27 スウィニー家の秘密
結婚式まであと10日ほどになった頃、スウィニー家の父から私とふたりで話したいと連絡が届いた。
私がウォルフォード家の養女になったことはすべての手続きが済んだ直後にスウィニー家に伝えられているはずだ。
それからは少し時間がたっているから、別の用件だろう。
「明日、スウィニー家に参ります」
私が告げると、ノアの表情が明らかに不機嫌なものになった。
「そんな必要はない」
「もう関係ないのだと、はっきり言います」
「それなら私が行く」
「伯爵は私に話したいことがあるようですし、私にとっても最後のけじめになると思うんです」
「伯爵だけでなく、あの女たちもいるかもしれないぞ」
「そんなに心配しなくても大丈夫です。私に何かあれば真っ先に疑われるのはスウィニー家だということくらい理解しているはずです。それに、ケイトが一緒ですよ」
ノアは不本意そうな顔で深く息を吐き出した。
「コリンも連れて行け」
翌日の午後、私はケイトとコリンを連れて、久しぶりにスウィニー家の屋敷を訪ねた。
馬車を降りて玄関へと歩きだすと、体が強張っているのを感じた。
ノアに「大丈夫」と言ったのが虚勢だったことは自覚していた。
本当は、不安でいっぱいだ。
「ふたりで」という言葉を絶対に違えないと思えるほど、私は父を信用してはいない。
スウィニー家の現状を考えれば、自棄になった継母が私を道連れにすることを考えてもおかしくない。ちょうどノアと出会った時の私がそうだったように。
異母姉などは、私になら何をしても罪にならないと思っているかもしれない。
そして父はふたりを止めない。
だけど、私の本心にはノアも気づいていて、コリンをつける以外にも私を守るための手を講じてくれた。
馬車を振り返ると、その横腹に大きく描かれたコーウェン家の家紋が見えた。
私がひとりで使うのだからもっと地味な馬車でも良かったのに、用意されたのはいつもノアが使っているものだった。
馬車の手前にいる御者と目が合った。感謝の気持ちも込めて、微笑んで頷く。
玄関で私を迎えたのは以前と変わらぬ老執事だった。この執事とメイド長は今もスウィニー家に仕え続けている。
ふたりは祖父の代からスウィニー家で働いていた。彼らをここに留めているものは、私が養子縁組を躊躇った理由と似ているのかもしれない。
ふたりに対しては申し訳ない気持ちにもなるけれど、執事はどちらかと言えば私を案じるような様子で、父が執務室にいることを告げた。
屋敷の中は以前より薄暗く感じられた。使用人が減って、手入れが行き届いていないのだろう。
それに、玄関ホールに飾られていた絵や壺などがなくなっていたり、安っぽいものに変わっていたりもした。
ケイトとコリンを扉の外に残し、私は執務室に入った。
室内にいたのは父ひとりだけだった。執務机に向かった椅子から立ち上がろうともせず、あくまで娘を呼び出した父親の態度だ。
それに対し、私は招かれた客として挨拶と礼をした。
「お話というのは、どのようなことでしょうか?」
父が私にソファに座るよう勧めることはなかった。
私はノアやお母様を頭に思い浮かべ、真っ直ぐに父を見つめて尋ねた。声は微かに震えた。
返ってきたのは、ノアの前では決して出さなかった冷淡な、そして部屋の外へ漏れることを気にしてか抑えた声だった。
「おまえは自分のせいで家族を苦しめているのに何とも思わないのか?」
「スウィニー家の苦境はご自身の招いた結果でございましょう。そもそも、私を家族として扱わなかったのは伯爵ではありませんか」
「まったく生意気になったものだな。育ててもらった恩を少しくらい返したらどうなんだ?」
「……何がお望みなのですか?」
「我が家に援助するよう婚約者に言え。あのお偉い次期公爵はなぜかおまえにずいぶん執心しているらしいからな。おまえの頼みなら聞くだろう」
「確かにコーウェン次期公爵は私の本心からの頼みなら聞いてくださると思います。ですが、あの方に嘘や隠し事は通用しません」
「だったら本心から頼め」
「お断りいたします」
私がきっぱり言うと、父は私を睨みつけた。
「何がウォルフォード侯爵令嬢だ。何がコーウェン次期公爵夫人だ。おまえはそんなものになれる人間ではない。……おまえは、私の娘ではない。フィオナの不義の子だ」
私は何度か瞬きし、それからゆっくりと口を開いた。
「知っています」
父は束の間、虚を突かれた顔になり、すぐに気を取り直したように軽薄に笑った。
「知っていながらコーウェン家に居座り、ウォルフォード家の養女になったのか。おまえがそれほど厚かましい娘だったとは驚きだな。だが次期公爵がこのことを知れば、さすがにおまえとの結婚を考え直すのではないか?」
私は当惑の表情を浮かべてみせた。
「私があなたの娘ではないと教えてくださったのは、コーウェン次期公爵ですよ。もちろんコーウェン公爵とウォルフォード侯爵もすでにご存知です。私の本当の父が、お祖父様だということも含めて」
父は瞠目した。
「だ、だが、その話が社交界に伝われば、あっという間に醜聞として広まるぞ」
「それは、確かに困りますね」
希望を見出したように目を光らせた父に、私は微笑んだ。
「ですが、私も驚きました。まさか伯爵が別の方のお子を身籠った女性の面倒を見て、生まれた娘を我が子として育てていたなんて」
父の顔から色が消えた。
やはり異母姉も自分の娘ではないと知っていて、敢えてそうしたのだ。
「血縁はある私よりも、血の繋がらない令嬢を愛していることを責めるつもりはありません。以前なら違ったかもしれませんが、今では私にとっても『お父様』と言えばコーウェン公爵、それからウォルフォード侯爵ですから」
私は小さく息を吐いた。
「ですが、スウィニー家の親戚が知ったらどう思うでしょうか?」
血筋を重んじる貴族社会において、血縁がないとわかっている娘を跡継ぎに据えるなんて。
「不義の子であってもスウィニー家の血は引いている私に後継を戻せと迫るかもしれませんね」
「お、おまえは、私を脅すのか?」
「いいえ。私も育てていただいたことには心より感謝しております。ですから、あなたがスウィニー家を追われることまでは望みません。どうか今後はご自身だけでなく、ご夫人とご令嬢の言動にも十分お気をつけくださいませ」
父は顔を歪め、「ああ」と掠れた声で呟いた。
「お話というのがそれだけでしたら、私はお暇させていただきます。今後、このようなお呼び出しに応じるつもりはありませんので、ご承知置きください」
思えば、こんな風に父とふたりきりで向き合ってそれなりの時間話をするのは初めてで、これが最後だ。
私はきちんと礼をしてから踵を返し、執務室を出た。
扉の前で待っていたケイトとコリンに小さく頷き、玄関へと向かった。
だが、玄関までもう少しのところで階段の上が騒がしくなり、私の名を叫びながら異母姉ーー実際には父親も違ったのだがーーが駆け下りてきた。
ケイトが私を背に隠すように立ち、コリンがさらにその前に立ちはだかった。
異母姉は忌々しそうにふたりを睨みつけた。
「使用人のくせに私の邪魔しないで。セアラはうちの使用人なのよ。そんなドレスちっとも似合わない。公爵夫人に相応しいのは私なのに、どうしてアダムなんかと結婚しなきゃいけないのよ」
階段の上からは継母が私を見据えていた。とっくに消えたはずの痣が疼くように感じた。
それでも、お腹に力を込めて反論の言葉を絞り出す。
「私から何もかも奪ったのはお姉様ではありませんか。ですが、今後も私がこの家のために何かを差し出すなどと期待しないでください」
異母姉と継母がそれぞれ私のほうへ近づこうと足を出しかけた時、「やめなさい」と声を上げて父がやって来た。
父は異母姉を後ろから両腕を掴んで抑えた。
「もうセアラには関わるな」
執務室にいなかったのだから、継母も異母姉も私の本当の父親のことは知らないのだろう。
そして、継母は父を欺けていると、異母姉は自分が父の実の娘だと信じているに違いない。
父がふたりに真実を話すつもりがないなら、私も口を閉ざす。
「でも、セアラばかり狡いわ」
「妹がいたことはもう忘れなさい。私の娘はおまえだけだ」
父の言葉は異母姉に言い聞かせるようでありながら、私への決別でもあった。私はそれを冷静に受けとめる。
「その娘をあっさりコーウェン家に帰すつもりなの?」
継母が数段足を進めた時、ふいに玄関の扉が外から開いた。そこにいたのは私が乗ってきた馬車の御者だ。
「セアラに付いているのは無礼な使用人ばかりのようね」
吐き捨てるように言った継母は、だが御者がそちらに顔を向けると目を見開いた。
御者はその場を睥睨してから、真っ直ぐに私を睨んだ。
「若奥様、そろそろ帰りませんと、若様が待ちくたびれていますよ」
まったく使用人らしからぬ太々しい態度と物言いに伯爵は再び顔色を失くし、異母姉は訳がわからぬ様子になり、私は笑ってしまわぬよう堪えた。
「ええ。それでは、失礼いたします」
私は3人にきちんと礼をすると、今度こそ屋敷を後にした。
玄関の扉が閉まると御者が手を差し出してきたので、私は自分の手を預けた。
御者は馬車までエスコートして扉を開け、私を乗せると後に続き、手を離さぬまま私の隣に腰を下ろした。御者台にはコリンが代わりに座る。
「お待たせして申し訳ありませんでした。でも、間違いなく気づかれていましたけど、良かったのですか?」
「私がいたらできない話は終わったんだろ。だいたい、あのふたりもいたんだから文句を言うのはこちらのほうだ」
御者ーーの格好をしたノアは不機嫌な声で言った。
私としては、次期公爵がこんな姿をしているところを見せてしまって良かったのかが心配なのだが、スウィニー家の人間がそんなことを言っても誰も信じないだろうか。
「それにしても、お仕事は大丈夫なのですか? 今からでも宮廷に戻っては?」
「私が宮廷に半日いないくらいどうってことない。今日はこのままセアラといる。しかし、父上はよく毎日昼休みに家に帰ってまた宮廷に戻ろうと思われるな。尊敬する」
ノアがお昼休みに珍しくお父様と一緒に帰宅したと思ったら、食事を終えてから御者の制服に着替えて現れたので、私は呆気にとられた。
そのうえ、ノアはスウィニー家までの道で実際に馬車を操ってみせたのだ。
「ノアは何でもできるのですね。木登りも驚きましたが、馬車を御せるなんて」
ノアはニヤッと笑った。
「以前、義兄上ができると聞いて、それなら私もやってみようとコリンと一緒に習ったんだ。役に立ったな。で、話はあのことだったのか?」
「はい」
自分がアイザック・スウィニー伯爵の娘ではなく異母妹だと私が知ったのは、ウォルフォード家の夜会から間もなくのことだった。
もちろん、こんな自分がノアと結婚して良いのかという思いが頭を過ぎった。
だが、ノアは私より先にお父様や叔父様、叔母様方に告げ、さらに私をウォルフォード家の養女にしてそれを公表してしまったうえで、私に話したのだ。
もはや私に逃げ道などなく、この秘密をともに背負ってくれるノアの傍にいるほかに選択肢はなかった。
ノアはスウィニー家について調べるうちにその可能性に思い至り、最終的には事実だという結論に達したのだが、実のところ、私に真実を伝えるべきか迷ったそうだ。
話してくれたのは、伯爵から聞かされるよりは自分が、という理由。
おかげで、私はそれをすんなり受け入れることができたのだと思う。
結婚式直前になって出生の秘密を聞かされれば、私が動揺して言いなりになる。伯爵がそう考えるのではないかというノアの予想は当たっていた。
だから私は、ノアが与えてくれた我が身を守るための武器を伯爵に突きつけた。
ノアは異母姉の実父の名まで掴んでいた。
皮肉なことに、あの黄色いドレスを台無しにした5人の令嬢のうちのひとりが、異母姉の本当の異母妹だった。
わからないままのことは多い。
なぜ母が祖父の娘を産んだのか。どうして父は継母の偽りに気づかぬ振りをしたのか。父と母は互いに何を考えていたのか。
でも、いつかコーウェン家のお母様が仰っていたように、もしも当人たちから話を聞けたところで、私がすべて理解できるわけではないだろう。
もう聞く機会もないが。
「ノア、色々とありがとうございました」
私が改めて頭を下げてからノアを見上げると、彼は目を細めて私を見つめていた。
その意図するところには気づいたものの、ここは昼間の大通りを走る馬車の中で、向かいにはケイトがいる。
「ええと、それはお部屋に戻ってからで」
「それなら、寄り道はせずに真っ直ぐ帰るか」
笑みを深めたノアに、今日は少し頑張ろうと決意した。




