15 借金の理由(ノア)
セアラとの初デートから数日後のある夜、私宛に届いた1通の封書を母上から手渡された。
送り主はデニス・キャンベル男爵。ターラント商会の経営者として有名な人物だ。
ターラント商会は貿易を生業とし、キャンベル男爵も周辺諸国を飛び回って国内にいることのほうが少ないくらいだと聞く。実際、社交の場に姿を見せることはほぼない。
そんな相手からの突然で、しかもどうやら都からは少し離れた町で書かれたらしい手紙を訝しむ私に、母上が呆れたように言った。
「驚くことはないわ。キャンベル男爵はセアラの伯父様よ」
私は目を見開いた。
「セアラの母上はキャンベル家の出身なんですか?」
「そうよ。ノアもまだまだ勉強不足ね」
ターラント商会はもとは平民が代々営んできたが、2代前の経営者が困窮していたキャンベル家のひとり娘と結婚して男爵位を手に入れ、さらに大きな商会へと成長した。ゆえに男爵位を金で買った成金貴族、などとも揶揄されている
セアラの母上がキャンベル男爵の妹なら、スウィニー家の事情は案外単純なものかもしれない。
手紙には、家族から姪の婚約を報らされたこと、姪には妹の死後会えず心配していたこと、都に戻ったらすぐに会いたいことなどが書かれていた。
さらに数日後、スウィニー家についての調査結果が届いた。
スウィニー家も何代か前に事業を始めたものの、あまり上手くいっていなかった。そのため、先代の伯爵は金銭的な援助と事業への支援を求めてキャンベル男爵家の令嬢フィオナを息子アイザックの妻に迎えた。
アイザックはスウィニー伯爵家の嫡男としてその結婚を受け入れた。しかし、アイザックが密かに交際していたベロニカ・グリント子爵令嬢は彼からの別れ話に耳を貸さなかった。
ベロニカにしてみれば、自分より劣るはずの成金男爵令嬢に伯爵夫人の座を奪われたことが面白くなかったのだ。
結局、アイザックはフィオナと結婚してからもベロニカを切ることができず、それどころか彼女との間に子どもまで成した。
未婚のまま身籠ってグリント家から追い出されたベロニカのためにアイザックは家を用意し、そこでベロニカは娘イザベルを産んだ。
ベロニカの暮らした家は、平民の中でもそれなりの稼ぎがある者が住むくらいの家だった。通いのメイドもいて、ベロニカは家事も外での仕事もする必要はなかった。
始めのうちこそ、アイザックはベロニカを隠そうとしていたらしく、母娘はひっそりと暮らしていた。しかし、アイザックがスウィニー伯爵を継いだ頃からベロニカの生活は派手になっていった。
アイザックはベロニカや成長したイザベルが望むままにドレスや宝飾品などを与えた。アイザックはフィオナやセアラのために使うべきキャンベル家からの援助金を、ベロニカやイザベルのために使っていたのだ。
しかし、それでもベロニカはフィオナを恨み続け、そんな母親に育てられたイザベルもセアラを憎んだ。
フィオナが亡くなり、後妻としてスウィニー伯爵家に迎えられてからも……。
しばらくして、キャンベル男爵から都に戻ったと連絡があった。私は宮廷での仕事を抜けさせてもらい、男爵の屋敷を訪ねた。
セアラを伴わなかったのは、スウィニー家のこともあって念のため警戒したからだ。
キャンベル家の屋敷は外から見れば男爵家らしい小さな屋敷だが、内装は豪奢で成金と言われるだけのことはあった。
デニス・キャンベル男爵も貴族というより商人というほうがしっくりくる雰囲気だ。
「セアラはコーウェン家にいると聞きましたが、どんな様子なのでしょう? 元気でやっていますか?」
「はい、ご心配には及びません」
「スウィニー伯爵からはフィオナが亡くなってセアラが心を病んでしまったので、領地で静養させていると説明されていたのです。伯爵が愛人と再婚したことも考え合わせれば納得はできませんでしたが、屋敷に乗り込むわけにもいきませんし」
キャンベル男爵は苦々しい表情を浮かべた。
「そのうえ、セアラの婿にするはずの男を愛人の娘と婚約させたとあっては、黙っていることはできませんでした」
キャンベル男爵がスウィニー家に対して何をしたかといえば、20年近く続けていた援助を打ち切り、今までの援助の一部を返還するよう求めることだった。
こうして、スウィニー伯爵は借金を背負うことになったのだ。
もっとも、正当な理由なくしてキャンベル家の血筋を引く者がスウィニー伯爵家の跡取りから外された場合キャンベル家にその権利を認める、というのはセアラの両親が婚約した時に両家の当主ーーセアラのふたりの祖父の間で交わされた約定の1つだったそうだ。
現スウィニー伯爵はそれを知らなかったのか、それともセアラが病んだという嘘が正当な理由としてまかり通ると思っていたのか。どちらにせよ自業自得だろう。
ちなみに、セアラの話していた質が良く高価そうな母上の持ち物というのはキャンベル前男爵が娘のために用意した嫁入り道具だった。前男爵はいつか他家に嫁ぐ娘に、貴族の娘としての礼儀作法や教養をしっかり学ばせてもいた。
さらに、薬代や治療費などは現キャンベル男爵が妹のためにと、援助とは別に出していたらしい。
「母親思いの可愛い姪がどうしているか心配していましたが、安心しました。フィオナも同じでしょう」
キャンベル男爵の浮かべた笑みに、この伯父は信用できると思った。
私はキャンベル家を出ると、そのままスウィニー家に向かった。最初の訪問から10日ほどたっていた。
今回も伯爵に迎えられ、促されるまま応接間で向かい合った。
「以前、頼まれた援助の件なのですが」
挨拶もそこそこに私が本題を切り出すと、伯爵が身を乗り出した。キャンベル男爵のようにセアラの様子を尋ねる素振りもない。
「借金はいくらほどで、債権者はどなたなのですか?」
「は?」
「先にそちらを片付けたほうが良いでしょう。それから私の印象を言わせていただくと、スウィニー家の暮らしぶりはとても借金を抱える家のものとは思えません。出費を抑えなければ、今後も借金が増えるばかりです。改善策はお考えですか?」
「急にそう言われましても……」
「夫人によれば借金はセアラの母上が原因だというお話でしたから、前々からあったはずです。それならば急ということはないと思いますが、何の対応策もないのですか?」
「それは……」
徐々に伯爵の顔が青くなってきた。
「もう結構です。時間の無駄ですから私から申し上げましょう。借金の債権者はドレスの仕立て屋、アクセサリー店、家具店など。すべてこの1年ほどに購入した商品の支払いができていないためのものですね。支払いが滞っていることはすでに他店にも知られているでしょうから、しばらく新たな買い物はできないでしょう。これ以上、借金が増えないのは幸いです。返済のためには、まず屋敷の使用人を減らすこと。それから、ドレスや宝飾品、美術品などを売却すること」
「そんなことをしては伯爵家としての体裁が保てません」
私は大きな溜息を吐いてみせた。
「私が言ったのは贅沢をやめて、収入に見合った暮らしをすべきという当たり前のことです。使用人が減る分は、夫人や令嬢が働けばいいでしょう。それに、おふたりはあちこちの社交に顔を出しておられたようですが、それを最小限にすればドレスや宝飾品は不要になります。そもそも令嬢の行動が様々な場所で問題視されているとお聞きしました。送られてくる招待状もずいぶん少なくなったのでは?」
「イザベルには貴族の娘らしい教育を施してやれなかったので」
「ええ、これは親の怠慢です。それこそ1年前に気づくべきでした。その気になれば礼儀作法くらい母親が教えられたはずです。話を戻しますが、最大の債権者はキャンベル男爵だそうですね。男爵にお会いしましたが、ずいぶんご立腹でした。まあ、当然でしょう。私がスウィニー家の借金の肩代わりを申し出たところ、きっぱり断られました。どれだけ時間がかかってもスウィニー伯爵に返してもらわなければ意味がないから、と」
キャンベル男爵に借金はいくらなのかは聞かなかったが、スウィニー伯爵は汲々としても、男爵には大して痛くもない額なのだろう。
「それで、我が家への援助は?」
「するつもりはありません」
私がきっぱり言うと、伯爵は声を荒げた。
「なっ……。それでは話が違うではありませんか」
「スウィニー家の借金は夫人と令嬢の身の丈に合わぬ贅沢が原因だった。それなのに責任を亡くなったセアラの母上に押しつけて援助を求めるなど、恥ずかしくはないのですか? むしろ、あなた方がセアラにしたことを考えれば、一切の縁を切るべきだと私は思っているのですが」
「セアラがあなたに何を話したのか知りませんが、先日も言いましたようにあの娘には虚言癖があるのです」
「セアラの話はすべて嘘、ですか? それなら、セアラの部屋を見せていただけますか?」
「その、セアラの部屋は片付けてしまいまして、もう何も残っていないのです」
「ずいぶん早いですね」
「必要なものはすべてコーウェン家で用意していただけるということだったので……」
その時、音を立てて扉が開き、令嬢が応接間に入って来た。後ろには夫人の姿もあった。
今日はこういうこともあるだろうと予想していたので、驚きはない。
「ノア様、まだわかりませんの? 悪いのはすべてセアラです」
私はふたりを一瞥しただけで、再び視線を伯爵に向けた。
「それでも、セアラが手元に置きたいものは引き取るのが当然です。例えば、お母上の形見や学園での思い出の品などは、いくら我が家でも用意してあげられませんから。それさえセアラに何も言わず処分するとは、ずいぶん乱暴ではないですか?」
「私も知らないうちに妻と娘が勝手にしたことで……」
「あの娘が偉そうで生意気だからよ」
「セアラの持ち物だって伯爵の財産です。それを知らないうちに処分されるなんて、それこそ大問題ではありませんか。このまま放置なさるのですか?」
「い、いえ……」
「ずっとセアラばかり伯爵令嬢を名乗っていたことだって不公平ですわ」
私は早々に無視することを諦めた。やはり、この女の声は耳障りだ。
「あなたたちが日陰の身だったのはすべて伯爵の責任であって、セアラや母上のせいではありません。……あなたは自分が学園に通えなかったからとセアラの制服を切り裂いたそうですが、学園の入学資格はご存知ですか? 『14歳以上の貴族の子女、あるいはそれに準ずると認められる者』。つまり平民だろうが私生児だろうが貴族の後見人を得れば入学できるということです。実際、各学年に数人はそういう生徒が在籍しています。あなたに後見人を探す労を惜しんだのは伯爵でしょう」
令嬢は私の話を理解しているのかどうかあやしいところだが、続けることにする。
「だいたい、そんなに学園に行きたいなら今からでも入学すればいい。正式な伯爵令嬢になれたのだから簡単なことでしょう」
「私に5つも6つも歳下の人たちの中に入れと仰るの?」
「学ぶのに周囲は関係ないでしょう。どうせ社交界でのあなたの評判は最悪なのだから、それを知らない人たちのほうが良いのでは? もっとも、学園は問題のある生徒を退学にできますから、あなたが卒業できるかはわかりませんが」
この令嬢が学問をしたいわけでないことはわかっている。伯爵が学園に通わせる代わりに雇った家庭教師は、3日と経たずに辞めさせられているのだ。
「そもそも、あなたたちの生活はセアラの母上の実家からの援助で成り立っていた。それが不自然なことだったんです。今後は他力本願な考えは捨ててください」
セアラを屋敷から追い出さずに使用人として働かせていたのは、キャンベル家からの援助を今までどおり受け取るため。
だが、セアラではなく異母姉を跡取りとしたことでキャンベル家に援助を打ち切られ、後妻は邪魔なだけの存在となったセアラを追い出すことにした。
ここで普通なら、セアラを金持ちの家に嫁がせてそこから新たな援助を得ることを考えそうなものだが、後妻や異母姉はそうして再びセアラが自分たちより良い暮らしをすることになるかもしれないのが許せなかったに違いない。
本当にくだらない矜持だが、おかげで今セアラは私のもとにいるわけだ。
「私とセアラがこちらに伺うことは2度とありません。失礼します」
その言葉を最後に、私はスウィニー家を後にした。




