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22 後悔と苛立ち(ノア)

 セアラと夜会に行くことになった。


 セアラのドレスを選ぶ時、父上が前回と同じ黄色いドレスを着てほしいと望んだ。母上が言うように我が家にドレスはたくさんあるのだから、他のドレスを着た姿も私は見たかった。

 だが、セアラは黄色いドレスを選んだ。周りに気を使う彼女らしいと思い、「セアラが本当に着たいものを選べ」などと口出しすることはしなかった。


 当日、仮部屋までセアラを迎えに行けば、ドレスは同じでも彼女は前回以上に可愛らしかった。

 だから、私は浮かれたのだと思う。


 夜会では、ファーストダンスを踊ってからセアラを連れて会場中を回り、彼女を婚約者として紹介した。


 そのうちにセアラに疲れが見えたので、少し休ませることにした。

 挨拶すべき相手で残っていたのは、あまりセアラを会わせたくないような相手ばかりだった。女性関係で良くない噂があるか、条件は悪くないのに独身で婚約者もいないか。


 本来なら、セアラをひとりにすべきではなかった。そのために姉上たちが参加する夜会を選んでいたのだ。

 同じ広間にいるのだし、人目もある場所で私の婚約者におかしな真似をする人間はいないだろう。

 さっさと挨拶を済ませてセアラのところに戻ればいい。セアラが大丈夫なら、もう1曲くらい踊りたい。

 そんな自分の考えが甘かったことは、すぐに思い知らされた。


 ほんの少し前まで私の隣で楽しそうに笑っていたセアラが青い顔で振り向いた。黄色いドレスの胸元には赤紫色の大きな染み。

 見覚えのある令嬢たちがセアラを囲むように並び、彼女たちからセアラを庇うような位置に姉上が立つ。

 何があったかなど、一目瞭然だった。




 姉上に何と言われても仕方なかった。むしろ、セアラが何も言わないことのほうが辛かった。

 自分自身ではなく、私を責めて詰ればいいのに。何でも言いたいことを言って、本心を聞かせてほしいのに。


 セアラは誰かが庇護してやらねば生きていけない小動物ような見た目のくせに、人を頼ることを良しとしない。先日まで置かれていた環境のせいだ。

 それは相手が婚約者ーー私でも変わらない。セアラのほうから私に何かを求めることも強請ることもない。ついでに言えば、彼女のほうから私に触れたり、抱きついたり、口づけたりもない。

 せめて私の前では泣くのを我慢しなくていいのに、彼女が涙を流すのは嬉しい時ばかりで、悲しい涙は歯を食いしばって堪えてしまう。


 私はセアラに必要とされていないのだろうか。

 好いてくれているとは思うが、私がセアラに傍にいてほしいと望んでいるほどには、彼女はそう思っていないのかもしれない。


 それでも、今さらセアラを手放すつもりはまったくなかった。




 湯浴みを終えてから、今夜のうちに夜会でのことを母上に報告しておこうと部屋を出た。時間的に、父上と一緒にどちらかの部屋にいるはずだ。

 あまり父上に聞かせたい話ではないが、ドレスを汚された経緯を父上に説明しないわけにもいかない。


 だが、数歩歩いて気が変わった。ふたりと話す前にもう一度セアラに会おう。


 結果からすれば、セアラと会うほうを後に、何なら翌朝にすべきだったのだろう。

 私はまだ頭に血が上った状態だったし、おそらくセアラも冷静ではなかった。


 セアラに別の相手を探せと、我が家を出て行くと言われて、さらにカッとなった。彼女が私の目の前で苦しそうに泣いているのにそれを拭ってやることもできなかった。

 セアラが私から離れようとするのが許せなくて、キャンベル家に行かれるくらいならと、強引に別邸に連れて行った。


 本邸に戻ると、玄関を開けたところで仁王立ちのケイトが待っていた。


「先日、風邪をお召しになったばかりの若奥様をあんな薄着で連れ出すなんて、何をお考えですか」


 ケイトの剣幕につい目が泳いだ。


「……そこは、外に出た瞬間に後悔した」


 セアラが震えているのが伝わってきて、コートを着せて来るべきだったと思ったが、かと言って一度戻るという選択はあの時の自分にはできなかった。


「それで、若奥様はどちらに?」


「別邸だ。必要なものを持って行ってやってくれ」


「承知いたしました。そのまま私もあちらに留まりますので」


「頼む。ああ、持って行くのは最低限でいいからな。どうせセアラはすぐにこっちに戻るんだから」


「そうだとよろしいのですが」


 プリプリしながらセアラの部屋のほうへと去っていくケイトの後姿を見送りながら、深い溜息を吐いた。




「性急すぎたわね」


 報告すべき事柄を増やして父上の部屋を訪れた私の話を聞いて、母上はきっぱりと言った。

 自分でも思っていたことだが、どこか憐れむような視線が余計に痛かった。


「そんな状況で結婚を早めるなんて言えば、セアラが尻込みして当たり前じゃない」


「……仰るとおりです」


 あの時は深く考えずに口に出してしまったが、今なら自分の愚かさがよくわかる。


「そうね。わざわざ私が指摘しなくても、あなたはもうわかっているわよね」


 母上は小さく嘆息してから続けた。


「セアラは物覚えが良くて一度言われたことは忘れないし、色々なことによく気がつくし、使用人たちとの関係も良好なのに、どうにも自己評価が低いのよね。もう少し自信を持てると良いのだけど、一朝一夕でどうにかなるものでもないし」


 母上の言葉で自分自身のことを振り返れば、私が堂々と立っていられるのは、やはり父上のおかげだろうか。

 母上は厳しくてなかなか褒めてくれなかったが、父上はいつでも私を認めてくれた。小さい頃から繰り返し聞いていた「ノアは凄いね」という言葉が私の自信を支えてきた。

 セアラには決して与えられなかったものだ。


「ノア、セアラと婚約解消なんてしないよね?」


 父上が心配そうに言った。


「僕、別の娘がノアのお嫁さんになっても、セアラみたいに仲良くなれないと思うよ」


「安心してください。セアラとの婚約は絶対に解消しませんから」


「それなら良いけど」


 父上は疑わしそうな目を私に向けた。自信がなくなるからやめてください、とは言えない。




 翌朝、食堂に入っていくと、いつもなら私より先に席に着いているセアラの姿はもちろんなく、代わりに弟妹たちの刺さるような視線に迎えられた。

 だが、誰もセアラの不在について私に問い質したりしなかった。

 食事を終える頃に覚醒した父上は、私とアリスの間にある空席に気づいて無言のまま眉を下げた。

 どうにも居心地が悪かった。




 セアラのいない屋敷から宮廷に向かい、夜には少しだけ期待して帰宅したが、玄関ホールで私を迎えたのは母上だった。


「セアラに会ってきたわよ」


「それで?」


 思わず食いついた私に、母上は苦笑いを浮かべた。


「しばらくはあちらで暮らすよう言っておいたわ」


「戻ってくるよう言ってはくれなかったんですか?」


「そもそもノアが『セアラをしばらく預かってほしい』ってあちらに置いてきたのでしょう。それに、セアラには少しノアと離れて考える時間が必要よ」


 母上の言葉は頭では理解できたものの、素直に頷けなかった。

 私は踵を返して玄関から外に出ると、別邸へと向かった。母上に呼び止められることはなかった。


 別邸ではお祖母様に迎えられた。


「セアラを呼んでもらえますか?」


「駄目よ」


 たった一言で断られ、嫌な想像が頭を過ぎった。


「まさか、もうここにはいないんですか?」


「もちろん、いるわよ。責任を持って預かるってクレアとも約束したし、そこは心配しないでちょうだい」


「それなら……」


「クレアに言われなかった? あなたたちはしばらく離れたほうが良いわ」


「少し会って話したいだけですから」


「ノアはそうでも、セアラは違うわ。セアラがノアと会って話したいと言うまで、待ちなさい」


「顔を見るだけでも」


「諦めなさい」


 結局、私はひとり本邸に帰るしかなかった。




 翌日の朝食後、さらに帰宅後にも別邸を訪れたが、お祖母様に追い返されセアラには会えなかった。

 別邸ならいつでも会えるだろうと思ってセアラを預けたが、これならキャンベル家に連れて行ったほうが良かったかもしれない。


 その夜、再び父上の部屋で父上、母上と向かい合った。父上が真剣な表情で口を開いた。


「あのね、僕、考えたんだけど、セアラを養女にするのはどうかな?」


 私は母上と目を合わせた。


 実を言えばそれは私も考えていて、すでに母上にも相談済みだった。

 結婚前にセアラの籍をスウィニー家から抜いて、完全に縁を切る。そうすれば、今後一切関わらずに済む。結婚式に呼ぶ必要もなくなる。

 そもそも今回のことだって、あの異母姉が社交界で傍若無人な振る舞いをしていたことが遠因なのだ。


 セアラとすれば最も気安いのはキャンベル家だろうが、私の婚約者が男爵令嬢では色々なところが喧しくなるに違いない。


 母上の実家バートン家ならスウィニー家と同じ伯爵位なので、わざわざそんな縁組みをするのはスウィニー家に問題があるのでは、と訝しむ声が上がるだろう。とは言え、社交界ではスウィニー家についての様々な噂がとっくに流れはじめているので、敢えてそうする必要もない。

 それに、ヘンリー叔父上に頼むと父上への嫌がらせでなかなかサインをしてくれないとか平気でやりそうだ。最終的にはエマ叔母上と母上が取りなしてくれるとしても、余計な面倒には変わりない。


 やはり、こういう場合に適任なのはウォルフォード侯爵家だ。ユージン叔父上とレイラ叔母上なら安心して頼める。


 というところまでは母上と話していて、あとはウォルフォード家に申し入れ、セアラの意志を確認するだけだった。


「そうすれば、このままここで一緒に暮らせるし、もし良い相手が見つかったら、うちからお嫁に出してあげて……」


 どんな場面を想像してか、泣きそうな顔になった父上を、慌てて止めた。


「待ってください。養女って、うちの養女ですか?」


「もちろん、僕とクレアの養女だよ。他に誰がいるの?」


 父上は心底不思議そうな顔になった。


「セアラをうちの養女になんて、絶対に駄目です」


 兄妹になどなってしまったら、私とセアラは結婚できない。


「確かに、それは却下ね」


 母上も私に同意してくれたのでホッとした。


「どうして?」


「『ノアがセアラと結婚しないなら、僕がする』って、メイが」


「は?」


 私は目を瞠った。

 父上も目を丸くした後、満面の笑みになった。


「セアラがメイのお嫁さんになるの? うん、養女よりその方が良いね」


「実際に結婚するのはメイが学業を終えてからだから、6年後かしら? セアラを待たせてしまうけれど」


「ちょうど僕とクレアが離れていた期間と同じだ。でも、メイは留学はしないみたいだし、ずっとセアラと一緒にいられるね。そうか、僕も外国に行く前にクレアと婚約しておけば良かったんだ。クレアは僕が11歳の時に求婚しても受けてくれた?」


「そうね……」


 ふたりの世界に入ってしまいそうな両親を、私は急いで引き止めた。


「それも却下してください。セアラは私の婚約者です。メイにだって譲るつもりはありません」


「誰を選ぶかはセアラ次第でしょう」


「セアラはメイの気持ちをもう知っているんですか?」


「メイが昨日、直接伝えたそうよ」


「直接? メイはセアラに会えたんですか?」


「会えない理由がないじゃない。ロッティとアリスも一緒に、昨日も今日も会いに行ったわよ」


「僕も今日会ってきたよ」


「いつの間にですか?」


「昼休みに帰った時」


 セアラに会ってもらえないのは私だけということか。当然と言えば当然だが、かなり面白くない。


 とにかく、メイとは早めに話をつけようと思い、立ち上がった。


「メイはもう寝ているから、起こさないでちょうだいね」


 母上に機先を制されて、私はすごすごと部屋に戻った。




 翌日も朝食後に別邸に行き、お祖母様にすげなく追い払われた。

 父上とともに昼休みに帰宅してみても、さらに夕方も、セアラには会えなかった。


 意気消沈して屋敷に戻った私に、母上があることをさらりと告げた。

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