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12 ふたりで初めての外出

 翌日、私はお父様にいただいたドレスの中から、初めて外出用の青色のものを選んで袖を通した。

 化粧も施され、髪の毛はハーフアップ。上に羽織るこれまた真新しい白いコートも手にした。

 客間まで迎えに来てくださったノア様は眩しいものでも見るような表情で私を見つめた。


「今回もケイトが上手に化かしてくれました」


 恥ずかしくてわざとおどけてみせると、ノア様は気まずそうに眉を顰めた。


「あれは、反省している」


 何を反省するのかと、私は首を傾げた。


「あの時のセアラは文句なしに可愛いかった。もちろん今も。大勢に見せびらかしたい」


 思いがけずノア様の口から「可愛い」などという言葉が出てきて、私は慌てた。


「ずいぶん大仰ですね」


「本当のことだ」


 ノア様はいたって真面目な表情だった。


「ノア様こそとっても素敵です」


 ノア様も外出着を纏っていた。普段の宮廷服よりも堅苦しさがなくて軽やかだけど品がある。


 わざわざご家族が総出で見送ってくださった。

 実家に行くことはお話していたので、お父様とロッティは少し心配そうな表情を浮かべていた。アリスとメイは「初デート楽しんで来て」とニコニコしながら手を振ってくれた。

 いつもどおりのお母様に「行ってらっしゃい」と言われて、「行ってまいります」と返した。




 ノア様とともに馬車に乗り込み、並んで腰を下ろした。座り心地がとても良い。

 コーウェン家の夜会に連れて来られた時にはスウィニー家の馬車の座席の隅で小さくなっていたな、とぼんやり思った。

 あの日以来で実家に行くのはかなり気が重いのだが、ノア様が一緒なので不安はなかった。


「いつの間にかロッティたちとは名前を呼び捨てにしあっているんだな」


 ノア様が帰宅直後のように不機嫌そうな声で言った。


「ロッティに妹なのだからそうしてほしいと言われたので、それなら私のことも『セアラ』でとお願いしたのですが、いけませんでしたか?」


 ノア様がこんなことに許可を求めるなんて思いもしなかったのだが。


「別にいけないわけではないが、私が『ノア』と呼べと言った時にはすぐ断っただろ」


 私は目を瞬いた。


「いつのことですか?」


「覚えてないのか? 夜会でセアラの異母姉を見つけた時だ」


 言われて思い出した。「コーウェン公爵子息」と呼んだら恐い顔で睨まれたのだ。


「あの時は、まだ嘘の婚約だと思っていたので」


「今は本物の婚約者だ」


 ノア様が間近から訴えるようにジッと見つめてくる。


「もう少し、待ってください」


「そんなに難しいことは要求していないと思うが」


「そうかもしれませんが、ロッティたちとは違って心の準備が必要で……」


 私は助けを求めて向かいに座るケイトとコリンを見たけれど、ふたりはそれぞれ我関せずといった顔で窓の外に視線を向けていた。


「セアラ」


 名前を呼ばれると同時に、ノア様の手が伸びてきて私の顔をノア様のほうへと向けさせた。

 ノア様は、柔らかく笑っていた。


「そんな顔をされては仕方ないな。待ってやる」


 私は今どんな顔をしているのだろう。ノア様に撫でられる頬が熱かった。




 そうこうしているうちに、馬車が停まった。


 ノア様に手を取られて馬車を降りたが、外の景色には見覚えがなかった。様々な店舗の並ぶ街中の大通りのようだ。


「あの……?」


 私は戸惑ってノア様を見上げた。


「まずは買い物だ」


 そう言ってノア様はすぐ傍のお店の入口へと向かった。看板を見れば、女性用の服飾店だった。


「こちらで何を買うのですか?」


「セアラのドレスに決まっているだろう」


「ドレスならもうたくさんいただきました」


「父上からな」


 中に入ると、「いらっしゃいませ」という明るい女性の声に迎えられた。店内も装飾が華やかで明るい。

 こういうお店で買い物をしたことのない私は気後れしそうになるが、ノア様は慣れた様子で足を進めていった。


「まあ、コーウェン公爵子息、お久しぶりにございます。先日は公爵にもお越しいただきました。何でも、ご婚約なさったとか」


「ああ。彼女が婚約者のセアラだ」


「やはりそうでございましたか。おめでとうございます」


 にっこりと笑った店員に向かい、私も「よろしく」と微笑んで軽く頭を下げた。


 挨拶が済むと女性店員は隅へと退がり、ノア様は私を連れてずらりと並ぶドレスのほうへと向かった。


「ノア様はこういうお買い物はお好きでないのでは?」


 店員には聞こえぬよう尋ねると、ノア様は真剣な顔つきでドレスを眺めながら答えた。


「父上の誘いを断ったのはそういうことではない。父上は昼休みの時間だけで、その場にいない相手に完璧に合うドレスを10着も探し出してしまうような方なんだぞ。私が一緒にいても役に立たないどころか足手まといになるだけだ。だが、私にだって自分で選んだドレスをセアラに着せたいという欲求くらいある」


「欲求、ですか?」


「セアラに似合うドレスであるのはもちろんだが、私の好みも反映できるのだから、欲求だろ」


「はあ」


 会話をしつつもノア様は何着かのドレスを私の体に合わせていき、そこからさらに絞った数着を私に試着させた。

 その中でノア様が一目見るなり「これだな」と購入を決めたのは、臙脂色のドレスだった。


 私は顔立ちから実年齢より下に見られることが多くて、いつも母やメイドが選んでくれていたドレスも子どもっぽいものばかりだった。

 先日お父様にいただいたドレスも、どちらかといえば可愛いらしいものがほとんどだ。


 それに比べてこのドレスはちょっと大人っぽい感じだった。もうすぐ結婚するのだしこんなドレスを着てみたいという憧れがあったので、ノア様がそういうものを選んでくれて気分が高揚した。でも、ちょっとだけ照れ臭くもある。


「本当にこれで大丈夫ですか?」


「セアラの好みではないか?」


「すごく好みなのですが、私が着ると子どもが無理して背伸びしているように見えませんか?」


 ノア様はフッと笑った。


「セアラは確かに童顔だが、子どもではないだろ。父上は娘には子どものままでいてほしくてああいう感じのドレスを選びがちなんだ。そのドレスもセアラによく似合う」


 ノア様の言葉でホッとして、私は改めて姿見を覗いた。自然と頬が緩んだ。

 隣に並んだノア様が、鏡の中の私を見つめて満足げに頷いた。




 ノア様はさらにドレスに合う靴とケープ、髪飾りまで選んでくれて、私は臙脂色のドレスでお店を出た。


 馬車に乗って座席に座ると、ノア様は私の手を握ったまま軽い調子で言った。


「さて、行くか」


 それで、今度こそ実家に向かうのだと理解した。一気に緊張感が高まる。

 だけど視線を感じて隣を見れば、ノア様は何だか嬉しそうに私を見つめていた。


「父上のドレスも良いが、自分で選んだものを着ている姿は特別なんだな。父上の気持ちがやっとわかった気がする。ロッティに言われたとおり、足手まといでも一緒に行くべきだった」


 私の中で高まっていたはずの緊張感があっという間に緩んでしまった。


「そういえば、ノア様のご衣装はどなたが選んでいるのですか?」


「父上だ。私の希望や母上の意見に耳を傾けてくださるが、基本的にはすべてお任せしている」


「お父様の感覚を信頼しているのですね」


「ああ」


 ノア様は少しだけ子どもの顔になった。




 スウィニー家の屋敷はコーウェン家に比べるとずいぶん小さいが、ほんの少し前まで、ここが私の世界のすべてだった。

 あの日ここを出る時には、自分がその世界から解放されるとは想像もしていなかった。ましてや、婚約者にエスコートされて戻って来るなんて。


「お越しいただきありがとうございます、コーウェン次期公爵」


 硬い表情の父に対し、ノア様は気負う様子もなく応じた。


「訪問をお許しいただき感謝いたします、スウィニー伯爵」


「元気そうだな、セアラ」


 父は値踏みするような目で私を見ていた。コーウェン家での私の暮らしぶりを測ったのだろうか。


「はい。ノア様とご家族の皆様のおかげでございます」


 私の態度は他人行儀なものになった。


 父はノア様との約束を違えなかったようで、継母と異母姉の姿は見えなかった。

 父とともに私たちを出迎えた老執事とメイド長は、安堵したような笑顔を浮かべた。ふたりとも私が生まれる前からスウィニー家で働いている。


「応接間にどうぞ」


「いえ、あまり時間がないので伺った目的だけ済ませたらすぐにお暇します。とりあえず、こちらをお返しいたします」


 ノア様はケイトが運んできた箱を受け取って、父へと差し出した。訝しむ表情の父に、ノア様が言った。


「セアラが夜会で最初に着ていたドレスです」


 正確には、ドレス以外にも私が夜会の時にスウィニー家から身につけて行ったもの一式が箱の中に収められていた。首飾り、靴、さらには下着まで。

 事前にノア様から聞かされた時には、ダークネイビーのドレスのことなどすっかり忘れていたし、下着までと言われて驚いた。

 だけど、こうすることが「必要なものはすべてこちらで用意する」と宣言したノア様にとってのけじめであり、同時に私にとっては父たちへの意趣返しになるのだろう。


「わざわざお持ちいただきありがとうございます」


「いえ。セアラにはもはや不要なものですが、伯爵に無断で処分するわけにはいきませんので」


 あるいは、私の持ち物をすべて処分したことへの非難にも。


 ノア様はお顔に笑みを貼りつけているけれど、お腹の中には父に言いたいことがたくさんあるのだと思う。私がノア様の前で父への恨み言を漏らしてしまったから。

 それでも何も言わず慇懃に振る舞っているのも、やはり私の気持ちを慮ってくださってのことに違いない。


「それから、セアラがこちらの使用人たちに挨拶をしたいそうなのです。仕事中のところを申し訳ありませんが、できるだけ集めていただけますか?」


「はい。すぐに」


 父は老執事とメイド長に命じて、他の使用人たちを私たちの前に集めた。といっても、やはりコーウェン家に比べればずっと少ない。

 皆が老執事やメイド長と同じような反応をして、私との再会を喜んでくれた。後方で強張った顔をしているのは、継母や異母姉に近い者たちだ。


 夜会に出かけた私が帰宅しなかった理由を、父たちは彼らにきちんと説明していなかったようで、私の隣に立つ貴公子を皆が気にしていた。


「皆に心配をかけてしまったみたいでごめんなさい。本当に突然なのだけど、私はこちらのノア・コーウェン様と婚約しました。今はコーウェン家のお屋敷でお世話になっています」


 国内屈指の公爵家の名は当然彼らも知っていたようで、使用人たちから驚きの声があがった。


「ノア様やご家族にはとても良くしていただいているのでどうか安心して。皆、今まで私を支えてくれてどうもありがとう」


 皆に向かって頭を下げてから隣のノア様を見上げると、ノア様は小さく頷いてから使用人たちに向き合った。


「あなた方には、私からも感謝を伝えたい。今後は私がセアラを守り大切にすると約束しよう」


 使用人たちの間から、「おめでとうございます」の言葉とともに拍手が起こった。

 その中で、私はノア様と笑みを交わした。

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