番外編 私の理由(スウィニー伯爵)
父の言い分です。
我が家を立て直すための最後の切り札になるはずだったセアラの出生ばかりか、イザベルのことまですでにコーウェン次期公爵に握られていたと知り、もはや私に為す術はなかった。
自分が間違えたことはとっくに気づいていた。だが、その決定的な分岐点がどこだったのか、候補が多すぎてわからない。
父に決められた婚約者フィオナ・キャンベルは、想像していた「成金男爵の娘」とはかなり印象が異なり、大人しく従順そうな令嬢だった。
体があまり丈夫ではないようだったが、妻の役割はきちんと果たすだろうと思った。
当時、私には1年ほど付き合っていた子爵令嬢のベロニカ・グリントがいた。
ベロニカには貴族の娘らしからぬ奔放さで振り回されてばかりだった。
出会った頃はそんなベロニカに魅力を感じていたが、いつからか彼女が伯爵夫人になるのは無理だと理解していた。
だから、フィオナとの婚約は私にとって良い機会だった。
私はベロニカとの別れを決めた。
ベロニカはそれを拒んだりしないはずだと思っていた。
美人で明るい彼女に魅かれる男は多く、私以外にも恋人がいるのではと疑ったことも何度かあったのだ。
それもまた、私が彼女を結婚相手としては考えられない理由だった。
そして実際、私がベロニカに別れを告げると、彼女はあっさりそれを受け入れた。
フィオナと過ごす時間は穏やかで、物足りないほどだった。それでも、やはり妻にするならフィオナのような令嬢なのだろうと納得した。
ベロニカが相手の時とは比較にならないほど緩やかに私たちの関係は深まっていった。
しかし、フィオナとの結婚が間近になったある日、私の前にベロニカが現れた。
フィオナとの穏やかな時間に満足していたはずの私の心は、久しぶりに会ったベロニカが口にした私への未練の言葉に揺れた。
その後、私はベロニカの求めに応じて何度か彼女に会い、以前のような時間を過ごした。
それでも、フィオナと正式な夫婦になってからは、ベロニカと会うのをきっぱりやめたのだ。
ところが、しばらくして友人のひとりが私に告げた。ベロニカが妊娠しグリント家から勘当された、おまえの子ではないのか、と。
私の子だという確信はなかったが知らぬふりもできず、私はベロニカを訪ねた。みすぼらしい小屋のような家は、ベロニカにはまったく似つかわしくなかった。
ベロニカは私の顔を見ると涙を流しながら縋りついてきた。初めて彼女のそんな弱々しい姿を見せられて、見捨てることなどできなかった。
ベロニカの面倒を見てやると決めたものの、私にはそのための自由にできる金がほとんどなかった。
そもそも我が家は事業が上手くいっておらず、ゆえに成金男爵のキャンベル家からフィオナを迎えたのだ。
私はベロニカの妊娠を知らせた友人に頭を下げた。友人はあんな女に深入りするのはやめるよう忠告しながらも金を貸してくれた。
それでも家を用意してやることはできず、ベロニカの住処はみすぼらしい小屋のままだった。
ベロニカのために時間と金を使えばどうしてもフィオナのことは疎かになった。
だが、フィオナに私を怪しむ様子はなく、彼女の纏う空気は相変わらず穏やかで、私はそれに触れるたびに安心していた。
父からは外で何をしているのか尋ねられたが、適当に誤魔化した。
やがてベロニカは娘を産んだ。
私が考えていたよりずいぶん日が早いような気がしたし、私にはまったく似ていないように見えたが、「アイザックにそっくりね」と笑うベロニカを問い質すことはしなかった。
私は娘にイザベルと名付けた。
ベロニカの出産が無事に済み、これからはフィオナと過ごす時間を増やせると思いはじめた。
だが、いつの間にか私とフィオナの間に大きな溝ができていたことに私はようやく気がついた。
最初はすぐにフィオナとの穏やかな関係を取り戻せると信じていたが、フィオナにはもはやその意志がないと間もなくわかった。
フィオナは身籠っていた。まったく覚えがないわけではなかったが、私の子ではないと直感した。
まるで自分こそフィオナの夫のような顔をして、父が彼女の隣にいたから。
フィオナに裏切られた気分だった。父に対しては殺したいほどの怒りが湧いた。
自宅に居場所を失った私はベロニカのところで過ごすしかなかったが、こちらも居心地が良いとは言えなかった。
どこからかフィオナの妊娠を知ったベロニカは機嫌が悪かった。
だが、ベロニカにフィオナの腹の中の子が自分の子ではないなどと、決して言うつもりはなかった。
もちろん、他の誰に対しても同じだ。世間的にはフィオナの産む子は私の子なのだ。
フィオナが産んだのも娘だった。
私が何も言わぬうちに父がセアラと名付けたその娘に、私は触れることができなかった。
私がそれまで見たことのなかった崩れ切った表情でセアラを抱く父を気持ち悪いと感じ、そんな父の様子を穏やかに見つめるフィオナに苛立った。
ますますベロニカの家に入り浸るようになった私を、イザベルは父親と認識するようになった。
だが、私はイザベルが自分の娘でないとすでに確信していた。
おそらくフィオナとの結婚直前に再会した時にはベロニカは身籠っていたのだろう。
では、イザベルの父親は誰なのか。私はそれに関してもほぼ断定していた。
私にベロニカの妊娠を知らせた友人だ。
あの男は私より早くに結婚し、婿養子に入っていた。だから妊娠したベロニカを私に押し付けたのだろう。
ベロニカにとっても私は扱いやすい相手で、だから娘の父親役に選んだに違いない。
だが、私はベロニカが今もあの男、あるいは別の男と関係を持っていても構わなかった。
私の心はフィオナへの憎しみに囚われていた。
父の死は突然だった。
これでフィオナと夫婦に戻れるのでは期待したのは束の間だった。
フィオナは夫に従順な妻を演じていたが、彼女が想い続けているのは父だった。
フィオナへの当てつけに、父の監視がなくなったことで自由に動かせるようになったキャンベル家からの援助のほとんどを、ベロニカに与えた。少し大きな家に引っ越させ、通いのメイドを雇ってやった。
私が愛人を囲っていることなど気づいているだろうに、フィオナは何も言わなかった。
借金を返すため、あの男に久しぶりに会った。
それとなくイザベルの様子を尋ねてきた男に、私は出来が悪くて手をつけられないと溢した。
まったくの嘘ではなかった。そもそもベロニカに子どもを躾けるつもりはないようだった。
イザベルが14歳になり、あの男に後見をさせて学園に入れることも考えたが、やめた。イザベルは卒業どころか進級もできないように思えたのだ。
代わりに雇った家庭教師をイザベルの我儘ですぐに辞めさせてしまったが、次を雇う気にはならなかった。
一方、屋敷ではセアラがフィオナにきっちり躾けられていた。だが、手のかからないセアラを可愛いとは少しも思えなかった。
セアラは学園に入学してからも優秀なようだったが、私はセアラの成績にも興味を持てなかった。
結局、イザベルを自分の娘だと思い込むことはできたが、セアラは無理だったのだ。
かと言って、異母妹だと割り切ることはさらにできなかった。
その頃には、フィオナはベッドの上で過ごすことが多くなっていた。残された時間はあまりないだろうというのが医師の見立てだった。
フィオナはそれを受け入れ、むしろ喜んでいるようにさえ見えた。フィオナにとって死は、父との再会なのだろう。
私はフィオナの死を少しでも先延ばししようと、彼女を医師に診せ、薬を飲ませた。医師も薬もキャンベル家から送られてくるものではあったが。
しかし、セアラが学園を卒業した直後、フィオナは父のもとへと去ってしまった。
フィオナを喪って憔然としていた私に気づいていたのかいなかったのか、ベロニカは清々したという顔で笑った。
ベロニカにいつ屋敷に移れば良いかと問われても、意味がわからなかった。イザベルのやっと伯爵令嬢になれるという言葉で、ベロニカが私と結婚するつもりなのだとようやく理解した。
戸惑った私に、ベロニカは迫った。
子爵令嬢だった自分が座るべき伯爵夫人の座を、男爵令嬢でしかない女が奪った。自分は20年近くも日陰の身として我慢を強いられてきた。だがあの女は死んだ。真に愛し合う自分たちが夫婦になるのに、もはや何憚ることはないのだ、と。
さらにベロニカは吐き出した。
ベロニカやイザベルの存在をフィオナに告げたのは、ベロニカ自身だった。
私たちの結婚前も後もベロニカは繰り返しフィオナに接触し、私が本当に愛しているのはベロニカだと吹き込んだのだ。
キャンベル家からの援助でベロニカにはフィオナの何倍も贅沢をさせてきたし、自分たちは愛し合ってなどいない。
ただベロニカは自分がフィオナの陰だったことを認めたくなかっただけだろう。
ベロニカに対して怒りが湧いたのは一瞬だった。
結局、ベロニカを捨てられなかった自分が悪いのだ。それに、もうフィオナはいない。
正直なところ、フィオナに似ているがどこか父の面影もあるセアラとふたりで暮らさねばならないことに私は鬱々としていて、ベロニカに好きにすれば良いと言った。
屋敷で暮らし始めると同時に、ベロニカとイザベルはセアラを虐げるようになった。
ベロニカが笑いながらセアラを殴るのを見ても今さら冷めるほどの気持ちは私の中になかった。セアラを憐むこともなかった。
イザベルの我儘にも拍車がかかったが、私ができる限りそれを聞くのも完全にセアラへの当てつけだった。
社交界にスウィニー伯爵令嬢として登場したイザベルを見て、あの男が私を嘲るように笑っていた。私が何も気づいていないと信じ込んでいるのだろう。
案外、イザベルの自分本意な考え方は父親譲りなのかもしれない。
ベロニカ以上に奔放なイザベルの言動を目の当たりにしたあの男が複雑そうな顔をするのを見て、今度は私がほくそ笑んだ。
当然のごとく、ベロニカはイザベルをスウィニー家の跡継ぎにすることを求めてきた。
私がそれを了承したのはセアラには継がせたくないという消去法からだ。
スウィニー家の血を引かず、貴族の娘らしい振る舞いもできないイザベルを跡継ぎにすることは、父への腹いせでもあった。
ゆえに、親戚筋から婿を迎えるつもりもなく、父がセアラの婚約者候補に指名していたガスター伯爵家のアダムをそのままイザベルの婚約者に据えた。
しかし、これにはさすがにキャンベル家が黙っていなかった。援助を打ち切ったうえ、返金まで要求してきた。
それでもベロニカとイザベルの贅沢は止まなかった。
1年も屋敷に閉じ込めていたセアラをコーウェン公爵家の夜会に連れて行くとイザベルが言い出した時、今度は何を思いついたのかと訝しんだが、反対はしなかった。
どこから引っ張り出してきたのかというようなドレスを着せられたセアラは、やはり黙ってついて来て、だが会場に入ると姿が見えなくなった。
華やかな公爵家の夜会に場違いに地味な格好で参加していたことで、逆に目に留まってしまったのだろうか。
次に私たちの前に現れた時、セアラはコーウェン次期公爵の隣にいた。
セアラの婚約者になった次期公爵が我が家に援助すると言ったのは欺瞞だった。いや、向こうにしてみれば私たちの言葉こそ虚偽になるのだろう。
コーウェン家の情報収集力の高さは噂では聞いていたが、事実だと実感させられた。
キャンベル家からの援助がなくなって傾いた我が家は、そこから坂道を滑り落ちはじめた。
こうして思い返せば、私は誰かへの当てつけや消去法で道を決め、あとは他人に流されるままここまで来てしまったのだ。
こんな私が為す術など持ち合わせるわけがなかった。
ベロニカはようやく手にした伯爵夫人の座にしがみつくつもりのようで、イザベルとともに私への不満を口にしながらも出て行く様子はない。
私のほうがすべてに背を向けて逃げ出したい気分だがそうする決心もできず、せめてイザベルとアダムを早く結婚させて爵位も事業もアダムに譲り、領地に引っ込むことを思案しはじめた。
できればベロニカは都に残しひとりで暮らしたいが、果たして叶うだろうか。




