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8 夢のような一夜の続き

たくさんの方にお読みいただきありがとうございます。

後日談です。よろしくお願いいたします。

 どこかからカチャリという音が聞こえて、意識が浮上した。


 何だか肌に当たる寝具がやけに心地良い。

 私、どこで寝ているのだっけ?


 私がこの1年程寝起きしていたのは実家の使用人部屋で、もちろんこんな気持ち良い布団やシーツなど置いてなかった。

 そもそも、家中どこを探したってこれほど上質な寝具があるはずない。


 私はまだ夢の中にいるのだろうか。でも、夢でこんなにはっきりと感触を感じられるもの?


 その時、ふと思い出した。

 そうだ。私は昨夜、とても幸せな夢を見たのだった。


 いや、違う。あれは夢ではない。

 だって、私が「これは夢ではないですよね?」と尋ねたら、「現実だから朝になったらセアラを置いて宮廷に行くが、帰りを待っていろ」と答えてくれたのだ。


 誰が?


 ノア様が。


 ゆっくりと瞼を開けると、目に入ったのは見慣れぬ天井だった。実家の使用人部屋とも、1年前まで私が使っていた部屋とも違う。


 やはり、あれは夢ではなかった。

 私はコーウェン公爵家のお屋敷の客間のベッドの中にいる。

 そして今日、コーウェン家のご嫡男ノア様の婚約者になるのだ。


 安堵すると同時に、今は何時なのかと気になった。

 起床時間になったら、誰かが声をかけに来てくれるのだろうか。

 お世話になる身で寝坊なんてできない。それに、宮廷に行くノア様をお見送りしないと。


 この部屋に時計はあっただろうかと考えながら、寝返りをうって横向きになった。

 そこに見えた光景で私の頭は一気に覚醒し、慌てて跳ね起きた。


「おはよう、セアラ。よく眠れたか?」


「お、はようございます。どうしてノア様がここにいらっしゃるのですか?」


 ちょうど、昨夜ノア様が立っていたのと同じあたりに、今もノア様が立っていた。

 もちろんノア様は昨夜ご自分のお部屋に戻ったのだから、一晩中そこにいたわけではないはずだ。

 その証拠に、ノア様の服装は夜会用の正装から、宮廷への出仕用の衣装に変わっていた。


「目が覚めた瞬間、ちゃんとセアラがここにいるか心配になってしまったから確認しに来たんだ」


 ノア様は、淑女の眠る部屋に勝手に入ったことを堂々と告白して悪びれる様子もない。


「昨夜、私にこれは夢ではないと言ってくださったのはノア様ではありませんか」


「セアラを捕まえたことを夢かと疑ったわけではない。セアラの気が変わって逃げ出していないかと思ったんだ」


「そんな心配こそ、不要です」


 私がきっぱり言うと、ノア様は目を細めて笑った。


「そうだな。絶対に逃がさない」


 喜ぶべきか怖がるべきか、ちょっと悩んでしまう台詞だ。


「ところで、私は何時に起床すればよろしいのでしょうか?」


「ああ、母上がケイトをセアラに付けると仰っていたから、そのうち来ると思うが……」


 ちょうどその時、扉が外から叩かれて、ケイトの声が聞こえてきた。


「若奥様、お目覚めでしょうか?」


 私は首を傾げた。

 若奥様? それは、まさか、私のこと?


 私の疑問を正確に受け取ったらしいノア様が、何だか楽しそうな顔で私に向かって頷いた。


 私は戸惑いながら、ケイトに応えた。


「ええ、起きているわ」


「失礼いたします」


 カチャリと扉が開いて、ケイトが姿を見せた。

 ケイトはノア様がいることに気づくと、たちまち目を怒らせた。


「若様、ここで何をなさっておいでですか」


「セアラの様子を見に来ただけだ。あと数時間もすれば婚約者になるんだから、別に良いだろう。こうして適切な距離を保っているのだし」


「どこが適切ですか。身支度の整わない淑女の部屋に入るなど、たとえ婚約者でも良いわけがありません。コーウェン家の嫡男にあるまじき行動です」


「わかった、わかった。私は出て行くからセアラを頼むぞ。セアラ、また後で」


 ノア様が出て行くと、私はホッと息を吐いた。


「どうもありがとう」


「いいえ。普段の若様はこんなことをなさる方ではないのですが、若奥様と婚約できることが余程嬉しくてはしゃいでいらっしゃるようですね」


 あのコーウェン家のご嫡男が、私のためにはしゃいでメイドに呆れられている。やはり現実とは思えない状況だ。


 ケイトも小さく息を吐いてから、私に向かって丁寧な礼をした。


「改めて、おはようございます、若奥様。私、ケイトが若奥様のお世話をさせていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします」


「おはよう、ケイト。こちらこそよろしく」


「奥様からは、若奥様が疲れていらっしゃるようならゆっくり休んでいただいて構わないと申しつかっておりますが、若様のせいですっかり目も冴えてしまわれましたよね」


「どちらにせよ、もう起きるつもりだったから大丈夫よ。身支度をお願いするわ」


「畏まりました」




 身支度を整えると、ケイトに食堂に案内された。

 奥のほうから漂ってくる焼き立てのパンの香りに、急に空腹を覚えた。思えば昨夜は食事をとっていなかった。

 食堂にはすでにノア様とロッティ様、アリス様、メイ様が揃っていて、朝の挨拶を交わした。


「セアラ、君の席はここだ」


 ノア様に言われて、ノア様とアリス様の間の椅子に腰を下ろした。

 私の向かいにメイ様、その隣がロッティ様。上座が公爵で、メイ様の逆隣が公爵夫人の席だろう。


「若奥様、苦手なものはございますか?」


 給仕係らしいメイドが尋ねた。


「何でも食べられるわ」


 それより、やっぱり私の呼称はもう「若奥様」なの?

 見渡してみても、ノア様の弟妹方は特に違和感を感じていないようだ。


 そこへ、公爵夫妻がやって来られた。


「おはよう。あら、セアラも起きていたのね」


「おはようございます。色々とお気遣いいただきありがとうございました」


「ノアが起こしてしまったそうですわ」


 ロッティ様の言葉に、公爵夫人は眉を顰めた。


「まあ、ノアったら」


 公爵夫人は朝から颯爽となさっているが、公爵のほうはまだ眠そうなお顔のまま席に着かれた。


 すぐに朝食が運ばれてきた。

 この1年は使用人たちと食事をしていたので、こんな立派な朝食は久しぶりに見た。いや、朝食も実家より何倍も豪華だ。


 まずは野菜たっぷりのスープをスプーンですくって口に運んだ。想像以上の美味しさに震える。


「口に合うか?」


 ノア様に訊かれた。


「こんなに美味しいスープ、生まれて初めてです」


「大袈裟だな」


 ノア様はそう言うけれど、大袈裟ではなく、パンもベーコンも卵も口にする何もかもがやっぱり美味しかった。

 私の食べる姿をノア様が口角を上げて見つめているので恥ずかしかったけれど、それで食欲を失うことはなかった。


 1年前までの実家では、お母様の体調や父の仕事の都合によって家族が一緒に食事をできないことも多かったし、3人揃っても食堂で会話を交わすことはあまりなかった。

 今思えば、父は仕事をしていたのではなく、もう1つの家で食事をしていたのだろう。


 継母と異母姉が家に入ると、逆に食事中もふたりのお喋りが騒々しくて落ち着かなかった。

 すぐに家族の食卓を追い出されてからは、ゆっくり食事を楽しむ時間は与えられなかったけど、使用人たちは私のお皿にお料理を多めに盛ってくれたりと気を使ってくれた。


 コーウェン家の朝食では、公爵夫人を中心に昨夜の夜会のことや、今日の予定についての会話が飛び交っていた。

 食堂は公爵夫人の朗らかな声が醸し出すままの、明るいけれど穏やかな空気に包まれている。


「セアラは、何かしたいことや行きたいところ、欲しいものはある?」


 公爵夫人は私にも話を向けてくださったが、すぐに思い浮かぶものはなかった。


「いえ、特にありません」


「それなら私が考えるけれど、思いついたら遠慮せず言いなさいね」


 公爵夫人に続いて、ノア様も言った。


「もしスウィニー家に取りに行きたいものがあるなら私か誰かが一緒に行くから、絶対にひとりでは行くなよ」


「はい、ありがとうございます」


 当たり前だけど、もう使用人のように掃除をすることはないのだ。外出を禁じられることもない。

 でも、これからは次期公爵夫人になるために、ノア様のお母様から色々なことを教わらないと。


 最後に出された林檎をいただいていると、それまで「おはよう」以外は言葉を発することなく黙々と食事をなさっていた公爵が、私に向かって仰った。


「セアラ、昨夜は体に合わないドレスを着せてごめんね。体調は大丈夫?」


 何だかシュンとしている公爵に、私は慌てて答えた。


「まったく問題ありません。あんな素敵なドレスをお貸しいただいて、公爵には心より感謝しております」


 公爵はホッとしたご様子になった。


「それなら良かった。今度はもっとセアラに合うのを選ぶね。あ、僕のことは『お父様』で良いよ」


 それもまだ早すぎるのではないかと思うが、断るのも失礼だ。返答に迷っていると、すかさず公爵夫人が助け船を出してくださった。


「セディ、昨日の今日で急にそんなことを言われたらセアラが困るわ」


「そうか。じゃあ、ノアと結婚するまでは『セディ』って呼んで」


 ……そちらのほうが無理です。


「父上が仰りたいのは、他人行儀はやめて楽にしろということだ。セアラの呼びやすいように呼べば良い」


 ノア様が可笑しそうに言った。




 朝食が済むと、ご家族はそれぞれのお部屋に戻って行かれたけれど、私はノア様に屋敷の外へと連れ出された。もう宮廷に行く、というわけではなさそうだ。


「どちらに行くのですか?」


「別邸だ。お祖父様とお祖母様に紹介する」


「こんな朝早くから?」


「婚約の届けを出す前のほうが良いだろう。あちらも、もう朝食は終えられたはずだ」


 お庭を横切り、別邸に到着すると、待たされることもなく居間へと通された。

 そこにいらっしゃったおふたりが、コーウェン前公爵夫妻だった。


 前公爵はいかにもといった感じで威厳のあるお顔をなさっている。メイ様はこのお祖父様似だったようだ。

 前国王陛下の妹君であるお祖母様は、やはりとても美しい方だ。


 おふたりのところにもすでにノア様の婚約は伝えられていたらしく、緊張する私を和かに迎えてくださった。

 あまり時間がないので挨拶程度しかできなかったが、「またいつでも来なさい」、「今度はゆっくりお話ししましょうね」と言っていただいて別邸を辞した。




 お屋敷の玄関に戻るとその前にはすでに馬車が用意されていたけれど、ノア様は素通りしてお屋敷の中に入り、そのまま階段へと向かっていった。

 おそらくお部屋に行くのだから私はここで待っていたほうが良いかと思って足を止めると、それに気づいて振り返ったノア様に手を取られた。


「ほら、急げ」


 階段を2階まで上りきったところで公爵夫妻とすれ違った。


「すぐに下りていきますから、少しだけお待ちください」


「うん」


 そうして慌ただしくノア様の部屋に飛び込んで扉が閉まった途端、抱きすくめられた。すぐに唇が重ねられ、私が数度瞬きしているうちに離れる。


「行くぞ」


 ノア様は私の手を引いて再び部屋の外に出た。


「あの、何か用事があってお部屋に来たのでは?」


「そうだ」


「もしかして、今の、ですか? わざわざ?」


「あれは部屋でふたりきりですべきことだろ」


 ノア様にしない、という選択肢はなかったようだ。


 玄関ホールに到着すると、再びご家族が揃っていた。宮廷に行くノア様と公爵、学園に行くアリス様を皆でお見送りするのだ。

 私の顔が赤くなっているのは、急いでここまで来たせいだと思ってもらえている、と信じたい。


「セアラ、行ってくる」


 ノア様はしれっとまた私を抱き寄せた。

 でも、チラと横を伺えば公爵が夫人とメイ様を纏めて抱きしめていたから、コーウェン家ではこれが普通なのだろう。私はそのままノア様に身を任せた。


「行ってらっしゃいませ、ノア様」


 公爵はアリス様とロッティ様も順に抱きしめてから、ノア様と離れた私を見た。


「行ってらっしゃいませ」


 私が小さく頭を下げると、公爵は穏やかな微笑を浮かべた。


「行ってきます」


 ノア様と公爵は同じ馬車に、アリス様はもう1台へ乗り込んだ。


 2台の馬車が出発するのを見つめながら、最後に父にあんな風に抱きしめられたのはいつだったかと考えたけれど、思い出せなかった。

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