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1 私の事情

よろしくお願いいたします。

 国内指折りの名家コーウェン公爵家の夜会は煌びやかで賑やかで、1年間も社交の場から遠ざかっていた私は、身の置き所なく会場の隅の隅に立っていた。


 おしどり夫婦と有名な公爵夫妻のもとには、大勢の方々が入れ替わり立ち替わり挨拶に伺っており、私の場所からではお姿が見えなかった。


 同年代の男性方とお話しなさりながらも、令嬢方の注目の的になっているのはコーウェン家のご嫡男。

 見た目が良いばかりでなく、留学していた隣国の名門校を首席で卒業し、帰国して宮廷で外交官になった優秀で将来有望な次期公爵なのにまだ婚約者がいないとなれば当たり前だ。


 コーウェン公爵のご令嬢方もその美しさをより引き立てる華やかなドレスに身を包み、夜会に花を添えていた。


 もちろん会場にいる方々は誰もがこの場に相応しく着飾っていた。

 私の知らない男性とダンスに興じている姉のイザベルは真紅のドレスだ。かなり派手だが、はっきりした顔立ちの姉には似合っていた。


 一方、私が纏っているのは姉から目立たぬようにと押しつけられたダークネイビーのドレスだった。

 アクセサリーは、ないよりはましという程度に陳腐な首飾りのみ。


 こんな格好でこの場に長居しては、逆に目立ちそうだ。知り合いに見つかって近況を聞かれたりしても面倒なことになる。

 予定より早いが、もう行こう。

 そう決意して、私はさりげなく会場を抜け出した。




 階段を上って2階に行くと、左右に長い長い廊下が伸びていた。広い広いお屋敷なので、大広間の喧騒は微かにしか届かなかった。

 夜会の真っ最中で使用人たちも忙しいのか、ここまで誰にも咎められることなく辿り着いてしまった。

 廊下には一定間隔でランプが灯されており、夜だというのに視界はかなり明るい。姉なりの配慮はまったく無駄だったわけだ。


 廊下にはいくつもの扉が並んでいた。どれが私の目的の場所なのか、そもそもこの中にそれが本当にあるのかさえわからない。

 だから私は自分の勘だけを頼りに適当に1つの扉を選ぶとそれを開き、そっと中を覗いた。そこにも明かりが灯っていた。

 雰囲気からして男性の部屋のようなので、違う。


 私は扉を閉めようとしたが、できなかった。後ろから伸びてきた手ががっちりと扉を抑えていたのだ。

 驚いて振り返ると、いつの間にかすぐ背後から私を見下ろしていた鋭い眼差しにぶつかった。


「ここで何をしている?」


 私は息を呑んだ。大広間の真ん中でたくさんの方々に囲まれていたはずの人が、どうしてここにいるの?


 思わず後退り部屋の中に入ってしまった。彼に後ろ手で扉を閉められて、逃げ道を失ったことに気づいた。


「何をしているんだ?」


 再び低い声で尋ねられても答えられずにいると、彼の眉間に皺が寄った。


「どうせあなたも私に粉をかけに来たのだろう。わざわざ部屋まで入り込む大胆な令嬢がいるとは思わなかったが」


 私は慌てて首を振った。


「違います。私は……」


 私の反論は強い力で手首を掴まれたことで遮られた。


「言い訳はいい」


 そのまま彼にグイと腕を引かれ、次には思いきり肩を押されて足が何かにぶつかり、体が後ろに傾いだ。

 衝撃を覚悟してギュッと目を閉じたが、私の背中は柔らかいものに受け止められた。どうやらソファの上のようだ。


 ホッとして瞼を開くと、今度は息が止まりそうになった。最初よりも近い距離に彼の顔があった。私の体に股がるようにしてソファに膝をついていたのだ。

 逃げようと踠いたが、彼の体がのし掛かってきて身動ぎできなくなった。


「その度胸に報いて、あなたの思いを遂げさせてやろう」


 間近に見える彼の瞳が怖ろしくて体が震えた。


「ただし、一度抱かれたくらいで私の妻になれるとは思うなよ。このことを誰かに話したり私を脅したりでもすれば、コーウェン家が全力であなたの家を潰すからな」


 彼の言葉を頭が理解した瞬間、私は体の力を抜いた。


「そうだ。そのまま大人しくしていろ」


 生温かいものが私の首筋を這った。

 生まれて初めての経験に理解が追いつかないが、抵抗するなと心の中で自分自身に言い聞かせた。


 だが、ふいに私を拘束していたすべての力が緩んだ。


「こんなことをすればどんな目に遭うか、よくわかっただろう。さっさと出て行け」


 ソファを下りた彼に向かい、慌てて声をあげた。


「待ってください。私をあなたの好きにしてくださって構いません」


 彼の目が丸くなった。この人もこんな表情をするのかと頭の片隅で思った。


「怯えて震えているくせに、無理するな」


 私は声に力を込めた。


「その代わり、私の家を潰していただきたいのです」


「は? 何を言ってるんだ」


「あなたならそのくらい簡単にできますよね。コーウェン家に睨まれて滅んだ家があるという話を耳にしました」


「簡単にできるわけないだろう。勝手に自滅した家のことが大袈裟な噂になっているだけで、さっきのはあなたを脅すための冗談だ」


 呆れたような声で言われても、私は諦めきれなかった。


「私は、盗みをするためにここに忍び込みました」


「今度は何を言い出すんだ」


「本当です。公爵夫人が王宮の夜会でつけていらっしゃった首飾りが欲しかったんです。こんな娘のいる家は潰してしまったほうがいいです」


 私がきっぱり言い切ると、彼は訝しむような表情でしばらく私を見つめていた。


「私はノア・コーウェンだ。あなたは?」


 彼はわざわざ名乗ってくれたが、そんな必要なかった。彼を知らない人なんて社交界にいるはずがない。

 彼こそがコーウェン公爵家のご嫡男。本来なら、私などがおいそれと近づけるはずのない方だ。


 彼の問いでまだ名乗っていなかったことに気づいた私は、慌てて立ち上がると今さらながら淑女の礼をした。


「失礼いたしました。私はスウィニー家のセアラと申します」


「スウィニー伯爵の令嬢?」


 ノア様が眉を顰めて私を見つめた。


「はい、そうですが……」


「忽然と姿を消したという先妻の娘か」


 私は目を瞬いた。まさかノア様が私のことを知っていらっしゃったなんて。


「事情がありそうだな。聞いてやるから、詳しく話してみろ」


 そう言いながら、ノア様は向かい側のソファに腰を下ろし、私にも座るよう促した。ここで拒むなんて選択肢は用意されていないだろう。

 私も座り直すと、ゆっくりと口を開いた。






 私のお母様は長い闘病の末に亡くなった。父はずっとお母様に寄り添い、支えていた。少なくとも娘の私にはそう見えていた。


 ところがお母様の死から1か月もしないうちに、父は再婚した。継母と一緒に、1歳上の異母姉が家に入った。

 父には屋敷の外に別の家庭があり、もうひとり娘がいたのだ。


 継母と異母姉と暮らすようになって、私の生活は一変した。毎日のようにふたりから蔑まれ、貶された。

 私のことだけならまだしも、お母様のことを悪く言われると我慢できずに言い返してしまい、すると今度は継母に殴られた。


 父は庇ってくれるどころか、顔の腫れた私が屋敷から出ることを禁じた。

 それまでの優しい父は幻想だったのだと理解した。


 やがて私は使用人として扱われるようになった。掃除などの仕事を命じられ、部屋も食事も使用人と同じ。

 だけど使用人たちは皆、私に親切で、家族といるよりずっと心が安らいだ。


 それからも何かと理由をつけては継母から殴られた。

 私生児として育ったために学園に入れなかったという異母姉は、私の目の前で制服や教科書を切り刻んだ。社交界デビューもできなかったのだと、私の社交用ドレスを引き裂いた。

 だけど、お母様の遺品をすべて売り払われたことのほうが私には辛かった。


「おまえの母親が贅沢ばかりしていたうえに、病気で治療費が嵩んだせいで我が家は貧乏なのよ」


 それが継母が私に向ける常套句だった。


 私には幼馴染がいた。

 伯爵家の次男で1つ歳上のアダムとは正式な婚約こそしていなかったものの、いつか結婚してふたりでスウィニー家を継ぐはずだった。

 実際、社交界デビューしてからいつも私をエスコートしてくれたのはアダムだった。

 私はアダムが好きだったし、彼も私と同じ気持ちだと思っていた。


 だが、私が屋敷から出られなくなるとアダムは異母姉をエスコートするようになり、ふたりは3か月前に婚約した。

 次期伯爵になりたいなら異母姉と結婚しろと父に言われたのか、アダム自身が私より異母姉を望んだのかはわからない。どちらにせよ、私には同じことだ。


 ある日、継母に言われた。


「おまえはもう18歳なのよ。結婚相手なり、仕事なりを見つけて早く家を出てちょうだい」


 外出を禁じられた私がどうやって結婚相手や仕事を探せると言うのだろうか。

 私だって家を出られるものならさっさと出たかった。


「ちゃんとわかってるの? おまえの母親のせいで、我が家は苦しいのよ。これ以上おまえを養う余裕なんかないわ」


 何度も聞かされた言葉に反抗するのももはや面倒で黙っていると、やはり殴られた。


「お母様はああ言ってるけど、私はおまえをこのままこのお屋敷に置いてあげても構わないわよ」


 うっそりと笑いながらそう言った異母姉に、嫌な予感しかしなかった。


「私、欲しいものがあるの。おまえがそれを私にくれるなら」


 これ以上、何を奪われるのかと身構えた私に向かい、異母姉は続けた。


「この前の王宮の夜会でコーウェン公爵夫人がとっても素敵な首飾りをしていたの。私、あれが欲しいわ」


 さすがに唖然とした。


「公爵夫人の首飾りなんて、私がさしあげられるわけありません」


「今度、コーウェン家で夜会があるから、おまえも来なさい」


「まさか私にその首飾りを盗めと言うのですか?」


 異母姉はそれには答えず、ただ意味ありげに笑った。


「コーウェン公爵夫人て、私と同じ伯爵令嬢だったんですってね。大して美人でもないのに、どうやってあのコーウェン公爵を落としたのかしら」


 いったい異母姉は何を考えているのだろう。

 私が首飾りを盗んできたとして、それを身につけて人前に出られるはずがない。そもそも、そんなことが成功する可能性など万に一つもない。


 おそらく、異母姉はとにかく私を困らせて、楽しみたいだけだろう。

 だけど、異母姉はわかっているのだろうか。本当に私がそんなことをして捕まったら、父やスウィニー家も罰せられるのに。


 ああ、それがいいかもしれない。

 異母姉の我儘を聞く振りをして、家族皆をどん底まで引き摺り落としてやるのだ。


 そう決意してコーウェン家の夜会に出席した私を、ノア様が見事に捕まえてくださったのだ。

お読みいただきありがとうございます。

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