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13 彼女を外へ(ノア)

 使用人たちへの挨拶が済むと、私たちは早々にスウィニー家を後にした。


 婚約者の生家を初めて訪れたのだから、本来ならそこで暮らしていた頃の思い出話でも聞きながら、部屋や庭くらいは案内してもらうものだろう。

 だが、生まれ育った場所から様変わりしているであろう屋敷に、セアラを長居させるつもりはなかった。スウィニー家に行きたいと言ったのはセアラだが、彼女は帰省を望んでいたわけではない。


 馬車に戻ったセアラは、ホッとした様子を見せた。


「ありがとうございました。これで実家に心残りはなくなりました」


 セアラは普段と変わらぬ穏やかな表情で言った。冷静に考えれば、哀しい言葉だ。


 スウィニー家の使用人たちのほとんどは、セアラとの別れを寂しく思いながらも、彼女の新しい生活を喜んでいるようだった。この1年、セアラが虐げられていたのを忸怩たる思いで見ていたのだろう。

 セアラは間違いなく、スウィニー家の使用人たちにとって愛すべきお嬢様だったのだ。


 私は彼らに約束したことを思い出しながら、セアラの肩を抱き寄せた。セアラは落ち着かなげに身を捩った。向かいにいるコリンやケイトを気にしているのだろう。

 それでも、私に離れる気がないとわかったのか、すぐにセアラの体から力が抜けた。

 セアラは私との触れ合いになかなか慣れないようで、いつも顔を赤らめる。私がその顔を見たくてますますセアラに近づきたくなることには気づいていない。


 労いの意味も込めてセアラの頭を撫でたいところだったが、ケイトがきっちり纏めてくれたものを乱すのは控え、代わりに頭頂部に短く口づけてから言った。


「もっと新しい使用人が多いのかと思っていた」


 長年セアラの母上に仕えていた者たちは、継母や異母姉にとっては煩わしい存在で、だから自分たちの意のままになる使用人に入れ替えているだろう、と。


「母や私に付いてくれていたメイドたちは解雇されてしまいましたが、あとはほとんどそのまま残っています。継母や異母姉は当たりが強いですし、新しく雇われて継母たちに付いている者たちに大きな顔をされて嫌な思いもしているでしょうに、黙って今までどおりに働いてくれているんです」


 セアラが申し訳なさそうに言った。

 使用人たちの行動はセアラを守るためだったのだろう。スウィニー家が働きづらい職場になろうとも、彼らはセアラを放って逃げることができなかったのだ。

 逆に言えば、セアラの安全が確保された今、この先はどうなるかわからないということだ。


「彼らの目に、私はセアラを任せるに値する男として映ったかな?」


「もちろんです。皆、安心していました」


「それなら良かった」


 私を信頼してくれれば、使用人たちが挙って主人一家を見限り辞めることもありうる。

 長く勤めていた者が一度にいなくなれば、スウィニー家を今と変わらず維持することは難しくなるだろう。伯爵がそのことを理解して彼らの気持ちを引き留めるべく努力するなら良いが、果たしてあの妻と娘を窘められるのかどうか。

 もちろん、使用人が勝手に仕事を辞めたりすれば次の職探しが困難になる可能性が高いが、セアラが認める使用人ならコーウェン家がそのあたりの手助けをするくらい吝かではない。


 それにしても、金に困っているならまずは人減らしをしそうなものだが、やはりスウィニー家はそれもしていないらしい。


 スウィニー家の家格は伯爵家の中ではそれほど高くない。同じ伯爵位でも、我が母上の実家であるバートン家のほうが上だ。

 その両家の差以上に屋敷の規模には違いがあるし、家族の人数もバートン家のほうがずっと多い。しかし、使用人の数にはあまり差がないようだった。

 屋敷や庭も、見えた限りではきちんと手入れが行き届いていた。


 その一方で、別れる間際に伯爵が何か物足りなそうな表情を浮かべていたのは、私が一言も援助の件に触れなかったためだろう。

 だが、今日の私にはスウィニー家でそんな話をして時間を無駄に費やすつもりはこれっぽっちもなかった。




 馬車は再び大通りへと戻ってきた。昼近くなり、先ほどより人出が増えていた。


「ノア様、もうドレスは要りませんよ」


 馬車が停まると、セアラは警戒するように言った。先日の母上を真似てか眉間に皺を寄せているが、セアラがやっても可愛いだけだ。


「いや、食事だ。そこのレストランを予約してある」


「レストラン……」


 ポツリと呟いた様子から興味を引けたらしい。レストランでの食事も経験がないのかもしれない。

 正直に言って、どんな一流店でも料理人の腕で我が家に勝るところはそうそうない。だがこの場合、大切なのは雰囲気だ。


「食事はデートの基本だからな」


「デート、なんですか?」


 セアラが目を見開いた。なぜ、そこでそんなに驚くんだ。アリスとメイだってそう言っていたのに。


「婚約中の男女が一緒に出掛けることをデートと言わずに何と言うんだ」


「私が実家に行くのを付き合っていただいただけだと思っていました」


「先に買い物もしただろう」


「外出したついでかと」


「婚約して初めての週末で、土曜は姉上たちが来る予定になっていたから、日曜にセアラとふたりで出掛けることは私の中ではとっくに決定事項だった。スウィニー家のほうがついでだ」


 私が仕事で宮廷にいる平日、セアラは屋敷で母上やロッティと過ごしていた。アリスやメイとも一緒にお茶を飲んだりしていたようだ。

 対して、私がセアラと過ごせた時間は短い。ふたりでとなればさらに微々たるものだった。

 この数日でセアラが徐々に私の家族と馴染んできたことは喜ばしいが、私を差し置いて、というのは面白くなかった。

 だからこそ、休日くらいはと考えていたのだ。


 さらに言えば、想像以上に世間知らずなセアラを外に連れ出して色々なことを経験させたいとも思っていた。

 屋敷に閉じ込められていたこの1年だけでなくそれ以前も、セアラはあまり外出をしていなかったらしい。病弱だった母上の傍にいるためだろう。

 伯爵は娘が屋敷に籠もりがちなことを知ってか知らずか、そのままの状態で放置していたわけだ。


「それならあらかじめ言っておいてください」


 どうやら、またも私は言葉足らずだったようだ。


「悪かった。次からは必ずそうする。私とのデートは嫌だったか?」


 我ながら、狡い訊き方だ。ここでセアラが「嫌だ」などと答えるはずがない。


「そんなことはありません」


「それなら、今日はこのまま私と一緒に過ごしてくれるか?」


 手を差し出すと、セアラは私を焦らすことなく彼女の手を重ねてきた。


「ノア様が望んでくださるなら」


 セアラは違うのかと喉元まで出かかった言葉は呑み込んだ。

 彼女にも心から望んでほしいのであって、無理矢理それを言わせたいわけではない。

 何より、セアラにまっすぐ見上げられると、その瞳に自分が映っていることが最重要という気持ちになる。少なくとも、今はそれで満足すべきだ。


 私はセアラの手をしっかり握ると、馬車を降りた。


 外食をほとんどしないので、そのレストランを訪れることは私も初めてだった。

 仕事の合間に同僚たちにお勧めの店を尋ねて、数人の口に上ったもっとも良さそうな店を選んだのだ。父上のおかげで私が婚約したことは知れ渡っていたので、同行者や目的を伝える必要もなかった。


 店は概ね聞いていたとおりだった。適度に落ち着いた空間に、礼儀正しい店員たち、そして値段に見合った料理。

 個室なので、店員が給仕に来る以外はふたりきり、セアラと向かい合っての食事も初めてだ。


「そんな風に食べているところをジッと見られるのは恥ずかしいです」


「恥ずかしがることはない。セアラの食事の所作は綺麗だ」


「それを言うなら、ノア様のほうが」


「母上がきっちり躾けてくださったからな。セアラも同じだろう?」


「はい。でも、コーウェン家はお父様も素晴らしいです」


 セアラの言葉の意味を理解して、思わず笑ってしまった。

 どんなに眠そうな顔で朝食の席に現れようとも、父上の食事作法は完璧だ。あれもおそらくはお祖母様の躾の賜物なのだろう。




 食事を終えてレストランを出ると、セアラに告げた。


「ここからは少し歩くが、足が辛かったら我慢せずにすぐ言えよ」


 これを見越して踵の低い靴を選んだのだが、心配だった。


 セアラはこくりと頷いた。


「次はどちらへ行くのですか?」


「靴屋だ」


「……はい? 靴ももう買っていただきましたが」


「セアラの足にしっかり合うものを作る。いつもは屋敷に来てもらうんだが、店がすぐそこだから」


 そうして、馴染みの靴屋で店主にセアラの足型を採ってもらい、とりあえず1足注文した。

 さらに、その近くのやはり馴染みの帽子屋にも足を運んだ。


 それから、雑貨屋。

 私にはよくわからない場所だが、女性は好むと聞いた。「女性が喜ぶのはドレスや宝石みたいに高価なものばかりじゃないんだよ」とは、数日前、宮廷に向かう馬車の中での父上の言だ。

 実際、妹たちばかりか母上の部屋にもこういう店で買い求めたものが置かれている。


 店内は賑わっているが、客のほとんどが女性だった。セアラを窺えば、店内を見つめる瞳が幾分輝いていた。


「どれでも好きなものを選べ」


 私がそう言うと、セアラは商品の並ぶ棚をじっくりと眺めはじめた。時おり、商品をそっと手に取ってはまた棚に戻す。

 うさぎの人形、花柄模様の小物入れ、ピンク色のペン、緑色の髪飾り、ユニコーンの置物、木彫りの林檎、妖精が踊るオルゴール……。


 どんどん悩ましげな顔になっていったセアラが最後に手にしたのは、ユニコーンだった。


「気になったものは全部買えば良いのに」


 私の言葉にセアラは大きく首を振った。


「そんなに要りません。これをノア様との初デートの記念にします。ちょうどお祖母様にお借りして読んでいる物語にユニコーンが出てきたんです」


 セアラはドレスを選んだ時と同じくらい嬉しそうに笑った。


「ここの隣は本屋だ。そちらにも寄ろう」


「よろしいのですか? ありがとうございます」


 雑貨屋に続き、セアラは本屋の棚も熱心に見つめていたが、やはり彼女は1冊しか選ばなかった。




 本屋からは馬車で少しだけ移動した。


 目的地のカフェに着くと、セアラが店の看板を見上げて不思議そうに言った。


「この名前、確かノア様がお好きなガトーショコラのお店?」


「覚えていたのか。ここはケーキを買って持ち帰ることもできるが、本来はカフェなんだ」


 席に案内されて、メニューをセアラに見せる。


「ガトーショコラ以外にもたくさんあるのですね」


「ああ。ゆっくり悩め」


「いえ、ガトーショコラにします」


「飲み物はどうする? 私はここではいつもコーヒーを頼むが」


「では、私も同じものを」


 ふたり分のガトーショコラとコーヒーはすぐに運ばれてきた。


「いただきます」


 セアラが期待溢れる表情でガトーショコラにフォークを入れる様子を、私はカップを口に運びながら見守った。


「美味しい」


 セアラは嘆息混じりに呟いてから、今度はコーヒーを口に含んだ。途端に目が見開かれた。


「苦っ」


 私は笑い出しそうになるのを堪えた。


「やはりコーヒーも初めてか」


 私はセアラのカップに、添えられていた砂糖とミルクを入れてやった。


「ほら、これで飲んでみろ」


 セアラは恐る恐るカップに口をつけた。


「あ、大丈夫です。でもこれ、ノア様と同じものですよね?」


「私も砂糖やミルクを入れて飲む時もあるぞ」


「そう、ですか」


 セアラはいまいち納得できないという顔で、コーヒーを飲む私を窺っていた。


「私の分も食べるか? 別のケーキを追加で頼んでもいいぞ」


「子ども扱いしないでください」


「私がセアラを甘やかしたいのは婚約者だからだ」


 私がそう言うと、セアラは恥ずかしそうに俯いてしまった。


「ケーキを追加するよりも、ご家族にお土産を買ってください」


「わかった。そうしよう」

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