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エピローグ

 『君は本当にへたれだなあ』

 「は?」

 『そこは普通……。あ、いやいや、何でもない。やっぱりいい』

 「なんなんだよ一体」

 僕は校門の柱に寄りかかりながら、校舎のほうをちらっと窺った。くるるちゃんはまだ来ない。早く来てくれないかなあ、そしたら電話を切る口実ができるのになあと思いつつ、電話に意識を戻す。

 今電話している相手は、幼なじみの唯だ。本当は昨日の夜に電話が掛かってきたんだけど、あまりに疲れていたので、「明日にしてくれ」とだけ言って、切った。携帯の電源ごと。

 そしたら今日、学校の校門を一歩出た瞬間に電話が掛かってきた。誰かに見張らせてるんじゃないかってぐらいのタイミングだ。実際にありえるだけに、怖い。

 用件は、「昨日の放課後、体育倉庫裏で何があったのかを洗いざらい吐きたまえ」というものだった。さすが情報が早いなあと思いながらも、呼び出しを食らったところから、くるるちゃんと一緒に下校するところまでを話した。割と恥ずかしい会話まで吐かされて、その上で言われたのが、さっきのセリフだった。

 なんでそんなことを言われたのかは、実はわかっていたりする。要するに唯が言いたいのは、「そのシチュエーションなら、抱きしめるぐらいはしろ」ということだろう。実際、それも考えた。だけどまだ早いと、僕は思う。出会ってたかだか一週間しか経っていない男女が抱き合うというのは、ちょっとまずいだろう。こんな考えだから、唯にヘタレとか言われるのかなあ。でもなあ……。

 『にしても君は、なかなか良い友達を持っているな』

 「は? なんだよいきなり」

 この言い方だと、友達って光輝のことだよね? くるるちゃんじゃなくて。でも、光輝はそこまで活躍してないけど。

 「くるるちゃんだけよこして、自分は帰ったんだよ? いや、それが悪いとは言わないけど、でもさ」

 『いやいや、そうじゃない。彼は帰ったんじゃないよ』

 「え?」

 帰ったんじゃない? でも、そのことを今日、冗談交じりに話したら、全然否定しなかったけど。

 『彼はね、ボクを呼びに来たんだよ』

 「うそ……」

 『嘘じゃないさ。彼はボクのところに来て、こう言ったんだ。「俺のダチを助けてくれ。あんたの言うことは何でも聞く。奴隷にでもなんでもなってやるから、だから頼む」ってね。確かにこの学校でイジメを止められるのはボクだけだろうけど、とは言え、そんなことをこのボクに向かって口走るなんて、正気の沙汰とは思えないね』

 「あのさ、唯……」

 『大丈夫、酷い事はしない。結局ボクが行った時には全て終わった後だった訳だし、あんな男気のある人間はそういないからね。小さい貸しを一つ作っただけさ』

 「サンキュ」

 唯を信頼してないわけじゃないけど、確認せずにはいられなかった。もし本当に唯の奴隷なんかにされたら、どんな危ないところに連れ込まれるか、わかったものじゃない。

 『それに彼は、頭も回るようだね』

 「あー、そうかも。でもなんで?」

 『ボクを呼びに来る前に、月城を送ったんだろう? その状況に限って言えば、男百人分にも匹敵する戦力だよ』

 「?」

 『わからないって顔してるね』

 「これ、テレビ電話じゃないよね?」

 『息遣いでわかるよ、君の事は』

 唯は、たまにこういうことを言うから困る。僕に対する好意を前面に押し出して、隠そうとしない。それが恋愛感情なら僕としても大歓迎なんだけど、そこが今ひとつ掴みきれなくて、判断に困る。

 「で、男百人分ってどういうこと? 実はくるるちゃんが飛天御剣流の継承者だったとか、スーパーサイヤ人だったとか、悪魔の実の能力者だったとかいうわけじゃないよね」

 『勿論。覚醒遺伝した大妖怪の子孫でもないし、エンジェルダストをキメてる訳でもないし、右手が寄生虫に乗っ取られてたりもしない』

 「チョイスが微妙……」

 『要するにだ』

 「あ、流すんだ」

 『君が書いた椚山シスターズ研究会のトップ記事。それが月城に、男百人分の力を与えた。――否、権力を与えたと言った方がわかり易いかな?』

 「あー、なるほど」

 あのトップ記事は、くるるちゃんの人気を上げる為に作った。そして狙い通り、くるるちゃんの人気は爆発的にアップした。記事を見なかった人はともかく、見た人は少なからず、くるるちゃんのことが気になってるはずなんだ。

 それに、あの時体育倉庫裏に居たのは、くるるちゃんとチャラ男を除けば、あとは全員シス研会員だったはずだ。なんせ、シス研の規則を破った僕に腹を立てている人たちが集まったんだから。

 だとしたらどう転んでも、あの場でくるるちゃんが乱暴されることはなかっただろう。チャラ男が直接手を下さない限り。

 『考えてもみたまえ。例えば、さっきの話に出てきたサスケとかいう男。男三人を相手に、そんな短時間で勝つなんて有り得ると思うかい? しかもその三人は、君を殴りたくてやってきた訳だから、それなりに荒事に興味のある人間なんだろう。それに勝てたのは、彼が強かったからでも、天が彼に味方したからでもない。単に彼は言葉で説得して、他の三人も自分と同じように寝返らせただけだよ』

 なんか色々と腑に落ちた気がした。言われてみれば、サスケさんが裏切ったのはくるるちゃんが来たあとだ。まあそれでも助けられたことには違いないのだけど、でも今の話を聞いてちょっと感謝の度合いが下がってしまった感は否めない。

 「うーん……。そう考えると、昨日はちょっとお礼言いすぎたかな」

 『昨日?』

 僕のぼやきに、唯が疑問の声を出した。

 「うん、昨日の夜、シス研でさ、……あ」

 そこまで言って、失言に気付いた。でももう遅い。

 『ほー。君はボクからの電話は疲労困憊で出られない癖に、パソコンのチャットは出来たと言うのかい。ほー。ほおー』

 「あっああー! く、くるるちゃんが来たー。悪い電話切るねじゃあ」

 『待ちたまえ君! 君は大体ボクを――』

 何かを怒鳴っている唯の声を無視して、僕は強制的に電話を切った。

 「誰と話してたんですか? 先輩」

 「あ、ああ。ちょっと幼なじみとね」

 くるるちゃんが来たと言ったのは、嘘じゃない。だからこそ、唯がもう一度電話を掛けてきたりはしない。もし嘘だったら、たちどころに見抜かれて、二秒と待たず携帯のコール音が鳴っているだろう。

 ほっと一安心して、冷や汗を拭いながら帰路に着く。当然くるるちゃんも、後からついてくる。

 「幼なじみって、男の人ですか?」

 「いや、唯は女……ハッ!」

 まずい! この会話。好感度ダウンの匂いがぷんぷんする。一安心してる場合じゃない!

 おそるおそるくるるちゃんのほうを窺うと……。

 「そうですか。女の人ですか」

 夏の熱さを吹き飛ばすほどの冷気が、くるるちゃんの周りを漂っていた。一難去ってまた一難。拭った冷や汗がまた垂れてくるのを感じつつ、必死に言い訳を並べ立てた。

 「い、いや。女って言っても、本当にただの幼なじみだよ? 男みたいな奴だし、全然そんな関係じゃ……」

 「そんな関係ってなんですか? 別にわたし、その人と先輩がどんな爛れた関係でも、ちっとも気にしないですけど」

 「だから爛れた関係じゃないんだよおぉ!」

 涙声で訴える。ああ、本当に強くなったね、くるるちゃん。前はここまで冷たくなかったのに……。

 「ところで先輩」

 「な、なに? くるるちゃん」

 「先輩は今でも、ストーカーをやってるんですか?」

 唐突な質問に、僕は首を傾げた。

 「いや? 最近はいろいろあったから、ストーカーはご無沙汰だけど」

 「そうですか。じゃあそのままストーカーやめましょう」

 「ええええ!!」

 思わず大声を出してしまい、周りにいた生徒の注目を浴びた。でもそれが気にならないぐらいの衝撃だった。むしろ注目を気にしたのは、くるるちゃんのほうだ。

 「先輩、声が大きいです。もっと小さい声で驚いてください。それに、そんなに驚くことですか?」

 「いや、だって、くるるちゃん言ったじゃないか。『ストーカーでも好きです』って」

 「はい、そうです。ストーカーでも先輩は好きです。でもストーカーじゃない先輩は、もっと好きです。それに先輩が牢屋に入れられたら、会いに行くのが大変です。だから、ストーカーやめましょう」

 「…………嗚呼」

 くそ、そういうオチか。僕の全てを許してくれる子なんて、居るわけなかったんだ。やっぱりストーカーという性癖は、恋愛においては大きな障壁だったんだ。あ、性癖と障壁って、ちょっと似てる(←現実逃避)。

 「そんなに落ち込むことですか?」

 くるるちゃんが困ったように、僕の顔を覗き込んできた。

 「そりゃそうさ。落ち込むよ。この気持ちが知りたければ、くるるちゃんもストーカーになってみればいいよ」

 「ごめんなさい遠慮します」

 だよね。

 「だけど、今までわたしをストーカーしてたんですよね? じゃあいいじゃないですか。これからはずっと一緒に居られるんですから」

 「うぅ、そ、そうだけど」

 言えない。くるるちゃん以外にも五〇人ぐらいストーカーしたことがあるなんて言えない。

 「あ、ひょっとして写真ですか? それだったら、いくらでも撮っていいですよ。倉西さんに聞いたんですけど、先輩は女の子を傷つけない主義で、エッチな写真は絶対に撮らないんですよね。エッチな写真じゃないなら、わたしの目の前でいっぱいいっぱい撮ってください」

 言えない。エッチな写真は公開しないだけで、自宅の秘密の箱にたくさんしまってあるだなんて、口が裂けても言えない。

 「どうしたんですか先輩? 顔色悪いですよ」

 「……めん」

 「はい?」

 「ごめーーーん!」

 「きゃあっ! せ、先輩、どうしたんですかー!?」

 くるるちゃんの純粋光線に耐え切れず、僕は逃げ出した。

 

         * *

 

 五分ぐらいしてから、学校に向かって引き返した。道の途中でくるるちゃんと再会する。

 「あ、先輩。よかった。先輩ったら約束をわすれっちゃったのかと思った」

 「ごめん、しばらく忘れてた」なんてことは、絶対に言えない。

 「ハッハッハ。僕がくるるちゃんとの約束を忘れるわけがないじゃないか」

 なんか、ストーカーしてたっていう最大の秘密をカミングアウトしたあとなのに、相変わらず嘘つきまくりだ。これでいいのか、僕よ。

 「それじゃあ、行きましょう。お花も摘みましたし」

 「お花摘み……」

 「トイレじゃないですよ?」

 「な、なんで僕の言おうとしてることがわかったんだ?」

 「さて、なんででしょうね? 優しい答えと、キツい答えがありますけど、どっちがいいですか?」

 「じゃあ、優しいほうで」

 「先輩が、失礼な人だからです」

 「ちなみにキツいほうは?」

 「先輩のギャグが、ワンパターンだからです」

 「どっちもキツく聞こえるのは僕だけ?」

 「(あと、わたしが先輩のこと大好きだからです)」

 「え? 今なんて?」

 「何でもないですよ。さ、早く行きましょう、先輩」

 そんな会話をしてから、僕らは出発した。目的地は、坂の上の公園。死んだ子猫が眠っている、あの公園だ。

 

         * *

 

 前にこの公園に来た時と同じように、今日も人が多かった。ブランコ待ちの子供が何人かいて、滑り台で滑る子供たちがムカデみたいに連なっている。あれじゃあ滑り台の意味がないと思うけど、遊んでる子供たちは面白そうだから、まあいいのかな。

 無意味に走り回る子供たちの間を、僕とくるるちゃんは突っ切っていった。僕はちょっと気が引けたんだけど、くるるちゃんがどんどん行くもんだから、ついていくしかなかった。お母さんたちの目線を少し感じたけど、呼び止められたりはしなかった。

 そうして僕らは、この公園で一番立派な木を目指す。

 「あ」

 木から十メートルぐらい離れたところで、くるるちゃんが立ち止まった。

 「どうしたの? くる……あ」

 訊く途中で、僕も気付いた。

 木の前には、女の子が居た。地面にしゃがみこんで、頭を垂れたその姿は、お墓参りしているように見えた。僕たちはそうっと、女の子に近づいていった。

 真後ろに立つと、さすがに女の子も気付いた。振り返って僕たちを見ると、驚いて尻餅をついた。

 「あ、ごめ「ごめんなさい、驚かせちゃって」

 僕が助けようとしたところを、くるるちゃんが割り込んで助け上げた。

 「大丈夫? けがはない?」

 「う、うん。大丈夫」

 「よかった」

 「あ、ありがとう」

 しっかりした返事を返しながらも、その子はちらちらと僕のほうを気にしていた。その瞳からは、はっきりと怯えの色が見てとれた。

 いや、当たり前か。見たところ相手は小学生低学年ぐらいだし、いくら僕が草食系男子でも(自分で言うとむなしくなるね、これ)、見知らぬ高校生は怖いに決まってる。

 その点、くるるちゃんは女の子だし、背も低いから、高校生に見えない。くるるちゃんが割って入って助けたのは、正解だ。

 「ねえ、少し訊いてもいいかな?」

 くるるちゃんが、しゃがんで目線を合わせながら女の子に訊いた。

 「なに? お姉ちゃん」

 「さっき、そこでしゃがんで何をしてたの?」

 「え、あ……の……」

 女の子が口ごもった。くるるちゃんは急かしたりせずに、笑顔で見守っている。

 「あの、えっと、ねこが、ねこがね」

 「うん、猫がどうしたの?」

 「えぇっと……、笑わない?」

 「笑わないよ」

 「あのね……。猫のおはかまいりしてたの」

 やっぱりそうだったんだ。でも、どうして捨て猫の墓参りをしてたのか、なんでそこに猫が眠っていることをこの子が知っているのかは、まだわからない。

 「そう、あなたの猫?」

 「うん、そうなの」

 しばらく間が空いたあと、またくるるちゃんから話しかけた。

 「名前を、教えてもらってもいい?」

 「ソラっていうの」

 「そう、良い名前だね」

 「……わたしがつけたの」

 「あなたの名前はなんていうの?」

 「マナカっていうの」

 「それじゃあ、マナちゃんって呼んでもいい?」

 「いいよ。友達もそう読んでるの」

 会話を聞きながら、僕は感心していた。くるるちゃん、子供と話すの上手いな。

 にしてもわからない。そこに埋まってるのは僕らが世話をしてた捨て猫のはずだ。ソラじゃない。それとも、あの捨て猫が捨てられる前、この子の家で飼われてたのか?

 「ソラちゃんは、どうして、死んじゃったの?」

 「……車にひかれちゃったんだって」

 マナちゃんは、悲しそうにそう言った。

 ――交通事故だ。

 河原の猫がいなくなった朝、角刈りが電話で言った一言を思い出した。

 「でもね、わたしは悲しくなんかないの。悲しいけど、悲しくないの。だって、お兄ちゃんが代わりの猫を連れてきてくれたから」

 お兄ちゃん。

 なんだろう。何かがわかりかけてきた気がする。でもあと一歩で掴みきれない。

 「その話、詳しく聞かせてもらえる?」

 くるるちゃんも同じなんだろうか。さっきまでの話し方よりも、少し急かすような訊き方だった。

 「いいよ。あのね……」

 

         * *

 

 わたしね、ちっちゃい時からねこがほしかったの。あ、今もちっちゃいけど、今よりちっちゃい時って意味なの。それでね、ずっとお母さんがダメってゆってたんだけど、一年生の時にお兄ちゃんといっしょにお願いして、ソラをかってもらったの。

 わたし、始めはすぐにごはんあげるのわすれたりしてたの。でもその時はお兄ちゃんがかわりにあげてくれて、それでね……。あ、ソラがかわいくなかったんじゃないの。わすれてただけで。いまはちゃんとわたしがごはんあげてるの。

 それでね、この前、ソラがいなくなったの。いつもどこかに出かけても、ごはんの時間には帰ってくるのに、帰ってこないの。わたし、お兄ちゃんといっしょに探したんだけど見つからなかったの。それでね、家で、悲しくて、でもお兄ちゃんが大丈夫って。絶対見つけてくるって。

 朝になってね、お兄ちゃんがねこをつれてきたの。見つけたぞってゆって。ソラとおんなじ白いねこだったんだけど、ソラよりちっちゃかったから、わたしすぐソラじゃないってわかったの。

 でもわたし、ゆわなかったの。なんか、ゆっちゃダメかなって。お兄ちゃんがなんか、それでね……。このねこでもいいかなって。

 それでね、でもね、だめだったの。ソラのこと、どうしたのかなって思って。悲しくなって、新しいソラと遊んでたんだけど、悲しくって、それでね。お兄ちゃんがきてね、きいたの。どうしたって。それでね、わたし、ゆって、それでね、お兄ちゃんがね、教えてくれたの。ここだって。車で死んじゃったんだって。それでね、えらいな、ってゆってくれた。がまんしてえらいなって。ありがとうってゆってくれたの。

 それでね、わたしソラにさよならをいいに来たの。ありがとうっていいに来たの。これはね、ソラが好きだったボールなの。ほんとは土の中にいっしょに入れてあげたかったんだけど、お兄ちゃんがだめだって。だから、ここにおいておくの。

 ソラがいなくなって悲しいけど……、ずっと泣いてたら、お兄ちゃんも悲しくなるの。お兄ちゃんはすっごくやさしいの。だから、わたし、悲しくないの。お兄ちゃんと、新しいソラがいるから、わたし、悲しくないの。

 

         * *

 

 話を聞き終えても、しばらくくるるちゃんは口を開かなかった。マナちゃんが、困ったように僕のほうをちらちらと見てきた。でも僕も、何も言えなかった。多分、くるるちゃんと同じ理由で。

 しばらくして、くるるちゃんが口を開いた。

 「最後に一つ、訊いていい?」

 「なに?」

 「新しいソラちゃんは、元気?」

 くるるちゃん……。

 「うん、すっごく元気。前のソラとちがってお外に遊びに行ったりしないけど、お母さんはそれで悪い子だってゆうけど、でもわたしはたくさん遊べて楽しいの。今日もね、新しく買ってもらったボールでボール遊びしたの」

 「そう、よかった。その子猫ちゃん、大事にしてあげてね」

 「うん!」

 明るく頷いたマナちゃんは、本当に嬉しそうだった。

 「話してくれてありがとう。じゃあね」

 「うん、ばいばい、お姉ちゃん!」

 「ばいばい」

 手を振りながら、元気良く駆けていくマナちゃん。手を振り返しているくるるちゃんの顔は、こちらからは見えない。でも、

 「……良かったね、くるるちゃん」

 見なくてもわかる。くるるちゃんは今、きっと泣いている。それはもちろん、悲しみの涙なんかじゃない。もっと綺麗で、幸せな涙だ。

 くるるちゃんは何も言わずに空を見上げた。青い、夏のソラを。

 僕はそんなくるるちゃんを見守っていた。ただ、いつまでも、見守っていた。

                             (完)

 この物語のヒロイン、月城くるるは、とても気が弱い性格です。しかし一口に気が弱い性格と言っても、その根源となるものは様々だと思います。

 彼女の場合は、自分は弱い人間であるという思い込み、つまりは自分に自信がないことが原因です。自信さえつけば、あるいは相手が自分より低い立場に居る人間であれば、ごく普通に話すことができます。

 物語の最後のほうで、彼女がオドオドすることなく普通に会話できていた理由も、それです。主人公のことを尊敬していた時は緊張していましたが、彼も完璧な人間じゃないことを知って、心に余裕が生まれてきたのです。ですから、主人公が思っているほど、彼女は成長していません。

 このように書くと、彼女のことを嫌な人間だと言っているように受け取られるかも知れませんが、決してそんなことはありません。弱気でオドオドした彼女と、強気で毒を吐く彼女、どちらが良いかと問えば、それは人それぞれに違った答えが返ってくるでしょう。

 それに強気な時でも、彼女の優しさには変わりありません。物語の最後、主人公の掛けた「良かったね」という一言に、何も返事をせずに空を見上げた彼女。そこに、彼女の優しさが表れています。

 あのシーンについては、僕も少し悩みました。最初は「はい」と答えさせていたのですが、どうもしっくりきませんでした。その理由を考えていくうちに、あの結末が決して「良かった」とは言えないものだと気づいたのです。

 あの結末は、結局のところ、不幸が他に移っただけです。移った相手がそれを不幸だと感じていないだけで、完全なハッピーエンドとは言い難いものです。だから彼女も、「良かった」とは言えず、でも嬉しいことには違いないので、何も言わずに空を見上げることしかできなかったのです。

 その点、「良かった」と言い切ってしまう主人公は、少し冷たい人間だと言わざるを得ないでしょう。ですがその冷たさは、人の為に発揮される冷たさです。

 物語の中で、いじめをなくす為にいじめられている本人を傷つけるような方法を選択したように、彼にはそういう、「人を助ける為なら非道な手段でも使ってしまう」という危うさがあります。最後の言葉にしても、目の前に助かった本人がいたからこそ、相手の為に出された言葉だろうと思います。

 本当に優しいのは一体どちらなのか。その答えもきっと人によって違うでしょうし、おそらく、どちらも間違いではないのでしょう。

 

 最後になりますが、今回は、このような作品を読んで下さり、本当にありがとうございました。この作品を通じて、少しでもあなたの心に感動を与えることができていたなら、それが僕にとって何よりの幸せです。

 また次の機会があれば、その時もどうぞよろしくお願いします。

 

平成二十四年五月二十五日

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