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20 求婚

 コーウェン家の夜会でノア様は「これは現実だ」と言ってくれたけれど、やっぱり私は夢を見ていて、1月半もたってからようやく目が覚めたのかもしれない。


 なかなか眠れずにそんなことを考えながら寝返りを繰り返していたけれど、それでもいつの間にか眠りに落ちていたらしい。


「若奥様、お目覚めでしょうか?」


 いつもと同じ声、同じ文句で私は起こされた。

 だけど、目を開けるとそこに見えたのはいつもと違う景色で、少しだけ混乱した。

 返事をしながら身を起こしたが、いつもより頭がぼんやりして体も重い。それでも、ここが別邸の客間であることは思い出した。


 部屋に入ってきたメイドはやはりケイトだった。


「どうしてケイトが?」


 私の疑問に、ケイトはにっこり笑った。


「若奥様がこちらにいらっしゃるなら、私も参るのが当然でございます。お着替えや、必要なものもお持ちいたしました」


 ケイトは手にしていたトランクを少しだけ持ち上げて見せた。

 お父様やお母様の許可を得て来たのだろうかとか、まだ私は「若奥様」と呼ばれていて良いのだろうかとか、色々気になることはあるが、寝巻のままでいるわけにもいかない。


「ありがとう。面倒をかけてごめんなさい」


「お気になさらないでくださいませ。悪いのは若様でございましょう」


「いえ、私が……」


「大丈夫です。私は若奥様の味方ですから」


 ケイトの言葉に私は目を瞬いた。

 私が別邸にいる理由をケイトがどんな風に聞いているのかわからないが、何かしらの齟齬がありそうだ。




 身支度をしてから食堂に案内された。

 部屋も食卓も本邸より一回りほど小さいが、落ち着いた雰囲気だった。


 すでに席に着かれていたお祖父様とお祖母様にご挨拶し、示された席に座った。

 運ばれてきた食事は、本邸と同じようなメニューだった。量は少なめ。味付けは多少異なるが、やはり美味しい。だけど……。


「あまり減っていないわね。食欲がないのかしら?」


「はい。申し訳ありません」


「いいのよ。あちらの食事は賑やかだったでしょう」


「そうですね」


 賑やかだけど心地良くて思わず食事が進んでしまう空間。昨日までいた場所なのに何だか懐かしい。

 お母様を中心に会話を交わす弟妹たちの明るい声。ぼんやりとしたお顔で黙々とフォークを使っていたお父様が、ふと目を開いてご家族を見渡してから浮かべる満たされた笑み。

 それから私の食事する姿を見つめては嬉しそうに笑っていたノア様を思い浮かべようとして、代わりに昨夜最後に見た睨み顔を思い出してしまった。


 私はもう本邸の食堂には戻れない。自分で手放してしまったから。

 そう考えると、もはや食欲は完全になくなった。




 紅茶をいただいてから客間に戻った。


 ケイトが本邸から運んできてくれたものはわずかで、部屋の景色を変えるほどではなかった。

「ご入用のものがあれば取って参りますので仰ってください」と言ってくれたが、とりあえず必要なものが最低限は揃っていた。

 ケイトはノア様の目を盗んでこれらを運び出してくれたのではないだろうか。ノア様の怒りがケイトにまで向かなければいいのだけど。


 そもそも、私は身一つでコーウェン家に迎えられた。ここを出ていくのなら、今身につけているものも含めてすべてお返ししなければならない。

 亡くなったお母様の遺品や伯父様にいただいたものは私自身のものと言えるけれど、それらは本邸の客間に置いたままのようなので、取りに行かないといけない。


 ご家族に一言の挨拶もなく別邸にいるのだから、一度は本邸に行かなければならないのだけれど、ノア様が不在の間にこっそり伺うのは気が引ける。

 どちらにせよ昼間ではお父様もいらっしゃらないのだから、週末まで待つべきだろうか。

 あるいはお母様だけにご挨拶して、一旦キャンベル家に身を寄せるべきか。


 答えを出すことが億劫になって、掃き出し窓からバルコニーに出た。

 バルコニーのすぐ近くには大きな木が何本かあるが、今は葉が落ちているので枝の間から庭園やその向こうの本邸が覗き見えた。


 そろそろノア様たちは出掛ける時間だけれど、本邸の玄関や門までは見えない。もどかしい気持ちになり、馬鹿みたいだと自嘲した。

 ノア様にあんなことを言わなければ、いつものようにノア様の隣で朝食をとって、お見送りできたのに。


 溜息を吐きながら部屋の中に戻り、ソファに腰を下ろした。

 私は早くここを出て行くべきで、そのためにやらなければならないことはわかっているのに、気力が湧かない。


 しばらくの間ただぼんやりしていたが、ふいに扉がノックされて我に返った。


「若奥様、奥様がお越しですが、お会いになられますか?」


「すぐに行くわ」


 私は慌てて立ち上がった。




 居間でお祖父様、お祖母様と向かい合ってお話しされていたお母様は、昨日までと変わらぬ様子だったけれど、私の顔を見るとわずかに眉を顰めた。


「顔色が悪いわね。寝不足かしら?」


 その声には労わりが感じられ、私は心底安堵してしまった。


「勝手なことをして、申し訳ありませんでした」


「あなたを無理矢理こちらに連れて来たのはノアなのでしょう」


「ですが……」


「とりあえず、座りなさい」


 お母様の隣を示されて、私はそこに腰を下ろした。


「昨夜ノアからだいたいのことは聞いて、今おふたりにもお話ししていたところよ」


「はい。本当にすみません」


「あんなノアは私も初めて見たわ。あの子も今朝は目の下に隈ができていたし」


 お母様は可笑しそうにクスリと笑ったけれど、私は居た堪れない気持ちになった。

 私はそこまでノア様を怒らせてしまったのだ。


「あなたたちは出会ってすぐに婚約して一緒に暮らしはじめてしまって、特にセアラは急に環境が変わって、今まで落ち着いて考える時間もなかったわよね。だから、今度のことは良い機会なのかもしれないわ。しばらくノアと離れて、ゆっくり考えなさい」


「考える? 何を、ですか?」


「何でもいいわ。ノアのこと、セアラ自身のこと、これからのこと……。セアラが納得できるまで悩んで考えて。その間、セアラはこちらで暮らして、花嫁修業はお休み。ノアにもそう言っておくから」


 私が今さら何をどう考えたところで、もう間に合わないのではないだろうか。

 そう思うけれど、お母様の微笑みに逆らえず頷いた。


「そうと決まれば、私たちが責任を持ってセアラを預かるから安心してちょうだい」


 胸を張ってそう仰ったお祖母様とお祖父様にまるで本当の娘を預けるように頭を下げて、お母様は本邸へ戻っていかれた。




 寝不足もあってぼんやりしていた思考が少しだけはっきりした私は、とりあえず別邸に腰を据える覚悟を決めた。

 お母様の仰っていたとおり、私は夜会で偶然ノア様に出会ってから、流されるままここまで来てしまった気がする。一度きちんとひとりで考えるべきだ。

 このところ続けていた次期公爵夫人としての勉強も、ロッティたちと過ごす時間もなくなってしまえば、いくらでも考える時間はある。


 私は歩きながら考えようと、コートを着てお庭に出た。すると、本邸のほうからやって来る人影が見えた。相手も私に気がついたようで、こちらに向かって駆け寄ってきた。


「セアラ、ごきげんよう」


 私の腕に自分の腕を絡めながら、ロッティはニコリと笑った。


「ごきげんよう、ロッティ」


「セアラの顔を見に来たの。会えて良かったわ。私に一言もなくこちらに来てしまうなんて、まったく酷いんだから」


「ごめんなさい」


「セアラはどこに行くの?」


「お庭をお散歩しようと思って」


「私もご一緒して良い?」


「ええ、もちろん」


 私たちはいつものように、たわいないお喋りをしながら歩いた。普段のロッティなら口にしそうなノア様への苦言は一度も出てこなかった。


 ロッティはお散歩の後には私と一緒に別邸の食堂に向かった。


「なんだ、ロッティも来たのか。セディが寂しがるぞ」


 そう仰りつつ、お祖父様は嬉しそうだった。


「お母様とメイがいれば大丈夫ですわ」




 昼食をとるとロッティは本邸へ戻っていった。


 私も今度こそ考え事をしようと客間に戻るつもりだったのだけれど、お祖母様に招かれてお部屋に伺った。


 お祖母様とは読書の趣味が似ているし、たびたび聞かせてくださる昔話も面白くて、ご一緒にいるといつもあっという間に時間が過ぎてしまう。

 お会いする前は元王女様ということで畏れ多く思っていたのが嘘のようだ。


 この日も読書談義に花が咲いてしまい、お勧めの本も貸していただいた。

 ケイトの持って来てくれたものの中に本はなかったので、とても有り難かった。


 そうこうしているうちに、ロッティが再び別邸にやって来た。今度はアリスとメイも一緒で、毎日この時間に本邸で開かれていた小さなお茶会が、別邸で始まった。

 アリスとメイも普段と変わらぬ様子で私に接してくれたけれど、やっぱりノア様の話題は出さなかった。




 夕方になって3人が本邸へ帰るのを、私は玄関先で見送った。

 遠ざかっていく3人の背中を見つめながら一緒に帰れないことを少しだけ寂しく思っていると、ふいにメイが振り向いてこちらへ戻ってきた。


「どうしたの? 何か忘れ物?」


「セアラにお願いがあるんだけど」


 私を見上げるメイの表情は真剣だった。


「何かしら?」


「ノアと結婚しないなら、僕として」


「は?」


 私は思わず間抜けな声を上げてしまったが、メイは私の両手をしっかりと握った。


「今すぐは無理だけど、僕が大人になるまで待っててほしいんだ」


「で、でも……」


「少し考えてみて。じゃあ、また」


 メイはそう言うと、本邸のほうへと駆けていった。先ほどの場所に止まってこちらを窺っていたロッティとアリスが、私を見て意味ありげに笑った。

 どうやら私が考えなければならないことが増えてしまったようだ。

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