7
この作品はBL要素を含んでいます。
ご注意ください。
次の日、例の噂は相変わらずだったが、呪術屋の噂は流れてはいないようだ。どうやら夏美は本当に言わないでいてくれたらしい。その事で貴浩は人にばれないよう、そっと息をつく。
教室に入ると、先に学校へ来ていた俊哉の席の横に瀬川の姿があった。
「あ、渡瀬!おはよう!」
瀬川が貴浩に気付いて元気良く挨拶をする。昨日との態度の違いに貴浩は驚く。
「おぉ、はよ。どうしたんだよ瀬川、やけに元気そうだな」
「うん、元気だよ?夏美から事情を聞いたからね」
瀬川は嬉しそうに貴浩の問いに答えた。事情と言う言葉に、貴浩の表情が一瞬凍りつく。(まさか!?)
「津上由利子の件、聞いたんだって」
貴浩の表情を見て苦笑しながら俊哉がそう付け加えた。それを聞いて、そう言うことかと貴浩も苦笑した。
「二人とも考えたね。でも俊哉くん、津上さんから逃れるためとは言え、普通は言わないよ。渡瀬貴浩所有物宣言は」
「そう?でもそれぐらい言わないと諦めてくれそうに無かったからね」
「そこを運悪く写真部に撮られちゃったって訳でしょ?ツイてないね〜」
「ホントにね」
「でも周りから見たら、結構記事を信じそうになる雰囲気出してるよ、二人共」
「そうなのかなぁ?」
(俺から見れば、お前らの方が彼氏彼女に見えるけどな)
俊哉と瀬川の会話を聞き流しながら貴浩はそう思う。絶対そう思うのは、自分だけではないはずだ、とも。
席に鞄を置き、鞄の中から数冊のノートを取り出す。
「・・・ん?」
机の中にノートを入れようとした貴浩はノートを手にしたまま微かに首を捻る。ノートが何かに引っ掛かって、机の中に入らない。
「・・・何だ?」
変に思って机の中を覗いた貴浩の動きが止まる。貴浩は誰にも気付かれないようにそっと机の裏に貼り付けられていたモノを取り出し、制服のポケットへ入れた。そのまま何も言わずに教室を出る。
「あれ?渡瀬は?」
瀬川が貴浩の不在に気付いた時には、貴浩は屋上へと向かっていた。
屋上に到着すると、貴浩は制服のポケットへ入れたモノを再び取り出した。
(ヒトガタ・・・厭魅か)
貴浩の手にあるのは頭の部分に『呪』の文字、胴の部分に『渡瀬貴浩』と書かれた人形だ。人形はあの丑の刻参りなどでも有名である。あれに使用されるのは藁人形が大半を占めているが。
(誰だよ、こんな面倒なことやんのは・・・)
意識を集中させ、もう一度自分の名が書かれている人形を見る。
「素人か?中途半端だな。ったく、呪詛返しするぞコノヤロウ!」
貴浩は言いたい放題言った後、ため息を吐いて肩を下ろした。そしてどうして最近こんなことばかりなのだろうと真剣に考え込む。スクープの事だけでも面倒なのに厭呪まできては堪ったもんじゃない。
面倒だとは思いつつ、このままにしておく訳にもいかないので貴浩は印を組み、その真言を唱える。
「オン・ソンバ・ニソンバ・ウン・バサラ・ウン・パッタ」
その後、印を変えて今とは違う真言を再び唱えた。
「おん・あさんもう・ぎね・うんぼつた」
二つの真言を唱え終えると、貴浩はポケットからライターを取り出し人形へ火をつけて灰にする。とりあえずそれで相手からの呪詛から開放される。この祓い方なら相手に呪詛が返る事もない。解呪したのは多分相手に伝わっただろうが。
(俺だけだとは思うけど、一応トシにも伝えとくか・・・)
一枚の鳥形に切られた和紙を取り出し、それを手のひらにのせてそっと息を吹きかける。 するとその鳥形の和紙は白い鳩へと姿を変え、そのまま俊哉を目指して飛んで行った。 式神には多種多様なモノがあり、妖よりも強い力で制して契約を結ぶ場合や紙や木の葉などに命を吹き込んで動かし使役するモノなどがある。例えるなら前者が鋼鬼達で後者が今の白い鳩というところだろう。あの安倍晴明も式神を使役していたと有名である。
「――っ!」
式を放って安心しかけた貴浩の頬に突然一つの切り傷ができた。
貴浩は頬にじわりと血が流れる感覚を感じた。その血を手の甲で拭うと、辺りを見回す。(式がやられたのか・・・呪詛を掛けた奴が?俺の行動を見ていた!?)
貴浩の顔に焦りが見える。俊哉に式を放つ事が阻止されたという事は、俊哉の机にも厭魅がある確率が高い。中途半端ではあったが、無害という訳でもない。
式が放てないのなら、と貴浩は自ら教室へ向かおうとした。
「おっと、それ以上は行かせない。渡瀬貴浩」
教室へ行こうとする貴浩の前に立ち塞がったのは、この前教室で声を掛けてきた名前すら知らない男。相変わらず楽しそうな笑みを浮かべていて、それを貴浩は不快に思う。
「何のつもりだ。あの呪詛はお前の仕業か」
「そう、貴浩にはばれたが・・・佐原は気付いてないみたいで安心した」
馴れ馴れしい男に、貴浩はあからさまな不快の表情を浮かべた。
「何だよお前。何が目的だ!」
「目的?俺の目的は貴浩を手に入れることさ。そのためには佐原は邪魔なんだ」
「どういう事だよ・・・何なんだ一体!?」
「君は俺の巫女だからな。狙ってたんだ」
「俺は男だ!巫女にはなり得ない!お前のモンでもない!」
ワケが分からずに言い返す。巫女は神に奉仕する女性のことだ。男の貴浩に、その言葉は変である。
貴浩はもう一度俊哉へ白い鳩の式を送る。だがその式は貴浩の前で男に消された。そのせいで今度は左の手の甲に切り傷ができた。
「式を放つのは無駄だ。大切な貴浩に傷はつけたくないが、全て消させてもらう。それより俺の自己紹介がまだだったな」
男の物言いに、貴浩は全身に鳥肌が立ちそうになる。勝手に自己紹介までしようとしている男に、貴浩は本気で嫌悪感を覚えた。
「俺は勝場美嗣。貴浩と同じクラスなのは知ってるだろ?」
貴浩は何も答えない。只じっと勝場と名乗った男を睨みつける。
「・・・まあいい。貴浩には俺を手伝う霊媒者になってもらう」
「勝手に決めるなっ!第一、俺には霊媒者としての能力なんてほとんど無い」
「そんなこと関係無い。降ろしてしまえば・・・な」
勝場がニヤリと笑う。貴浩は身の危険を感じ、数歩下がる。
勝場との間を空けた場所で貴浩は、左の手の甲に滲む自らの血を右の人差し指に付け、その指で宙に五芒星を描く。そんな貴浩を勝場は楽しそうに眺めている。どうやら彼は、貴浩がどのような行動に出ようとも対処できる自信を持っているようだ。彼の表情に焦りは見えない。
勝場のことなど関係なく、貴浩は目を閉じて柏手を打った。
「一つの道開かれし時、汝白銀を靡かせ鋭牙を持ちてその姿を現さん。今我、血の契約により一つの道を開こうとせん。汝、その道より駆け出でて我の前にその姿を現し給え」
勝場の表情が変わり、先程までの笑みが消えた。
宙から現れた大きな狼が貴浩の側に立ち、勝場をじっと見据える。白銀の毛色、鋭い牙、そして狼でも珍しい両目の碧眼。その姿には威厳が感じられる。
貴浩がゆっくり目を開き、狼と同じく勝場を見据えた。その表情に先程までの感情は映し出されていない。無心、その言葉が適切であろう。
「・・・道を空けろ」
静か過ぎる貴浩の言葉に、勝場は思わず一歩下がった。貴浩はそんな勝場を見据えたままゆっくりと一歩ずつ近付く。その後に銀の狼も続く。
「・・・ははははははっ!」
急に勝場が声を上げて笑い出した。貴浩と狼は歩調を止める。
「いいっ!ますます俺のモノにしたくなった!まさかそんな銀狼を式として呼べるとは!」
新たな発見に喜ぶ勝場を相手にせず、貴浩は横に立つ狼と目を合わせた。
「・・・狼牙、頼む」
貴浩が静かに言って再び勝場に視線を戻した瞬間、狼牙と呼ばれた狼は一気に勝場の方へ駆け出す。驚いた勝場はその場に座り込み、狼牙はそれを飛び越えて校舎の中へ去っていった。
銀の狼が居なくなり、勝場は再び声を上げて笑い出す。
「式に見放されたのかよ。ははっ、あんな強そうな式を呼ぶのが失敗だったんだ」
「さっきから人が大人しく聞いてりゃズケズケと、勝手な事言ってんじゃねぇっての!」 我慢切れだと言わんばかりに貴浩が怒鳴った。貴浩の豹変振りに勝場が唖然とする。
「何だよ俺のモノって!気色悪いっ!お陰でさっきから鳥肌立ちっぱなしなんだっ!あぁ!?俺をてめぇのモンにするって言うなら俺より力付けてから言えっての!一昨日来やがれ、この野郎!!」
今まで溜めた分を、一気に吐き出すかのように貴浩は言いたい放題言い放つ。その怒りは留まる事を知らないのか、次から次へと飛び出してくる。勝場など、その迫力に負けてしまって言い返す事すら出来ないようだ。
「大体、何が霊媒だ!憑坐だか何だか知んねぇけど、俺は物じゃなくて女でもなくガキでもねぇ!憑坐の条件を全く満たせねぇっての!」
「・・・浩?それぐらいで許してあげなよ」
勝場の背後で男の声がした。貴浩には聞き慣れた声。
「なっ・・・佐原!」
「貴浩が世話になったみたいだね、勝場君?貴浩、こんなのあるんだけど・・・」
その場に現れた俊哉が貴浩の方へ何かを投げ渡す。貴浩がそれを受け取って見てみると『佐原俊哉』と名前の書かれた人形だった。
「それ、どうしようか。呪詛返し、やってみる?」
勝場を見ながら俊哉が楽しそうに言う。貴浩の目から見て、俊哉が怒っているのは一目瞭然だ。あの妙な笑顔がとてつもなく恐ろしい。
「俺の力貸すからトシがやれよ。俺は怒り疲れた・・・」
「本当に?じゃあ遠慮なくやらせてもらおうかな」
俊哉は勝場を通り過ぎて貴浩の前に立った。その後ろには狼牙がいる。
「あ・・・その狼が佐原に・・・?」
今更気付いても遅いのだが、勝場は狼牙が俊哉を呼んだのだと気付いた。
「ご名答・・・と言ってあげたいけど気付くの遅いよ。俺と浩に呪詛を掛けて・・・覚悟は出来てるんだよね?」
俊哉が振り返りにっこりと微笑む。その笑みが勝場には悪魔の笑みよりも恐ろしく思えたに違いない。
「まっ待ってくれ!悪かった。俺が悪かったから許してくれ!」
「・・・だってさ。浩、どうする?」
振り返って聞く俊哉に貴浩は先程までの怒りを忘れて苦笑する。
「いいんじゃねぇ?呪詛返しって面倒だし・・・」
そう言って自分の時と同じように真言を唱えて人形に火をつける。俊哉はそれを残念そうに見ていた。そんな俊哉の視界に何かきらりと光るモノが入る。
「浩、芹沢君が全部撮っちゃったかも・・・」
「何!?」
「ほら、あそこの陰に・・・あ、逃げる?」
「うわっ!おい、芹沢!待てって!トシ、そいつ頼む」
そう言って貴浩は勝場を俊哉に任せ、逃げようとする芹沢を追う。勝場の後ろにある階段を下りようとする芹沢に、貴浩は印を組む。
「おん きりきり・・・」
「あ、不動金縛りの法を使うみたいだ」
貴浩が唱える真言を聞いて俊哉はその事に気付いた。それを聞いて勝場は呆然とする。
「おん きりきり・・・」
貴浩が全ての印を素早く組み終えると、走り去ろうとしていた芹沢の動きがピタリと止まった。芹沢は必死に動こうとしているようだが、どうやら本当に動けないらしい。
「だから待てって言ってんだろ?今回だけは記事にされるとマズイんだわ」
動けなくなった芹沢の手からカメラを取り上げ、中のフィルムを処分する。芹沢がもがいた。
「今回の事だけは誰にも言うなよ?言われたら、多分俺この学校に居られなくなる。頼むから言わないでくれ」
早く動けるようになりたい芹沢は、貴浩の言葉に動けないながらにも頷こうとする。貴浩が安心して術を解くと、芹沢はその場にペタンと座り込んだ。
「フィルム駄目にして悪かったな」
「・・・いえ、いいです。僕がでしゃばり過ぎたんですから。僕の方こそすみませんでした」
謝ったのに逆に謝り返されて貴浩は戸惑う。どうしてもこの芹沢という人間は付き合い辛い。
「渡瀬、この人はどうする?」
戸惑っていた貴浩を見かねて俊哉がそう声を掛けた。振り返った貴浩に勝場の姿が目に入る。
「もうしないって約束するならもういい。約束しなくても今度やったら俺は本気で呪詛を掛けるからな」
「浩の呪詛を甘く見ない方がいいよ」
貴浩の脅しに磨きをかけるかのように俊哉が笑顔で付け足す。勝場の目にその二人がどう映ったのか、腰を抜かしたような状態で二人に問う。
「お・・・お前ら一体何なんだ!?」
その問いに困って顔を見合わせる本人達。そのことには興味を示して振り向く芹沢。
「俺たちは俺たちだ」
「ネット上の呪術屋って知ってる?」
「トシっ!」
本当の事を話そうとする俊哉に貴浩が静止の声を上げる。
「この二人にも知っといてもらおうよ。特に新聞部の芹沢君には。今後いざという時の為にも・・・ね」
俊哉には何か考えがあるのだろう。その顔に余裕の表情がある。貴浩はそれに気付いて仕方なく俊哉の考えに従う。
「呪術屋って言えば今、裏じゃ有名な呪い屋だろ?それぐらい知ってる」
勝場が常識だと言わんばかりに答えた。芹沢の方は何が何だか、という表情で話を聞いている。
「そう、それが俺たちの裏の顔。分かった?」
「そんな馬鹿なっ!お前らなんかに・・・」
「そう言われても俺たちの事なんだから仕方ねぇだろ?」
勝場の否定に貴浩が反応する。
「芹沢君、今の事は秘密にしてね」
俊哉は芹沢の方へ行き、にっこりと笑って言った。
「は・・・はいっ!」
芹沢が頭を縦に勢いよく振るのを見て、俊哉は芹沢から離れる。俊哉にとって芹沢はもうあまり関係無いのだろう。さっさと離れてしまうと、今度は勝場の方へと歩み寄る。
「あのさ、勝場君。俺たちが呪術屋だとか、そうじゃないとか、そんなのどうでも良いんだよ。俺はね、どうして貴浩と俺に呪詛をしたのかが聞きたいんだ。理由によっては俺、怒るよ・・・?」
「お、おい、トシ?」
あまりにも迫力のある俊哉に貴浩が戸惑い、声を掛ける。だが俊哉は容赦ない。
「貴浩は少し芹沢君の所に行ってて」
今の俊哉には逆らえず、貴浩は勝場を気にしながらも芹沢の居る場所まで行った。その場所から二人の様子を見守る。二人の声はほとんど聞こえない。
貴浩が芹沢の所まで行ったのを確かめると、俊哉は再び勝場と向き合った。
「・・・いつまで座り込んでるつもり?まあいいけどね。さっきも聞いたけど、どうして俺達を狙った?」
俊哉がそう何度か聞いても勝場は答えようとしない。そんな勝場に俊哉がため息を一つこぼす。
「なかなか答えない君のために選択肢をあげるよ。一つ、俺達の同業者で商売敵だから。二つ、俺達に憎悪の念を以前から抱いていたから。三つ、俺に惚れてた、ってこれはまず無さそうだね。四つ、・・・貴浩に何らかの思いを寄せていた」
動かなかった勝場の身体がビクリと反応した。
「最後のが図星・・・みたいだね」
俊哉は勝場を見下ろす。その視線は冷たく、鋭い。獲物を眼で捕らえたタカのような眼である。見下ろされている勝場は俯いたまま口を開こうとはしない。
「・・・君、貴浩を手に入れたかったんじゃない?以前から思いを寄せてて・・・。それでいつも普通に会話をしてた俺が羨ましかったんだよね」
口調を変えず、冷やかに話す。勝場の方も変わらずうつむいたままである。
「初めは俺だけにするつもりだった、違う?だけど新聞部の記事を見て貴浩に話し掛けた君は、貴浩に怒鳴られ、結局二人ともに呪詛を掛ける事にした」
「・・・・・・全くその通りさ」
勝場が初めて低く答えた。そして彼は勢いで立ち上がり俊哉に体当たりをすると、一気に芹沢と貴浩が居る場所へ走り出す。
急に勝場に向かってこられ、貴浩の判断が遅れる。勝場はその隙を見逃さず、貴浩の背後へ回り込むとそのまま貴浩を羽交い締めにした。
「なっ!何すんだ!放せっての、この野郎っ!」
貴浩はもがいたが勝場にがっしりと捕まえられており、どうも逃げられそうに無い。
「おぉっと、全員動くなよ?そこの芹沢とかいう奴もな。動いたら貴浩がどうなるか分かるだろ?」
勝場の言葉に俊哉の動きが止まる。芹沢もその場に座り込み、その場を見ているのが精一杯のようだ。
(・・・・・・?)
もがくのを止め、冷静になって辺りを見回した貴浩はあることに気付いた。そのことにはどうやらまだ誰も気付いていないようだ。
(・・・狼牙、聞こえるな?)
貴浩はその場に姿が見えないあの銀の狼に思念を送る。もちろん勝場がその事に気付くはずも無い。
(聞こえている。まったく何をやっておるのだ・・・)
直ぐに返事が伝わり、貴浩は微かに安堵した。だが、狼牙は貴浩に不満を抱いているようである。
(先程から見ておれば、言葉遣いは荒く、感情をそのまま相手に向け、その上捕まるなどという失態。・・・情けない。だからいつも言っていたであろう。静なる気を備え、常に的確な判断をせよ、と)
狼牙はそう伝え、貴浩を叱る。そんな狼牙はまるで父親のようである。もともと狼牙は狼の群れのボスだったのだろう。強い力を持っていたため死後も妖怪となり、貴浩と出会うまで生前と同じように暮らしていたのだ。貴浩と出会い、式となって鋼鬼達と同じく式神の世界で暮らすようになった。だが、ボスだった頃の威厳は衰える事無く残っている。
(悪かった、今後気をつける。今のこの状況に手を貸してもらいたい)
(・・・情けない。主がここまで情けないとは・・・)
狼牙は脱力したかのように繰り返す。
(・・・しかし、御主は我が主。手を貸さぬ訳にもいかぬなっ!)
狼牙が気を引締めたと貴浩が察知すると、貴浩は勝場と共に横へ突き飛ばされた。しかしその瞬間、勝場の腕の力が緩む。その隙に勝場から離れ、距離を置く。
「・・・礼を言う、狼牙」
そう言った貴浩に狼牙は答えない。そのかわり、貴浩の横にしっかりと立つ。
「痛ぇ・・・まだ居たのか、その狼は」
起き上がり、勝場がつぶやく。そのつぶやきが聞こえた狼牙は不快そうだが冷やかに勝場を睨みつけている。
勝場は貴浩に逃げられた事を悟ると、今度は座り込んでいた芹沢に目をつけた。芹沢を立たせ、貴浩の時と同じように背後から羽交い絞めにする。
「たっ、助けてっ!」
芹沢は今にも泣き出してしまいそうな表情で貴浩と俊哉に頼んだ。
「芹沢、心配するなって。すぐに助けてやるから」
芹沢の不安を和らげる為に、貴浩はそう言ってやる。俊哉も貴浩の横に立ち、にっこりと笑みを見せる。
「動くなよ?変な真似は許さねぇからな」
「許さないって言っても、刃物も持ってない君が人質を取って意味がある?」
俊哉が面白そうに尋ねる。今にも声を出して笑い出しそうだ。
「俺には呪詛があるんだぞっ!お前らが動けばコイツを呪ってやる!」
勝場のその言葉を聞いて、遂に俊哉は声をあげて笑い出した。狼牙はつまらなそうにその場に伏せ、貴浩はと言えば何やら複雑な表情を浮かべている。
「な、何がおかしいっ!」
「おかしいも何も、滑稽だよ!それ以外に言いようが無い」
笑いながら俊哉が答える。
「・・・主よ、我はもう戻らせてもらうぞ。次はもう少し力のある者を前にして呼んでもらいたい。呆れて物も言えん・・・」
「あ、あぁ・・・俺もそうしたい」
貴浩の許可を取ると、狼牙は勝場に目もくれず、あっという間に戻ってしまった。貴浩も狼牙が言っていたように、呆れている。
「何なんだ!コイツを呪っちまうぞっ!」
「や、やめてっ!助けてっ!」
この場で勝場を怖がっているのは芹沢だけだ。貴浩も俊哉も、全く追いやられているようではない。二人ともにかなりの余裕が見える。
「あのさぁ、もうやめろよな。意味無いから」
「何だとっ!?そうかよ、もう許さねぇからな。今この場でコイツを呪ってやる!」
「芹沢君、怖いと思うなら眼を閉じてるといいよ」
怖がる芹沢のために俊哉がそう教える。眼を閉じたところで何も変わりはしないのだが、芹沢は俊哉の言葉を信じて眼を閉じた。
勝場が呪詛を掛け始めると同時に、貴浩は内縛の印を組む。
「おん きりきり・・・」
俊哉にはそれが先程芹沢にも使った不動金縛りの法であると直ぐに分かる。一方、勝場は何かの紙を取り出し、それを見ながら呪詛を行っていた。どうやら呪詛に用いる長い真言を覚えられなかったようだ。かなりの素人技である。
勝場がもたもたやっている間に、貴浩は不動金縛りの法をほぼ完成させ、外縛の印と最後の言葉を唱え終わる。すると先程の芹沢と同じように、呪詛をしていた勝場の動きがピタリと止まる。
「芹沢君、眼を開いてこっちへおいで」
何もする事の無かった俊哉が芹沢に再び教える。俊哉に呼ばれた芹沢は恐る恐る眼を開き、勝場の動きが止まっている事に気付くと一目散に俊哉の所へ逃げた。
「トシ、コイツどうする?このまま放置してもいいか?」
「俺もそうしたいけど、忘れそうだから解いてあげよう」
「いいのか?」
「心配しなくても大丈夫だよ。ちゃんと言っておけば」
貴浩にそう言うと俊哉は勝場へと視線を向ける。
「もし次、貴浩に手を出したら俺が許さない。貴浩と違って俺は優しくないから金縛りの法で済むなんて考えない方が身のためだと思うよ」
笑みを見せ、俊哉は言い放つ。
「・・・トシ、何かちょっと違うような気がすんだけど?手を出すって・・・」
「ん?気にしない気にしない」
変わらぬ笑顔を見せる俊哉に、貴浩は「まあいいか」とそれ以上追求するのをやめる。「あ、芹沢君も今日の事は極秘にね。この間の記事だけで俺達大変なんだよ。これ以上は流石に俺もちょっと・・・」
「すみませんでした。あの時はスクープ取れたのが嬉しくてつい・・・でも、僕はもうしませんから安心して下さい。これからは人権の事も考えて記事を書きます。部の仲間にもちゃんと言うつもりです」
「それはいい心構えだね。今後の芹沢君の記事に期待しているよ」
「はいっ!」
この組み合わせも何だかなぁと貴浩は思う。新人の記者と編集長、どことなくそんな雰囲気だ。そのうちこの学校内で本当にそうなるんじゃないのだろうか。
(俊哉が新聞部の編集長・・・)
その光景を思い浮かべて貴浩は思わず笑った。とんでもない光景だ。部員の記事をとことん駄目押しし、本人は悠々と椅子に座っている。自分が興味あることにしかその重い腰を上げようとはしない、不動の編集長。
「・・・あ、渡瀬君が笑ってる!僕、彼が笑ってる姿初めて見ました!」
独りでひっそりと笑ってる貴浩に気付いた芹沢が驚いて声を上げた。彼の貴浩のイメージはいつも寝ていて不機嫌そう、だったのだろう。
芹沢に気付かれた貴浩は笑うのをやめた。
「何に笑ってたの?」
意味深な笑みを浮かべ俊哉が近付く。その俊哉から離れるように貴浩は慌てて勝場の方へ逃げた。
「金縛り解かねぇとな〜」
「あ、ごまかしたね?」
「何の事だか俺にはわかんねぇな〜」
「貴浩、語尾が延びちゃってるよ」
自分の都合が悪くなったので聞く耳持たずと、貴浩は勝場の金縛りを解く事に専念する。動けなくなったままの勝場をさっさと元に戻す。
「・・・終わりっと。もう動けるはずだから動いてみろよ」
貴浩がそう言うと勝場は瞬間的に動いて貴浩の腕を掴み、そのまま勢いに任せて引き寄せた。
「……――っ!」
今何が起こっているのか貴浩にはしばし理解出来ない。勝場に腕を引っぱられて、気付けば奴の顔が目の前にあった。何が何だかさっぱりな状態で動けず、そのままなされるがままになっている。
急に後ろへ引っ張られて、貴浩は勝場から開放された。それでも未だに何が起きたのかわからない。確か唇に何か触れていたような――。
「・・・勝場・・・」
背後でいつもより低い俊哉の声を聞いて、貴浩は振り返る。そこには自分を引っ張ったと思われる俊哉が激怒している気を発していた。今まで何度も俊哉が怒ったところを見た事はあったが、ここまで激怒した俊哉は貴浩といえども見た事ない。
思わず貴浩は俊哉の前から退き、勝場と俊哉はそのまま睨み合う形になった。ニヤリと笑みを見せる勝場と激怒している俊哉。そんな近寄り難い二人を貴浩と芹沢は呆然と見ている事しか出来ないでいる。
「・・・呪詛を掛けた事は、もうこの際許してあげるよ。でも・・・今のは許せない。絶対に許さない」
「別に佐原に許してもらおうなんざ思ってねぇよ。俺は自分の意志に忠実に動いたまでだ」
「忠実すぎるのは問題だね。勝手にキスなんてやって・・・あんなのを襲うって言うんじゃないの?犯罪だよ」
俊哉の言葉に貴浩がギョッとする。今俊哉は何て言っただろうか。
貴浩はやっと先程の状況が分かり、自分の口を制服の袖でゴシゴシと拭う。確かによく考えてみればされていた気がする。
「・・・冗談じゃねぇぞ。俺の・・・・・・」
知ってしまうと沸々と怒りが込み上げてくる。
「・・・俺の意思を・・・無視しやがって・・・」
どんどん大きくなっていく怒りを抑えながらブツブツと呟く。そんな貴浩に気付いたのは完全に第三者の芹沢だけだった。
「・・・呪うぞ・・・呪詛掛けるぞ・・・時間かけてじっくり苦しめ・・・」
貴浩の呟きにそんな言葉を聞いて芹沢が慌てる。勝場の方へ歩き出そうとする貴浩の腕を思わず掴んでしまったことを、芹沢は思いっきり後悔した。何せ、今の貴浩はとんでもなく怒っていて怖い。俊哉の怒りの方がまだ小さく見える。
「わっわわわわわ渡瀬君っ!じゅじゅ呪殺はよくないっ!」
芹沢が貴浩の腕を掴んだまま眼をギュッと閉じて叫ぶ。眼を閉じたのは、今の貴浩があまりにも恐ろしいからだ。
芹沢の声に、俊哉と勝場も怒る貴浩に気が付いた。二人同時に貴浩へ視線を向ける。
「・・・放せよ芹沢。これじゃ呪詛出来ねぇだろ?」
妙に優しく囁かれて芹沢はますます怖く感じた。そのままその恐怖に耐えられず、掴んでいた手からふっと力が抜ける。
芹沢から解放された貴浩は今度こそ勝場の方へ歩き出す。
「・・・浩?」
貴浩の異変に気付いた俊哉は名前を呼んだ。だが貴浩に反応は無い。それで俊哉は、今貴浩の眼に映っているのは勝場だけなのだと気付く。それも勝場にとって悪い意味で。
どう見ても貴浩はキレて壊れている。今なら何をやらかすか分からない。
「浩っ!」
今度は俊哉が貴浩と勝場の間に立った。それでも貴浩の足は止まらない。
横を通り抜けようとした貴浩を俊哉がしっかりと止める。
「・・・トシ、放せ。俺は奴を呪う。死ぬまで苦しむように・・・」
「放さないよ、浩。君が呪殺しようとしてるから。浩にはやらせない、そんなこと」
「地獄に落としてやるんだ・・・放せっ!」
「放さないっ!!」
俊哉に止められて前へ進めなくなった貴浩が無理にでも進もうと暴れだす。俊哉も必死になって貴浩を抑える。貴浩の肘が頬に直撃してよろけたが、それでも俊哉は貴浩を前へは進ませない。しっかりと抑え続ける。
「勝場っ!俺が止めてる間に早く行け!浩は本気で呪殺するつもりだから早く消えろ!俺は貴浩にそんな事させたくないっ!」
突っ立っている勝場に俊哉が怒鳴った。勝場への怒りが消えたわけではないが、貴浩に呪殺をやらせるぐらいなら勝場を逃がした方がいいと判断したのだ。
俊哉に怒鳴られた勝場も貴浩の異常さにようやく気付き、慌てて屋上から校舎内へと逃げて行く。
逃げる勝場の姿に貴浩が俊哉を払おうと全力で暴れだす。
「貴浩っ!」
これ以上は無理だと判断した俊哉は強行手段にでた。暴れる貴浩の一瞬の隙にさっと顔を寄せる。
芹沢があっと思わず目を閉じ、次に開いた時には貴浩の動きがピタリと止まっていた。 しばらくして俊哉の顔がそっと離れると、貴浩は糸の切れたマリオネットのようにその場に膝から崩れ落ちる。俊哉にも崩れる貴浩を支えてやれる程の余裕は無い。
「俺も勝場と同じ事したよ?勝場を呪殺すると言うのなら、その前に目の前に居る俺を呪殺するべきだ」
座り込んだ貴浩はそう言う俊哉を見上げる。
「・・・そんな事、出来ねぇよ・・・」
「何故?勝場にはそうしようとしたじゃないか」
「お前は・・・」
「お前は?それは俺が貴浩の相方だから?それとももっと別の・・・?」
俊哉にそう言われて貴浩は即答出来なかった。相方だからだと即答すればいいのに、今の貴浩にはそれが出来ない。
だが俊哉は答えるのをじっと待っている。
「・・・そんなの、わかんねぇよ。俺、もうワケわかんねぇよ」
貴浩が小さくつぶやいた。屋上に座り込んだまま俯いて、動こうとはしない。だらりと垂らした手は貴浩の心境を現しているかのように放り出され、ピクリとも動きはしない。「・・・・・・冗談だよ。ごめん、そんなに浩を悩ませるとは思わなかったんだ」
動かなくなってしまった貴浩に、俊哉が困ったように笑いながら言った。悪い冗談だと。
ごめんと謝って貴浩を立たせた後、俊哉は少しはなれた所で立ち尽していた芹沢の方へ向いて手招いた。
芹沢がそれに従い俊哉の側へ来る。
「ここで見たもの、ここで今から聞くこと、全部口外しないこと。いい?」
俊哉の問いに芹沢は首を縦に振って答えた。
「君には聞いておいて欲しい。俺は本当の事を言えば貴浩が好きだよ。新聞部が記事にしたようにね。でも貴浩は違う。貴浩は俺を仕事の相方としか思ってない。その事を知っておいて」
「トシ、それはっ!」
「浩、口出しは無用。今否定すれば俺は両想いとみなすから」
貴浩は思わず口を閉じる。そんな貴浩を俊哉は少し寂しそうに見て笑ったが、すぐに芹沢の方へと向き直って小さく頷いた。
「そう言うことだから、そろそろ戻ろうか。もう昼前だけど。浩、悪いけど先に戻って。また変な噂が流れても困るから」
「わかった、先に戻る」
そう言って、貴浩は一人で階段へ向かう。
今日はいろんな事がありすぎて、疲れた。
貴浩がそう思いながら階段を下りようとした時だった。背後に気配を感じて振り返ると、昇降口の扉の後ろに瀬川が隠れていた。
「瀬川っ!お前いつからそこにっ・・・」
貴浩に名前を呼ばれて、瀬川はビクリと身体を振るわせる。
「ご・・・ごめん」
「・・・っ!」
貴浩はそれ以上何も聞かずに瀬川の前から走り去る。
(・・・見られてた!全部見られてたっ!?)
そのまま校舎内を走り続けて、いつの間にか生徒用の靴箱まで走ってきていた。そこでやっと足を止める。
走り続けたせいで荒くなった息を整え、外を見た。
外は快晴で微かな風が木の葉を揺らし、昼前ののんびりとした時間が流れている。
貴浩は靴を履き替え、外へ出て何も考えずに歩き出した。行き先なんて歩き出した貴浩にすら分からない。ただこの足の進むままに進んでいきたい、そう思った。