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21 バルコニーから

 メイからの突然の求婚に驚いているうちに夜になった。

 ロッティたちが会いに来てくれたこともあって、別邸に場所が変わったもののコーウェン家に迎えられた当初とあまり変わらない1日だった気がする。

 違うことと言えば、ノア様とお父様に一度も会っていないこと。


 ノア様ももう帰宅しただろうか。

 私は客間のバルコニーに出て本邸のほうを窺ってみたけれど、私の見たいものは見えなかった。




 翌日も昼前にお庭に出るとロッティもやって来たので、一緒にお散歩をした。

 その後、やはり一緒に昼食をとり、食後にお茶を飲んでいるところへ今度はお父様がいらっしゃった。


「勝手なことをして申し訳ありません」


 頭を下げた私に、お父様は優しく微笑んだ。


「大丈夫だよ。セアラは何も心配しなくていいからね。セアラはもう僕たちの大事な娘なんだから」


 それは、ノア様の怒りを宥めてくださるということなのか。あるいは、私がノア様と婚約解消することになってもいきなり追い出したりしないということなのか。

 どちらにせよ、お父様の言葉に嘘がないことはわかる。


「ありがとうございます、お父様」


 私も笑みを返した。




 一旦本邸に戻ったロッティは、やはりアリスとメイを連れてお茶を飲みにやって来た。

 昨日のことは寝不足な私が聞いた幻聴か、メイが私を励ますために口にした冗談だったのではないかと考えていたのだけれど、いつもと違って私のほうにチラチラと視線を送り、目が合うと恥ずかしそうにするのを見ていると、本気で求婚してくれたのは間違いなさそうだった。


 メイの様子が普段と異なっていたことはお祖父様とお祖母様も気づかれたようで、夕食の席で何かあったのか尋ねられ、正直に話した。


「メイはきっと良い夫になると思うわよ」


「私のほうが7つも歳上ですが」


「今は子どもでも、あと何年かすればメイのほうがセアラより大きくなるし、そのうち気にならなくなるわ」


 お母様のほうがお父様より4つ歳上で、お祖父様がお祖母様より12歳上のコーウェン家では、私とメイの歳の差はあまり気にされないようだ。


 メイが優しくて穏やかで、とっても良い子だということは私もわかっている。求婚されて嫌な気はしない。どちらかと言えば、嬉しい。


 だけど、私はどうしたってノア様のことが気になる。

 初めて会った日に、私がメイとダンスの約束をしたことに嫉妬してくれたけれど、メイから求婚されたことを聞いたら今でも少しは心を動かしてくれるのかしら。

 そんな愚にもつかないことを考えてしまう私が、メイの良い妻にはなれないのだ。


 そして、改めて思った。やはりこのままここにはいられない。

 こんな状況になってもご家族が変わらず良くしてくださるからと、すっかり甘えていた。

 何より、コーウェン家にいたらノア様のことを忘れられない。

 少しでもノア様の姿が見えないかと、ことあるごとにバルコニーに出てしまう。ノア様の傍に戻りたいと絶えず考えてしまう。


 伯父様にお願いして、できるだけ早くキャンベル家に住まわせてもらおう。




 翌日の朝食の席で、お祖父様とお祖母様に告げた。


「今日、キャンベル家の伯父に会いに行きたいのですが、よろしいですか?」


「ああ。それなら、前触れを出しておこう」


 確かにいくら伯父様でも突然訪ねるのは失礼だ。私はお祖父様の申し出を有り難く受けることにした。


「あとは、馬車を用意させるから好きに使いなさい」


「いえ、馬車は大丈夫です」


 今度は遠慮すると、おふたりが驚いたようなお顔になった。


「キャンベル家はここから遠いのでしょう? どうするつもりなの?」


「乗合馬車というものがあると聞いたので、それを利用しようと思います」


 以前、伯父様から「何かの時のために」といくらかのお金をいただいていた。運賃はそれで十分間に合うはず。


「つまり、利用したことはないのね? そんなの駄目よ。うちの馬車で行きなさい。あなたのことはクレアからよくよく頼まれているのよ」


「わかりました。そうさせていただきます」


 キャンベル家訪問の目的は訊かれなかったが、おふたりともおおよそ察しているのだろう。




 客間に戻り、外出の準備をした。


 クローゼットの中に外出用のドレスは1着だけなので、迷うことなくそれを身につけるしかなかった。初めてのデートでノア様が選んでくださった臙脂色のドレスだ。

 どうしてよりによってこれを持って来たのだろうと、着付けてくれているケイトを恨めしく思ってしまう。

 もっとも、この1月半は毎日ノア様といたのだから、どのドレスにも多かれ少なかれノア様との思い出はあるのだけれど。


 身支度が整った頃、お祖父様がキャンベル家へ遣いに出してくださった使用人が戻ってきた。


「残念ながら、男爵は一昨日、外国へ向かわれたそうだ」


 お祖父様はそう言って、キャンベル家からの書きつけを私にも見せてくださった。

 今回は伯母様も同行され、さらに従兄もお仕事で遠方へ行っているらしい。お屋敷に残っているのは従兄の奥様と子どもたち。


 これではすぐにキャンベル家でお世話になることはできないだろう。

 私はキャンベル家への訪問を取り止めた。




「せっかく着替えて馬車も用意したのだから、お出掛けしてきたら? ロッティと一緒に行けば良いわ」


 お祖母様にそう勧められて、私はロッティと王宮美術館に行くことになった。

 王宮美術館には1月ほど前も訪れたが、なにせ広いのでまだまだ見ていない作品はいくらでもあるのだ。


 ロッティの案内でゆっくりと絵画を鑑賞し、昼食も美術館の2階にあるカフェでとった。

 カフェの窓からは城壁越しに少し離れたところにある王宮の建物の端が見えた。


「今頃は宮廷もお昼休みたがら、お父様はうちに帰っているわね」


 ロッティが言った。

 私が王宮のほうを見つめながら気にしているのが、そこで昼食をとっているはずのノア様のことだとわかっているだろうに。


 あれ以来、誰も私の前でノア様の話をしない。だから、ノア様が今どうしているのか、何を考えているのか様子がまったくわからない。

 私は自分から尋ねることもできなくて、ただ焦れている。




 次の日、私がお散歩をするために庭園に出ると、メイが待っていた。


「ロッティに譲ってもらったんだ。僕が一緒でも良い?」


「ええ、もちろん」


 メイが手袋に包まれた右手を差し出したので、私は左手を重ねた。もう小さくはないけれど、まだ大きくもない手だ。


「お勉強は大丈夫なの?」


「今日だけだからって、先生にお願いしたんだ。僕も1度くらいセアラとデートしたかったから」


 顔に浮かぶ笑みはいつもどおりの無邪気なものだったけれど、「1度くらい」が引っかかった。

 メイにも気づかれているのだ。


「あのね、メイ。この前の……」


「まだ、答えないで」


 私の言葉をメイは慌てたように遮った。


「僕はいくらでも待てるから」


 私は黙って頷いた。


 その後はお散歩を終えて分かれるまで、そしてロッティ、アリスと別邸に来てお茶を飲んでいる時も、メイはいつものメイだった。




 夜までに、私は1つの決意を固めた。もう一度だけ、ノア様に会おう。

 明日は土曜日だから、ノア様もお屋敷にいるはず。会って、私の気持ちをすべて伝えて、そしてきちんとお別れをするのだ。


 週明けには従兄が都に帰ってくるらしいので、キャンベル家に受け入れてもらえるだろう。

 でも、修道院に入るのも良いかもしれない。俗世を離れれば、いつかノア様が結婚しても、それを知らずに済むのだから。


 就寝準備が終わり、ケイトも出て行った客間で、私はひとりこれからのことを考えた。

 どうせベッドに入っても眠れない。別邸で暮らすようになってから、毎晩そうだ。コーウェン家を出れば、眠れるのだろうか。


 ふいに、コンコンという音が聞こえた。扉ではなく、窓のほうだ。

 木の枝が揺れて窓に当たっているのかと思ったが、それほど風が吹いている気配はない。

 それなのに、またコンコンと窓が鳴った。先ほどよりはっきりと。


 私はソファから立ち上がってゆっくりと窓に近づいた。恐る恐るカーテンを捲り、息を呑む。

 窓の外から私を睨みつけたのは、私が会いたくて堪らなくて、でも何度バルコニーから覗いても姿の見えなかった人だった。


 私が慌てて窓を開けると、冷たい空気を纏ってノア様が客間の中に入って来た。


「ああ、暖かいな」


 ノア様のホッとしたような呟きで、固まっていた私の思考も動き出した。


「どうしてこんな時間にバルコニーなんかにいるんですか?」


「セアラに会うために決まっているだろ」


「それなら、玄関から来ればいいではありませんか」


「玄関からでは入れてもらえないから、バルコニーから入ることにしたんだ」

 

「なぜ入れてもらえないんですか?」


「セアラが私に会いたくないから、だろ」


「そんなはずありません。ノア様が私に会いに来てくれるなんて思ってもいませんでしたし」


「お祖母様から何も聞いてないのか?」


 私が頷くと、ノア様は顔を顰めて嘆息した。


「まったく、お祖母様は……」


「あの、どうやってバルコニーに?」


「そこの木を登った」


「そんな危ないことをしたんですか? 落ちて怪我でもしたらどうするんですか?」


「木登りは子どもの頃に従兄弟たちとよくやっていたから得意だ」


「だからって、こんなに寒くて暗いのに」


「仕方ないだろ。セアラに会いたかったんだ」


 ノア様はジロリと私を見つめた。


「セアラはどうして私に会いに来ないんだ? もう私が嫌になって、会いたくなかったのか?」


 私は咄嗟に首を振った。


「だけど、私は……」


 先日の夜会でのことや、ノア様の前で口にしてしまった言葉が頭の中をぐるぐる回った。

 それが見えたかのように、ノア様が表情を改めて言った。


「まだ私たちには考えること、話し合うことがたくさんあるだろうが、とりあえず今は1つだけ答えてくれ」


「は、い」


 喉が詰まってうまく言葉が出てこない。


「私は今でもセアラと出会えたことに感謝している。私がセアラを幸せにしたいという気持ちも変わっていない」


 熱いものが両頬を流れ落ちていった。ノア様がそれを指で拭ってくれる。

 気がつけば、ノア様はとても柔らかい表情をしていた。


「セアラの中にも、まだ私を幸せにしたいという気持ちがあるか?」


 私は声を出せないまま、コクリと頷いた。途端、ノア様に抱き寄せられた。


「それなら、これからも私の傍にいろ」


 もう一度頷くより早く、唇が塞がれた。

 今までになく荒々しい口づけに私が足元をふらつかせると、ノア様は私を抱き上げ、ベッドへと運んだ。仰向けに下ろされた私の上にすぐさまノア様が覆い被さって、また口づける。


 いつかもこんなことがあったけれど、あの時と今は似て非なる状況だ。

 ノア様は痛いくらいに強い力で私の体を抱きすくめている。それに、私の唇の間から生温かいものが入り込んでいる。


 ノア様の舌だから嫌悪感はまったくないけれど、初めてのことなのでどうしていいかわからない。私はただ両手でしっかりとノア様のシャツを握りしめていた。

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