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3 挨拶回り

 部屋を出ると、ノア様は男の子と一緒だった。10歳くらいだろうか。


「やはり女性は化けるな」


 ノア様は目を細めて私の姿を見つめた。


「それは褒め言葉と受け取ってよろしいのでしょうか?」


「もちろん」


 ノア様の目から見ても、私はコーウェン家の夜会の出席者に相応しく変身できたようだ。


「ノア様とご両親のおかげです。お心遣いありがとうございます」


「ノア、早く僕を紹介して」


 男の子が焦れた様子で口を開いた。


「ああ、悪い。セアラ、これは弟のメイだ」


「初めまして。メイナード・コーウェンです。メイと呼んでください」


 兄弟らしく、ノア様とメイ様の顔立ちには似たところもあるが、将来はメイ様のほうが男性的な見た目になりそうだ。


「初めまして、メイ様。セアラ・スウィニーです」


「セアラはとても可愛いですね。まるで花の精みたいです。僕が夜会に出られれば、ダンスに誘いたかったのに」


 メイ様の大袈裟な言葉に、私は照れた。


「ありがとうございます。デビューなさったら是非お願いいたします」


 ノア様はなぜかムッとした表情になった。


「メイ、私たちはもう行くから、おまえは部屋に戻れ」


「はあい。おやすみなさい」


 メイ様が去ると、ノア様が私に手を差し出した。だけど、私はすぐにその手を取ることを躊躇った。

 ノア様が訝しげに私を見つめた。


「どうした? まさか私よりメイのほうが良いのか?」


「いえ、まさか」


「ほら、行くぞ」


 ノア様は私の手を掴むと自分の腕に絡め、ゆっくりと歩き出した。




 ノア様と一緒に会場に向かうと、入り口の手前で使用人らしい男性が待っていた。

 ノア様から侍従のコリンだと紹介された。声からして、先ほど部屋までノア様を探しに来たのは彼のようだ。

 ノア様と短く言葉を交わしてから、コリンは去っていった。


 ノア様が私をエスコートして会場に入ると、周囲がざわつき、棘のような視線が送られてきた。

 思わずノア様の腕に添えていた手に力が入ってしまったが、ノア様はこちらを見て大丈夫だというように頷いてくれた。

 それに励まされて、私はしっかりと胸を張った。こうなった以上、ノア様に恥をかかせたくはない。


「まずは私のほうの姉妹と叔父たちに紹介する。それからスウィニー家だ」


「はい」


 ノア様に誘導されるまま、まずは公爵夫妻のもとへ向かった。

 おふたりは相変わらずたくさんの方々に囲まれてお話をされていたけれど、公爵夫人が私たちに気づいて手招いてくださった。


「こちらにいらっしゃい」


 公爵夫人の言葉で皆様がノア様と私のために通り道を作ってくださり、そこを抜けておふたりのそばまで行った。


「可愛らしくなったわね。まるで花の精だわ」


 私は目を瞬いた。

 メイ様が褒め言葉に相手が恥ずかしくなるような比喩を用いるのは、お母様譲りなのか。


「うん、すごく可愛い。さっきのドレスの時と全然違う」


 公爵が私を見つめる表情も、先ほどのメイ様を思わせた。顔立ちはそうでもないが、雰囲気のよく似た父子だ。


「ありがとうございます」


 もちろん、次期公爵の隣にいる私に皆様の注目が集まった。


「ご紹介いたしますわ。こちらはスウィニー伯爵家のセアラ嬢です」


 公爵夫人に紹介されて、私は皆様に向かって淑女の礼をした。


「もしや、このご令嬢がご子息の?」


「ええ。正式な手続きはこれからなのですが、近いうちに」


「それはおめでとうございます」


 口々に祝福の言葉をかけられるが、本心からのものとは限らないだろう。ご自身の令嬢をノア様のお相手にしたい方も多いはず。


 そこにいた方々と一通り挨拶を交わすと、ノア様とともに離れた。


 次にノア様が向かった先にいらっしゃったのは、コーウェン公爵にそっくりの女性と背の高い男性。マクニール次期侯爵夫妻だ。


「姉上、義兄上、セアラです」


 ノア様の紹介が簡潔なので、おふたりがすでに私のことをお聞きになっていたのだとわかった。


「初めまして、セアラ。ノアの姉のメリーよ。こちらは夫のルパート。よろしくね」


「初めまして、よろしくお願いいたします。それから、ドレスをお貸しいただきありがとうございます」


「いいのよ。とてもよく似合っているわ。ルパート、このドレス覚えている?」


「ああ、もちろん。あの時のメリーもとても可愛いらしかった」


 ウフフと笑いながらマクニール次期侯爵を見上げるメリー様は見惚れるほどに美しくて、自分がこの方のドレスを着ていることが居た堪れなくなってしまう。


 メリー様と私は身長や体型があまり変わらないようで、おかげでこうしてドレスをお借りできた。が、実は胸やお腹などはちょっとだけ苦しい。

 全体的にふんわりしたデザインだから、外からは誤魔化せていると思うのだけど。


 メリー様とお話ししていると、「セアラ様」と呼ぶ声が聞こえた。

 振り向くと、ふたりの令嬢がこちらに駆け寄ってきたところだった。そのうちのおひとりは私のよく知る方だ。


「ロッティ様、お久しぶりです」


 私の空いているほうの手がロッティ様の両手でギュッと握られた。


「セアラ様にお会いできず、皆心配しておりましたわ」


 表情から、本当に心配してくださっていたのだとわかった。


「申し訳ありませんでした」


「とにかく、お元気そうで良かったです。それにしても、ノアとセアラ様が結婚するなんて驚きました」


「私も驚いています」


「ロッティとは友人だったな」


 ノア様がロッティ様と私の顔を見比べながら仰った。

 そうか、ノア様はロッティ様から私の話を聞いていたのだ。


「セアラ様は学園で1年上だったのよ」


「と言うことは、セアラは18歳なのか」


「ノア、年齢も知らないで結婚を決めたの?」


 ロッティ様は呆れたように言うが、私たちは先ほど出会ったばかりなのだから仕方ない。


「セアラだって私の歳を知らないぞ」


 ここで嘘を吐くのも何なので、正直に告げた。


「あ、ええと、20歳ですよね?」


「知っていたのか」


「ノア様は有名人ですから」


「……とにかく、結婚を決めるのに年齢は大して重要ではないだろう」


「重要なのは年齢ではなく、相手のことならどんなに小さなことでも知りたいという興味があるか、よ」


「それなら問題ない。私はセアラのことなら何でも知りたいぞ」


 ノア様は即答した。

 私と仲良くしてくださっていたロッティ様にまで嘘を吐く状況に胸が痛むが、もちろん顔には出せない。


「だったら構わないわ。セアラ様、こんな兄ですがよろしくお願いいたします」


 ロッティ様と一緒にいらっしゃった方は、妹のアリス様だ。

 ロッティ様はノア様と同じくお母様似、アリス様はメリー様と同じくお父様似だろう。


 さらに、ノア様の叔父様叔母様方とも挨拶を交わし、とりあえず一段落のようだった。


 今度はいよいよ私の家族だ。

 私が会場を離れてからずいぶん時間がたったと思うけれど、異母姉はどうしているのだろうか。私がどうなったかわからずやきもきしているのか、あるいは私のことなど忘れて夜会を楽しんでいるのか。


 会場内を家族を探して歩いていると、やはり私たちに気づいた方々から注目されるのがわかった。

 たくさんの視線から意識を逸らしたくて、ノア様に話しかけた。


「ご家族仲がよろしいのですね」


 ノア様が口を開くまでには少し間があった。


「悪いことをした。私はあれが普通だと思って育ったので深く考えていなかった」


 私は慌てて返した。


「いえ、今のは別に嫌味とかではなくて、本当にそう思ったのです。まったく羨ましくないと言ったら嘘になりますけど、私にまで優しくしていただいて有難いことです」


「母上はもともと器の大きい方だから多少のことでは動じない。何でも頼るといい。父上はいつもなら初対面の相手はもっと警戒するんだが、セアラにはそれがなかった。ドレスも、セアラに似合うものをすぐに選んでくださったし」


 公爵のあれは警戒の表情だったのか。


「確かにお早かったですね。まるでお屋敷中のドレスを把握されているようでした」


「多分、把握しているのだろうな。家族のドレスを選ぶのが父上の楽しみだから。いまだに姉上のドレスにまで口を出しているくらいだ」


 ということは、公爵夫人とメリー様、ロッティ様、アリス様のドレスも公爵が選んだものなのだ。どなたのドレスもとっても素敵かつお似合いだった。


 その時、ようやく異母姉を見つけた。アダムが一緒だが、他にも数人の若い男性方に囲まれていた。


「お姉様」


 私の声に振り向いた異母姉は、目を見開いた。


「どうしてセアラがノア様と? それに、そのドレスは何なの?」


 ノア様がスッと半歩前に出た。


「初めまして、スウィニー嬢。あなたのことはセアラから聞かせてもらった。とりあえず、私は他人から馴れ馴れしく名前を呼ばれたくないので改めていただきたい」


 ノア様の声は、最初にお会いした時以上に冷たく聞こえた。表情をチラと見上げ、怖しくてすぐに目を背けた。

 アダムや他の方々も顔が強張っているのに、異母姉だけはうっとりとノア様を見つめていた。


「初めてではありませんわ、ノア様。以前にもお話ししましたもの。私のこともイザベルとお呼びください」


 もしかして、異母姉も粉をかけていたひとりなのだろうか。


「申し訳ない。興味のない相手といくら話したところで私の記憶には残らないんだ。だが、今夜はあなたやご両親とセアラのことについて大切な話をしなければならない」


 異母姉はわざとらしく目を見開いた。


「まさか妹はノア様にまで何かしたのですか? 妹の自己中心的で我儘な言動には私たち家族も振り回されていますのよ」


 異母姉が言葉を重ねれば重ねるほど、ノア様の纏う空気が冷えていった。

 私は堪らず口を挟んだ。


「お姉様、お願いですからもう何も言わないでください。せめてコーウェン公爵子息とお呼びしてください」


「まあ、ノア様もお聞きになりましたよね。妹はいつもこの調子で、私に命令したがるんです」


 もう泣きたくなってきた。


「申し訳ありません、コーウェン公爵子息」


 異母姉の代わりに謝罪を口にした途端、振り返ったノア様にギロリと睨まれた。


「なぜセアラが謝る。それから、どうしてセアラがその呼び方になるんだ」


「私もいつの間にか当たり前のようにお名前をお呼びしていたので、失礼だったかと」


 ノア様もいつの間にか私を名前で呼んでいたけれど、もちろん、それはまったく構わない。


「セアラは名前で呼べ。今さら私たちが公爵子息、伯爵令嬢などと呼び合うのはおかしいだろ」


 確かに、異母姉たちの前で結婚の約束をした振りをするのなら、名前を呼び合うほうが自然だ。


「はい、ノア様」


「何なら、ノア、でいいぞ」


「いえ、それは」


 さすがにそこまで図々しくはなれない。


「そうか。まあ、急ぐことはないな」


「ちょっと、何なのよ」


 金切声に視線を向けると、先ほどまでは夢見るような表情をしていたはずの異母姉が、悪魔の形相に変わっていた。


「どうして私を差し置いてセアラがノ……」


「お取込み中のところ申し訳ありません」


 今度は横から声が割り込んだ。コリンだ。


「スウィニー伯爵ご夫妻を先に応接間にご案内いたしました」


「そうか。では、スウィニー嬢も私たちと一緒にこちらへどうぞ。それから、スウィニー嬢の婚約者はどこだ?」


 ノア様が私に訊いた。

 確かに、アダムを知らない方には誰が異母姉の婚約者かわからないに違いない。


「姉の真後ろにいらっしゃる方です」


「ああ。よろしければ、あなたもどうぞ」


 何となく、アダム以外の男性方が微妙な表情になった。彼らもアダムが異母姉の婚約者だと知らなかったのかもしれない。




 応接間へと向かって廊下を歩きながら、ノア様が私に身を寄せて囁いた。


「あれが本当にセアラの姉だったのか。少しも似ていないから、私の覚え違いかと思った」


「私たちはどちらも母親似なのです。それにしても、姉のこと、本当は覚えていらっしゃったのですね」


「残念ながら、記憶力は良いほうなんでな」


 ノア様にとっても、異母姉のことはあまり良い記憶ではなさそうだ。


「重ねがさね、ご迷惑を……」


 私の言葉はノア様の低い声に遮られた。


「言っただろう。姉のことをセアラが謝るな」


 間近から私を見つめるノア様の瞳に、今は温かさを感じた。


「ノア様、あまり妹と親しげになさらないほうが良いですわ。誰かに見られたらありもしない関係を疑われてしまいますし、妹も勘違いしますから」


 後ろを歩く異母姉が苛立ちと媚びの混じった声をあげた。


「ご忠告どうも」


 ノア様はうんざりした表情になって、ご自分の腕から私の手を外した。ずっと縋るように掴まっていて迷惑だったかと考える間もなく、同じ腕が腰に回って引き寄せられた。

 近すぎる距離に胸がバクバクした。異母姉の言うとおり、勘違いしたくなってしまう。


「確かに、セアラがただの知人などと思われて他の男に手を出されては困る。さっきも、私の目の前で嬉しそうに別の男とダンスの約束をしていたしな」


 それはメイ様とのことですよね、と無言で尋ねると、ノア様は目を眇めた。


「心の狭い男の腕の中に自ら飛び込んで来たのはセアラだからな。諦めてくれ」


 こめかみに温かいものが触れた。

 離れてからノア様の唇だと気づき、驚きで足が止まりそうになるが、私の腰を抱いているノア様がそれを許さなかった。

 異母姉が何事か喚いていたが、私の耳には意味を持つ言葉として届かなかった。


 これが私の境遇に同情したノア様が見せてくれている一夜の夢だとしても、もう無理だ。

 嘘だとわかっていても心が動くのを抑えられない。


 異母姉と継母と父とアダム。せめて4人の前では、私がこの世で一番幸せな人間だという顔をしていよう。

 ノア様が隣にいてくれれば、演技をする必要もないのだから。

お読みいただきありがとうございます。


主な登場人物をまとめておきます。



セアラ 18 スウィニー伯爵と先妻の娘


ノア 20 コーウェン家嫡男、外交官


セディ(セドリック) 43 コーウェン公爵、国王の従弟で秘書官

クレア 47 コーウェン公爵夫人、伯爵家出身


メリー (アメリア) 25 コーウェン家長女

ルパート 30 マクニール次期侯爵、メリーの夫


ロッティ(シャーロット) 17 コーウェン家次女

アリス 15 コーウェン家三女

メイ(メイナード) 11 コーウェン家次男


イザベル 19 セアラの異母姉

アダム 19 イザベルの婚約者、セアラの幼馴染


コリン 21 ノア付き侍従

ケイト 23 クレア付きメイド

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