなガーゼも、真白の容姿の前では美を演出するための要素に過ぎない。
けれども、その美しさは人形のような美しさではない。
過酷な自然を生きる、野生動物のような美しさだ。
凛々しく、鋭く、強い。やせ衰えた肉体や傷など、何の意味も為さないほどに、その美しさには強さがあった。
さながら、狼のように。
孤独ではなく、孤高を選んだ狼のように。
音無真白は、強く気高い美しさを持つ少女なのだ。
「…………」
従って当然、隣の席だからといって、クラスメイトだからといって、大翔に対して朗らかな言葉を返さない。
無言で『黙れ』という重圧が込められた視線を向けるのみ。
「いや、実は俺さぁ。この夏はちょっとした冒険をしてね? 男ぶりが上がったというか、一皮むけたような感覚があるんだけど、どう? 夏休みの前と比べて、この俺の魅力って上がっているかな? 二学期からはモテそうかな?」
しかし、大翔は止まらない。
真白の視線などどこ吹く風で、平然と語りかけている。
「お、おい……大翔が動いたぞ!?」
「馬鹿な!? 音無さんの視線を受けても平気なのか!?」
「あの視線は誇張じゃなく、ガチで生命の危機を感じるほど恐ろしいんだぞ!?」
「面白半分で声をかけた不良が、次の瞬間には全力疾走で逃げ出したもんな」
「あの状態の音無さんに声をかけ続けるのは、もはや人間の領域を超えている……」
大翔の行動に、クラスメイトたちがわいわいと騒いでいるが、その推察は実のところ当たっていた。
真白の視線は怖い上に痛い。
精神的な苦痛を感じるほどのプレッシャーは、明らかに何らかの『異能』が背景にあるが故の物だろう。
常人ならば耐えられないのは当然だ。
「だけどさ、よくよく考えたらモテても付き合えるのは一人だけなんだよね? や、ハーレム物を否定するわけじゃないけど、やっぱり俺は純愛派っていうかさ。ヒロインがたくさん出て来ても、最後にはきちんと一人を選ぶ恋愛漫画が好きなわけで」
けれども、大翔は常人ではない。
肉体的にはさほど常人と変わらない状態であっても、精神的には常人を遥かに凌駕する経験を得ているのだ。
天涯魔塔の黒竜を打ち破って。
超越存在同士の激突を阻止して。
二体の超越存在を前にしても、逃げ出さずに交渉する。
これだけのことを成し遂げた大翔が、今更、多少怖さや痛みを感じる程度で、クラスメイトの視線から逃げ出すなんてあり得ない。
「…………」
故に、真白の視線が少し緩んだ。
今までは何もせずに消えるか、黙り込むはずだった大多数の人間とは違うことに戸惑いを覚えたのだろう。
何かを思い悩むように、視線を少し揺らした後、口を開いた。
「佐藤君」
「お? 何かな、音無さん? ひょっとして俺の冒険譚に興味が――」
「うるさい」
「あ、はい。ごめんなさい、今すぐ黙ります」
普通に苦情の言葉だった。
数々の冒険を乗り越えた大翔といえども、直接に苦情を伝えられては、黙らざるを得なかった。
大翔の精神は常人を凌駕するが、マナーは普通に守る人間なのである。
●●●
クラスメイト――主に男子から『あいつ! まさか音無さんを攻略しようってのか!?』などと驚愕されている大翔であるが、下心は皆無だった。
大翔だって人並の性欲や、綺麗な女の子と付き合いたいという願望はある。
だが、流石に世界の命運がかかった状況で『わぁい! 美少女が隣の席なんて、これは絶対ラブコメの主人公になれという神からの啓示だぜ!』などとはしゃげる余裕は無い。
ほぼ打算的な考えによる交流だった。
冬の女王が望んだロールプレイをすれば、何かのフラグは立つだろう。
そのような考えの下、まずは真白とコミュニケーションを取ることにしたのだ。
『孤高の少女』にたった一人だけ声をかけるクラスメイト。
そんな、如何にもなシチュエーションに沿うようにして。
「次の授業は選択だね。音無さんは美術と音楽、どっちを選んだ?」
「…………」
無論、初日から声をかけて、いきなり距離感が縮まるわけがない。
その程度で女子と仲良くなれるのならば、世の中に非モテ男子という概念は存在しない。
それでも、大翔は『うるさい』と拒絶されない程度の加減を見計らい、度々真白へ声をかけ続けていた。
封印都市でロスティアという拗らせまくった美女と暮らしていた経験から、大翔はこの手の地雷を嗅ぎ分ける感覚に優れている。
相手を怒らせない程度に。
しかし、不快に思われていようとも意識されるように大翔は動いている。
どんな立ち位置だろうとも、まずは真白から名前を覚えられないと話にもならないのだ。
例え、真白を傷つけることになったとしても、関係を保ち続ける。今の大翔には、そうするだけの理由と覚悟があった。
「……ふぅ。初日はこんなもんでいいか」
下校時刻。
大翔はバドミントン部での活動を終えると、一人で帰路に就くつもりだった。
弥太郎とは元々、帰り道が全く違う。他の友達はバドミントン部ではないから、わざわざ迎えに行くのも面倒。
そして流石に、下校時刻に真白へ近づくのは『やり過ぎ』となってしまう。
不快のラインを越えて、有害となってしまう。
冬の女王の入れ込み具合からいって、真白にそのような精神的負荷をかけるのは適切ではない。教室では声をかけて、それ以外ではやや自重する程度がベストだろう。
「あー、早く仲間たちと合流したいなぁ」
そのようなことを考えて、大翔は校舎内を移動していた。
口からは僅かな弱音を漏らしつつも、口元には強がりの笑みを浮かべて。
体育館から玄関へと向かおうとしている、その途中。
「…………ん?」
大翔は視界の端に、奇妙な人影を捉えた。
廊下の奥。人通りの少ない場所。その曲がり角の奥へと、ふらふらと倒れ込むように消えていった人影を。
「まぁ、たとえゲームでも、だ」
見逃す理由も、見捨てる理由も見当たらない。
故に、大翔は常人の範疇で、可能な限り素早く人影を追う。
これが杞憂ならば問題ない。自分が笑い者になれば済むだけ。だが、もしもそうではなかったのならば?
「ぐ、うぅうう……」
大翔の予感は的中する。
悪い方向へと的中する。
曲がり角の奥で廊下に倒れ込んでいたのは、真白だった。
しかも、その様子が尋常ではない。胸を掻きむしるように抑えて、青白い顔から更に血色が失われていく。
更には、倒れ込む真白の周囲は――――凍り付いていた。
夏場だというのに。
まるで、そこに『途轍もなく冷たい何か』があるかのように。
「ちか、づかない、で」
真白は苦悶の声を上げつつも、少しずつ大翔から離れようとしている。
そう、少しでも大翔を『異常な自分』から遠ざけるために。
そんな真白の姿を見た時、大翔の思考から余計な迷いが全て消し飛んだ。
「魔力の暴走だ。自分の異能を扱いきれていない」
言葉で自己確認しつつ、大翔は躊躇わず真白の腕を掴んだ。
「う、ぐ……はな、してっ!」
「やっぱり魔力が乱れている。外部からの干渉が必要だ」
そして、掴んだ魔力から自らの魔力を流し込み、少しでも荒れ狂う真白の魔力を整えようとする…………だが、足りない。収まらない。今の大翔程度の魔力では、荒波の如き真白の魔力を調律できない。
加えて、大翔の手は真白の腕を掴んだ箇所から、段々と凍結を始めている。
このままでは、大翔の腕から体まで凍結が浸食していくだろう。
「は、早く! このままだと――」
「なるほどね。随分と身に覚えがある力だ」
もっともそれは、大翔がその身を蝕む力の正体を知っていなければの話だが。
「ごめん、音無さん。黙って飲み込んで」
「おごっ!?」
大翔は真白を掴んだ手とは異なる手。左手の親指の腹を噛み切り、血を流す。
次いで、流れた血を飲み込ませるように、真白の口へ無理やりにでも親指を突っ込む。
真白は大翔の突然の奇行に、目を回しながら藻掻くが、対応が追い付いていない。そもそも、対応できるだけのコンディションではない。
故に、大翔は大した抵抗も受けずに、真白へ己の血液を飲み込ませることに成功した。
「【我が螺旋を受け入れた者へと命じる】」
そして、血液を介した音声魔術で真白の肉体と同調する。一時的に支配する。
「【汝の権能を封印しろ】」
冬の権能。
真白が魔力を暴走させる異能の正体を、強制的に封じるために。
「ぐ、ぎっ!」
当然、これは無茶だ。
他者の魔力を操作するだけでも至難であるのに、他者の権能に干渉するのは無茶が過ぎる。
下手をすれば、暴走に巻き込まれて魂ごと凍結させられてしまうだろう。
「なめ、んなぁ!」
だが、大翔は権能使いだ。
聖火、冬、救済。
三つの権能を使いこなす、卓越した技能と経験の持ち主だ。
この程度の無茶は、『まだ何とかなる無茶』に過ぎない。
「ぜぇ、ぜぇっ…………っしゃおらぁ!」
数分の奮闘――否、死闘の末に、大翔は無事に封印に成功した。
冬の権能の封印に伴い、真白の魔力暴走も収まっている。大翔の右手は多少かじかむものの、凍結は解除されていた。
まさしく完全成功。
大翔が思わず雄叫びを上げてしまうほど、渾身の封印だった。
「…………」
「あっ」
そしてようやく、大翔は真白から向けられる視線に気づく。
とげとげしい敵意の視線ではない。
疑念が混じりながらも、興味と感謝の色が勝っている視線だ。
その視線を誤魔化すには、大翔はあまりにも色々とやり過ぎてしまっていて。
「佐藤君、貴方は何者なの?」
真白からのあまりにも当然な疑問に、何と答えようかと必死で思考を巡らせていた。




