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4 次期公爵の本領

 応接間に着くと、一緒に来たコリンが扉を開けてくれた。


 中では父と継母が訳がわからない様子でソファに座っていた。

 継母はノア様と並ぶ私に気づくと何か言いたそうな顔になったが、口は開かなかった。


「お待たせして申し訳ありませんでした。あなたたちもそちらにお座りください」


 ノア様は異母姉とアダムに父たちの横を示すと、ご自分は私を連れてその向かいに落ち着いた。その手は私の腰から離れ、今度は手が握られた。

 ノア様を見上げると優しい笑みを返された。そのおかげで肩の力が抜けて、いつの間にか自分が緊張していたことに気づけた。私もノア様に笑ってみせた。


「それで、私どもに話したいこととはいったいどのようなことでしょうか? 娘が何か次期公爵に失礼を?」


 父が恐る恐るノア様に尋ねた。父の目には私がノア様に連行されて来たように映ったのだろうか。


「セアラ嬢を私の妻に迎えたいのです」


 にっこり笑って告げたノア様に対し、あちら側の3人はポカンと目や口を開けて固まったが、異母姉だけは違った。


「ノア様、さっきからどうなさったのですか。選ぶなら私でしょう。セアラなんかのどこが私より勝るというの?」


 ノア様は異母姉は無視して父に向かい、冷んやりした声で言った。


「スウィニー伯爵、あなたが危惧されたように、そちらのご令嬢は礼儀をまったく知らぬようですね。それで社交界デビューさせるとは、伯爵は肝が座っていらっしゃる。私の両親なら絶対に躊躇ったと思います。幸い、私たち兄弟は両親の姿を見て自然と礼儀作法を身につけましたから、ふたりに恥をかかせることはなかったと自負しておりますが」


 父の顔色は青くなったが、異母姉には理解できなかったらしい。


「やはりノア様もセアラなんかと一緒にいることが恥ずかしいのではないですか。きっとセアラに弱みでも握られて仕方なくそうしているのね」


「弱みを握ったくらいで結婚できるとは、我がコーウェン家もずいぶん舐められたものだな」


 ノア様はポツリと呟いただけだったけれど、この部屋にいる誰の耳にも聞こえたはず。


「もう止めなさい」


 父が異母姉の腕を掴むと、異母姉はそれを勢いよく振り払った。


「私でなくセアラに言ってよ」


 反動でその手が父の体に当たった。


「なるほど、お父上に対してもあれでは、妹の体を傷つけることなど平気でやるな」


 ノア様が呆れたように言うと、異母姉が私を睨みつけて叫んだ。


「セアラ、ノア様に嘘を吐いたわね。私はお母様みたいなことしてないでしょ」


 もちろん、私はノア様に正直にお話ししたのだから、ノア様は私を殴っていたのが継母であることを承知の上で、異母姉がしていたと誤解しているように言ったのだ。

 今度は継母の顔から血の気が引いたが、それでも取り繕おうと口を開いた。


「家で殴られているなんて嘘を吐いてまで男性の気を引こうとするなんて、本当に困った娘ですわ。こんな娘を次期公爵夫人になさるなんて、考え直したほうがよろしいかと」


「では、セアラ嬢のドレスを着替えさせた時にメイドが見たものはどう説明なさるのでしょうか?」


 ああ、私を着替えさせたのは、そういう意図だったのか。


「痣くらい自分で簡単に作れますわ」


「なるほど。それにしても、体を傷つける方法でご婦人が真っ先に思い浮かべるのが、素手で殴ることだとは驚きました。鞭で打たれての裂傷や、刃物による切傷は思い浮かびませんでしたか?」


 継母は自分の失言を突きつけられて小さく震え出した。


「お母上がそれでは、ご令嬢に礼儀作法を求めるのも酷でしたね」


 ノア様は継母にそう言ったかと思うと、次にはまた口元にだけ笑みを浮かべて異母姉に向いた。


「ドレスで思い出しました。以前、私と話した時もそのドレスを着ていましたよね?」


 異母姉はパッと笑顔になった。この期に及んでまだ媚を売ることのできる異母姉の鈍さを尊敬しそうになる。


「いいえ、このドレスは今夜のために新しく作ったものですわ。私は同じドレスを2度着たことなどありません。ノア様ったら、きちんと思い出してください」


「ああ、そうでしたか。やはり興味のないことは記憶に残らないな」


 なぜノア様が突然異母姉のドレスを話題にしたのか理由はわからないけれど、私の中でも何かが引っかかった。


「さて、そろそろ本題に戻りましょう。私とセアラ嬢の結婚を認めていただけますね?」


 ノア様の恐ろしい笑みを前にして、父は否を口にできるはずもなく頷いた、が。


「そんなの駄目に決まってます。ノア様、正気に戻ってください。だいたい、セアラはずっと家に引きこもっていたくせに、どうしてノア様とそんな関係になれるのよ。お父様の言いつけを無視して外出していたの?」


 異母姉の口から出た言葉の最後の部分で、父の肩がビクッと跳ねた。

 ノア様はそれには気づかぬふりで言った。


「私とセアラ嬢が出会ったのは今夜ですよ」


「今夜? そんな会ったばかりで結婚なんておかしいわ」


「結婚を決めるのに重要なことが出会ってからの時間だと言うなら、そちらの方はあなたでなくセアラ嬢と婚約しているはずではありませんか?」


「ええ、そうですわ。セアラにはアダムのほうがお似合い。ですからノア様には私が……」


 また部屋の空気が冷え冷えとした。


「これっぽっちも興味の湧かない相手と結婚してはいけないと教えられましたので無理です。ああ、でも、あなたのくだらない望みのおかげでセアラ嬢は私の前に現れてくれたのでしたね。感謝を述べる気にはなりませんが」


 異母姉が目をパチパチとさせてから、ふいに私の首元を指差した。


「その首飾り、まさか本当に盗んだの? 私は何も言ってないわよ。セアラが勝手に勘違いしたんだから」


「セアラ嬢が盗んだなど、とんでもない。これは私の母が近く娘になるセアラ嬢に貸してくれたものです。もとは祖母から譲られたそうなのですが、セアラ嬢にもとてもよく似合っている」


 ノア様が首飾りのエメラルドに触れた。ついでのようにノア様の指先は私の首を一瞬だけ撫でていった。

 くすぐったさについピクリと反応すると、ノア様が目を細めて笑った。


「ところで、セアラ嬢は長いこと家から出ていなかったようですが、今夜はなぜ我が家の夜会に参加してもらえたのでしょう? まさか首飾りを盗むためではありませんよね」


「そ、それは、結婚相手を探させるためですわ」


 慌てて答えた継母は、やはり異母姉が私を連れて来た理由を知っていたのだろう。


「つまり、私と出会うためですね。セアラ嬢にとって、私より良い結婚相手などいるはずがありませんから」


 ノア様は自信たっぷりに言い切ったが、誰にもそれを否定できるはずがない。異母姉の口はアダムの手で塞がれていた。


「結婚を認めていただけて良かったな、セアラ」


 ノア様が嬉しそうに笑いながら私を見たので、私も同じ表情を返した。


「はい、ノア様」


 ちょうどその時、タイミングを見計らったように扉がノックされた。

 応接間に入って来られたのは、公爵夫妻だった。


「なかなか夜会を抜け出せず、申し訳ありませんでした。もうお話は済んでしまいましたかしら?」


 公爵夫人がそう言って微笑んだ後ろで、公爵はまたも警戒の表情を浮かべていらっしゃった。


「ええ。伯爵には快諾していただきました」


「それなら良かったですわ。大切なご令嬢をこのように慌しくいただくことになって申し訳ありません。ですがノアがこんな良い相手を見つけるなんて、待たされた甲斐がありました」


 父は曖昧な笑みを浮かべた。


 公爵夫妻がソファに腰を下ろすと同時に、執事らしい男性がテーブルの上に何枚かの書類を置いた。

 無意識にそれに視線を向ければ、すぐに何の書類なのかわかった。わかったけれど、自分の目を疑って2度見した。


 私の考えが追いつかないうちに、執事から受け取ったペンを走らせて公爵がすべての書類にサインをし、そのペンをノア様の手に渡した。

 ノア様も何の躊躇いも見せずにサインを済ませると、今度は私の手にペンが回された。思わずノア様の顔を見ると、ノア様は申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「結婚しようと言っておきながら、すまない。今夜はここまでしかできないんだ」


 私はブンブンと首を振った。

 私が戸惑ったのはむしろ逆の理由からだ。まさか、この場で婚約のための書類が出てくるなんて。


「駄目だよ、ノア」


 無表情のままの公爵が、ジロリとノア様を見た。


「セアラのためのとびきり素敵なウェディングドレスを作るには、それなりの時間がかかるんだからね」


 ええと、問題はそこだけなのですか?


「わかっています。セアラ、そういうことだから、今はとりあえずこれにサインしてくれるか?」


 異母姉の前では常識など意味をなさないことは理解していたけれど、どうやらコーウェン家においても私が常識だと信じていたものは通用しないらしい。

 とはいえ、今の私はノア様の常識に従うだけだ。

 それに、この書類を宮廷に提出して陛下のサインをいただかなければ正式な婚約にはならないのだから、悩むことはないのかもしれない。


 意を決して、私は書類にサインした。書類とペンはノア様の手で父の前へと送られた。

 父は公爵夫妻やノア様の顔をチラチラと見た後で、サインをした。


 すぐにノア様が書類を手に取り、さっと目を通してから満足げに頷いた。


「さっそく明日、陛下に提出します。ああ、父上、近いうちに陛下や前陛下にもセアラを紹介しないといけませんね」


「うん。きっと喜んでくださるよ」


「では、私たちは一足先に失礼いたします。皆様もどうぞ夜会を最後までお楽しみください」


 公爵夫妻が応接間を出ていかれ、父と継母が少しだけホッとした様子になったところで、ノア様が言った。


「そうそう、大事なことを忘れていました。セアラは今夜から我が家でお預かりします。もう彼女と離れるなど考えられないので。構いませんよね?」


「いや、しかし……」


 困惑する父を押し退けるようにして、継母が口を挟んだ。


「ええ、もちろんですわ。お恥ずかしい話ですが、我が家にはセアラの母親の浪費のせいで借金がありまして、娘たちに満足なことをしてあげられないのが心苦しかったのです」


 嫌な予感がして止めようとすると、ノア様がまた手を握ってきた。このまま言わせておけということだろう。


「セアラはもう安心ですが、我が家は今後どうなるのか……。できましたら、次期公爵夫人の実家として体裁を整えられるよう、少しだけ援助していただけないでしょうか?」


「セアラと結婚するにあたってスウィニー家に何かを求めるつもりはありません。必要なものはすべてこちらで用意しますので心配はご無用です」


 ノア様がそう言うと継母はがっかりした様子になったが、さらにノア様は続けた。


「援助に関しては私の一存ではお答えできませんので、両親に相談します。もちろん私の両親もセアラの実家が困っていると知れば、放っておくことなどしないとは思いますが」


「どうもありがとうございます」


 継母、さらに父まで大袈裟に喜んでみせた。本当に居た堪れない。


「では、私たちも夜会に戻りましょう」


 ノア様が立ち上がった。


「大変申し訳ありませんが、我々はそろそろ失礼いたします」


 父がそう言うと、隣で継母も頷いた。さすがにこれ以上は居づらいのだろう。


「そうですか。無理にお引き留めするつもりはありません。お気をつけてお帰りください」


 ノア様はにっこり笑った。


 私は一瞬迷ったものの、家族に会うのはこれが最後になるかもしれないと思い、進み出た。


「お父様、お母様、お姉様、今までお世話になりありがとうございました。アダム様、スウィニー家をよろしくお願いします。私はノア様とここで幸せになりますので、どうか安心してください」


 私は亡きお母様に教わった淑女の礼をしてから、満面の笑みを4人に向けた。

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