見えないもの
義母に胎動の報告をしたら
大層喜んでくれた
我の母は割と淡白な反応だったので
孫への想いはそれぞれなのだなぁとしみじみ感じている
ぶじ生まれたらまた変わるかもしれないが
胎動のこと、人により感じ方は様々なようだ
義母は
「最初は腸が動く感じだけれど、そのうち蹴っ飛ばしているのがわかるよ」
と教えてくれた
実母は
「ああ、忘れちゃったわ
なんか蹴ってる感じはあったかな」
……この温度差
我は何年も何十年も経つ頃には
この日々を忘れてしまうのか
明瞭に覚えていられるだろうか
先は長い
出来ることなら長生きしたい
「人は必ずいつか死ぬ」
母に事ある毎に言われて育ってきた
その事実を言われて受け入れすぎた結果
我の人生は今日で終わりなのではないか
周囲のひとに対して
もう2度と会えないのではないか
という意識がある
毎日だ
これはけっこうしんどい
特に連絡がなく、主人の帰りが遅いと
まさか死んだのでは
と一足飛びに思考がそこへ到達する
帰宅して顔を見るまでが戦いである
友と遊ぶと、帰り際
切実に別れを惜しむ
もしかしてこれが最後になるかもしれぬ……
「なんか大変だね」
「わたし、そう簡単に死なない」
「勝手に殺さないでくれる?」
笑い飛ばしてくれる友の存在
ありがたい
恵まれている
命が宿ったと診断を受け
もうダメなのではないか
まさか幻想だったのではないか
無事でいてほしい
本当に育っているのか
ぐるぐる思考は止まらない
大切なものは目に見えないという
そうだ
見えないのだ
我は見えないものをなかなか信じることが出来ぬ
なぜ見えないのに信じられる
笑顔が返ってくるわけでもなく
声が聞こえるわけでもない
メールもLINEも出来なくて
どうやって生存を確認すればいい
しかし、そもそも周囲の人々は
そこまで切実に
相手が死ぬのではないかと想定して暮らしてはいない
強い
それが普通らしいのだが
普通に過ごせるのはすごいことだ
安心して暮らせるではないか
我も信じたい
胎動は、激しい
腸が動く感覚を感じる間もなく
毎日ドカっ!だ
検診の際、エコーを見せてもらっても
本当に生きてる?
どこかで疑ってしまうため
胎動に感謝している
この衝撃がある限り
胎児は幻想ではないと実感できる




