2 黒い箱の人形
「ああ、杖は二本頼む。普通のものと、あの子の適性に合ったものと」
扉の奥から、親父の声がしたと思ったら、二人がすぐに入ってくる。
「了解した。坊主、少し色々測らせろ」
ドラウフはそう言うなり、だぶだぶしたズボンのポケットから巻き尺を取り出す。傍目には普通のものに思えたが、ドラウフが中央にある銀色のボタンを押すと、勝手に俺の回りを飛び回って、腕回りやら胸囲やら腕の長さやら、ありとあらゆる長さを測り始めた。魔道具の一種らしい。
あっという間に測定が終わり、巻き尺はドラウフの手元に戻った。彼は手元のそれをしばらく眺めていたが、何も言わずに倉庫の中を走っていく。その間に俺は親父に疑問を尋ねた。
「親父、どうして二本も杖を買うんだ?」
「魔導学校で習う魔法はお前の適性に沿ったものばかりではない。一本はオールマイティに使える杖を、もう一つはお前の魔力適性に合った素材を使った杖を買う必要がある」
「魔力適性に沿った素材ってなに?」
「魔力を引き出しやすい素材ということだ。火魔法の使い手なら不死鳥の尾羽や火蜥蜴の尻尾あたりが有名どころだな」
「じゃあ、杖に使われている素材を基準に選ぶということになるの?」
「それは違うぞ、坊主」
どこからか戻ってきたドラウフが、抱えた箱で俺の頭をコツン、と叩きながら言った。
「杖がお前を選ぶんだ」
さっぱり意味が分からなかったが、もう一回コツンとやられるのも癪なので俺はもう黙っていることにした。ドラウフが箱を開け、中の杖を差し出す。親父の持っているのと同じ、何の変哲もない杖だ。ある程度予測できていたことだが、俺は内心がっかりとした。
「なんだ坊主、不満か? 今は豪奢な杖が流行のようだものな。先に言っておくが、俺の店にはこれと似たようなものしかないぞ。他のが欲しけりゃよそへいけ。だが、他の店の杖を使っていたのでは、お前は三流の魔法使いにしかなれんだろうな」
表情に出したつもりはないのだが、ドラウフにあっさりと見抜かれてしまい俺はぐっと歯を噛む。親父の呆れたような声が聞こえた。
「どうも不機嫌だと思っていたが、お前ああいう杖が欲しかったのか? 馬鹿だなぁ。あんな杖を持っていたら、戦う前から魔力適性が相手にバレてしまうだけで、いいことなんて何もないんだぞ」
「……」
俺は自分の無知を恥じて俯き、黙ってドラウフの差し出した杖を受け取った。
「その円の中に立って杖を振れ」
棚と箱に気を取られていて気付かなかったが、よく見ると床に白い魔方陣が描かれていた。中に立ち、言われるがまま杖を振る。俺はまだ魔法を習っていないから、特別何かが起きることはない。はずなのだが、倉庫のあちこちでガタゴト、という音がした。
「……?」
「ふむ、よしついてこい。まずは万能型の方だな」
ドラウフは杖を箱の中に戻させると、倉庫の一画へ俺たちを導いていく。その一画にある箱のラベルは、全て二段目が空白になっていた。オールマイティに使えるというのは、特別な素材を使わないという意味らしい。
ドラウフは迷う事なくその棚の中から三つ程の箱を引き出した。よく見ると、先ほどは整然と並んでいたはずの箱が、ところどころ飛び出している。
「もう一度、今度はその円の中に立って杖を振れ」
先ほどと同じように、何も考えずに振っただけだが、一本目は、振りかぶった瞬間に中央から真っ二つに折れた。二本目は、杖のてっぺんからびりびりと裂けた。
「……」
「やれやれ、それでも頑丈なものを選んだんだがな。相当堅い素材じゃないと駄目そうだ」
物を壊すのは先ほどから二度目なので、あまり気にした素振りもなく、ドラウフは肩を竦める。
「今のを見て、杖も大分ビビったみたいだな」
確かに先ほどよりも幾分、飛び出している箱の数が減ったように感じる。ドラウフはそれらのラベルを慎重に見比べて、また三つの箱を取り出した。
今度はどの杖も壊れなかった。一本目は特に何も起きなかったが、二本目を振った時に足下の円が白く発光し、ガタゴトっと大きな音がしてさらに多くの箱が引っ込んだ。続いて三本目も発光したが、二本目の方が強かったような気がする。
眩い光に眼をぱちぱちさせていると、ドラウフが、「他に挑戦者はいないようだな。二本目の杖がお前のものだ」と告げた。確かに棚は、元の整然とした状態に戻っていた。
「さぁ、二本目の杖を探しに行こうか」
どうやら二本目は、万能型と違って様々なところに散らばっているらしい。ドラウフは俺を伴って倉庫の中を一通りぐるっと巡った。先ほどと同じように、飛び出している箱を掴んでは俺に持たせる。
ラベルは四段全て揃っていた。ちらちら確認していたが、虹色魚の鱗やら氷竜の髭やら、水や氷に関連のありそうな単語が読み取れた。10個ほど積まれて、前が見えなくなりながらも慎重に歩く。もうこれ以上物を壊すわけにはいかないからだ。
「それで全てのようだな。やってみるか」
入り口から一番遠い棚の前に描かれている魔方陣の中に立ち、言われるがままに杖を振っていく。一本目は先ほどと同じく白い光を発光、二・三本目は水色の光を発光。四本目は青色で、五本目は白色を発光した。壊れる様子はないので俺はほっとしていたが、ドラウフは明らかに不満げな顔をしている。
そして六本目。冷たい風が吹いて、魔方陣の外に白い霜が張った。親父がすぐに消して元の状態に戻してから七本目。今度は無風だったが、魔方陣の外側に鏡のように氷が張った。八本目は杖の先から氷の塊が飛び出した。ドラウフは満足げに頷き始めている。なるほど、このように俺の魔力適性に適した魔法が自ずと生じる杖を探しているらしい。
そして九本目を掴んだ時だった。これまでの物と同じ、一見何の変哲もない杖なのだが、触った瞬間に指先から身体へ、ぞくりと何かが走った錯覚を覚えた。
『……なんだか外が騒がしいな』
逸る気持ちを抑えて杖を構えた瞬間、どこからか少女の声が聞こえた気がして俺は思わず動きを止めた。怪訝に思って見回すが、どうやらその音を聞いたのは俺だけだったらしく、親父とドラウフから怪しいものを見る眼で見つめ返されただけだった。
「……!? 危ない!」
その時だった。箱は既に静まり返っていたはずなのに、ここへきて、目の前の棚にあった一つがガタゴトと大きく身じろぎを始めていた。俺は思わず声を上げる。これまでの箱は全て、他より数cm飛び出るだけで収まっていたのに、ガタゴトと鳴る音はやむことを知らず、俺の目の前でその箱はぐんぐん前に飛び出していくからだ。
俺の声で何かが起きていることに気付いた親父とドラウフが慌てて振り向いたが、遅い。件の箱は俺の視界の端にあるし、最上段といっていい位置にある。今から向かったのでは間に合わないだろう。あんな高さから落ちて、中の杖は無事でいられるのだろうか。ドラウフはこれまで一つ一つ丁寧に運び出していたのに?
俺は無我夢中で杖を振るった。何故だか、あの箱が地面に直撃することを避けなければならないと強く感じていた。勿論、これ以上この店のものを壊してはならないという義務感はあったと思う。けれどそれ以上の感覚が混ざっているような気がした。
果たして、杖はその想いを形にした。杖先から迸った眩い光は落下していく箱に向かって一直線に爆ぜ、到達した途端にピキピキと凍って箱と地面を結ぶような立体を形作った。箱を受け止めるように上部が広いそれは、まるで床から生えた腕のようにも見えた。
「…なんだ、こりゃあ」
事態に気付いていち早く駆け出していたドラウフが、驚嘆と疑念の声を上げる。
「水晶の様子から氷の造形魔法だろうとは思っていたが、まさかここまでとはなぁ」
やはり驚愕に眼を見開いている親父が感慨深そうに呟くので、俺は少しだけ誇らしい気持ちになる。だがドラウフの驚きは、そればかりではなかったらしい。
「あの爺、とんだものを隠していやがった。こんな箱見た事もねぇぞ。中に何が入っているのか、検討もつかねぇ」
ドラウフは目つきの悪い眼をさらに眇めて、胡散臭そうに箱を見ている。確かに、その箱はこれまで抱えていたものとは全く異なっていた。端的に言うと、色が違うのだ。さっきドラウフと一緒に倉庫中を見て回った時は確かに全ての箱が白かった。全て白い中に黒が混ざっていれば目立って絶対気付くはずだ。
『おい、下賎な手で我に触るなよ』
ドラウフが覚悟を決めた様子で箱に手を伸ばす。また少女の声が聞こえた。何とも不穏なことを囁いているのでどうにも嫌な予感がしたが、先ほどと同じくこの声はドラウフと親父には聞こえていないようだ。忠告する余裕もなく、ドラウフの手が箱の淵に触れる。
「……開かないな」
しかし恐れていたようなことは何も起きなかった。少女の声が聞こえた途端に暴力的なイメージが浮かんだので内心ビビっていたのだが。あの箱と少女には関連性がないのだろうか。
『チッ。目覚めたばかりで魔力不足だ。おいお前、早くこの蓋を開けろ』
さっきは触れるなとか言っていたくせに言ってる内容が二転三転していないか? てかやっぱり何かするつもりだったのかよ、お前とあの黒い箱は何か関連してんのかよ! などと止めどなく思っていたらいつの間にかドラウフが俺の方を見ていた。気付いて慌てて居住まいを正す。
「坊主、ちょっとこっちへ来い。お前の魔力に反応して出てきたもんだろうから、お前なら開けられるかもしれない」
「……は、はい」
ああもう、ドラウフに対して一度としてまともに返事ができていない。俺は小走りでドラウフの元に向かう。俺が作り出した物体は、俺の頭より一つ高いところにあった。……手が届かない。
「あぁすまん」
ドラウフが手近な台座を取って来ようと動きだすのと、目の前の氷が再び光に分解されて、少しずつ箱の中に吸収されていくのとが同時だった。
「……」
箱が床に置かれる形になったので、手は届くようになった。しかし、一体何なのだろう、これは……。
「魔力を吸収したってことは魔道具でしょうか?」
「危険なものじゃないのか?」
俺と親父は口々に疑問を投げるが、ドラウフにもこれは全く見当もつかないものであるようで、首をひねるばかりだ。
『もう、さっきから鬱陶しいな。我はお前に害為すものではない。早く開けろ開けろ開けろーっ』
害為すものではないっていう口調がどうにも胡散臭いよ……。だけれど、開けろ開けろと急かす口調は駄々っ子のように無邪気で危険を感じない。この調子でずっと急かされるのも面倒だ。
俺はうずくまって箱の蓋に手をかけ、一気に開ける。
「……!?」
『どうも、初めまして。目玉が無いので閉じたままで失礼するよ。我が名はネモフィラ、マギ・スフィア第五パペット』
箱の中に納められていたのは、これまで散々見てきた杖ではなく。
透通るように真っ直ぐな銀髪が印象的な、人形だった。