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10 夜の過ごし方

「ノア、セアラ、婚約おめでとう」


 そんな公爵の言葉で始まった夕食も、和気藹々とした雰囲気で進んだ。朝食の席と違うのは、会話の中心に公爵がいらっしゃることだ。

 公爵はご自身でもお話しなさる一方、お子様方やご夫人のお話には熱心に耳を傾けていた。

 私も問われるまま、先ほどノア様にしたのと同じようなことをお話しした。


「ノア、セアラのドレスどう?」


「まるでセアラのために誂えたようですね」


 ノア様の即答に公爵は誇らしげな笑みを浮かべられたが、ロッティ様は眉を顰めた。


「ノア、セアラ様のドレスをすべてお父様にお任せしていいの? ノアも一緒にお買い物に行けば良かったのに」


「父上とふたりでドレスを買いに行っても、私の出る幕はないだろ」


「それは否定できないけど」


「私は私のやり方でセアラを大切にするから安心しろ」


「それで良いのよ。ノアとお父様は違うのだから」


 公爵夫人の言葉もあってロッティ様は納得されたようだったが、私のせいで兄妹仲が抉れないかと冷や冷やする。


「大丈夫ですよ。ノアとロッティはいつもあんな感じですから。ロッティはああ見えてノアを信頼しているんです」


 隣のアリス様が私にだけ聞こえるよう囁いてくれたので、ホッとして彼女と微笑みあった。




 夕食後、皆様とともに居間に移動した。

 ここでもノア様の隣に座ると、公爵が綺麗な箱の蓋を開けて私のほうへと差し出した。


『チョコレート好き?』


 箱の中にはこれまた美しいチョコレートが並んでいた。

 だが、公爵の仰った言葉には咄嗟に首を傾げてしまった。なぜか隣国語に聞こえたから。


 公爵はもう一度、ゆっくりと言い直してくださった。


『チョコレート好き?』


 やはり隣国語だった。学園の授業で学んだので、簡単な会話なら私もできる。


『大好きです』


『それなら、食べて』


『いただきます』


 公爵は真っ先に私に勧めてくださったので、ひとりだけ食べるのは気が引けた。でも公爵は私が一口食べるのを待っているご様子だったので、手に取ったチョコレートを思いきって口に運んだ。

 濃厚な甘みが口の中に広がった。


『美味しいです』


『気に入ったなら良かった。このチョコレートは宮廷近くのお店のものだよ。メリーが好きだから昨日の夜会の前に買って来たんだ。たくさん食べて』


 公爵がテーブルの真ん中にチョコレートの箱を置くと、ロッティ様、アリス様、メイ様が一斉に手を伸ばした。それからノア様、公爵夫人、最後に公爵。


『まったくセディったら、夜会の準備のためにお仕事を休ませてもらっていたのに、メイとチョコレートを買いに行ってしまうんだから』


『だって、クレアやトニーや皆がいれば準備は問題ないでしょう。家にいると挨拶のことばかり考えて緊張しちゃうし』


『まあ、確かに昨夜の挨拶はとっても滑らかだったわね』


『父上、すごく格好良かった』


『本当? ありがとう、メイ』


『どうして夜会に出ていないメイがお父様の挨拶を知っているのよ』


『あ、ええと、想像?』


『またこっそり覗いていたのね』


 ノア様だけでなく公爵も隣国への留学経験があると昼に聞いたけれど、他の皆様の口からもスラスラと隣国語が出てくる。

 呆気にとられている私に、ノア様が言った。


『夕食後に居間で過ごす間は隣国語を話すのが我が家の決まりだ。と言っても、特に罰があるわけではないが』


 ゆっくり、時には繰り返し説明してもらって理解できたところによると、これはノア様が留学を希望して公爵から隣国語を教えてもらうようになってから初めたことだった。

 最初は公爵とノア様の間だけだったがすぐに他のご家族も加わり、ノア様が留学しさらに帰国してからもそのまま続いているのだそう。

 ちなみに、公爵は日常会話程度なら近隣諸国のほとんどの言語で可能なのだとか。


『ねえ、セアラはお菓子は他に何が好き? どこか好きなお店とかはある?』


『お店はあまり知らないのですが、チーズケーキやアップルパイが好きです』


 好きなのは間違いないが、咄嗟に名前の出てきたお菓子がその2つだけだった。私はお菓子の種類もあまり知らないのだ。


『アップルパイはうちの料理人のが絶品ですよ。近いうちに作ってもらいましょう』


『チーズケーキはいくつか良いお店を知ってるから、今度買って来るね』


『お父様は美味しいお菓子のお店をたくさんご存知なんですよ』


 ご家族の誰はどこのお店の何が好き、と公爵は一通り教えてくださった。

 ノア様はガトーショコラがお好きなのだそうだけど、私は食べたことがない。


『チョコレートにチーズケーキ、アップルパイ、それから読書。他には何が好きなんだ?』


 ノア様が私の顔を覗き込むようにして訊いてきた。ご家族の前なのに距離が近すぎる。

 でも、私たちの向かい側のソファに座っていらっしゃる公爵夫妻の間にも距離などほぼなかった。私が気にしすぎなのだろうか。


『好きなもの……』


 視線を巡らせて考えてみたけれど、具体的なものが思い浮かばなかった。

 私が答えを出せずにいると、ノア様も考える風になった。


『そうだな……。まず、色は?』


『緑です。昨日から』


 ノア様が目を細めて笑うので、恥ずかしくなった。でも、本心だ。


『それなら、昨日までは?』


 私は再び悩んだ。私は何色が好きだったろうか?


『一番のお気に入りだったドレスは何色なの?』


 そう質問の形を変えてくださったのは公爵だ。おかげで頭の中が明瞭になった。

 私が持っていたドレスの数は決して多くなかった。その中で特に好んで着ていたのは……。


『ピンクです』


『なるほど、ピンクか』


 ノア様が納得するように2度頷いた。


『今日買ってきたドレスの中にもあるよ。それも気に入ると良いんだけど』


『次、花は?』


『花は、何でも好きですが……』


 実家の庭に咲いていた花をいくつか思い浮かべたもののどれも一番とは言い難く、つまらない答えになってしまった。


『まだ特別なものがないなら、これから私と見つけよう』


 ノア様がそう言ってくれるのが素直に嬉しかった。


『ところで、あれは何の花ですか?』


 私が示したのは、壁に架かった絵だった。実は昼に初めて居間に入った時から気になっていたものだ。

 その中で、画面一杯に描かれた何本もの木が可憐な白い花をつけている。


『林檎よ。領地にある林檎農園を描いてもらったの』


『林檎の花だったのですか。とても綺麗ですね。もしかして、今朝いただいた林檎もご領地のものですか?』


『ええ、そうよ。林檎は果実も美味しいけれど、満開の花は本当に素晴らしいの。時期が春だから領地まではなかなか見に行けないのだけど』


『少しでも気分を味わうために、お庭にも林檎の木を植えてあるんですよ。明日はそちらのほうを案内しますね』


『はい。よろしくお願いします』


 途中、私が言葉に詰まったり言い間違えたり、あるいは聞いた言葉の意味がわからなかったりするとノア様が助けてくれたので、私も最後まで皆様との会話を楽しむことができた。




 やがてこの国の言葉で「おやすみなさい」を交わしてから、ご家族はそれぞれのお部屋へと退がっていかれた。


 ノア様は、私と一緒に客間にいらっしゃった。

 ふたりでクローゼットに並んだドレスを一通り見てから、並んでソファに腰を下ろした。


「そう言えば、あの絵もご領地ですか?」


 私は客間の絵についてもノア様に尋ねてみた。こちらは雪を被った山の遠景だ。


「ああ。領主館から見える景色だ。やっぱり春だな」


「綺麗なところなのですね」


「ほぼ毎年、夏は領地で過ごすが、次の春にはふたりで行こう」


「でも、お仕事がありますよね?」


「結婚休暇が取れる」


 私は目を見開いた。結婚休暇を取るということは、当然、その前に結婚するということだ。


「春まで半年もありませんが」


「問題ない」


 ノア様が言うならそうなのだろう、と思うしかない。

 そんな短期間で次期公爵夫人に相応しい人間になれるのかは不安だ。

 でも、どこか鷹揚に構えている自分もいた。1日コーウェン家で過ごしただけで、ノア様だけでなくご家族も私を受け入れてくださっているという実感がある。


「家族って、こんなに違うものなのですね」


 唐突な私の呟きに、ノア様がこちらをじっと見つめた。


「継母と異母姉のことを別にしても、私の父はノア様のお父様とはまったく違いました。もちろん、1年前まで学園で学んだり、社交界デビューしたりと貴族の娘らしい生活をできていたのは父のおかげです。ドレスだって、私が強請れば買ってくれました。だけど、父が私のドレスを選んでくれることはなかったし、好きなものを聞かれたこともありません。いえ、まともに会話を交わしたことも、叱られた記憶さえないんです。それが私にとって当たり前でした」


 ノア様の表情が痛ましそうに歪んだ。私は、どんな顔をしているのだろう? きっと醜い。


「父は私に興味がなかったんです。異母姉には別の顔を見せていましたから」


 ノア様が私をそっと抱き寄せた。私はノア様の胸に乾いたままの顔を埋めた。

 こういうことにはまだ慣れないけれど、ノア様に背中を撫でられて乱れた気持ちが少しずつ凪いでいくのがわかった。


 しばらくしてから、私は顔を上げてノア様を見つめた。


「申し訳ありませんでした。家も家族もすべて捨ててノア様の手を取ったつもりだったのに、自分で思っていたよりも消化しきれていなかったみたいです。ここでノア様に対して吐き出すくらいなら、最後に父にぶつけるべきだったのに」


「いや、私こそ偉そうなことを言ってセアラの辛さを本当には理解できていなかったんだ。離れられればすべて忘れられるなんて簡単なものではないよな。いくらでも吐き出せばいい。今からでもスウィニー家を潰したいなら、そうしてやる」


 私は少しだけ考えて、首を振った。


「それは必要ありません。私はここで幸せになってあの人たちを見返すと決めましたから」


 私が笑ってみせると、ノア様も笑ってくれた。


「そうだったな。私がすべきことは、セアラが失ったより多くのものをあげて、セアラのために何でもすることだ」


「コーウェン家の一員にしてもらえただけで充分すぎるくらいです」


「まったく、セアラは欲がないな」


「ですが、実の父に対してこんな気持ちを抱えた私が、ここで家族だという顔をしても良いのでしょうか?」


「皆、すっかりセアラを家族として迎えたつもりでいるとわからなかったか?」


「いえ、とても伝わってきました。すごく嬉しかったです」


 気づけば、涙が溢れていた。ノア様が優しく頬を拭ってくれた。


「もう気づいたと思うが、父上は裏表のない方だ。私がセアラを選んだことを心から喜んでくださっている。他の皆も同じだ。だから、セアラも堂々と家族の顔をしていればいい」


「あんな素敵な両親と兄弟を持てるなんて、私は本当に幸運ですね」


「そう思ってくれるのは嬉しいが……」


 なぜかノア様は眉を寄せて、複雑そうな表情になった。


「セアラが一番好きなのは誰なんだ?」


 ノア様の問いに私は目を瞬いた。


「もちろんノア様です」


「それならいい」


 笑顔に戻ったノア様にもう一度、先ほどより強く抱きしめられた。




 翌朝、私は目を覚ますと恐る恐る扉のほうを見やったが、そこにノア様の姿はなかった。安堵してもう一度目を閉じ、ケイトの声が聞こえるまでしばし微睡んだ。


 この日はいただいたドレスの中からピンクのものを選んだ。


 食堂に行くと、まだアリス様しかいなかった。でも、私が席についてすぐにノア様とロッティ様、それからメイ様もやって来た。


 公爵が眠そうなお顔のまま黙々と朝食をとり、朗らかな公爵夫人が会話の中心にいらっしゃるのは前日と同じ。

 やはり朝食が終わる頃になってから、公爵は言葉を発した。


「セアラ、今日はそのドレスを着たんだね」


「はい。これも私のお気に入りになりそうです」


「それは良かった」


 公爵は満足げなお顔になった。


 朝食後は一旦ノア様のお部屋に行き、お見送りのために玄関ホールに出た。


 ノア様に抱き寄せられて「行ってくる」、「行ってらっしゃいませ」と交わしてから、やや緊張して公爵と向き合った。


「行ってらっしゃいませ、お父様」


 お父様は目を丸くした後で、にっこりと笑われた。


「行ってきます」


 馬車を見送ってから、「セアラ」と名を呼ばれて振り向いた。


「お昼にアップルパイを焼いてくれるそうよ。期待していて」


「はい、とても楽しみです、お母様」


 お母様の微笑みは、昨日よりもさらに柔らかく見えた。

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