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次の日、貴浩は風邪をひいて熱をだし寝込んでしまった。おそらく、急激な力の低下が原因だろう。今まで力を自力で立てなくなるぐらい使い切ったことは無かったため、こんなことはなかった。そもそも貴浩は普段からめったに風邪などひかないため、数年ぶりの風邪だ。
(最近情けないな・・・)
心からそう落ち込む貴浩。
「浩、学校には言っておくから安静にね。昼、食べられそうなら冷蔵庫の中に入ってるから」
突然部屋のドアを開いてそう言ってきた俊哉に驚き、貴浩は思わず起き上がったが、俊哉が言うことを言ってしまうとドアを閉めたので再び横になった。
ガチャンと玄関の扉が閉まる。その後にガチャガチャと鍵を掛ける音が聞こえた。念の為、俊哉が鍵を閉めくれたのだろう。
誰もいなくなったが、身体を起こして何かをする気力も無かったので再び寝てしまおうと思う。先程飲んだ風邪薬が効いてきたのか、ちょうど眠たくなってきたため、貴浩はそのまま目を閉じた。
貴浩は夢を見ていた。高校に上がって少し経った時の。両親が離婚することになり、自分の親権を押し付けあったあの時の夢。
『・・・どうして私が!嫌よ、あなたが持つべきでしょう!?』
『俺だって嫌だ!お前が産んだんだろう!?』
そんな母親と父親の喧嘩が何日も続き、その怒鳴り声は貴浩の耳にも聞こえていた。何もかもが筒抜けだった。だからある日、いつものように怒鳴りあう二人に言ったのだ。
『・・・俺、一人暮らしするよ。俺が独立すれば問題ないんだろ?』
二人は一瞬驚いたが、直ぐに嬉々とした表情で貴浩に詫びた。
『ごめんなさいねぇ。でもそうしてくれると母さん助かるわ』
『すまないな。だがそれでこそ男だぞ!それなら俺が親権を持ってやってもいい』
二人は貴浩の霊感と呼べるものが高いことを知っていた。親なのだから当然と言えば当然なのだが、そのことが親権を押し付けあう原因の一つとなっていた。二人とも貴浩を気味悪がって、引き取ろうとしないのだ。そのことを貴浩は知っていた。
(仲が悪くても、結局は同じ種類の人間なんじゃないか)
責任なんて取れやしない、自分勝手な我が儘な人間。
親戚なんかに預けられてたまるものか。あの二人と同じような人間ばかりだ。後で恩を着せられ、死ぬまで振り回されるなんて、それこそ死んでもごめんだ。
そう思った事が、貴浩に独立の言葉を言わせた。十五や十六ではまだ辛いその言葉を。 独立する時に渡された最後の金は、古いアパートに住む事も出来ないくらい少ないものだった。雀の涙とはよく言ったものだ。友達と呼べるほどの人間もおらず、しばらくは駅などで夜を過ごした。ある時、貴浩の前に一羽の烏が舞い降りた。
貴浩が駅に舞い降りた不思議な烏をじっと見ていると烏と目が合い、烏は驚いたように言った。
『ぬしは我の姿が見えるのか?』
烏が人の言葉を話したので今度は貴浩が驚いた。こんなにペラペラと人の言葉を話す烏は初めて見た。だが、その言葉の意味が良く分からない。
『・・・人の目の前にいて、見えるも何も無いだろ?』
『ほう・・・言葉まで聞き取れるか。ぬしは我を見て驚かぬのか?怖いとは思わぬのか?』
不思議なことをいう烏だった。真っ黒で嘴が鋼のように鋭い。燐としたその姿は怖いと言うよりも、むしろ美しいと貴浩は思ったのだ。それに人間よりも怖いものは無い。
『何で怖いなんて思う必要がある?人の言葉を話す烏だっているさ。それくらいで驚いたりはしない。第一、そういうのは見慣れてる』
『面白い事を言う人間だ。気に入った、名は何と申す?』
『名?貴浩だ・・・渡瀬って名字もあるけど、仮みたいなもんだから意味は無い。俺の名は貴浩だ』
貴浩の言葉を聞いて烏は首を傾げる。
『・・・まあいい。我が名は鋼鬼。鋼の鬼と呼ばれる者。我は貴浩が気に入った。今より貴浩を主と認めよう』
真っ黒な烏、鋼鬼はそう言って羽をばたつかせた。
それからは鋼鬼がいろいろと助けてくれた。人に化けて、お金を稼ぐ手伝いをしてくれたお陰で、古いアパートに住むぐらいは出来るようになった。割のいいアルバイトにもありつけ、苦しいながらにも落ち着いた生活が出来るようになった頃に事は起こった。
職に就けず金が無いと言う母親が家に来て、必死で稼いだ金を根こそぎ取っていってしまった。鋼鬼が激怒し母親を呪い殺そうとしたが、貴浩はそれを止めた。別に母親を思ってと言うわけではない。あんな人間のために、鋼鬼の力をわざわざ使って欲しくなかっただけだ。ただ、それだけ。
――ガチャッ。
玄関のドアが開く音に、貴浩は目を覚ました。時計を見て時間を確かめる。
(・・・俊哉にしてはまだ少し早い・・・)
貴浩はそっとベッドから出る。
(空き巣か・・・?)
俊哉は鍵を掛けて行ってくれたはずだ。用心して、そっと家に入って来た人物を見る。
「・・・なっ!?」
貴浩は自分の目を疑った。信じられない人物が、この家に忍び込んでいた。貴浩は思わず怒鳴った。
「アンタ何やってんだよ!!」
怒鳴られて驚き振り向いた人物は、貴浩の父親だった。
「貴浩っ!?何故ここに!?」
「俺の家だ。アンタこそ何で空き巣なんて・・・」
「貴浩、学校は辞めたのか?」
「辞めてねぇよ・・・必死で稼いで、授業料払ってる」
「それなら何故家に居る?」
貴浩は夢見が悪かった上に、身勝手な父親を見てかなりイライラしてきている。それに父親は空き巣をしようとしていた。
「風邪。あんた、この家に入って何やるつもりだった・・・」
「貴浩は元気かと思ってね。風邪なら早く寝た方がいい」
「・・・勝手な事言いやがって。俺が寝たら金目の物を盗むつもりだろ」
「・・・・・・父さんは今お金に困ってるんだ。貴浩、父さんを助けてくれないか?」
その言葉を聞いた貴浩の中で、ストッパーが外れた。風邪のダルさなど吹き飛ばしてしまうほどの怒りが溢れ出してくる。
「今更父親語ってんじゃねぇよ!!俺だってあの時金に困ってたんだ!アンタは俺を助けてはくれなかったくせに!人様の金に手ぇ付けて、いい加減にしろよっ!!」
貴浩は父親の胸倉を掴み上げて怒鳴っていた。その後そのまま父親を殴り飛ばし、倒れた父親の上へ馬乗りになる。
「俺がどれだけ苦労して今の生活を手に入れたかっ!」
「空き巣は大変だからな」
「お前と一緒にするなっ!!」
もう一度父親を殴る。そこで貴浩の力がふっと抜ける。力がほとんど無い上に風邪をひいている身だ。急激に動くのは無理だったのだろう。
父親はその隙に、貴浩と立場を逆転させる。今度は貴浩の上に父親が馬乗りになっている。次の瞬間、貴浩は頬に激痛を感じた。父親に殴られたのだ。反撃を試みるが、どうも上手く力が入らない。
「金を出せば帰ってやる」
「誰が出すかっ!」
父親は貴浩を脅す。貴浩が拒否すれば容赦なく貴浩を殴る。
「それ以上は止めといたほうがいいですよ」
急に玄関の方から声がした。貴浩には聞き慣れた声だが、父親はそんなこと知るはずが無い。俊哉は笑顔だったが、目は全く笑っていない。
「何だお前は!人の家へ勝手に上がるとは何様のつもりだ!」
父親が声の主に怒鳴りつける。だが俊哉は動じない。
「その台詞、そっくり返しますよ。ここは俺の家でもありますしね」
「トシ・・・警察・・・」
話し難そうに貴浩が俊哉に訴える。父親はこの二人が知り合いなのだと察し、俊哉を脅し始めた。
「貴浩を離して欲しければ、金をよこせ」
「・・・御自分の息子を脅しのネタに使うなんて、とんでもない人ですね」
「うるさい!要求を呑むのか、ハッキリしろ」
「呑まないと言ったら?」
「貴浩を連れて行く。こんな奴でもいい値が付くかもしれない」
「・・・困ったな。貴浩、白い皿はそのままにしてある?」
俊哉はふと思いついたように、貴浩に尋ねた。その訳は貴浩にも通じたものの、結局は意味が無いのではと貴浩は首をひねる。
「そのまま。だけど俺に力が戻ってない」
「・・・戻ってるよ。風邪のせいで戻った感覚が鈍ってるんだ。大丈夫、呼べるよ」
「戻って・・・?だったら、鋼鬼を呼ぶ」
「何を話している!誰を呼ぶつもりだ!?警察じゃないだろうな!?」
貴浩と俊哉の会話に不安を覚えた父親は叫んでいた。そんなことは気にせず、貴浩は目を閉じて集中している。
「一応忠告しておきます。貴浩の上から退いた方がいいと思いますよ?警察よりも怖いですからね」
貴浩の父親に対してにっこり笑いながら俊哉は伝えた。しかし父親は貴浩の上から退こうとはしない。父親の下で貴浩が柏手を一つ打った。
「・・・四方、守護獣の下に集いし者よ。今、汝の力を必要とする。鋼の如き鋭さをここに示せ、鋼鬼降来!」
何処からともなく一羽の烏が姿を現し、部屋の中をグルリと一度回り、貴浩の側に留まった。
「・・・貴浩、一礼を忘れおって。以後気をつけよ」
「悪い、出来る状態じゃなかったんだ」
鋼鬼の出現に父親は声すら上げられずに固まっている。そんな父親に鋼鬼が気付いた。「おのれは何故に貴浩の上に乗っておる。我が主を侮辱しておるのか!」
父親は動けずにいる。貴浩は鋼鬼を呼べた安心感からか、いくらか余裕が出来ていた。「鋼鬼、コイツをどけてくれ。重くて動けない」
「・・・承知した」
鋼鬼は怒っている。それもそうだろう。主である貴浩が侮辱されたのだ。怒らずに居られる訳が無い。
動けずにいる人間に向かって、鋼鬼は怒りを込めて一声鳴いた。それは貴浩から見ても凄まじく迫力があり、当の父親は逃げるようにして貴浩の上から退いた。父親はその後腰を抜かし、座り込む。貴浩は逆に立ち上がった。
「助かった・・・」
「貴浩よ、この者は何奴だ。我が怒り、こやつにぶつけても構わぬか?」
「・・・それは困る。どうせ俺に助けを求めるだろうからな」
「た・・・助けてくれっ!」
やっとのことで声が出せた父親はそう言った。それを聞いて貴浩が大きく息をつく。こんな人間はもう自分の父親ではないと思っている。何かに憑かれても助けてやる気など全く無い。
「だから忠告してあげたんだけど・・・」
俊哉がやれやれと肩を下ろした。
「邪魔だから帰れよ。あと、もう来んな。今度来たら俺は鋼鬼を止めはしない」
腰を抜かして座り込む父親を冷たく見下ろして貴浩は言った。父親は慌てて立ち上がって家から飛び出し、逃げるように去った。それを見て、貴浩は壁に背を預けてズルズルと座り込んだ。
「疲れた・・・俺、風邪ひきなのに」
「病?ならば横になっていた方がよかろう?」
「まあな。寝てたらあいつが不法侵入してきてさ。この有り様」
「浩、寝るならベッドに行きなよ」
壁にもたれ掛かって今にも寝てしまいそうな貴浩に、俊哉が注意の声を掛けた。うとうとしていた貴浩は目を開く。
「寝る。今日は飯いらねぇわ、俺」
のそりと立ち上がり、貴浩はよろよろと自分の部屋へ向かった。鋼鬼がその後をついて行く。パタリとドアが閉められて、俊哉は一人取り残される形となった。
「さて、と」
俊哉は空き巣のせいで荒れてしまった家の中を片付けに掛かる。取られたものは貴浩のお陰で何もないものの、部屋は随分荒れてしまっている。
「浩のお父さんも片付けて行ってくれればいいのに。親子揃って片付け嫌いなのかな」
浩に言ったら怒られるんだろうなぁと思いつつ、俊哉は片付けに没頭した。潔癖症と言うわけではないが、ある程度片付いていないと俊哉は落ち着かないのである。自分が許せる程度まで片付けると、今度は自分のための晩御飯作りに腕を振るう。つくづく家事全般が得意な俊哉だった。貴浩のためにお粥も作る。どうせ夜になったら腹が減ったと言い出すだろうから。
一人で簡単に夕食を済ませた俊哉は、貴浩の部屋にそっと入った。
「入るときは何か申せ」
「浩を起こすと悪いから」
そう言って鋼鬼を宥める。そして貴浩の机の上に先程作ったお粥を置く。
「夜中に浩が起きて何か食べられそうだったら、これ食べさしといて。何も食べないよりはいいから」
「承知した。ところで俊哉。先程の無礼な人間は一体何者だったのだ?」
珍しく鋼鬼が俊哉に質問した。俊哉は言って良いものかと一瞬戸惑ったが、話してやる事にした。
「あの人は浩の父親だった人だよ。浩の親権は一応あの人が持ってるみたいだけど、浩はあの人を嫌ってる。父親に限らず母親も、それに親戚筋もだけどね」
「そうか・・・母親なら我も知っている。金を貴浩から取り上げて行きおった女だ」
「母親が?」
「そうだ」
俊哉は知らない話だった。多分まだ貴浩と出会っていない時の事なのだろう。親戚筋に邪魔者扱いされ、母親にお金を奪われた挙句に今度の父親の件。貴浩はきっともう血縁者を信じることは無いだろう。そもそも今までも信じてはいなかっただろうが。
「鋼鬼はずっと浩の味方でいてやってね」
俊哉がそう言うと、鋼鬼は驚いたように俊哉の方を向いた。
「それはどういう意味だ?」
「そのまんまだよ。俺は人間だから、もしかしたら浩を裏切ることがあるかもしれない。だからそんな時のために鋼鬼は浩の味方でいてやって。裏切らないでやって」
突然のことに鋼鬼は戸惑った。俊哉の口からこのような事を聞かされるとは思ってもいなかったのだ。
「・・・当たり前だ。式が主を裏切るような事があってはならぬ」
「頼んだよ」
俊哉はそれだけ言うと部屋を去った。残された鋼鬼は白い皿が置かれている窓に近づき、そこから月を見上げた。白っぽい月が雲の隙間から見え隠れしている。満月ではないものの立派な月だった。
先程の俊哉の言葉が頭から離れない。どうして俊哉は急にあんなことを言ったのか。
(悪い事の前触れでなければよいが・・・)
鋼鬼は少し不安な感情を覚えた。しかしまさか俊哉が貴浩を裏切るはずが無いと考え、その不思議な気持ちを追い払った。
次の朝、貴浩はすっかり回復して学校に行く準備をしていた。今日も俊哉が朝ご飯を作っている。制服を簡単に着て、俊哉の前に姿を見せる。
「おはよう、もう大丈夫?」
「おう、完璧。これ、ありがとうな。昨日の夜、餓死せずに済んだ」
お粥の入っていた器を見せながら貴浩は礼を言った。
「どういたしまして。そういえば鋼鬼は?」
「鋼鬼なら戻った。今あっちも忙しいって」
あっちとは、普段鋼鬼たち『式』と呼ばれる存在がいる世界である。鋼鬼は貴浩が元気になったのを見届けるとすぐさま戻ってしまったのだ。
「戻してよかった?俺に不信を抱いてるんじゃない?」
俊哉の言葉に貴浩がギクリとする。確かに貴浩は俊哉に不信を抱いている。その事は否定できない。
「・・・朝からやめようか、こんな話。楽しくないからね」
「俺は・・・トシを信用したい」
貴浩はそれだけ言って、黙々と朝御飯を食べ始めた。そんな貴浩に俊哉は困ったように笑っていた。
さっさと学校へ行く準備をして、貴浩は俊哉よりも先に家を出た。時間は十分にあるが電車は使わず、バイクで行くことにする。学校へ行く前に軽く走って気を軽くしようと思ったからだ。そのために遠回りをして学校へ行く。
(トシは・・・あの時本気だったのか・・・?)
今まであんなこと一度も無かったのに、あの後から俊哉の様子は変わった気がする。きっと貴浩の気のせいではないはずだ。何かが変わっている。
(俺は・・・どうすればいい・・・?)
今までの関係は崩したくない。せっかく手に入れた居場所を手放したくはない。
貴浩は考えるのをやめて、バイクを走らせた。