4 学用品準備
手触りのよい布に杖二本を包んでもらい、ネモフィラと一緒に抱きかかえる。両手が塞がった俺の代わりに、親父がドラウフの店のドアを引くと、チリン、と安っぽい鈴の音がした。
店の外で待っていた俺の騎士従者のコルダと、近侍のイオンが咄嗟に敬礼をしたのが見えた。
「お帰りなさいませっ。遅かったので心配しておりました…っ」
先に声を出したのは青年近侍イオンだ。この二人、俺たちが外出するときからついて来ていたのだが、何故か姿を見せてはいなかった。しかしさすがに帰りが遅いので心配になったということらしい。
「え、エイス様…?! 腕に抱えていらっしゃるのは一体?」
吹き出しそうになるのを堪えた様子で尋ねて来たのは女騎士従者コルダだ。俺だって好きで抱えてるわけじゃないんだよ!
だが、これが魔道具であることは極力内緒にしろと言われたばかりなのだった。いや、初等学校入学時から俺付きの騎士従者であるコルダになら言ってもいいのだろうか?
判断できず、どうしようと思っていると、親父が余計な口を挟んだ。
「ははっ、別嬪さんだろう? エイスの野郎、一目惚れしやがってな。どうしても欲しいと駄々を捏ねるから、入学祝いに買ってやったんだ」
「えっ、エイス様がお人形を…っ」
「コルダ、五月蝿いぞ黙れ」
薄い金髪をふるふると揺らしながら笑いを堪えているコルダに、俺は命令した。コルダは小さく息をつくと、「はい、可愛らしい私のマスター」と一礼した。
ちなみに出会ってからこのかたコルダはいつもこの文句だ。子供扱いするのもいい加減にしてほしい。人形を抱えて言う事ではないが。
「引き続き魔道具を揃えていきたい。教科書など嵩張るだろうから、手伝ってもらえるか?」
「ええ、勿論です!」
イオンがパッと返事をした。こういう時の返事の素早さになんか差が出るんだよな、と俺はしれっとした眼でコルダを見たが、彼女は俺の視線に明るく首を傾げてみせただけだった。
コルダはいつもこんな調子だ。俺の言動には注意を払っているが、それ以外には無頓着というか。
かりにも騎士従者なら、マナーも身につけなければならないはずなのだが、そのへんの教育はどうなってんだろう。これでも武術の腕は超一流だとか、俄には信じられないよな。
コルダは8年で卒業するはずの中等学校を、飛び級に飛び級を重ねて4年で卒業、14歳で騎士になった。しかし、そもそも女性が就くことの少ない騎士職。若い、というより幼い彼女が安全に働ける職場なんてそうなかった。
当時俺は6歳で、初等学校入学を控えていた。貴族の子女は初等学校入学を期に、護衛をつけることが一般的だ。彼女の実家はこの地方都市で有名な家具職人で、俺の家の家具の大部分も誂えてもらっている。
そのコネもあり、彼女は俺の専属騎士になったというわけだ。貴族邸なら侍女も多く、女性騎士が就くのに適した職と言える。
イオンとコルダはもう隠れているのはやめたらしい。どうせ姿を見せずこっそり護衛していたのもコルダの提案に違いない。前に俺の部屋から探偵物の小説を借りていってからというもの、尾行ってかっこいいですね! とかあほくさいことをしばらく言っていた。
久しぶりの親子水入らずの会話を邪魔しないためとかなんとか尤もらしい理由を作ってイオンを説得したのだろう。
「それにしても、とても綺麗なお人形さんですね〜! 触ってもいいですか?」
ひとしきり笑いを堪えたコルダは、俺の隣を歩きながら、興味津々といった様子で腕の中のネモフィラを眺めている。
「いいぞ」
深く考えずに言ったあとで、ネモフィラに触れようとした親父の手が弾かれたことを思い出した。
「いや、ちょっと待て」
制止しようと思ったときには時既に遅く、コルダはすでにネモフィラの銀の頭を撫でていた。
…ん? 特に何かが起きる事もなく、コルダは平然とネモフィラの頭を撫でることができていた。
「ふわぁ〜、何て綺麗なんでしょう! さらっさらの髪! 素敵です!」
こういう人形、憧れだったんですよ〜とコルダはニコニコしながら上機嫌だ。
「お名前とか決まってらっしゃるんです?」
「ああ。ネモフィラだ」
俺が決めたのではなく、元からあった名前だがな。と思いながら答えると、コルダは少し残念そうな顔をした。もしまだ名前が決まっていなかったら、名前を考えて楽しみたかったのだろう。だがすぐに元の晴れやかな笑顔になる。
「なるほど〜。ネモフィラちゃんですか! それなら愛称はモフィですね、モフィ」
そんな風にコルダとやりとりをしていると、次の店に着いたようだった。
今度は裏通りにある魔服の専門店だった。大通りの店に比べると小さく、人出も少ないが、普通の面構えの店だ。申し訳程度だがショーウインドーもある。
魔術師のローブも今は普通の服屋でも扱っており、それにつれて機動性が考慮されたり服飾性が増したり、又、毎年流行のデザインが変わるなどしているのだが…
大方予想はついていたが、この店は古き良き伝統を守り続けているようだ。ショーウインドーに並んでいるのは、シンプルな形のものばかり。だが、機能性は考慮しているようで、いくつか色のバリエーションもある様子だった。昔は歩きにくそうな長衣のローブ一択しかなかったと言うから、まだマシな方だろう。
俺を先導して歩く親父は俺の気など知る由もなく、ズンズンと入店していく。俺は慌ててその後を追い、コルダも続いた。
「いらっしゃいませ! エルヴァシュタイン様、お待ちしておりました!」
現れたのは、髪に白いものが混ざり始めている、細身の淑女だった。無愛想で口の悪いドラウフとは違って、ニコニコと常に笑顔を絶やさず、丁寧な口調の女性だ。いや、これが店員の接客態度としては普通なんだろうけどな。
「頼んでいた通り、今日は息子の入学用のローブを頼む」
「ええ、ええ! 腕によりをかけて仕立てさせていただきますわ。後ろのお坊ちゃん、貴方がエイス様ですね?」
彼女はニコニコと親父の言葉に答えると、少し屈んで俺と視線を合わせて、もう一度ふわりと微笑もうとした。しかし少し屈みすぎてしまったようで、彼女の視線は俺の腕の中のネモフィラを捉えてしまった。瞬間彼女の笑みが少し強張ったのを俺は見失わなかった。
うわあああだからこいつ持ち歩くの嫌だったんだよ! 通りを歩く分にはまだ問題はなかった。そもそも裏通りを歩いていたから人の流れも少なかったし、不躾な視線は無視してやりゃあよかった。
「えっとじゃあまずは採寸からいたしますね。坊っちゃま、腕を横にピンと上げていただいてもよろしいですか?」
婦人はオホン、と何かを誤摩化すように咳払いを一つして、俺に頼んだ。といっても、手から剥がれないネモフィラをどうすればいいのか。俺が困った顔をすると、親父とコルダが同時に反応した。前者はまずい、という表情を、後者は笑顔を浮かべた。
「エイス様。採寸の間、私に代わりに抱かせていただけないでしょうか?」
「あ、ああ。頼む」
わくわくした期待に顔を輝かせてコルダが申し出たのをこれ幸いと頷く。ちゃんと腕から剥がれるのかという疑念と、コルダの腕が傷つかないかという不安はあったが、先ほど親父が触れなかったネモフィラの頭を平然と撫でていたコルダなら大丈夫だろう。
何も知らないコルダは、差し出した俺の腕から平然とネモフィラを受け取った。ほんの少しの抵抗もなく、ネモフィラはするりと俺の手から離れ、コルダの身にもやはり何も起きない。
俺はほっとし、親父は驚き、コルダは嬉しそうに笑った。イオンは大袈裟なやりとりにきょとんとし、婦人は微笑ましいものを見るように眼を細める。
「では、始めますね」
彼女はどこからか巻き尺を取り出すと、慣れた様子でてきぱきと俺の身体のあちこちを採寸していく。恥ずかしいとかくすぐったいとか思う暇もないほど淡々とした手つきだった。
「はい、終わりました」
婦人が言うと、コルダが名残惜しそうな顔でネモフィラを差し出して来た。どうやらコルダは親父が先ほど言った言葉を真に受けているらしい。俺は焦り、慌てて首を横に振る。
「エルヴァシュタイン様、衣服の種類と枚数はどうなさいますか?」
「そうだなぁ…」
親父が婦人と商談を始めたのを横目に、俺は小声でコルダに指示を出す。
「え、えーっと。ネモフィラは家に連れて帰るまでコルダが持っていてくれ」
「えっ! いいんですかエイス様! ありがとうございます!」
よしっ。これで、街中で人形を抱えながら歩く少年、と言う羞恥プレイを回避することに成功した。コルダも喜んでいるし、万事解決だ。
「エイス、どうする? 式典用に昔ながらのローブは必須だが、普段着回すのはマントの方がいいか」
胸の中でガッツポーズを取っていると、親父が声をかけてきた。俺の意向も多少配慮してくれるらしい。選択肢なんてないと思っていたからびっくりしていたら、婦人が物凄い爆弾を放り込んで来た。
「ローブでも、丈を短くして動きやすくしたものもありますよ。その人形のお嬢さんとお揃いのようになってよろしいのではないでしょうか?」
ネモフィラとお揃いだと?! 冗談じゃない。ローブの丈を短くしたら完全にワンピースじゃないか。男がワンピースなんてあり得ないだろ!! 臑毛の濃い親父なんかがそんなの履いてたら見る目も当てられない。
「マントタイプですと、フードや袖の有無や丈の長さをお選びいただけます」
親父やドラウフの着用しているタイプだ。親父は膝裏まである長いタイプで袖つき、ドラウフは背中の中央・肘までを隠す短いタイプでフード付きだった。
ネモフィラを隠し持つ事を考えると、丈は長めで袖は無し、フード有りがいいだろう。フードを被って顔を隠せば、まだ声変わりもしていない俺なら女に見えるかもしれないしな。屈辱だが、男のくせに人形を持っていると思われるよりはましだ。
俺はその意向を伝えた。親父は俺の意図が分かったようで、納得したように頷いている。
「では、二つのタイプを一着ずつ頼む。身体もこれから大きくなるし、クレイディアの店のものならそうそう傷まないだろう」
「ふふっ、お褒めいただきありがとうございます。お色は黒でよろしいですか?」
「ああ、勿論だ。よろしく頼む」
他の色があるならそちらも見てみたかったのに、親父は勝手に黒で決めてしまった。ショックだ。
「マントの時に中に着る衣服も少しだけご用意しましょうか?」
「そうだな。白シャツを二着と黒いズボンを一つ頼んでおこう」
「かしこまりました」
親父はてきぱきと商談を固めた。料金は前払いらしい。クレイディアと呼ばれていた店主はにっこりとした。
「では、仕立て終わりましたらご連絡差し上げます」
という声に送られて店を出る。
「親父。どうして色は黒で決まりみたいな感じだったんだよ」
出るなり、俺は疑問というか不満というかを親父にぶちまけた。親父は呆れたように笑う。
「それはお前が黒魔術師だからだよ。夜闇の紺碧色はお前を守り、強くする色だ。魔術適性に見合った色のものを身につけるのもアリだが、杖と同じで自分の性質を晒すことはなるべく避けた方がいい」
「普通の洋装屋じゃなくて魔装屋で服を仕立てた意味は?」
「加護魔法の数かな。クレイディアの店は、繊維、糸、布、染料、針全てに別の加護魔法をかけてある。あの店のマントは騎士にも人気がある密かな有名店だぞ」
「ふ、ふうん」
密かな有名店という言葉にあっさりと懐柔された俺は、その真意を隠すように下手糞な相槌を打った。
「じゃあ、シャツとズボンが少ないのはなんで? あの数じゃ着回せないよ」
「魔導学校では自分が魔法を使ったり受けたりする機会はそんなにないし、マントさえ着ていりゃ下は何でも構わないからな。お前が好きに選べた方がいいだろう」
なんと。俺のことを考えての選択だったらしい。とはいえそんなに奇抜な格好をするつもりはない。襟元やボタンに少し趣向を凝らしたシャツとズボンあたりを買ってもらうことになるだろう。
ここで大通りに移動した。人の数が目に見えて増え、同じく学用品を揃えに来たらしい俺ぐらいの年の子供をつれた大人が目立つ。中に初等学校で見知った顔も当然多く、手を振りながらも俺は内心冷や汗が止まらなかった。
さっきの店でコルダにネモフィラを預けられなければ危ないところだった…。チビでデブな親父と一緒に歩いている気恥ずかしさはとうに失せていた。
***
次に向かったのは魔導書専門店だった。大通りに構えている店だけあってかなり大きく、明るく、店内には人が溢れていた。天井まである高さの本棚は、どれも大小さまざまな本でびっしりと埋められている。
石盤みたいに大きく平べったいものや、親指ほどのサイズの小さな本まで。持ち運びは簡単そうだけれど、そもそもページをめくることさえできなさそうだし、情報量も少なそうだ。一体何の役に立つのだろう。魔法で繊細な作業をする練習のために使うのか?
この国で使われている文字の読み書きは習っていたが、読めない文字で書かれている表紙も多い。表紙の素材や装丁、綴じ方も個々に違っていて、眺めているだけでも飽きない。
そうした本の海の中から、必要な物を一冊ずつ探し出していくのだろうとワクワクしていたのだが、新1年生の学用書は、需要が多いことを見越していたのだろう、一揃い紐でまとめられているのをイオンが見つけて会計の列に並んだ。
王都の学校に行く事になったらこことは違う教科書を使うのではと思ったが、親父曰く基本的なものは共通だから問題ないらしい。必要が出て来たら都度本屋で揃えればいいのだそうだ。
こんな調子で一通り学用品を揃えていくと、気付けば夕方になっていた。親父がネモフィラの鞄を、コルダがネモフィラを、イオンが本を、俺が杖を持って、とりあえず帰宅した。
「エイス様? モフィちゃんはエイス様のお部屋にお運びすればよいですか?」
家に着くなりコルダが尋ねて来た。
「ああコルダ、これも頼む。この鞄もネモフィラのものらしいんだ」
俺が渋々肯定の返事を返す前に、親父が答えた。コルダの持つ人形が俺のものだと知り、母は驚き、兄貴は馬鹿にしたように笑った。不本意だ。
***
「おやすみなさいませ、エイス様」
イオンがそう告げて、部屋の照明を一つ一つ吹き消していく。
「ああ、おやすみ」
答えながら、俺は出窓の上に置かれた古い鞄と、その上に腰掛けるネモフィラをちらりと見やった。窓から差し込む白い月光が、彼女のまっすぐな銀髪をきらきらと輝かせる。しかし、その身体が動くことはない。髪はすとんと下に垂れたままで、青いローブの裾から覗く同じ色のブーツに包まれた足も、揺れる素振りはない。
抱いて眠れだとか意味の分からないことをほざいていたが、新たに命令を下してくることもないし、親父がくらったような攻撃を食らう恐れもどうやらなさそうだ。幼い女の子でもないのに、人形を抱きかかえて眠るなんてまっぴらごめん。
俺はネモフィラに向けて舌を出してやってから、ふんっと寝返りを打った。視界から彼女を追い出して、いつも通り壁の方を向いて一人、眠りにつく。