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タイム・トゥ・ゴー  作者: たつ
8/11

ガール・ライク・ユー

 大学生となって最初の夏休みは、バイトとサークルの夏合宿と、自動車教習所に通う毎日で、あっという間に過ぎて行った。

 自動車教習所へは7月末から通い始めたものの、8月半ばにやっと仮免を取ったところで、夏合宿もあったり、資金も無くなってしまい、結局10月に入ってようやく行けるようになり、最終的に免許を取得できたのは11月になってしまった。免許を取得したものの、親父の車で、最初の、家の車庫入れ練習で、早くもぶつけてしまい親父に怒られ、すっかり自信喪失してしまった。家の車もオジン臭いトヨタ・マークⅡだったので、あまり乗りたいとも思わなかった。車はさすがに買えないな…と思い、就職するまで我慢しようと諦めた。とりあえず学生の間に免許が取れたのでホッとした。


 EMI会の夏合宿は三宅島だった。「夏合宿」って、EMIで合宿して映画の研究でもやるのかな…と思ったら、要は単なる旅行であった。三宅島にはなんと飛行機で行ったのだった。僕は三宅島に行くのも初めてであったが、飛行機に乗るのも生まれて初めての経験だった。飛行機と言っても「YS11]というプロペラ機で、僕の席はちょうど翼の上だったので、プロペラの爆音と翼で景色も殆ど見えず、乗り心地は最悪であった。また、当時既に旧式のイメージであったYS11が、ちゃんと飛んでちゃんと着陸できるのかも、室内でエンジンの爆音を聞いた時に、とても不安になった。特に着陸の瞬間は本当に怖かった。それでも羽田から約40分程で三宅島に着いた時は、やっぱ飛行機って早いんだな~と感心した。

 三宅島では民宿の大部屋に約20人ほどのメンバーが男女入乱れての雑魚寝であったが、何だかみんな大家族のように気にせず寝起きしていた。昼間はレンタカーに分乗して島内を観光したり、夜は民宿で宴会したりという楽しい合宿だった。

 そんな中で、EMIの先輩たちとは合宿の後も、ヤスシの親戚が別荘として持っていた江の島のマンションにみんなで泊まりに行ったり、長崎出身の高橋部長を始め、一人暮らしをしている先輩のアパートに何人かで突然押しかけて飲み明かしたり…というようなことも自然に行われるようになっていた。


 EMI女子の先輩、珠美ちゃんのアパートが桜上水駅のすぐ近くにあって、学校から歩いて行けたので、みんなでよく遊びに行った。珠美ちゃんは心理学科の三年生で、マー坊いわく坂上味和にちょっと似ている可愛らしい子で、僕もちょっと憧れていた。ただ、可愛いくてオシャレで僕よりも二つ年上だったので、僕のようなガキは相手にされないだろうナ…と初対面の時から僕自身も思っていたし、ヒロさんやホリさんと違って、僕が勝手に意識していたせいかもしれないが、珠美ちゃんは比較的大人しい雰囲気があって、二人に接するのと同じように気軽に接することができない子だった。

 珠美ちゃんの部屋は六畳二間の2Kだったが、いつもきれいにしていて、机とシングルベッドと食卓くらいしかないシンプルな部屋で、5~6人で押しかけても、それほど窮屈な感じがしなかった。


 少しずつ秋の気配も感じ始めた9月半ば頃、エイちゃん、亜美、ヤスシ、千秋、マー坊と僕で珠美ちゃんのアパートに遊びに行った時だった。夜中までみんなで飲んで騒いで、そのままみんなで泊まって、雑魚寝していた。僕は部屋の隅っこの方で、壁に寄り掛かって寝てしまった。朝方、僕はトイレに行きたくなって目が覚めた。なんか、右側に重みを感じるな…と思いながら見ると、珠美ちゃんが僕にもたれかかって、ス〜ス〜寝息をたてて熟睡していた。珠美ちゃんの髪が、僕の首から顔に触れて、くすぐったい。珠美ちゃんは自分のベッドがあるのに、何故か僕の横にいた。

 僕は固まって動けなくなった。今動いたら珠美ちゃんを起こしてしまう。それに、この状態が、なんかウレシイ。

 と、その時、珠美ちゃんが僕の方に動いて、さらに僕の顔の下に彼女の頭が来て、同時に身体も僕に被さるようになって、彼女の右手は僕の左肩に掛かっていた。思わず僕は右手を彼女に回して彼女の身体を支えるような格好になった。周りを見渡すと、みんなは部屋のあちこちで熟睡していた。

 彼女の髪が僕の口元に掛かる。鼻がくすぐったくて、クシャミが出そうになるのを必死で堪えた。珠美ちゃんの髪はシャンプーの甘い香りがした。

「う〜…、オシッコしたい…」

 僕は早くトイレに行きたかったが、今のこの夢のような状況も壊したくなかった。しかし、僕の膀胱はもう貯水量が限界に達していて、爆発寸前だった。

「クッソ〜、なんでこんな時に…」

 僕は観念して、珠美ちゃんを起こさないように気をつけながら、右腕で彼女を抱いたまま、とりあえず近くにあったクッションに向かって、左手をめいっぱい伸ばしたが、あと少しの所で届かない。

「神様のイジワルゥ!」

 僕は心の中で叫びつつ、再度手を伸ばして、ウッ、ウッ、と小さな呻き声を漏らしながら、左右に腕を振っていたら、珠美ちゃんが「ううん…」と小さな声を出して、眩しそうに薄眼を開けた。

 僕は慌てて、

「あ、ごめん、珠美ちゃん、起こしちゃった?ちょ、ちょっとオレ、トイレ行ってくる…」

 と、みんなを起こさないように、小声で囁いた。珠美ちゃんは目をつぶったまま軽くうなずいた。僕は珠美ちゃんの頭に、そ〜っとクッションを当てて、忍び足でトイレに行った。

 トイレから戻ると、珠美ちゃんは同じ場所で、そのまま寝ているようだった。僕は、さっきまでと同じように、また珠美ちゃんの隣で横になった。

 僕は、珠美ちゃんの方を向いて横向きになり、しばらく彼女の寝顔を眺めていた。元々童顔の彼女の寝顔は、まるで天使のように可愛らしかった。僕はホッと癒された気持ちになり、そのまま、また眠りに落ちてしまった。


「たっちゃん、おはよ。」


 耳元で囁くような珠美ちゃんの声が、夢の中で聞こえた。

「え?これは夢?…」

「夢じゃないよ。」

 また、囁くように珠美ちゃんが耳元で言った。

「えっ?」僕はびっくりして目を開けた。

 目の前には、優しい目をして僕を見つめる彼女の顔があった。

 僕はボーっとして、そのまま彼女を見つめていた。

 すると、彼女はいきなり僕にキスをしたのだ。

 それは時間にすればほんの2~3秒だったかもしれない。でも、僕の中ではもっと長く感じられるくらい、しっかりとしたキスだった。そしてこれは、僕にとって、ファーストキスだった。彼女は歯を磨いたばかりだったのだろうか。彼女の唇は濡れていて、プルンとしたミカンのような感触と、かすかにフルーティーな味がした。

 彼女はキスの後、びっくりしている僕に、ニッコリ笑って「内緒ネ。」とでもいうように、黙って僕の口元に人差し指をあてて、何もなかったかのようにキッチンの方へ行って、亜美や千秋たちと朝食の支度をしていた。

 僕もその後は、何もなかったようにみんなと過ごした。

 帰り際、彼女は誰にも気付かれないように、僕を部屋の奥に連れて行き、もう一度キスをしてくれた。僕も思わず彼女を抱きしめた。


 僕はその後、珠美ちゃんのことがずうっと頭から離れなくなってしまった。彼女からは、その後何も連絡は無かったし、学校でもEMIのサークル室に行っても、何故か彼女のことを見ることは無かった。

 僕はどうしても彼女に会いたくなり、意を決して、一人で彼女のアパートに行って見た。玄関で呼び鈴を鳴らしても、彼女は出てこなかった。留守なのか、それとも居留守なのか。彼女が返ってくるのを待っていようか…、そんなことを考えながら彼女の部屋の前に立っていると、隣の部屋のドアが開いて、中年のおばさんが出てきた。おばさんは、僕のことを怪訝そうな顔で見ながら出かけて行った。僕は、何だか自分がストーカー(当時はストーカーなんていう言葉は無かったが)になってしまったような気がして、とても惨めな気持ちになった。僕はいたたまれなくなって、彼女のアパートを後にした。


 僕は学校にいれば彼女に会えるかもしれない…と、一人でキャンパス内を当てもなくブラブラさまよい、疲れて学食に入った。学食の有線放送では、フォリナーの「Waiting for a Girl Like Youガール・ライク・ユー」が流れていた。ルー・グラムの切な過ぎるヴォーカルが、当時の僕にとって、イヤミなくらいタイムリーな曲だった。


「誰かを愛している時は

 とてもいい気分になる

 あったかい、誠実な気持ちになれる

 キミも同じ気持ちかどうか教えてほしい

 僕の勘違いかもしれないしね

 僕が勝手に迫っているのかな

 僕の心は今まで傷ついてきた

 今度は確かなものにしたい


 キミのような女の子が

 僕の人生に現れるの待っていた

 キミのような女の子を待っていたんだ」


 確かに僕は、大学生活で可愛い女の子と学生生活最後の四年間を満喫したいと思っていた。そして僕は、珠美ちゃんこそ、待ちに待った僕にとっての「ア・ガール・ライク・ユー」だ、と思ったのだ。

 次の日、僕は学校でかっちゃんに、珠美ちゃんとの出来事を話してみた。すると、かっちゃんは

「ええーっ?たっちゃんも?」

 と、驚いたのだ。

「たっちゃんも?…って?…」

 僕はイヤな予感がしつつ、かっちゃんに聞いた。

 かっちゃんはしばらく黙っていたが、

「たっちゃんには話した方がいいな。岩倉には誰にも言うなって言われたけど…」

 と言って、マー坊から聞いたという話しを僕に話してくれた。

「多分たっちゃんも珠美ちゃん家に行った日だと思うけど、岩倉も一緒に行っただろ?その時に珠美ちゃんが岩倉にキスしてきたんだって。まあ、酒は入ってたから酔っ払ってはいたのかもしれないらしいけど…」

 僕は言葉を失った。同じ日に二人の男に、しかも自らキスをしてくるなんて…

 僕は信じたくなかったが、マー坊がそんな嘘をつくとも思えなかった。

 僕は混乱した。彼女は酒乱?それとも男好き?…そんな風に考え始めると、どんどん悪い方向に想像が膨らんだ。でも、周りの人たちの話しじゃなくて、やはり彼女自身の話しが聞きたい…、イヤ、でも何故彼女はあの後、急に姿を見せなくなったのだろうか?やはり何か後ろめたい事があるからではないのか。憤り、諦め、そして希望が交互にやって来て、僕はもう彼女のことを考えるのも嫌になってきた。

「やっぱり直接本人に聞いた方がいいんじゃないかな?ヒロちゃんとホリさんに相談してみようか。」と、かっちゃんは言った。

 僕は「うん…」と、力なく返事をした。


 かっちゃんとサークル室に行ってみると、ちょうどヒロちゃんが一人でいた。

 かっちゃんが、「ヒロちゃん、ちょっといい?」と切り出し、珠美ちゃんの家であった事をひと通り話してくれた。ヒロちゃんは、特に何も珠美ちゃんから聞いてはいなかった。ヒロちゃんはかっちゃんの話しを聞いて、「ハァ〜」と。ため息をついて

「珠美ちゃん、罪な女ネ…」と呟いた。


 ちょうどその時、サークル室のドアをノックして、マー坊が一人で入って来た。マー坊には、既にかっちゃんが電話で僕と珠美ちゃんのことを話していた。マー坊は僕の顔を見て、少し気まずそうに

「おう、たっちゃん、なんかゴメン…」

 と、謝った。僕も、

「こちらこそ、スミマセン。なんか変なことになっちゃって…」と、謝った。

 僕は、マー坊と一緒にいることが苦痛だった。マー坊は、あの日、つまり僕らが珠美ちゃんの家に泊まった日の翌日に、また珠美ちゃんと会ってデートした…と言った。マー坊はあの日、珠美ちゃんが僕にキスした事は知らなかった。マー坊もその話しを聞いてショックを受け、今は珠美ちゃんに対して不信感を持っているとのことだった。

「なんだか…気分悪いヨネ。品定めされてたみたいな。それとも二股かな?」

 マー坊がふてくされたように言った。


 マー坊の話しを聞いているうちに、僕は、もうどうでもよくなってきた。要は珠美ちゃんに、単に遊ばれただけだったのだ。僕はやはりガキだった。一人で珠美ちゃんのアパートまで行ってしまった自分が情けなかった。恥ずかしかった。

「ヒロちゃん、もういいや。珠美ちゃんには、何も言わないで。今日の話しは全部無かった事ということで。かっちゃんもありがとう。お騒がせしてスミマセン。じゃ、オレ、バイト行くわ。また…」

 一気にそう言って、僕はサークル室を出た。


 その後、珠美ちゃんがサークル室に来ることは無かったし、学校で見かけることも無かった。

 僕は、珠美ちゃんのことで落ち込んだりすることも無かった。可愛い女の子にも、いろんな子がいるんだと思った。そして改めて「オレはやっぱり、まだまだ何もわかっちゃいないガキなんだなぁ」と思った。


 逆にそんな風に思える自分が、ちょっとだけ大人になれたような気がして少し嬉しかった。






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