エピローグ 愛しい君と(ノア)
結婚式3日前の夜、宮廷から屋敷に帰るとセアラの姿がなかった。
代わりに私を出迎えた母上はさらりと告げた。
「セアラはウォルフォード家にいるわ」
「なぜですか?」
セアラに家出されるようなことをした覚えはない。
今朝だって、セアラはいつもどおりだった。いや、目覚めの口づけを強引に長く深くしたせいだろうか。
「セアラが結婚式の前はあちらで過ごしたいと望んで、ユージンとレイラもそれが良いって言ったからよ」
確かに今はウォルフォード家がセアラの実家だ。セアラはひとりでも、私とふたりでもたびたびウォルフォード家を訪れていた。
しかし、泊まったことまではなかった。
「……昨日今日、決まった話ではありませんよね?」
「ええ。事前に話せばノアは反対すると思って」
もちろん、しただろう。
だからと言って、私に黙って決めてしまうなんて。
「大丈夫だよ。ちゃんと僕が昼休みに送って行って、レイラにお願いしてきたから」
先に帰宅していた父上が、母上の後ろから現れて言った。
父上も知っていたのだ。
そういえば、今朝、一緒に宮廷に向かう馬車の中で、父上は何となくソワソワしていたかもしれない。
セアラは叔父上、叔母上だけでなく、私の従兄やその妻子たちともすでに仲良くなっているので、彼女がウォルフォード家に滞在すること自体に特に心配はない。
単純に、セアラが私の傍にいないことが不満なだけだ。
踵を返して屋敷を出ようとすると、母上の声に止められた。
「会いに行くなとは言わないけれど、きちんと手順を踏まずに訪問したりして、あちらのお父様に『娘はやらん』なんて言われないでちょうだいね」
ユージン叔父上がそんなことを言うはずはない。が、コーウェン家嫡男としてセアラの婚約者として、恥ずかしい真似はできない。
その夜は大人しく諦めた。
翌朝、宮廷に行って朝一番にユージン叔父上のもとへ足を運び、昼休みにセアラに会う許しを求めた。
本来なら昼時は避けるべきだが、そこは我が家とウォルフォード家の仲だ。無事に許可を得られた。
そして昼休み、私はウォルフォード家に向かった。
まずは一言文句を言ってやろうと考えていた私は、セアラの無邪気な笑みに迎えられた。
「わざわざ会いに来てくださるなんて思っていませんでした。嬉しいです」
「……まあ、結婚前に普通の婚約者らしいことをしておくのも悪くないからな。ほら、土産だ」
父上に「会いに行くならちょっとした贈り物を忘れちゃ駄目だよ」と言われて買ってきたものをセアラに手渡した。セアラが一番好きな宮廷近くの店のチーズケーキだ。
セアラも包みでそれに気づいたらしく、弾んだ声で礼を言われた。
「ノアにこちらでお世話になることを内緒にしていたので、怒っているのではないかと心配していましたが、お母様の仰っていたとおり杞憂だったようですね」
どうも最近、私は母上に遊ばれていないか?
「私はそれほど狭量ではない」
「はい。そうでした」
一緒に昼食をとり、チーズケーキを食べ、庭を散歩し、別れ際にはセアラを抱きしめた。
次の日も、ガトーショコラを手土産に同じことを繰り返した。
そうして、ようやく結婚式の当日になった。
天気は快晴で、柔らかい春の日差しが教会に降り注いでいた。
予定どおり私のほうが先に到着したが、首を長くする間もなくウォルフォード家の馬車もやって来た。
レイラ叔母上に付き添われて中から現れたセアラに、周囲にいた私の家族たちから感嘆の声があがった。
父上が選んでくださった「セアラのためのとびきり素敵なウェディングドレス」は文句のつけようもなく完璧だ。
私はしばし言葉を失い、セアラに見惚れた。
セアラも私を見上げていた。恥じらうように、だがまっすぐと。
「ノア?」
セアラに名を呼ばれて我に返った。
まずい。この調子ではまたメイに負けてしまう。
「セアラ。とても綺麗で眩しいくらいだ。今日、君の隣に立てる幸運に感謝するよ」
「それは私の台詞です。ノアと、コーウェン家とウォルフォード家のご家族に感謝しています」
中へと促されるまで、私たちはしばし笑み交わしていた。
聖堂に集った大勢の招待客を目にして、父上は固まっていた。
母上は慣れたもので、父上の腕に自分のそれを絡めてエスコートされている風を装いつつ、父上を支えて参列席の最前列へと誘う。
その後を、ロッティ、アリス、メイがついて行った。
私も入場し、祭壇の手前に立った。
一度閉じられた扉が再び開き、ユージン叔父上に伴われたセアラがゆっくりとこちらへ歩み出した。
ベールを下ろしているのでセアラの表情はよく見えないが、おそらく緊張しているだろう。しかし、それを感じさせない足運びだ。
ふと、初めてセアラを見た時のことを思い出した。
地味すぎるドレスで堂々と我が家の階段を上っていた後ろ姿が、今では愛しい。
セアラが私のもとへと辿り着き、彼女の手が叔父上から私へと渡された。
「今さら私から言うことは何もないよ。ふたりを信じている」
ニコリと笑った叔父上に、セアラと私はしっかりと頷いた。
式は滞りなく進み、参列席を埋め尽くした大勢の証人の前でセアラは私の妻になった。
気がつけば、父上が目を潤ませながら満面の笑みを浮かべていた。いや、母上や他の家族親戚も皆似たり寄ったりの顔だ。
そっとベールをあげれば、セアラの輝くような笑顔が現れ、その頬を涙が一粒流れ落ちた。
それを指で拭う私はきっと、だらしないほどに蕩けた顔をしていたに違いない。今日ばかりは仕方ないだろう。
セアラにゆっくりと口づけた。長くなったのも仕方ない。深くしなかっただけ良いだろう。
離れると、ほんのりと頬を染めたセアラが困ったような顔で見上げてきた。
私の妻はやはり可愛い。
お読みいただきありがとうございます。
あとは番外編で終わります。




