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番外編 後戻りはできないから(アダム)

ちょっと歪んでいます。

 幼い頃から私はセアラの傍にいた。


 正式な婚約こそ交わしていなかったが、両方の父同士の間で私をスウィニー次期伯爵にすることは決まっていた。

 不満などなかった。セアラと過ごす時間は穏やかで心地良かった。寂しがりやなのに我慢強いセアラを、守っていくつもりだった。

 この先も私とセアラの関係はずっと変わらないと思っていた。


 セアラが学園を卒業して間もなく、セアラの母上であるフィオナ夫人が亡くなった。

 セアラの悲しみは大きかったが、それでも前を向いて進もうとしていた。私はそんな彼女にただできるだけ寄り添っていた。




 ある日、いつものようにセアラに会いにスウィニー家に行くと、私を迎えたのは見知らぬふたりの女性だった。顔立ちが似ているから母娘だろう。

 ふたりとも私をジロジロと見つめてきた。


「誰?」


「そちらこそどなたですか?」


 思わず尋ね返すと、母親のほうが答えた。


「アイザックの妻ベロニカよ。こちらは娘のイザベル。どうぞよろしく」


 その答えに呆気にとられた。

 フィオナ夫人が亡くなってからまだひと月とたっていないのに、伯爵はもう再婚したのか。しかも、こんな派手で不躾な相手と。


 信じがたいものの、相手が名乗ったのだから私も返さねばならない。


「初めまして。私はアダム・ガスターと申します。セアラに会いに参りました」


 ベロニカ夫人が「ああ」と頷いた。


「あなたがガスター伯爵の次男ね。夫から話は聞いているわ。でも、残念ながらセアラは留守よ。イザベル、代わりにあなたが相手をなさい」


「ええ。アダム、こちらへどうぞ」


「いえ、セアラがいないなら出直します」


「そんなこと言わず、私とも仲良くしてよ」


 イザベル嬢は私に艶やかに笑いかけると、私の腕に自分の腕を絡め、体をぴたりと寄せてきた。

 初対面で名を呼び捨てにし、いきなりこんなことをするなんて、娘もセアラとはまったく違う種類の令嬢のようだ。

 セアラとは幼い頃も含めて何度か手を繋ぎ、何度かエスコートしたくらいだった。

 私は大いに戸惑ったものの、イザベル嬢の腕を振り払うことはできなかった。胸が騒つくのを感じた。




 それから、何度スウィニー家を訪ねてもセアラには会えず、代わりにイザベル嬢と過ごすことになった。

 セアラのことを問うと、イザベル嬢はいかにも不快だという顔になった。


「どうしてアダムは私といるのにセアラのことばかり気にするのよ?」


「セアラは幼馴染だし、母親を亡くしたばかりです。心配するのは当然でしょう」


「私の前であの娘の心配なんてしないで」


 イザベルが涙ながらに語ったところによると、スウィニー伯爵が本当に愛していたのはベロニカ夫人だったのに、フィオナ夫人が横取りしたのだという。

 てっきりイザベルはベロニカ夫人の連れ子だと思っていたので、スウィニー伯爵の実子でセアラとは異母姉妹だと知って驚いた。


「あの娘は私のものをすべて奪っていたのよ。本来なら、アダムの幼馴染も私だったはずなのに」


 イザベル嬢はしばらく私の胸に顔を埋めるようにして、わざとらしく啜り泣いた。

 泣くときもひとり静かに涙を流していたセアラを思い出しながら、イザベル嬢を落ち着かせるために彼女の背に腕を回した。

 やはり胸の内が不快に騒ついていた。


 その数日後、スウィニー伯爵からセアラが心を病んだので領地で静養させると聞いた。

 同時に、これからはイザベル嬢をエスコートしてほしいと頼まれ、私は頷いた。




 1シーズンに数回しか社交に出なかったセアラと違い、イザベルは毎週のように出かけたがった。


 そして、これは予想していたことだが、社交の場においてもイザベルは貴族の令嬢らしからぬ振る舞いをした。

 私がそれについて指摘すると、途端に眦を吊り上げた。


「セアラと私を比べないで」


 確かに、セアラは貴族令嬢としてよく躾けられていた。

 だが、私はセアラの名前などあれから1度も口にしていないのだし、セアラを知らない人間でも同じことを思うはずで、被害妄想もいいところだった。


 私はイザベルに対して礼儀作法を説くことを早々に諦めた。


 イザベルは目についた男性にグイグイ近づき話しかけていった。相手に婚約者がいるかどうかなど気にもしないので、当然あちこちで反感を買った。しかし、それに本人はまったく気づかない。


「ねえ、あの人なかなか素敵だと思わない? 次期公爵らしいから、上手くいけば将来は公爵夫人になれるのよ」


 エスコートしている私にも平気でそんなことを言い、さっさとその人のほうへ向かった。

 いくらイザベルが美人でも、あのコーウェン次期公爵に相手にされるわけがないのにと、私は距離を置いて見つめていた。




 そのうち、イザベルには取り巻きができた。イザベルはちやほやされて上機嫌で、彼らが皆、婿入りを望む次男や三男だとは気づいていなかった。

 この頃には、スウィニー伯爵がセアラではなくイザベルに跡を継がせるつもりらしいと知れ渡っていたのだ。

 しかし、婿候補がすでにいることは都合良く無視されていて、私も取り巻きのひとりだと周囲にもイザベルにも思われているようだった。


 時おり、どこかの家の軽薄そうな嫡男がイザベルに近づくこともあったが、彼らがいつも派手なイザベルを遊べそうな女としか見ていないことは間違いなかった。


 やがて、私は正式にイザベルの婚約者になったが、イザベルが変わることはなかった。




 その日は、コーウェン公爵家の夜会だった。


 私はいつものようにイザベルとともにスウィニー家の馬車に乗った。

 だがいつもと違い、先に馬車に乗っていた人物がいた。イザベルの真紅のドレスとは対照的な、ダークネイビーのドレスを纏って身を縮めるように座っていたのは、セアラだった。


 何か言葉をかけようとしたが、適当なものが浮かばなかった。セアラも無言のままだ。

 イザベルはセアラを見て蔑むような笑みを浮かべた。イザベルは知っていた、いや、イザベルが企んだことなのだろう。何を考えているのかまではわからないが。

 最後に伯爵夫妻も乗り込んで、馬車が動き出した。


 コーウェン家の屋敷に到着するまで、スウィニー家の人間たちはセアラをこの場にいないものとして扱っていた。

 その一方で、イザベルはセアラに見せつけるように私にベッタリと貼りついていたが、セアラが私たちを気にする様子はなかった。


 夜会の会場に着いてから、すぐにセアラを見失った。

 イザベルはセアラのことなど忘れたように、いつもどおり彼女らしく夜会を楽しんでいた。


 だが夜会が中盤に差し掛かった頃、セアラは再び私たちの前に現れた。私はその姿に目を瞠った。

 セアラは先ほどとは異なる黄色いドレスを身につけていて、今までで一番可愛らしく見えた。そのうえ、セアラを支えるようにエスコートしていたのはコーウェン次期公爵だった。


 次期公爵は私たちの目の前でセアラを抱き寄せたり、柔らかい笑みを向けたりした。

 同時にスウィニー家の人々のことは冷ややかに見つめ、蔑む言葉を投げかけた。

 イザベルは相変わらず場の雰囲気を少しも理解しようとしなかったが、スウィニー夫妻は顔色を青くした。だが、次期公爵はセアラの手前、手加減していたのだと思う。




 その夜、セアラはスウィニー家に帰らなかった。コーウェン次期公爵と婚約し、コーウェン家に留まることになったのだ。


 セアラと次期公爵は今夜出会ったばかりだというが、私はそれを疑っていた。

 セアラは次期公爵の妹と親しかったから、そこからの繋がりがあったのではないかと。


 セアラは領地には行っておらず、ずっとスウィニー家の屋敷の中にいたと知ってもあまり驚けなかった。ベロニカ夫人がセアラを殴っていたことも。


 イザベルは肉体的な暴力さえ振るっていなかったようだが、精神的にはやっていただろう。コーウェン家にセアラを連れて行ったのも、首飾りを盗ませるためだったらしい。

 そもそも、私との婚約だってイザベルにとってはセアラへの嫌がらせの一環だったに違いない。


 自分のことを歯牙にもかけなかったコーウェン次期公爵がセアラを選んだという事実を、イザベルは受け入れられずに喚き続け、公爵夫妻が懸命に宥めていた。


 夫妻のほうがあっさり受け入れたのも、セアラの婚約ではなくコーウェン家からの援助のほうだろう。

 コーウェン家がスウィニー家に援助などするはずがないと思うのは、私だけのようだった。




 半月ほどたってから、コーウェン次期公爵がスウィニー家にひとりでやって来たと聞き、会いに行った。

 無視される可能性のほうが大きいと思っていたが、次期公爵は心底面倒だという顔ながら応じてくれた。


 私は次期公爵に頭を下げてセアラのことを頼んだ。

 おそらく、そんなことをしなくても次期公爵はセアラを大切にしてくれるだろう。だが、流されるままセアラのことを途中で見捨ててしまった私にとって、これは最後のけじめだった。


 もうセアラに会うことはないかもしれないと思うと寂しいが、スウィニー家の人間になると決めた以上、仕方ないことだ。

 それに、誰かがセアラを幸せにしてくれるのなら、別にそれが私でなくても構わなかった。




 その後、コーウェン次期公爵の婚約者として突如現れたセアラについて、社交界では様々な噂が流れた。

 その中でもっとも広まったのは、セアラが家族に虐げられていたのを、偶然彼女を見初めた次期公爵が知って救い出したというものだった。

 こんなほぼ真実のような話はコーウェン家が流したのかもしれない。


 もっとも、そんな噂がなくてもすでにイザベルの評判は悪かったので、スウィニー家には社交場への招待状はほとんど届かなくなっていた。

 さらに、この1年ほどでいくつもの支払いを滞らせていたことで、スウィニー家は商人たちからも背を向けられた。派手好みのイザベルとベロニカ夫人は買い物もできずに鬱憤を溜めた。

 そのうえ、スウィニー家で長年働いていた使用人たちがごっそりといなくなってしまった。どうやら彼らはコーウェン家の助けで新たな職を見つけることができたらしい。

 もちろん、スウィニー家の事業が上手くいくはずもない。


 スウィニー伯爵はドレスやアクセサリー、美術品などを処分しはじめたが、それに対する妻や娘の喧しい悲嘆に辟易していた。

 早く私とイザベルを結婚させて爵位も事業もすべて私に譲り、さっさと領地で隠居したいとも考えているようだ。


 父からはイザベルとの婚約解消を提案されたが、私はそれを拒んだ。


「今さら他の婿入り先は見つからないでしょうし、このままスウィニー家に行きます」


 父は仕方ないという風に頷いた。




 そう、今さらだ。ようやくここまで来たのだ。

 スウィニー家の苦境など、むしろ私には好都合。


 イザベルと結婚して伯爵位を継いだら、王都の屋敷と事業は売却し、伯爵夫妻だけでなくイザベルと私も領地で暮らすつもりだ。

 今でも不満だらけなイザベルには、耐えられないほど退屈な生活になるだろう。


 それ以前に、イザベルは私との結婚を嫌がるかもしれない。セアラより自分のほうが次期公爵夫人に相応しいと、まだ本気で信じているのだから。もはや取り巻きたちもイザベルに背を向けたというのに。

 そろそろイザベルも気づくべきだ。もう私しかいないのだと。異母妹から奪うためだけに近づき、婚約者になってからも軽んじてきた地味でつまらない男しか。


 私はイザベルが憎い。


 ただただ穏やかだったセアラとの日々を懐かしいと思う。だけど、もう戻れない。イザベルを知ってしまったから。

 この世で唯ひとり私の心を乱す存在を、逃がしてやるつもりはない。


 何をしても黙って見ているだけだった私を、イザベルは父親と同じく扱いやすい相手だと信じているだろう。

 もし結婚相手がセアラのままなら、私自身もそう信じて生涯を終えたはずだ。

 だから、私の前に現れたイザベルがすべて悪いのだ。

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