屋上にて
それは?
自殺は人生最大の逃避である。
彼女はよくそんな風に言っていた。だから逃げないのだと、だから抵抗し続けるのだとも。
なにも根拠の無い言葉だったけれどそれでもいつかの僕の心に響いて、僕はその言葉を信条に掲げてこれまで生きてきた。
でも、それも終わりかもしれない。
ある夜。会社での残業で忙しい僕の耳に入ってきたのは彼女の自殺の一報であった。人生最大の逃避を果たした彼女は地面に突っ伏して全身を強く打ち、すぐさま逝ったのだそうだ。
なぜ自殺したのかは会社の誰もが想像できた。瞬時にそれを理解した。
彼女は会社内で陰湿ないじめにあっていた。プレゼンの資料を隠され、彼女のデスクが汚されたりもしていた。
だが、誰一人として止めるようなことはしなかった。そう、僕も含めて誰もがいじめを容認していたのだ。原因なんてものはなく、ただ仕事ができるからってだけで彼女は社内から疎まれ、嫌われていた。
ひどい話だ。僕を含めて彼女以外の全ての登場人物が最低で、胸くそ悪い性格の持ち主だった。誰かが隙を見せればそこにつけ込んで弱味を握る。誰かが失敗をすればそれをずっと言い続ける。
そうやってこの会社は成り立った。
しかし、彼女が入社してきた。彼女の仕事は完璧で、完全なる善人であった。そうであったがために彼女は標的にされた。
葬儀には会社からは誰一人としてして向かうことはなかった。
誰もが彼女を忘れたいと思っていたのだろう。実際僕も忘れようという努力をしていたほどてある。
月に1回ある朝会でも彼女のことなど最初からいなかったかのような様子であった。至って平和でいつもの日常であった。
しかし、誰もが心の中で恐れていたことがあった。つまり、それのことである。
大丈夫なのかどうかを心配する社員は多く、みなやつれたようになっていた。それは日々の残業の影響もあるが、それ以前にそれが心配で仕方ないのであろうことは察することができた。
もちろん僕だって恐い。いや、たぶん僕が一番恐い。だって僕だけが最後まで彼女の味方をしていて、一番酷い裏切り方をしたんだから。
あぁ、恐い。彼女が──それがとても恐い。
僕はそれから引きこもりの生活を送った。一切の部屋から出る行動を拒否した。
そうすることでそれから逃れようとしたのだ。そうすることしか僕にはできなかったのだ。
だから僕は今もそれに怯えながら暮らしている。カーテンの閉め切った暗い部屋の中で一人で布団にくるまってずっと震えるように生きている。
もう、今ではドアも開けられない。
だってその向こうから聞こえるんだもん。
「呪い呪い呪い呪い呪い呪い呪い呪い呪い呪い呪い呪い呪い呪い呪い呪い呪い呪い呪い呪い呪い呪い」
小さな声でずーっと誰かが言い続けているんだ。
だから僕はもう、部屋から出ない。
それに恐怖する。
次回→電車にて