3 古代魔道具
「何なの、これ」
俺は途方に暮れてドラウフと親父の方を向く。しかし二人とも相変わらず首をひねっているだけだ。
改めて箱の中を見下ろした。白い陶器の肌に、サラサラと零れ落ちる銀の髪。深青色のワンピースとブーツを纏った人形だ。体長は50cm程だろうか。ネモフィラとか言っていたか。あと、マギ・スフィアだとかなんとか…。
『まぁ簡単に説明すれば我は、とりたてて魔力の高い者のために作られた古代魔道具の一種だ。持ち主の魔力調整、威力向上、精度上昇に貢献する』
「古代魔道具?」
聞き咎めてつい口に出すと、その言葉にドラウフが反応した。
「人形…。まさかこれが噂のマギ・スフィアなのか?」
『ところで我と一緒に持っていってもらいたいものがある。指し示すから抱き上げろ』
どこぞの姫かと思うような高慢な態度でネモフィラは俺に命令する。俺は溜め息をついて彼女の腕の下に手を入れ、身体の正面に抱えた。この年で、男の子で、人形遊びだなんて馬鹿げている。恥ずかしい。
『我はただの人形ではないぞ、マギ・スフィアだ。そう、あの鞄を持って帰れ』
ネモフィラはキリキリと音を立てながら懸命に腕を動かして一点を指差した。ネモフィラが落ちてきた辺りの棚の奥を示しているようだ。てかこいつ自分で動けるのか。
『汝の魔力を蓄積すれば、もっと滑らかに動けるぞ。他の者と対話することもできるようになるだろう』
俺の魔力を使うのかよ。というかさっき持って帰れって言わなかったか? お人形遊びをする年齢でも性別でもないんだ。勘弁してくれ。
『寝言は寝て言え。我を手に入れられるなんてこの上とない幸運だぞ? ああもう対話を続けるには魔力が足りんな。いいか、これだけは言っておく。これからは我が目が醒めるまで毎晩抱きかかえて眠れ。さすれば我がお前を悪夢から守ってやる』
何故こいつは、こんなことを知っている。確かに俺は、最近毎晩と言っていい程悪夢に魘されている。
『ついでに言えば、水晶を壊すこともなくなるだろう』
さっきから感じていたが、こいつは俺の思考を読み取っているようだ。そして触ったあとからは、俺の記憶も覗いた素振りが見受けられる。水晶云々のくだりではまだ目覚めていなかったはずだし。
『ふむ、中々聡い少年のようだな。頼んだぞ』
いや、頼まれても困るのだが。しかしネモフィラは本当に動力が切れたようで、それっきりうんともすんとも言わなくなった。このまま置いて帰ることもできそうだ。俺が抱えていなければ目覚めないみたいだし。
そんな意地の悪いことを考えていると、ドラウフが細い眼をきらきらと輝かせて問うた。
「お前、そいつとしゃべったのか?! 名前は、自分の存在を何と語っていた?!」
「え、えっと、はい」
人形と脳内対話していたなんて恥ずかしいことカミングアウトしたくなかったが、ドラウフの勢いに負けて口走ってしまった。何やってるんだ俺えええ…
「とりあえず、カウンターに戻ろう。詳しい話はそれからだ」
「あ、えっと」
詳しく話を聞きたいらしいドラウフに従って歩もうとしたところで、俺は足が動かなくなった。ぎょっとして腕の中を見れば、ネモフィラが腕を上げた姿勢のまま固まっている。忘れ物を取ってこいということらしい。というか何故足が動かないのだろう。ひょっとしてこいつ魔法が使えるのか?
「ネモフィラが…一緒に連れて帰れと」
俺は渋々先ほどの彼女の言葉を伝えて、最上段を指し示す。ドラウフは「ん?」と興味深げな相槌を打って、すぐに台座を使って最上段を探った。
「なんだこの鞄、初めて見たぞ」
彼が取り出したのは、古い茶色の革張りの鞄だった。相当の年代物だと推察される。
親父が俺の購入することになった杖二本を持ち、ドラウフが鞄を、俺がネモフィラを抱えた状態でカウンターまで移動する。鞄と杖をカウンターに置いたので俺もネモフィラを腕の中から出そうと思ったのだが、凍り付いたかのように外れない。
まさか俺が家に帰るまでずっとこのままなのか? 人形を抱えたまま街を歩かなきゃいけないなんてどういう羞恥プレイなんだよ!
俺がネモフィラを下ろそうと齷齪している最中に、ドラウフはどこかから木製の椅子を取り出してきた。着席して、口火を切ったのは親父だった。
「ドラウフ…これは何なんだ?」
親父は俺の腕の中のネモフィラにチラチラと視線をやりながら尋ねる。白い陶磁の肌の彼女は何も言わない。その瞼は堅く閉ざされ、髪と同じ銀色の睫毛がかたどっている。そういえばさっき、目玉がまだないとか恐ろしいことを言っていたな。
俺は興味本位で彼女の目元に手をやり、瞼を持ち上げようと試みた。上手くいかないだろうと思っていたのだが、予想に反して彼女の眼は絡繰りに反応して軽く持ち上がる。その奥を見て途端に後悔した。ネモフィラの言った通り、そこはがらんどうで、真っ黒で虚ろな眼窩があるだけだったからだ。
俺の隣で親父が、そして目の前でドラウフが、ぎょっと息を呑む音がした。特に目の前のドラウフにはネモフィラの空洞がばっちり映っただろう。申し訳ないことをした。
ドラウフは気まずさを打ち消すようにわざとらしく咳払いをしたあとで、何故か俺に話を振る。
「その人形が何なのかについては、実は俺も伝承レベルでしか知らない。直接話をした坊主の方が詳しいだろう。何と言っていたか教えてくれないか?」
「は、はい。えっと。名前はネモフィラ。古代魔道具の一種で、マギ・スフィア第五パペットだと言っていました。とりたてて魔力の高いもののために作られたもので、持ち主の魔力調整に貢献すると…」
「古代魔道具!? なんだそれは?」
親父にも何なのか分からないらしい。ただ、古代魔道具という響きに荘厳な雰囲気を感じたようだ。ドラウフが緊張した面持ちで頷き肯定を返す。なんなんだ。
「まさか俺もこんな聖遺物が倉庫に眠ってるなんて知らなかったよ」
ドラウフは簡単に説明をしてくれた。それによると、マギ・スフィアというのは過去の文献で時たま言及されることのある魔道具らしい。古代、人型の魔族が多数生息していた時に、それらの技術を結集して作られたとされている。
持ち主の魔力を体内に循環させる絡繰りにより自動で動き、思考し、会話する。加えて、その魔力を元にした体内での魔石生成加工を行うのだとかなんとか。
信じ難い話だった。魔力を媒介にした絡繰り人形は現在もあるが、定められた動きをすることしかできない。魔石の生成加工というのも謎だ。魔石は採掘してくるものじゃないのか?
「その通り。マギ・スフィアに使われている技術の大半は現在では失われている。だからお伽噺に過ぎないとの意見が多数だった」
だが先ほど確かにネモフィラは言っていた。俺の魔力を蓄積すれば、もっと滑らかに動けるようになると。それにあいつは俺とは異なる思考回路を持って俺に命令し、対話していたではないか。
ドラウフにしてみても、目の前で見せられてしまえば、ということらしい。ただ杖を買いにきただけのはずなのに、なんだか物凄い厄介事に巻き込まれたような気がするのは気のせいだろうか。ではないだろう。
「そ、そんな凄いもの受け取るわけにはいきません。返品できませんか」
まだ購入したわけではないが、俺は控えめに申し出る。だがドラウフは無情にも首を振った。
「先ほども言っただろう? 杖が持ち主を選ぶのだと。マギ・スフィアは俺が思うに高度な杖の一種だ。そのお嬢さんが坊主を選んだのなら、お嬢さんは坊主にしか扱えないもんにもうなっちまってるし、実際腕から離れないんだろ?」
図星だった。俺はぐっと歯を噛み、渋々頷く。気付いていなかった親父は驚いて、ネモフィラに手を伸ばしたが、触れかけたところで「痛っ」と手を引いた。指先に小さな裂傷ができている。どうなってるんだ一体。
「なるほどなぁ。坊主以外のもんは触ることもできない防御魔法がかかってるみてぇだな。つーわけで、諦めて持って帰れ。欲しくても手に入れられるもんじゃないんだから、諦めてっつーのも変な言い草だけどな」
それはそうなんだろうけれども…。欲しいと思ったわけでもないんだけれどなぁ。凄い魔道具だと知らされても、人形だしなぁと思ってしまう。人形遊びをするのは女だろ?
「それはそうとおやっさん、その坊主どの学校に行かせるつもりなんだ?
っつーか、王都からの招待状は来てるのか?」
「普通に地元の中等学校に進学させるつもりだった。私も魔術団の一員として勤めている街だから、万一のことがあってもすぐに対応できるしな。
だが、王都の学校への入学許可証も届いている。考えていなかったが、聖遺物に選ばれた魔術師なら、王都に行かせた方がいいのだろうか」
「高名な魔術師はやはり王都に集まってるからなぁ。坊主のためにはなるだろう」
「だが高名になればなるほど、もしかしてマギ・スフィアのことを知っている者も多くなるのでは? 欲しがる輩が息子に手を出してくる危険はないのだろうか?」
「そうやって静かにしてれば普通の人形か、動いてたって絡繰り人形にしか見えないんだ。俺だって最初は全く分からなかった。それにその嬢ちゃん自体には恐らく自衛機能がついている。坊主の方はこれまで通り護衛の騎士をつければ足りるだろう」
「…そんなもんだろうか。妻も一緒に、もう一度よく考えたい」
「そうだな。それがいいだろう」
俺の進路のはずなのに、二人は勝手に話を進めて勝手に終わらせてしまった。王都かぁ…。この地方都市を出たことがない俺にはどんな場所なのか想像もつかない。親父とお袋の側を離れる事もだ。王都の学校に通うことになったら寮住まいかな。
護衛の騎士をつけるってことはコルダがひっついてくることになるんだろう。プラチナブロンドのショートヘアが印象的なお節介美女を思い出して俺はげんなりした。あいつは俺を守るべき主というよりは弟のように接してくるので扱い辛い。
「とりあえず今回の会計だな。カシの杖と、シダンの杖…雪女王の涙、か。これまた古代の杖だなぁ」
「それと壊してしまった水晶と杖の代金、人形の分も支払おう」
「りょーかい、気ぃ遣わせちまってわりーな」
俺が未来について思考を巡らせている間に、親父とドラウフは商談を成立させたようだ。購入する事になった杖の素材をすっかり確認し忘れていたが、雪女王の涙というものが使われていたらしい。
「毎度ありっ。坊主、そいつが起きたら、よければまた顔を見せに来てくれ。王都にも俺は店を構えているからな」
店を出るときに、ドラウフは気さくに声をかけてきた。初めはびびりまくっていたし、結局どもりながらの返事しか返せなかった気がするが、見た目と違って人懐っこいところのある奴だということだけは分かった気がする。
というか、俺が王都の学校に行くと思い込んでいるかのような発言だな…。俺は曖昧に微笑んで、返事をする。
「は、はい…」
くそっ、最後までどもっちまった。