1 杖専門店
親父に連れて行かれたのは、王都の大通りの裏通りの裏通り。裏の裏は表? 莫迦なことを言ってはいけない。奥へ行けば行くほど、薄暗く寂れた雰囲気に塗り変わるばかりだ。貴族として地方とはいえ都市に生まれ育って10年。こんなに狭く、汚く、灰色の通りに入ったのは初めてだ。
「お、おい親父まだ奥に行くのかよ。なんかすっげー暗くて怪しい通りなんだけど」
「お前がビビるなんて珍しいなぁ。連れてきた甲斐があったってもんだ」
親父は太い腹を揺らして豪快に笑っただけだった。親父は一般的な魔術師とはかけはなれているが、貴族にはよくあるふくよかな体型をしている。そしてチビで頭が禿げかかっている。これでも一応、侯爵としてこの地方都市の魔術団を束ねる団長なのだが、見た目のせいで一度も素直に自慢出来たことはない。
「魔石は消耗品だが、杖は違う。慎重に選ばねばならないが、お前も大通りの店の賑わいは見ただろう? あれでは落ち着いて見極めることもできまい」
「だからってこんな所まで来なくても…」
俺は大通りの煌びやかな様子を思い出して少し落ち込んだ。明るい縁石、透通った硝子窓、行き交う人の波。それがここはどうだ。昼間だというのに薄暗い路地裏の通路は黒く滲み、窓は暗く濁って見通せずひび割れている。時折路上に襤褸を纏った痩せこけた人間が踞っているばかりだ。そもそも高価な魔道具を扱っている店はおろか、衣服や食料を扱う店さえ見当たらない。本当にこんな辺鄙なところに店があるのだろうか。
そう、俺は今日親父に魔道具を買ってもらうために外出していた。6歳から通った初等学校を終えた俺は、魔術の道に進むことを決め、中等学校に進学する。この国の人間で学を修めることのできる身分の者は、初等教育を終えた後、武術、商学、魔術のいずれか一つを専攻し究めて行くのが一般的だ。
俺には兄が一人いるが、彼は武術を専攻した。魔術師の親父からしてみれば、末っ子の俺が自分と同じ黒魔法の道に適性があると分かったのが余程嬉しかったのだろう。多忙なところに休みを取って、俺の入学祝いとして魔道具を揃えると言い出した。
見目麗しいお袋と出かけるつもりだった俺は正直かなりの衝撃を食らった。チビでデブな親父と一緒に外を出歩いているところなんて、知人には絶対に見られたくない。大通りの店に、魔道具を買い求める人の波がたかっているのを見たときは軽く絶望した。
しかし、ここまで街の奥に来れば、学校の友人と出会う可能性はほぼゼロだろうから、その点は杞憂だったようだ。だが、初等学校からの帰り道、大通りの硝子窓を覗いて、ひそかに憧れの溜め息をもらした、美しい杖を入手出来る可能性は低くなってきたような気がして不安だ。
そう、魔道具の中でも杖は花形だ。魔術行使の際は必ず身体の正面に構える、魔術師の顔といってもいい。しかし、親父の時代にはまだ装飾を施すという趣向がなかったのか、彼が持っているのは30cm程度の短く無骨な木杖。今も腰裏に差してあるだろうそれを思い、俺は溜め息をつく。
今は本当に様々な豪奢な杖が店先に並んでいるのだ。身の丈を超える程の立派な錫杖や、てっぺんに宝石をあしらったもの。見事な神獣の彫刻が為されているもの。俺も中等学校に上がった暁にはあんな杖を買ってもらえるのだろうとはしゃいでいたのだが…。
「着いたぞ、ここだ」
親父が急に足を止めたせいで、汗ばんだ身体に衝突しそうになり、俺は慌てて身を引く。おかげで事なきを得た。
「え…?」
俺はその店の外観に呆然と眼を見張った。大通りで目にしていたものと比べて、相当に小さい。明るく華やかな雰囲気は微塵もなく、悪魔の屋敷かと思うほどに黒い外装。その上目張りされているようで、硝子窓は暗く見通せない。
案内の看板もなく、扉に白色の一文字が浮かんでいるだけだ。親父が魔道具屋だと言い張るので、それが杖を象徴しているのだろうと推察できるが、そうでなければ、一見しただけで店と判断できる者はいないだろう。
「一見様お断り、というやつだな。これぞ由緒正しい杖専門店!」
胡散臭いと思って眺めていたのだが、親父は俺の黙りを別の意味で取ったようで、自慢気に胸を張る。そして、胸元から懐中時計を出して時間を確認した。満足気に頷き、無骨な黒い扉の、錆びたドアノブに手をかける。
ギイイ、と時間と空間を押開く重い音と、扉の裏側についていたらしい鈴の軽い音が重なる。こんなところまで庶民的な店だ。魔道具屋であれば、来店者の魔力を感知する魔道具などで来客管理をする店も今では多いのに。
「魔力万能主義に走るのはお前の悪い癖だぞ。魔力は確かに何でもできるが、効率が悪い事も多い。魔法を使わずに出来るのであれば、使わない方が余程いいのだ」
俺の黙りを今度は正確に読み取ったらしい親父が、小声でたしなめた。俺は肩をすくめて、店内を見回す。想像していたよりも明るく清潔な雰囲気のある店だった。盗難防止のためか分からないが、見渡す限り魔道具はない。明るい肌の木床に、使い込まれた雰囲気のある焦茶色のカウンターが見えるだけだ。
「いらっしゃい」
鈴の音を聞いてきたのか、カウンターの奥の布を割って、男が一人出て来た。その姿を見て、俺は思わずぎょっとする。何故かって? 出てきたのは、スキンヘッドで目つきの悪い不良だったからだ。簡素な肘までしかないハーフローブから覗く腕は筋骨隆々で、だぶっとした形のズボンに包まれていて分からないが足も恐らくそうだろう。
男は俺の動揺や怯えを気にした素振りもなく、胸元から懐中時計を取り出して確認する。
「ふむ。西のエルヴァシュタイン侯爵か。俺と会うのは初めてだな? 爺から昨年職を継いだ、ドラウフ・シュパツィアーだ、以後も贔屓に頼む」
「勿論、勿論。噂で聞いてはいたが、お前さんがドラウフか。心配せずとも、お前さんの店以外で杖を買うことなど考えられんよ」
「それはありがたいことだ、よろしく頼むぞ」
ドラウフと名乗った店主らしき男は、ニヒルに口端を吊り上げた。目一杯好意的に解釈してやるなら、愛想良く笑ったのだろう。
「さて、今日はお前の息子の魔導学校入学を機に、杖を新規購入するってことでよかったかな」
親父としゃべっていたドラウフが、初めて俺の方を向いた。鋭い目つきで、上から下まで睨めるように見回す。蛇に睨まれた蛙の心境というのはこんなものだろうか。恐ろしくて声も出ないし、頷くことさえできない。
「ああ、まだ魔力適性も見ていない。測定から頼めるか」
「勿論、ちょっと待っていろ」
ドラウフは頷いて、カウンターの奥に消える。ってか、さっきから口調が粗野な男だ。俺の父はこれでもこの都市の魔術団の団長で、貴族なんだぞ。恐ろしくて声が出せない俺は、心の中だけで抗議する。上得意と思われる客相手でもこんなに粗野な調子で、よく商売ができるもんだ。それだけ腕と伝統に箔がついているということか。
「さあ、坊主、やってみろ」
いつの間にかカウンターまで戻ってきていたドラウフが、そういって俺を促す。ドラウフの頭より一回りほど大きい、見たことのないサイズの水晶だ。
学校で適性を見たときは、ちっぽけな紙を握らされただけだが、あの水晶が正式な魔力測定計なのだろうか。やってみろと言われても、何をどうすればいいのか全く分からないのだが…。
戸惑う俺をよそに、親父はドラウフとまた会話を始める。
「魔力測定計ってこんなにでかかったか?」
「もう二回りくらい小さいかな。さっきの客の時に壊れちまってなぁ、これは倉庫の中から引っ張って来た予備だ」
「壊れるって、そんなことあんのか」
「寿命かもな」
ドラウフは肩をすくめ、親父はその口ぶりに苦笑した。魔力測定計が壊れるってどういうことだろう。体重計の針が振り切れて使い物にならなくなるのと似たようなもんだろうか、と俺は冷めた眼で親父の腹を見る。
「やれやれ。どうもその坊主は俺を怖がっているらしい。おやっさんまずは手本を見せてやってくれ」
初めて見た魔力測定計に戸惑っていただけなのだが、ドラウフは悪意のある解釈をしてきた。スキンヘッドの男なんて初めてみたから、ビビっているのは嘘ではないが。
「魔力測定計を見たのが初めてなだけだろう。エイス、簡単なことだ。両手をかざすだけでいい」
その説明だけで十分分かったのだが、親父は意気揚々と水晶に両手をかざす。隣で見ていると、透明な水晶の中央にもやもやと赤い炎が生まれ、真円を描いてきらきらと煌めいた。親父が手を引くと、再び透明な水晶に戻った。
「ってことで、お前のおやっさんは火魔法、とりわけ豊穣に適性を持ってるっていうこった。平和な世の中では一番重宝される魔法だな。さあ坊主、お前もやってみろ」
ドラウフがさりげなく解説をしてくれた。どうやら水晶の中に生じた色と形で魔法適性を見るようだ。親父の赤い真円は、太陽の象徴だったということだろうか。太陽ってすげぇな。
「は、はい」
くそっ、声が震えちまった。ドラウフがにやっとした気がしたが、俺は無視して両手を水晶にかざす。水晶の中央に生じたのは、淡い水色の光を放つ八面体だった。
三人の視線が集まる中で、その立体の中央が長く伸びていき、剣のような形になったかと思うと、その両脇に幾つも幾つも同じ形が出現する。なんかヤバい気がして手を引こうと思ったが、指先が水晶に張り付いていて剥がれない。
無数に出現した立体は成長を止めることを知らず、遂に水晶の内側をびっしりと埋め尽くした。水晶と接している手の平から伝わってくるのはひんやりとした冷気。
嫌な予感で背筋が凍っている俺の目前で、ピキピキピキっと嫌な音を立てて水晶の表面に、蜘蛛の巣のような幾何学模様が描かれ、——内側から砕けた。
破片があちこちに飛び散ったが、人間に当たる前にジュッと音を立てて溶けるように消えた。恐らく親父が何とかしてくれたのだろう。
「……」
「……」
「……」
ドラウフは細い眼をこれでもかとばかりに見開き、親父もぎょっとしたように息を呑んでいる。次いで生じたのは、ドラウフの笑い声だった。口を開けて、豪快に笑いながら、言う。
「やれやれ、今日はついてねぇな。倉庫の奥にあったからこいつも寿命だったのか?」
「商売道具を、すまないな。杖の料金に加算しておいてくれ」
ドラウフに遅れて立ち直った親父が、申し訳なさそうに申し出たが、彼は最早聞いていないようだった。
爛々と光る瞳—好意的に解釈するならおもちゃを見つけた子供のような無邪気な眼、悪意的に解釈するなら獲物を見つけた獣のような鋭い眼—で俺を覗き込み、きらりと光る犬歯をむき出しにして笑いかける。やっぱりこいつは獣だ。怖過ぎる。
「氷魔法の使い手なんざ初めて見たぞ。杖はどうしたもんかね」
ぶつぶつ呟きながらまたカウンターの奥に消える。かと思えば、すぐに戻ってきて、きょとんとした顔で命令した。
「どうした、早く着いてこい」
一々言葉が足りないんだよ、と心の中だけで文句を言いつつ、「は、はいっ」とまたどもりながら返事をして、慌てて後を追う。
杖の倉庫のようなところに出るのだろうと思っていたが、布を通り越した先にあったのは横長の通路だった。目の前には三つの扉がある。一番左には竜の横顔、真ん中にはハンマー、右には箱の彫刻が為されている。
「んーまぁ折角だから色々見せてやるか」
どうも水晶を壊す前と後とでドラウフの態度が随分変わったような気がする。普通物を壊されたら不機嫌になると思うんだけどな。
ドラウフはまず一番奥の扉を開いた。
「……!?」
初めに眼を引いたのは、部屋の中央にどでんと横たわる緑色の竜の死体だった。机の上にはその他にも蜥蜴や蜘蛛、蝶が、整理されて並べられている。図鑑などで見た事のある有名な魔物ばかりだ。両脇にある棚には、何かの目玉や鱗や翅や足が、これまた整理されて瓶詰めされていた。
「こ、これは…?」
「職人見習いが狩ってきたもんだ」
「なんのために? 必要があるならギルドの狩人に頼めばいいのでは?」
「うちの杖は、芯に強力な魔力を持った素材を使っている。弟子時代は狩りばっかりだったな。修行とかっつって」
道具職人というと工房内で繊細な仕事をしているイメージだったが、ドラウフがやけに筋骨隆々な理由が分かったような気がした。
というか、工房と杖置き場も、この材料置き場と同じくらいの程度の大きさがあるのだろうか。どうも店の外観にそぐわない広さを持っている気がするのだが。
質問すると、ドラウフはふふん、と自慢げに笑った。
「お前にとって、この店はどこにあった?」
「え、と。僕が住む地方都市の大通りの裏通りの裏通りにありました」
「俺の店は、そこであってそこでない場所にあるんだ。この国の都市中に空間を持っている。そうした空間を全て継ぎ合わせてできたのがここだ。だからこの店は、どこにでもあって、どこにもない」
よく分からないが、この店は無数の空間を繋いで作ったのだと言う。どの街に居ても、この店にアクセスできるということらしい。でもどうして、あんな辺鄙な場所に入り口を構える必要があるのだろう。
「客を捌ききれねーからだな。そもそも、俺は客は一度に一団体しか見ないことにしている。だから場所と時間を厳密に管理しているんだ」
なるほどな。来店した時のドラウフと親父の奇妙な様子もそう考えると理解できる。二人とも時計を確認していたし、ドラウフは西の、と口にした。この店の拠点が一カ所なら、わざわざどこから来たのかなんて確認する必要もない。
「やれやれ、もうこんな時間か。さっさと杖選ばねーとな」
工房も覗いてみたい気がしたが、ドラウフは真ん中の扉は素通りして右奥の扉に向かう。
結論から言うと、杖置き場は先ほど見た材料置き場より広かった。所狭しと並んだ棚に、びっしりと整然に箱が並べられている。一体全てで何本あるのか検討もつかない。こんな中からどうやって選び出すんだ?
「杖は二本買うのでいいんだよな? あれ、っておやっさんいねーじゃねーか、ったく」
ドラウフは悪態を吐くと、俺を一人置いて親父を呼びに戻った。手持ち無沙汰になった俺は、箱の側面に貼られたラベルを何となく読んでいた。カシ、火蜥蜴の尻尾、26cm、シルヴァ。トチ、翠翼竜の鱗、18cm、マーギン。などなど。ラベルに書かれている項目は四つのようだ。木材、素材、長さ、制作者の順だろうか。
どうも先ほど材料置き場で見せられたものが、杖に使われているようだ。しかし、鱗がびっしりと貼られた杖など見た事もない。一体どういう風に使われているのだろう。そもそも何のために使うのだろう。