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17 風邪を引く

 ノア様にいただいたユニコーンの置物と花柄模様の小物入れ。お母様の遺品のくまの人形、手鏡。生まれたばかりの私を抱くお母様の肖像画。伯父様からの外国土産の木彫りの羊たち。


 大切なものが増えて、客間の小さな棚はたちまち溢れんばかりになった。客間に本棚はないので、本は机の隅に積んである。

 それを見たノア様は、「セアラの部屋には大きな飾り棚と本棚が要るな」と笑っていた。


 お母様の遺品がキャンベル家にまだあるなんて考えてもみなかった。それも、あんなにたくさん。

 保管してくださっていた伯父様や伯母様方、そしてその可能性に思い至ったノア様には感謝の気持ちでいっぱいだった。


 同時に気になったのは、いつも穏やかに微笑んでいたお母様が心中ではいったい何を思っていたのかということ。

 キャンベル家に遺されていたものを見た今、スウィニー家のお部屋はお母様にとってありえないほどに殺風景だったとわかった。お母様のお部屋を彩っていたのは、お母様自身の刺繍作品くらいだった。

 せめてお母様が本当に浪費家で、誰に何の遠慮もせずあの家で暮らせていたなら良かったのに。


「セアラが気づけなかったのは、お母様が気づかせたくなかったからよ。あなたが後悔する必要はないわ」


 週明け、執務室で向き合った私にそう断言してくださったのはコーウェン家のお母様だ。


「むしろ、お母様のほうがあなたに申し訳なく思っているのではないかしら。何も知らないあなたをひとりスウィニー家に遺すことになって……。もちろん、お母様に後ろめたいなんて考える必要もないわ。セアラの幸せを願っていらっしゃるはずだから」


 お母様の哀しみも辛さもまったく気づいてあげられなかった呑気な娘が、こうして信じられないくらい恵まれた暮らしをしていて良いのだろうか。

 私がそう考えていたことも、コーウェン家のお母様には見抜かれていたようだ。


 お母様が仰ってくださった言葉はすんなりと飲み込むことができて、私は「はい」と頷いた。


 客間に戻って改めて棚に並ぶ宝物たちを眺めると、自然と頬が緩んだ。


「私はここでノア様のご両親を自分の両親として頼り、ノア様のご兄弟を自分の兄弟として親しみ、絶対にノア様と幸せになります」


 肖像画を見つめて、お母様にそう誓った。




 ところがその翌朝、目を覚ますと何だか体が怠かった。

 ベッドの上で身を起こした私の様子を見て、客間に入ってきたケイトも眉を寄せた。


「失礼いたします」


 そう言って私の額に触れたケイトの手が冷んやりとして気持ち良かった。


「熱がありますね。このままお休みになっていてください」


 ケイトの言葉に素直に従って布団の中に潜り込み目を閉じた。ケイトが部屋を出ていく音が聞こえた。


 しばらくして、また扉の開く音がしたので目を開けると、やって来られたのはノア様とお母様だった。

 咄嗟に起き上がろうとすると、ノア様にとめられた。


「いいから寝ていろ」


「申し訳ありません」


 出した声は掠れていた。情けなくて目頭が熱くなる。

 ノア様が慰めるようにそっと頭を撫でてくれた。


「食欲はある?」


 お母様の問う声も優しかった。


「あまりないです」


「それなら水分をしっかり取って、何も気にせずゆっくり休みなさい」


「はい。ありがとうございます」


「セアラ、大丈夫?」


 メイの声が聞こえて視線を向けると部屋の扉が開いたままで、そこからメイとロッティ、アリスの心配そうな顔が覗いていた。普段ならこの時間は眠そうになさっているお父様まで、ジッとこちらを見つめていらっしゃる。


「皆で来たら騒がしくてセアラが休めないと言ったのだけど」


 お母様が苦笑しながら扉のほうを振り返った。


「さあ、私たちは朝食にしましょう」


「また様子を見に来る」


 ノア様はもう一度私の頭を撫でてから、ご家族と食堂に向かわれた。


 入れ代わりにケイトが戻ってきた。

 ケイトの運んできてくれた果実水を飲み、額に水で冷やした布を載せてもらって、また目を閉じた。




 次に目を開けた時には、思ったより長い時間がたっていた。いつの間にか眠っていたらしい。

 当然、ノア様はすでに宮廷でお仕事中だろう。おそらくは言葉を違えずあれから客間に来てくださったと思うが、まったく気づかなかった。


 ぼんやりしているとやがて抑えたノックの音が聞こえ、掠れた声で返事をした。現れたのはケイトだ。


「お目覚めでしたか。お医者様がいらっしゃいましたので、お連れいたしますね」


 お母様が呼んでくださったらしい、最初の日と同じお医者様に診察を受けた。診断は風邪。

 熱冷ましの薬を処方され、水分と栄養と休息をよくとるようにと仰ってお帰りになった。


 その後で、お母様がトレーを持って部屋に来られた。


「林檎をすりおろしてもらったのだけど、少しくらい食べられそう?」


「はい。いただきます」


 私が身を起こすと、お母様はトレーをテーブルに置いて私の肩にガウンをかけ、枕やクッションを私の背とベッドボードの間に入れてくださった。


「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。体調を崩すなんて幼い頃以来で、情けないです」


 頭を下げると、わずかに痛んだ。


「そんな風に思わなくていいのよ。我が家ではこんなのしょっちゅうで慣れているから。それに、あなたはお母様を看病する側で、ずっと気を張っていたのでしょう。ここでそれを弛めることができたのなら、決して悪いことではないわ」


「はい」


 お母様はトレーに載っていた小鉢とスプーンを手に、ベッド脇の椅子に座られた。小鉢の中の林檎がスプーンで掬われ、私の口元へと運ばれる。

 てっきり小鉢とスプーンを手渡されると思っていた私は、束の間スプーンの上の林檎を見つめてしまった。それでもゆっくり口を開き、スプーンを迎え入れた。


「ああ、ごめんなさい。つい癖で。うちでは皆、これが具合が悪い時の権利みたいに思っているの」


 私の戸惑いに気づいたらしいお母様は、そう仰りながらスプーンを戻した。


「ノア様も、ですか?」


 私は思わず尋ねた。

 他のご家族はともかく、ノア様がお母様に林檎を食べさせてもらうところが上手く想像できなかった。


「ええ。ノアもあまり体調を崩す子ではなかったけれど」


 お母様が差し出した2口目の林檎を、私も今度は躊躇うことなくいただいた。




 眠って起きてを繰り返し、何度目かに目を開けるとベッド脇の椅子にはノア様がいた。


「お帰りなさいませ」


「ただいま」


「お出迎えもできず申し訳ありませんでした」


「セアラが出迎えに来ていたら、それこそ怒ったぞ」


 冗談めかして言いながら、ノア様は私の頬に手を伸ばした。


「まだこんなに熱いくせに」


「でも、だいぶ楽になりました」


「そうか」


 ノア様はもう着替えているので、帰宅直後ではなさそうだった。時間を尋ねると、いつもなら夕食を終えて居間で過ごしている頃だ。

 私が目を覚ましたら知らせるようケイトに指示するのではなく、ノア様自身が私の傍にいてくれたことが単純に嬉しかった。


 しばらくして、ケイトがじゃがいものポタージュスープを持ってきてくれた。

 ノア様はそれを受けとると、迷う様子もなくスプーンで掬ったスープにフウフウと息を吹きかけて冷まし、私の口へと運んだ。私も素直に口を開いた。


 初めはお母様の時より恥ずかしさを感じていたけれど、徐々に微笑ましい気持ちになった。


「どうしてそんな可笑しそうな顔をしているんだ?」


「昼間、お母様にお聞きしたことを思い出したんです。ノア様も風邪を引くとお母様にこうやって食べさせてもらっていたって」


 ノア様は顔を顰めた。


「子どもの頃の話だ」


「はい。でも、本当にここではこれが当たり前なんですね」


「ああ。次からは私はセアラに頼む」


「わかりました」


 スープを飲んでから横になると、ノア様が冷やした布を額に載せてくれた。

 そのままノア様の手は私の頭を優しく撫でる。


「セアラが眠るまでここにいるから」


 私は頷き、布団から片手を出してノア様の手に重ねた。私の意図を察して、ノア様は私の手をやんわりと握ってくれた。

 私は安心して目を閉じた。



 

 私は翌日もベッドの中で過ごしたものの、夕方には熱も下がり、さらに次の日からはもとの生活に戻ることができた。

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