28 大切なものは何か(ノア)
最初は、セアラと異母姉がまったく似ていなかったこと。
だが、セアラ自身が言うように母親が違うせいだろうと思った。
次はセアラに対して伯爵があまりに無関心だったこと。
だが、そんな親もいることは知っていたし、私がまず比較対象にする我が父上が伯爵とは別の方向に世間ずれしていることも理解していた。
セアラとスウィニー家について知るたび、そんな風に小さな違和感がいくつも積み重なって、やがて胸の中の異物となった。
そして、ある仮説が浮かんだ。
ーーアイザック・スウィニー伯爵はセアラの本当の父親ではないのではないか。
我がコーウェン公爵家には、命じれば手足のように動いてくれる影とでも言うべき者たちがいる。
彼らの主な任務は敵の暗殺、といった物騒なことではもちろんなく情報収集なので、耳目のようにと言うほうが正確かもしれない。
子どもの頃から何となくその存在には気づいていたが、母上に彼らと初めて引き合わされたのは、帰国して宮廷に入ってからだった。
コーウェン家の代々の当主が一手に握ってきた影の力を、お祖父様は母上に託していたのだ。
それ以来は正式に受け継ぐ前の修練期間といったところで、私も影を動かすことはできるものの、まだ母上の許可がいる。
セアラと婚約してスウィニー家について調べはじめたが、それも母上に相談しつつ進めていた。
セアラの母フィオナと結婚する前から、アイザックにベロニカという恋人がいたことは、社交界では知る人ぞ知る事実だったそうだ。
しかし、ベロニカが恋多き令嬢、もっと直裁的に言えば尻の軽い女だったこともまたよく知られていた。
ちなみに、これらは影を使うまでもなく、母上が自身の記憶から話してくれたこと。
そんなわけだから、イザベルがアイザックの娘であることは早い段階から疑っていたし、それが事実であることもすぐに判明した。
イザベルの実父については候補が数人いたものの、特定できた。
出会ったばかりならともかく、20年もともに過ごしたのだからベロニカがどんな人間なのかはアイザックが一番理解しているはずだ。
それでもなおベロニカの嘘を信じているのか。気づいた時にはイザベルに対して情が生まれていたのか。血は繋がらずとも愛するベロニカの娘ゆえか。
一方、フィオナのそういった噂は調べてもまったく出てこなかった。
そもそも彼女は外に出ることもあまりなかったらしく、家族以外の人間と一緒にいるところを見たという話さえほぼ皆無だった。
それでもセアラの父親がアイザック以外にいるのだとすれば、フィオナはその男とスウィニー家の屋敷の中で会っていたことになる。
まだ嫁いだばかりだった彼女が、いくら夫が不在がちでも舅や使用人のいる屋敷に間男を招くことができたとは思えない。
つまり、相手は初めから屋敷の中にいた人間。
さらに、フィオナが最後までスウィニー家で暮らすことに拘っていたことも考え合わせれば、もっとも可能性が高いのは舅ーーセアラにとっては祖父になる前伯爵だった。
母上も私と同じ考えだったので、私は真実を知っていそうな人物に確認することにした。キャンベル男爵だ。
母の遺品を前にしてセアラが「お母様はお父様を愛していた」と口にした時、男爵はすぐにそれを肯定した。
だが、あれがセアラの思い違いだったなら、男爵は敢えて訂正しなかったということだろう。私たちの意識を不都合な真実から逸らすために。
残念ながら、私にとってはあの時のキャンベル男爵の様子こそ最大の引っかかりになった。
ひとりで訪ねることは前触れを出していたので、私を迎えた男爵は和かでありながら、こちらを伺うような雰囲気があった。
私は男爵相手に周りくどいことをするつもりはなかったので、単刀直入に訊いた。
「セアラの父親はスウィニー伯爵ではなく、亡くなった前伯爵なのではありませんか?」
男爵の表情は強張った。
妹の不貞を簡単に認めることなどできないだろう。
「私はセアラの本当の父親が誰かを知りたいわけではありません。ただ私とセアラの結婚の障害になりそうな事柄はすべて把握して、何かが起こる前に対処できるようにしておきたいのです」
私がセアラとの結婚の意志が変わらないと伝えたことで、男爵の空気が緩んだ。
「わからない、というのが正直なところなのです。フィオナは最後まで何も言いませんでしたから」
「ですが、男爵もそう考えていらっしゃるのでは?」
男爵はしばらく迷っているようだったが、やがてゆっくりと頷いた。
「フィオナは夫といるよりも舅と一緒の時のほうが余程幸せそうに見えました。前伯爵がフィオナを気にかける様子もまるで新妻に対するそれのようでした」
一夜の過ちなどではなく、心を通わせた関係の先に生まれたのがセアラだった。
そう考えれば、公にできる関係ではないとしても少しは救われる気がする。
「セアラに渡したフィオナの肖像画は前伯爵が描かせたものだったようです。フィオナが亡くなる少し前に預かってほしいと託されたのですが、おそらくフィオナにとってはあれが愛した男の形見だったのでしょう。あの絵と、セアラが……」
私は男爵に礼を言い、次はセアラとともに訪ねることを約束してキャンベル家を後にした。
それから間もなく起こったあの騒動を経てセアラとの仲がより深まった頃、探し人が見つかったと知らせが届いた。
1年前にスウィニー家を辞めさせられたメイドたちだ。
最初に探そうと思ったのはセアラを安心させるためだったが、その後、目的が増えていた。
セアラ付きだったメイドは都から程近い故郷の町に帰って結婚していた。
トニーに会いに行かせたところ、セアラの近況を聞いて心から安堵していたという。スウィニー伯爵がセアラの父親であることは疑っていない様子だったらしい。
セアラの母上付きだったふたりのメイドは、それぞれ都で新しい仕事に就いていたが、貴族屋敷のメイドに比べるとあまり条件の良くないものだった。
ふたりには私が直接会いに行った。
ふたりとも私がセアラの婚約者で、セアラがコーウェン家で暮らしていることを知ると喜んだ。
しかし、それとなくセアラの本当の父親について聞き出そうとしても、用心深く話題を逸らされた。
だからこそ、知っているのだと確信した。使用人の口が固いのは悪いことではない。
母上の令嬢時代からのメイドはキャンベル家で再び働くことになり、結婚後にスウィニー家が雇ったメイドは我が家で引き取ることにした。
セアラ付きのメイドを増やそうと思っていたのでちょうど良かった。
その段になり、ようやく彼女たちは語ってくれた。
当初、フィオナは婚約者になったアイザックに尽くすつもりだったし、アイザックのほうもフィオナに対して好意的に振る舞っており、ふたりの仲は良好だった。
しかし、結婚直前になってフィオナの前にベロニカが現れた。
ベロニカは自分たちは無理矢理引き離されたが、アイザックが本当に愛しているのは自分だと告げ、さらに悪辣な言葉をフィオナに投げかけた。
それでもフィオナはアイザックと夫婦になり、しばらくは穏やかな新婚生活を送っていた。
だが、それは長くは続かなかった。アイザックが屋敷を空けることが多くなったのだ。
そしてフィオナはベロニカの妊娠を知った。腹の膨らんだベロニカ自身によって。
ひとり息子の不義を代わりに詫び、傷ついたフィオナを支えたのは早くに妻を亡くしていた舅だった。
ふたりの仲は急速に縮まり、やがてフィオナは身籠った。
他にこのことに気づいていると思われるのは、今もスウィニー家に残る執事とメイド長だが、あのふたりは主家の秘密をむやみに漏らしたりはしないだろう。
スウィニー伯爵も誰にも話していないはずだ。少なくともあの母娘が知っていれば、とっくに秘密は秘密でなくなっていたに違いない。
セアラとスウィニー伯爵の父娘関係に疑いを抱いてから、私はこれをセアラに告げるべきか迷っていた。
キャンベル男爵に言ったとおり、私にとってはセアラの父親が誰かなど大した問題ではない。だが、セアラ自身はそのように考えないだろうことも予想できた。
だが、スウィニー伯爵が良からぬ企みを思いついてセアラに告げてしまう可能性は大きかった。他の人間から聞かされる前に私が話そうと決めた。
セアラに逃げられないよう、先手を打ったうえで。
父上は、セアラの本当の父親を知っても彼女に向ける目を変えたりしなかった。
ウォルフォード家にセアラを養女にしてほしいと頼みに行った時には、父上と母上も一緒に頭を下げてくれた。
ユージン叔父上とレイラ叔母上にももちろん真実を告げたが、ふたりは快く引き受けてくださった。
バートン家への報告はセアラ自身が養女になることを決心した後。母上から話してもらったので、ヘンリー叔父上もあっさり了承してくれた。
養子縁組の手続きを済ませ、ウォルフォード家の夜会で養女の件に加えて私とセアラの婚約も発表した。
そして、セアラにすべてを話した。
セアラは呆然とした顔で涙を流した。どんな人間であろうともあの男が父親であると信じていたセアラにとっては、世界が覆ったに等しい衝撃だっただろう。
私はセアラが落ち着くまでただ抱きしめていた。
やがて泣き止んだセアラは、気丈に微笑んだ。
「ありがとうございました。色々と腑に落ちた気がします。私にも愛してくれたお父様がいたのですね」
私はセアラの濡れた頬をそっと拭いながら頷いた。
「でも、こんな私はやはりノアに相応しくありません」
もっとも私が聞きたくなかった言葉だ。
「私にはセアラだけだ。絶対に逃がさないからな」
セアラをもう一度強く抱き寄せると、彼女も私の背に両手を回してきた。
「はい。どうかこのまま私をしっかり捕まえていてください。もちろん、私が隣にいてもノアに恥をかかせたりしないよう、精一杯努力していきます」
腕の力を緩めてセアラの顔を覗き込むと、彼女も私を見上げた。
その恥ずかしそうに何かを考えている表情で彼女の次の行動を予測して大人しく待っていると、少しだけ躊躇ってから唇が重ねられた。セアラはすぐに離れ、私の胸に顔を隠してしまった。
セアラの決意表明を確かに受け取って、勝手に緩む頬を彼女の頭に押しつけながら、さてどうやって応えようかと考えた。
私たちの結婚式直前、やはりスウィニー伯爵が行動を起こした。
セアラはひとりでスウィニー家に行くと言ったが到底それは認められなかった。
初めはコリンの振りをしてついて行くつもりだったが、ふと思いついて馬車の御者役をすることにした。
結果として、セアラはほぼひとりでやり遂げたが、宮廷にいても心配で仕事など手につかなかったに決まっている。
それにしても、スウィニー伯爵はいったい何を思ってここまで来たのだろうか。
前伯爵が亡くなった時点でフィオナを離縁して、ベロニカと再婚していたほうが色々と丸く収まっていたはずだ。
彼にとって重要だったものは、キャンベル家からの援助金か、世間体か……。
ふと、これまで前提としていたものとは真逆の想像が頭に浮かんだが、それ以上考えることはやめた。
セアラを傷つけた人間の自業自得の顛末など知ったところで仕方ない。
私にとって何より大切なのは、セアラを幸せにすることだ。




