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呪術屋  作者: 西屋東
6/10

この作品には微かにBL要素を含んでいます。

ご注意ください。

 教室に帰るまでに人の視線や囁きを嫌と言うほど浴びた。そんな全てを完全に無視し、教室に入る。ここでも人の視線と囁き声はあった。貴浩はそれも同じく無視を決め込む。 先程決めたように俊哉とは視線すら交わさず、貴浩は自分の席に着いた。クラスの人間はそんな貴浩を興味津々で見ている。貴浩に話し掛けようとする人間はまだいないようだ。

(これで人に話し掛けられたりしたら大変だな。トシ、大変そうだよな)

 俊哉の席は人に囲まれていて、その中心に居る俊哉は周りから質問攻めになっている。 しかし見るところ、俊哉はコレといって質問に答えるわけでもなく、質問をキレイに受け流しているようだった。さすがは俊哉と言うべきか。

「なぁ、渡瀬」

 急に名前を呼ばれて、貴浩は声のした方を向いた。するとそこには一人の男子生徒が立っていた。面白いものを見つけたと言うような、楽しそうな顔をしている。

「・・・なんだよ」

 人が大変な目に遭っているというのに楽しそうな目で見やがって、と貴浩は不機嫌に答える。

「あの新聞部の記事、本当かよ」

 貴浩は眉を寄せ、あからさまに不機嫌な顔をした。初めて言葉を交わしたような名前も知らない人間に、何故そんな事を聞かれなければならない。

「何?やっぱりお前ってもう佐原にホられてんの?」

 貴浩はガタンと音を立てて立ち上がり、その男子生徒の胸倉を掴み上げそうになったが、ギリギリのところで思い留まった。

「・・・佐原とはそんな関係じゃねぇ、失せろ」

 怒りを込めた声で貴浩は低く言った。あまりの気迫にその男子生徒は無意識のうちに一歩下がる。

「ねぇ、ちょっとアレ何!?何で鴉がこっち見てるの!?」

 クラスの女子が悲鳴のような声を上げた。教室の外の窓から、じっと教室の中を見ていた。それに気付いた貴浩はその烏の方を見る。やはり鋼鬼だった。貴浩はそのままの場所で鋼鬼を見つめたまま念を送った。

(耐えろ。あの男に怒りを覚えたのは俺も同じだ。ここで問題を起こすわけにはいかない)

(だがあの男、我が主である貴浩をこれ以上なく侮辱した。式として許すわけにはいかぬ。我が強き怒りの念をぶつけてくれる!)

(頼む、あの男を庇う訳ではないが俺の為を思うなら耐えてくれ。今問題を起こすとまずい)

 貴浩は必死で鋼鬼を説得した。だが鋼鬼の怒りは収まりそうに無い。鋼鬼はずっと動かず、貴浩を侮辱した男を睨みつけていた。

(よせっ、鋼鬼!)

(止めるでない!我が怒りは収まらぬ!)

「頼むから退いてくれっ!」

 貴浩は鋼鬼に叫んだ。鋼鬼が驚いて羽をバタバタとさせ、もう一度その場所に留まり直す。そして首を傾げて見せた後、何も言わずに飛び去った。その様子を見ていたクラスの人がザワザワと騒ぐ。

「ねえねえ。さっきの烏、渡瀬君知ってるの?」

「何だよ、退いてくれって」

 一部の人間が貴浩に質問を投げかけるが、貴浩はどう答えていいのか戸惑う。

「・・・近所に住み着いてるだけだ・・・」

 必死に考えて出てきた答えがそれだった。俊哉は貴浩をチラリと見たが、直ぐに周りに居る友人との会話に戻る。

(何で俺がこんな目に・・・)

 まだ午前中だというのに、貴浩は疲れ果てていた。貴浩はもう誰も相手にせず、静かに椅子に座り寝てしまおうと決め込む。

(人と話すのってこんなに疲れるモンかよ・・・)

 それはこの状況からであって少し違うのだが、貴浩はいつも依頼人の接客をしている俊哉のことを素直に凄いと思った。

 授業中も寝続けた貴浩は、何度か先生からの注意も受けたものの、結局放課後まで椅子から立つ事は無かった。今回のは一種の現実逃避と言ってもいいだろう。

 放課後にのろのろと立ち上がった貴浩は、教室の窓を開いた。すると何処に居たのか、鋼鬼が直ぐに飛んで来て教室の中に入り込む。

「すまなかったな。我が原因で騒ぎを起こしてしまった」

「別にいい。どうせあの後から寝てたし。それに俺のためにあそこまで怒ってくれるお前だからこそ頼りにしている・・・」

 鋼鬼は静かに貴浩を眺め、首を傾げる仕草を見せた。いつもと少し様子の違う貴浩を心配しているのだろう。貴浩はそれに気付いた。

「何か疲れた・・・。そういえば今日って何曜日だ?金曜?」

「我が思うに金曜は明日だ」

「そうか、まだ明日があるんだな・・・」

 貴浩はガッカリしながらつぶやく。今の状況よりは大量の仕事の方が増しだと本気で思う。いっそのこと明日はサボってしまおうかとも。だが周囲の視線や囁きごときには負けたくないと思う一面もある。一体いつまで耐えられるだろう。そもそもこの状況はいつまで続くのだろう。

 俊哉の机を見ると鞄は無かった。先に帰ったのだろう。

(俺もそろそろ帰るかな・・・)

 そう思って鞄を持った貴浩は、ふと人の視線に気付いた。教室の出入り口に一人の生徒が立っている。その生徒は貴浩が調べていた人間だった。

(幸田夏美?何でここに?)

「・・・そこで何やってんだよ?俺に何か用か?」

 急に話し掛けられた夏美は驚いて立ち竦む。

「あの、か・・・烏が・・・。外に逃がしてやらないと」

 夏美はやっとの事でそれだけ言う。

「ん?ああ、こいつはいいんだ。俺と一緒に外に出るだろうから」

「なついてるの・・・?近付いても平気?」

「全然平気。来てみろよ」

 貴浩が再び鞄を机に置いて椅子に座ると、夏美は恐る恐る教室の中に入って来た。夏美が近付いてきても鋼鬼は動じず、夏美を見ている。

「スゴイね。私、烏をこんなに間近で見たのって初めて」

 嬉々として鋼鬼を見つめる夏美を、貴浩は観察する。黒い肩下まで伸ばした髪は真っ直ぐで、物静かな顔立ち。夏美の噂などは聞かないが、少なくとも貴浩には可愛いとおもえる外見だ。こんな子が本当に呪詛を望むのだろうか。

「何だか勇ましいというか、綺麗だよね。優しい目をしてる」

「そんなこと言う奴珍しい。名前は?」

 本人とは初対面なわけだから名前を聞いておく。あくまでも初対面として対応しなければいけない。

「私は幸田夏美。どうぞよろしく、渡瀬貴浩君」

「俺の名前・・・そうか、新聞部の記事で」

「そう。あんなの貼り出すのってどうなのかな・・・。あれのせいで渡瀬君達大変な目に遭ってるでしょ?」

「まあな。晒しモンだな。一つ言っておくが、俺と佐原はあんな関係じゃねぇからな」

 もしかすると夏美も信じているかもしれないから、その事について否定しておく。今、貴浩は少しでも分かってくれる人間が欲しかった。

「知ってるよ。津上さんから逃れるための演技だったんだよね。見えてたから」

「そうか。そういや幸田って瀬川の友達なんだよな?」

「よく知ってるね」

 意外そうに言う夏美に貴浩はまあな、と答えて話を続ける。

「瀬川に聞いた。今日瀬川大丈夫だったか?アイツも少なからずショック受けてたんじゃねぇ?」

美帆(みほ)?そういえば少し落ち込んでたかな・・・。でも大丈夫だよ、美帆は」

 美帆とは瀬川の下の名前だ。どうやら瀬川と夏美は思っていたよりも仲が良いようだ。

「それもそうだな。・・・何だ?」

 鋼鬼に制服の裾を引っ張られて、貴浩は鋼鬼の方を見る。鋼鬼は貴浩の制服のポケットをじっと見つめて、貴浩に何かを伝えようとしているようだ。不思議に思った貴浩が制服のポケットを調べると、携帯電話にメールが来ていた。

「コレか?」

 貴浩が鋼鬼に問うと、鋼鬼は羽をばたつかせて答える。

(言葉を使えぬのは不便だ)

 言葉にはせず、念で鋼鬼が伝えてくる。

(そう言うなって)

 鋼鬼の念に答えながらメールを確かめると、先に帰った俊哉からだった。内容は、まだ教室で寝てるなら、そろそろ起きた方がいいよ、と言うようなものだ。

(・・・起きてるっての)

 返信するのも面倒なのでそのままにしておき、そろそろ帰ろうと考える。

「悪い。俺、もう帰るわ」

「待って!」

 帰ろうと立ち上がった貴浩は動きを止めた。そして夏美の方を見る。

「何だ?」

「一つ、話を聞いてもらいたいの」

 貴浩は夏美に何も言わず、鋼鬼へ視線を向けた。

(我の事は気にせずとも良い。我は貴浩の式だ。主に従う)

 貴浩の視線に、鋼鬼はそう答える。貴浩は再び席に着き、「話せよ」と夏美に言った。

「私・・・この間、ネット上の呪術屋という所に依頼をしたの」

「呪術屋・・・」

 貴浩が知っている事だ。正体がばれないように、俊哉がどんな細工をするつもりなのかは知らないが、既に受けると返信した依頼だ。

「そこで私は・・・津上由利子を呪ってやろうと考えてた」

(『考えてた』・・・?)

 過去の事のように話す夏美に、貴浩は違和感を覚える。依頼はこの日曜日だ。まだ過去の事ではない。

「やらなかったのか・・・?」

 夏美に話をあわせつつ、貴浩は考える。夏美は一体何を言いたいのか。

「まだ決めてない。この日曜なんだよ、呪術屋さんに会うのが」

「決めてないって・・・津上を呪うために依頼したんじゃないのか?」

「そうだったんだけど・・・駄目みたい。人を傷つけるのは嫌。たとえどんな目に遭わされても・・・」

 夏美は暗くなり始めた空を窓から眺めて言った。貴浩はそんな夏美をじっと見る。どうやら本気のようだ。由利子にいじめをされ続けて衝動的に依頼をしたが、冷静に考え直したのだろう。

「・・・いいんじゃねぇの?嫌ならまだやめられるだろ?やっちまう前に気付いて良かったんじゃねぇ?」

「渡瀬君は・・・軽蔑するよね。こんな、人を呪おうとした私を・・・」

「そんなことねぇけど?むしろいい奴だと思うけど。事前にやめようと思ったんだからな」

 そんなことで夏美を軽蔑するわけない。自分はそれを仕事にして生活している人間なのだから。軽蔑なんて出来るわけない。

「ありがとう。渡瀬君って優しい人なんだね。渡瀬君に聞いてもらえてよかった。日曜日、依頼を取り消してもらう事にするね。じゃあ、私帰るね。ごめんね、帰るの邪魔しちゃって。烏さんもバイバイ」

「暗くなっちまったし、家まで送ろうか?」

「ありがとう。でも大丈夫だよ。バイバイ」

 夏美は手を振りながら教室を出て行った。少し離れた所にいた鋼鬼が貴浩の側に舞い降りる。立ち上がった貴浩は鞄を持ち、出入り口へと向かう。

「良い人間ではないか。・・・!」

「鋼鬼、どうかしたのか?」

「憎悪の念を持った者が近くに居るようだ・・・。だが貴浩に対してではない」

 自分に対してではないと分かったものの、貴浩は何となく嫌な予感がした。近くに誰も居ないと分かっているのに、辺りを見回す。

(何も起こらなければいいけど・・・な)

 そう思いながら、校舎を後にした。


 日曜日、貴浩と俊哉は準備を整えて夏美を待っていた。

「本当に彼女は依頼を取り消すのかな・・・?」

「本人がそう言ってたんだ。それにしてもお前、その格好は何だよ・・・」

 貴浩が俊哉の格好を見て、呆れたように言う。いつものようにスーツを着ているのは別に何も問題ない。貴浩が呆れているのは、俊哉の顔につけられた場違いな仮面。これではまるで、仮面舞踏会の参加者だ。

「何って、正体がバレないようにしたんだよ」

「逆に怪しいっての。仮面舞踏会にでも行くのかと思った」

「浩を置いて、そんな所に行くわけないよ。行くなら一緒に・・・」

「行かねぇっての。とにかく、彼女は人を本当に呪ったりしない人だ」

「へぇ・・・よく知ってるみたいだね。幸田さんと何かあった?」

「別に・・・何もねぇよ」

 貴浩はそう言うと、呪詛を掛けるいつもの部屋へ入る。そろそろ来る時間だと察した俊哉も身なりを整え、来客に備える。

――コンコン。

 事務所のドアがノックされ、俊哉が「どうぞ」と答えるとドアはゆっくりと開かれた。

「こんにちは。どうぞ奥の方へ」

「あ・・・はい」

 夏美は戸惑いながら答えて、勧められるままに部屋の奥のソファに座る。戸惑いは不安のためか、それとも俊哉の怪しげな仮面のせいか、多分両方なのだろう。

「こちらの都合で名乗る事は出来ませんが、それはご了承下さい」

「はい」

「呪詛を行うにあたり、いくつかの注意事項がありますが、そちらの方はご存知ですね?」「あの、その事なんですが・・・」

 夏美は言い難そうに仮面をつけた俊哉を見た。

「何でしょう」

 夏美の言葉を促すように、俊哉が尋ねる。すると夏美は、はっきりと俊哉に言った。

「この依頼を取り消してくれませんか?衝動的に依頼をしてしまいましたが、私には人を呪うなんて出来ません」

 夏美は貴浩が言っていたように依頼を取り消したいと申し出た。

「本当に良いので――」

――バンッ!

 俊哉が夏美に言おうとした言葉は、突然のドアの開く音によって遮られ、俊哉と夏美は音のした方へ視線を向ける。

「浩っ!」

「渡瀬君!?」

 二人の驚いた声が重なる。二人の視線の先には貴浩が真剣な表情で立っていた。その側には鋼鬼の姿もある。

「渡瀬君がどうしてここに!?」

「話は後だ!トシ、今呪詛が行われている。標的は幸田さんだ」

「どうして彼女に?」

「知らねぇ。でも間違いない。呪詛返しをやる」

 貴浩は焦っていた。呪詛を掛けてきているのは誰だか分からない。だが鋼鬼は、この間校舎内に居た憎悪の念を持った者が原因だろうと言っている。貴浩もそれを信じている。「幸田さん、こっちに来て。今幸田さんに呪詛を掛けようとしている人間がいる。その呪詛を相手に返すから」

「どうして・・・どういう事?」

「いいから早く!」

 貴浩は夏美の手を引いて、いつもは呪詛を掛ける部屋に連れて行く。そして夏美を部屋の真ん中に座らせ、貴浩は夏美と向き合うように座る。

「掛巻も畏き伊邪那岐大神、筑紫の日向の橘の小戸の・・・」

 貴浩は直ぐに祓詞(はらえことば)を唱え始める。夏美はそんな貴浩を呆然と見つめていた。何が起こっているのか理解できていないようだ。

 貴浩は次々と夏美が聞いた事も無い詞を唱えていく。途中、何度か「呪詛」と言う言葉を聞き取る事が出来たが、夏美にはそれが何の事なのかわからなかった。

「と ほ かみ えみ ため はらひ たまへ きよめ たまへ」

貴浩はそう唱え終わるとゆっくり立ち上がり、鋼鬼の方を見る。

「返ったか・・・?」

(おそらく問題ない。見事だ)

「そうか・・・」

 貴浩は緊張を解き、再びストンと夏美の前にしゃがみこんだ。相変わらず夏美は呆然と貴浩を眺めている。

「大丈夫か?身体が重いとか、そういうの感じないか?」

 いつまでも動きが停止している夏美に、貴浩が声を掛ける。先程までとは違い、随分と疲れた声に聞こえる。

「・・・大丈夫。渡瀬君、今・・・何をやったの?」

「呪詛返し。テレビとか漫画で聞いた事ぐらいあるだろ?」

「そうじゃなくて・・・どうして渡瀬君が?」

「・・・こっち。ここじゃ何だし」

 貴浩は夏美を再び接客用の部屋へと連れて行った。その部屋には、まだ仮面を付けている俊哉がソファに座っている。部屋のドアが開いたことに気付いた俊哉が、振り向く。

「お疲れ様」

「お前まだそんなモン付けてんのかよ。いい加減外せよ」

 貴浩は呆れたように仮面をつけた俊哉を見る。その後ろでは夏美が不思議そうに二人の会話を聞いていた。

「・・・そうだね。もうバレちゃってるだろうし、隠す意味無いよね」

 俊哉がそう言いながら仮面を外す。仮面の下の顔を見て夏美は驚き、立ち尽くす。貴浩はそんなことお構い無しにソファに座り、夏美にも席を勧める。夏美がやっとの事でソファに座ると、俊哉はにっこりと笑った。

「これが俺達の関係。仕事の相方」

「仕事・・・?」

 貴浩の簡単な説明に夏美は訳が分からず聞き返す。貴浩が何気ない仕草で腕を上げると、鋼鬼が何処からか舞い降りてきた。

「そう、仕事の相方。幸田さんはどうしてこんな古い建物に?」

「それは呪術屋さんに・・・」

「会いに来たよね」

 貴浩の代わりに俊哉が夏美に説明をする。いつものように少し回りくどい言い方で。

「じゃあ呪術屋さんって・・・」

「僕達のことだよ」

 貴浩は何も言わず、只俊哉の横で説明を聞いている。夏見は信じられないとは思ったが、先程貴浩の呪詛返しを目の前で見たため信じるしか無かった。先程の呪詛返しがデタラメだとは考えれない。

「どうして・・・」

「色々とね。ワケ有りなんだ」

「そうじゃなくて、どうして人を呪ったりするの?ねぇ、渡瀬君。答えて」

 貴浩は夏美の問いに言葉を詰まらせ、しばらく考えた後に小さく答えた。

「依頼が・・・来るからな」

「・・・軽蔑なんて、出来なかったんじゃない」

 夏美はつぶやく。俊哉は何の事だか分からないと言う顔をしているが、貴浩の表情は凍りついた。

 言われたくなかった。確かに軽蔑なんて出来る人間ではないと、自分は軽蔑していい人間ではないのだと分かっている。依頼があれば、全く知らない人を平気で呪うような自分は軽蔑されて当たり前の人間なのだと。分かっているから言われたくなかった。

「渡瀬君、どうしてこんなことを仕事にできるの?佐原君は何故とめないの?」

「幸田さん。悪いけど俺は浩を止めないし、俺自身もやめる気は無いよ。それなりにまとまった収入が必要だからね」

 俊哉が答える横で貴浩は俯く。

「人を平気で傷付けてまでお金が必要なの!?」

「・・・浩は、高校を卒業したいと思ってるからね。そうなると学費を払わなければいけない」

「両親は!?親がこんな事許すはず無いじゃない!学費だって頼めば・・・」

 貴浩が急に立ち上がったのに驚き、夏美は言葉を詰まらせた。貴浩は痛々しい表情のままで自分の足元をじっと見つめている。貴浩が立ち上がった時に飛んだ鋼鬼は、貴浩に近付きながら人型へ変化した。

 それを見て夏美は再び驚く。こんなの有得ないと、何度も目を擦った。だが、どう見ても先程の烏が人になったとしか思えない。黒く真っ直ぐな長い髪と真っ黒な鋭い眼。身長はスラリと高く、雑誌の人気モデルになれそうな容姿。雰囲気は先程まで居た烏にそっくりなのである。

 鋼鬼はうつむいて立ち尽くす貴浩の前に立ち塞がり、夏美を見る。

「我が主をこれ以上苦しめないでもらいたい。貴浩は良い人間故、平気で人を傷付けてはおらぬ。前に貴浩がおぬしに言うた言葉は、貴浩の本心だ」

「あなたは何?そう思うなら渡瀬君を何故止めないの?」

「我は貴浩の式だ。我も貴浩を止める事はせぬ。これ以上我が主を苦しめるのであれば、おぬしであろうとこの鋼鬼、主を慕う式として許す訳にはいかぬ」

「どうして、どうしてなの?」

 鋼鬼が夏美にこれ以上何も言わせないよう、行動へ移ろうとすると、貴浩が後ろからそれを止めた。

「鋼鬼、もういい。ありがとう。幸田さん、俺には両親も親戚も居ないようなもんだ。こんな仕事をして稼がなければ、学費どころか生活すらままならない」

「そんな・・・」

「実際に、以前少しの間だけ駅に居た時もあった。今の生活が出来るのも、この仕事のお陰だ」

 貴浩の淡々とした口調に夏美は何も言えなくなる。俊哉と鋼鬼はそんな二人をじっと見守っている。

 貴浩は目を閉じ、一度大きく息を吐いた。そして再び目を開くと夏美を見据えて言葉を続ける。

「俺はこの仕事をやめる気は無い。幸田さんが気に入らないのなら、学校に言ってしまえばいい。そうすれば学校を辞め、違う場所へ行く。幸田さんの前からは消える」

「・・・佐原君も同じなの?」

 夏美は今まで何も言わずに見ていた俊哉に話を振った。急に話を振られた俊哉は困ったように笑う。

「浩がそうすると言うのなら・・・ね」

「烏さん、あなたも?」

 人型の鋼鬼にも夏美は聞いた。誰か一人でも貴浩に反対する者を見つけたいのだろう。

「貴浩は我が主ゆえ、主の望は我の望みだ」

「そう・・・」

 夏美は残念そうに俯き、その後再び貴浩を見た。貴浩の偽り無い真っ直ぐな瞳はしっかりと夏美を見ている。

「私・・・誰にも言わない。聞かれたって言わない。だから学校、辞めないで。この仕事も続けていいから・・・無理はしないで」

「わかった・・・。幸田さん、ありがとう」

「渡瀬君がお礼を言うのは変よ・・・。私、もう帰るから・・・また学校でね」

 夏美が事務所から出ようとした所で、貴浩は夏美を呼び止めた。

「・・・俺、送るわ」

「ありがとう。でも独りで帰りたいから。ごめんね」

 貴浩は一瞬、夏美がこの場で泣いてしまうのではないかと思ったが、夏美は泣くことはせず、そのまま事務所から出て行った。

 夏美が去った後、事務所のドアを見つめていた貴浩だったが、しばらくすると気が抜けたようにソファへ座り込んだ。

「大丈夫?」

 そんな貴浩に俊哉がゆっくり近付く。貴浩は何も言わず、俯いて片手で顔を隠していた。 別に幸田夏美を苦しめたかったわけじゃない。こんな自分が生きていくためには、生まれつき持っていた力を売り物にする事すら必要だった。好きでこんな事をやっているわけじゃない。学校へ行きながら、普通の人と同じような暮らしをするためには仕方の無い事だ。こんな力が無ければ、それ以前にこの世に生まれなければ、こんな思いをする事も無かったのに。

「貴浩、それぐらいにしておきなよ」

 ソファを挟んで、俊哉の腕が貴浩をふわりと包んだ。

「自分をあんまり責めるのは良くないよ。貴浩、今この世にいなければって思ってたんじゃない?そんな顔してる」

 貴浩は何も答えず、顔を隠していた片手をゆっくりと外す。

「貴浩が居ないと俺は困るよ。俺は貴浩の事が好きな人間なんだから。苦しい事とか、全部俺が聞くから。貴浩がこの世にいないと、俺が寂しくて死んじゃうよ」

「・・・・・・何だよ、ソレ。恥かしい奴」

 また片手で顔を隠した貴浩は苦笑してそう言いながら、俊哉の気遣いに感謝した。

 貴浩が調子を取り戻すと俊哉は貴浩から離れて、まだ人型のままでいる鋼鬼の肩を軽く叩いて囁く。

「後は君に任せるよ。貴浩の側に居てやって。俺は先に帰ってるから」

「・・・承知した。礼を言う」

「気にしないで。貴浩を慕っているのはお互い様だからね」

 そう言い残して、俊哉は事務所を後にした。鋼鬼は俊哉を見送ると、再び貴浩の方に向き直る。貴浩はまだソファに座り込んでいる。

 鋼鬼は烏の姿へと戻り、貴浩の横に舞い降りた。貴浩はそれに気付き、参ったような表情で鋼鬼を見る。

「・・・嫌な事色々思い出して、いろんな事考えてさ。こうやって意味も無く落ち込んで・・・情けないよな、俺って」

 鋼鬼は何も言わずに貴浩を見上げた。貴浩は何もかもを告白するかのように淡々と話しつづける。

「俺にこんな力が無ければ、もっと普通の人間でいられたんだろうな・・・」

「・・・貴浩は我らの存在を否定したいのか?」

 鋼鬼の言葉に貴浩は驚き、鋼鬼をじっと見つめる。鋼鬼の真剣な眼差しに、貴浩は大きく息を吐いて肩を下ろした。

「悪い・・・そうじゃない。鋼鬼達がいて良かったと思ってる。もう力が無ければ、なんて言わない。・・・こんな情けない主でごめん」

「何故謝る?人間と言うものは時に強く、時に弱い生き物なのであろう?それを理解して我らは貴浩を主と認めている。違うか?」

「・・・そうだな。悪かったな、愚痴みたいなのに付き合わせちまって。いろんな事言って、お前の事傷付けたよな?その事で謝る。ごめん」

「我は何とも無い。心配は無用だ」

 貴浩は吹っ切れたような笑顔を見せて、ソファから勢いよく立ち上がった。そして腕を上げ、身体を一度大きく伸ばす。その後振り返った貴浩と鋼鬼の目が合った。お互い何も言わず、しばし見詰め合う。

「・・・帰るか。俺、今すげぇ寝たいし」

 先に沈黙を破ったのは貴浩だった。その顔にはもう完全にいつもの笑顔が戻り、鋼鬼は内心ほっとする。

「我も帰路を共に行こう。我の世界に戻るのはそれからでも良かろう?」

「当たり前だろ?」

 貴浩の返答を聞いて、鋼鬼は貴浩の頭上を飛んだ。

 一人と一匹は、そのまま事務所を後にした。


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