猛獣
里での生活も落ち着き始め、すっかり今の環境に順応し始めた頃。レンヤとセリアは二人並んで下位精霊の光によって淡く照らされた夜道を歩いていた。
「あまり遠くまで行くなよ、ヤミ」
「ドンちゃんもね」
レンヤと契約している闇の精霊王ヤミ。セリアと契約している土の精霊王ドン。手乗りサイズの少女姿をした二匹の精霊が姿を現しゆらゆらと空中を漂っていく。多くの精霊が集まるだけに、この里の居心地は良いようだ。
「ふふふ~」
「随分ご機嫌だな」
「そう? えへへ~」
レンヤの腕に抱き着き、緩む頬をそのままに幸せオーラをこれでもかとまき散らすセリア。
それもそのはず。あの告白の日から時は経ち、甘い時間を過ごしてきたのだ。仕事仲間ではなく恋人という関係になったせいか、普段の大人しいセリアとは打って変わって積極的なセリアが誕生していた。完全にストッパーの外れたセリアは日々の妄想を実現するかの如く、空いた時間は常にレンヤにくっつき、おはようからおやすみまでをほぼレンヤと一緒に過ごしている。
レンヤもあのセリアがここまで変わるのかと最初は驚いていたが、彼女の新たな一面を知れたかと思うと悪くはなかった。
「幸せだなぁ……」
ふとセリアが呟く。まさに今が人生の絶頂期と言えるほどではあるため、そのような呟きが漏れ出てしまうのは理解できることだ。
しかし、その呟きには幸福以外にももう一つの感情を孕んでいた。
――――この生活にも、いつか終わりは来る。
そう、これはあくまでも逃避行生活だ。レンヤの正体が魔王だとバレてしまったが故にこの里に身を隠しているだけであり、いつか戻らなければいけない。ミクルーアの元にレンヤが戻ろうとしないわけがない。
きっとレンヤは今の生活を送りつつも、頭の中では既に今後の事について考え尽くされているのだろう。だからこそ、幸せであると同時に不安も抱えてしまっている。
――――ずっとここで、二人きりで……
そう言えたらどれだけいいことか。それが叶えばどれだけ幸せだろうか。
せめて、この時間が長く続くことを祈って。
しかし無情にも、終わりはすぐそこまで迫っていた。
「下がってろ」
深い思考の沼へと沈みかけていたセリアの意識がレンヤの剣呑な声によって現実へと引き戻される。直後、刺し貫くような鋭い視線を感じ、レンヤの背中に隠れるように一歩後ろへと下がる。
レンヤが睨む先、ゆっくりと前方から姿を現したのは一人の獣人だった。二メートルを超えているであろう筋骨逞しい肉体。目はギラギラと、口の端は吊り上がっており、野性味溢れるまさに猛獣といった言葉がふさわしい男だった。黒色の丸い耳に体格に合った同色の立派な尻尾は、レンヤ達を警戒しているのか毛が逆立っているようだ。
「お前らが余所から来た奴等か」
「誰だ? この里で何か恨まれることをした覚えはないが」
先程から感じる敵意。それは明らかにレンヤとセリアに対して向けられていた。
「お前は知らなくてもいい。ただ大人しく殺されろ」
「それではい分かりましたと言うとでも? ああ、何か前にもこうやって夜に変な奴に襲われたことがあるような――――っと」
レンヤが記憶を遡ろうとした刹那、頭上から振り下ろされる巨木のような太い腕を自身の腕を交差させ受け止める。受け止めた際に発生した衝撃が波となって辺りの空気を揺らしたことから、どれほどの威力だったのかは知れることだろう。
「人の話は最後まで聞け」
「すぐに死ぬ奴の話なんて聞いたって意味ないだろ。にしてもよく受け止めたな、誉めてやる」
「そりゃどうも」
そこから獣人の男による怒涛のラッシュが始まった。重そうな体とは裏腹に鋭く洗練された高速の拳がレンヤに襲い掛かる。
レンヤはあくまでもそれら全てを捌くだけで反撃には出ない。相手が獣人ということはこの里の住人ということでもあり、世話になっている場所で騒ぎは起こしたくない。
しかし命を狙われている上に先に手を出してきたのは相手側だ。当然正当防衛は成立する。故に、レンヤが反撃に出ないのにはもう一つの理由があった。
――――一撃一撃が重い。
魔王と契約し、その力を受け継いだレンヤからしてみれば現代においてどれほどの猛者であっても自分に適う相手はいない。ただでさえ凶悪なのに、更に精霊王とも契約をしている。
『超越者』であり魔王。その実力の前ではいくら身体能力に秀でた獣人でも……
しかし、そのレンヤが『重い』と感じるのだから、その威力は人外――いや、獣人外だろう。なぜそうなっているのか。思い当たるものとしては――――
そしてなにより、その突出した力はレンヤにとっては今現在最も望んでいるものでもあった。
――――こいつ、欲しいな。
その前にはまず、その力の源を突き止めることにしよう。
レンヤの雰囲気の変化に気付いたのか、男は一旦距離を取った。
「ついにやる気になったか?」
「いや、不思議に思ったんでな。今度こそ俺の話に付き合ってくれ」
「はぁ?」
怪訝な顔をする男を無視し、レンヤは話す。
「獣人は身体能力に秀でている代わりに魔法を苦手とする。苦手、というよりはほぼ出来ないといった方が近いか。だが、そんな獣人でも魔法を巧みに使えるようになる方法がある。それは精霊と契約することだ」
精霊は魔法の発動の補助をしてくれる。それさえあれば獣人でも魔法を扱えることだろう。獣人はそもそも魔法適性が低く、出来ない状態からのスタートなので威力などはたかが知れてはいる。
「ただし、並みの精霊ではそこまでお前の力を引き上げることは出来ない。出来るとしたら位の高い精霊……そして、無属性魔法の身体強化を使っているということは」
レンヤは男の後方、一見何もない空間へと語り掛ける。
「いるんだろ? さっさと姿を現せ」
レンヤの言葉に反応するかのように、パッとそれは現れた。
本来存在しえなかったはずの九つ目の属性の精霊王。
無属性の精霊王が、そこにはいた。
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