2話
本編の第一章の二話目です。
では、どうぞ。
あれから俺は水原家の中に招かれ、今はお茶をいただいている。
リンゴのムースをスプーンで一口分すくって口の中へ。甘く優しい味が口いっぱいに広がり、フワリとほどけていく。そこにホカホカと湯気をたてる香りよい紅茶を一口。
なんともいえない幸せな一瞬だ。
「ふう。腕をあげたね、綾ちゃん」
「はい。そりゃあもう、練習しましたから」
「でも綾ちゃんの淹れる紅茶はホント一級品だと思うよ。私が家で紅茶を淹れても、こんなにおいしく淹れられないもん」
「うん。ありがと、美咲」
肌寒いくらいの外で冷えた体が、芯から温まっていきほっと落ち着いていく。学校やゲーセンでたまった一日の疲れが少しずつ溶けていくみたいだ。目の前の女の子たちも、ふんわりとした緩んだ表情を浮かべている。穏やかな時間だった。
だけどこのゆったりとした空気はすぐに霧散した。
「そういや、綾。さっきお前が大興奮してた封筒ってなんだったんだ?」
「……ふう。兄さんはもう少し余韻とか、風情って言葉を理解してください」
あきれた様子の綾ちゃん。坂下さんは、われ関せずといった様子で紅茶をすすっている。
だけど俺も潤ではないが、さっきの封筒については少し気になってはいた。せっかくだし、この際ちょっと聞いてみるか。
「ねえ、綾ちゃん。俺もさっきの封筒について聞きたいことあるんだけど、いい?」
「はい、どうぞ」
あきれた様子から一転。綾ちゃんはにっこりと微笑んでくれる。
「さっき外で偶然『機械仕掛けの箱庭』っていう文字が封筒に書かれているのが見えたんだよね。あれってもしかして?」
「はい。ダイさんの想像している通りだと思います。さっきの封筒の中身は『機械仕掛けの箱庭』のオープンβテスト招待券でした」
「……おいおい、マジかよ。あれって当選率0.1%未満のプラチナチケットじゃねーか」
「そうですね。今回のβテストって、日本枠はたしか合計で五千人だったはずです。その中でも一番当選数の少ない四人チーム券を当てるなんて、綾はすごすぎます」
たしかに潤や坂下さんが今言ったとおりだ。
テレビの報道によると、『機械仕掛けの箱庭』のオープンβテストは、アメリカ、イギリス、日本の三国からテスターを募り、三国合計一万五千人で実施されるらしい。各国とも募集枠は、四千人の個人枠、二百五十組の二人枠、百二十五組の四人枠の計五千人で共通だ。
この当選確率で当たりをひくなんて、幸運なんてありきたりな言葉じゃ言い切れないだろ。
それはそうと。
さっきから隣に座っている潤の機嫌が妙に悪くなってる。しかもたまに、俺の方に殺気混じりの視線を向けてきやがる。理由はなんとなく想像がつくぞ、このシスコンめ。
「そういえば、綾。さっきからお前、俺とダイで全然態度と扱いが違わねーか?」
「そんなの当たり前です。妹に欲情する変態の兄さんと、優しく紳士のダイさんでは、どちらを優先するかなんて自明の理でしょう?」
綾ちゃんの液体チッソよりも冷たい言葉に、不機嫌そうだった潤は露骨に動揺した。
それにしても……よ、欲情って。綾ちゃんがかわいいのはわかるけど、妹相手にそれはさすがにドン引くぞ。しかも坂下さんも紅茶片手にコクコクとうなづいてるし。
もしかしてホントになにかやらかしたのか、潤よ?
とりあえず俺は潤との心の距離を大きく取り、同時に物理的にも若干の距離を取ると――。
「あれは事故だったんだぁぁぁあああぁぁっっ」
いきなり潤が涙ながらに絶叫した。
いや、ホントにお前はいったいなにをやらかしたんだ?
ヴァーチャルリアリティシステム(Virtual Reality System)という仕組みがある。
VRSと通称されるこの仕組みは、全感覚没入型の擬似感覚体験システムのことだ。簡単に言えば、人の持つ五感のすべてを使って仮想空間を体験できる仕組みを指す。
VRS自体は2030年代の頃から、アメリカやイギリスなどと共同で、国策として開発が進められてきたものだ。しかしそこで開発された技術は一切が国家機密として、民間に移転されることはなく、あくまで国家のためにのみ利用されてきた。
しかし近年、VRS技術の一部を民間に移転せよという世論の流れが生じた。国家予算を使いながら、民間へのフィードバックが無いのはおかしいという財界からの要望が始まりだったらしい。
こうしてあれやこれやの調整を経て、VRSを利用する至上初めてのゲームとして作られたのが、MMORPGの『機械仕掛けの箱庭』だ。
史上初となるVRS使用のゲームに、ゲーム制作上の難易度が高いMMORPGを選択することには、マスコミやら自称専門家から疑問の声が上がったのはまだ記憶に新しい。だが結局はMMORPGのユーザ層の幅広さや、技術的挑戦という言葉が鍵となって開発は継続された。
そして技術的挑戦という割には意外すぎるほどの早々な開発完了、クローズドβテストの終了と発表があるたびに、世間は熱狂したものだった。これからはVRSの時代だ、と。
今年の夏頃にオープンβテストの実施とテスター募集について、大々的な告知とが行われた時には、10~20歳台の若い世代と、リタイア済みの60歳台以上の高齢者層を中心に日本の人口の5%程度、五百万人にも及ぶほどの応募があったらしい。
「そういや四人チケットなんだよな、それ?」
「ええ、そうよ。一緒に行く人はまだ、美咲しか決まってないけど」
「んじゃ、俺とダイでちょうど四人だな」
ん? おい潤、ちょっと待て。俺を勝手に巻き込むなよ――と、俺がつっこむ前に。
「なんで兄さんが勝手にメンバーに入ってるんですか?」
綾ちゃんがつっこんでくれた。ナイスつっこみ。
「そりゃ保護者として」
「寝言は寝てから言ってください。できれば自分の部屋でどうぞ」
「寝てねーよ。自分の部屋にも行かねーよ」
「あら違ったんですか? てっきり今も寝ている状態だと思ったんですけど」
あらら。俺や坂下さんを置いてきぼりで、あっというまに兄妹で口喧嘩が始まっちまった。とりあえず二人の口喧嘩が終わるまで、あぶれたもの同士で雑談でもしてようか。
「坂下さんは今回のβテストに応募したの?」
「はい。それにもう外れていたのもネットで確認済みです。綾はネットでの当選確認はしてなかったみたいですけど」
なるほどね。そういうことなら、封筒が送られてきた時の綾ちゃんの興奮ぶりも納得がいく。
……と、坂下さんと話しているうちに、水原家の兄妹の言い争いはヒートアップしていた。
「私にだってチームメンバーを選ぶ権利くらいあります」
「お前だって坂下さんに聞かずに勝手にチームメンバー扱いしてるだろ。さっきチケットが送られてきてから、そんな話全然してなかったし」
「美咲はいいんです。元々、一緒にβテストに行ければいいねって言って、二人で応募したんだから。勘違いした保護者気取りの兄さんとは事情が全然違います」
坂下さんは、相も変わらずわれ関せずといった様子で紅茶をすすっている。それにしてもずいぶんとスルースキルが高いな、この娘は。
とりあえずこのまま兄妹喧嘩を続けられるのも困るし、そもそもの話題をふった責任もある。ここは仲裁しておこう。この場合だと潤の援護射撃をする形が、一番手っ取り早いかな?
「女子中学生だけのチームっていうのもあぶないし、保護者っていうのはともかくボディガードだと思って潤を連れて行くのは、選択肢として悪くないんじゃないか?」
俺の提案に、女の子同士でのひそひそ話が始まった。といっても同じ部屋の中でしていることだ。いくら小声でもうっすら聞こえてはいる。
「ねえ、美咲。どう思う?」
「……う~ん、ボディガード役ってことならアリかもしれない。たしかにいろんな世代の人たちが集まるらしいし。やっぱり変な人とかいると怖いし」
「でも、その兄さん自身が変な人だと思うんだけど」
「なら最後の一人をダイさんにお願いすればいいんじゃないの? ボディガードからのボディガード役って意味合いも込みで。……きっと綾のことを護ってくれると思うわよ?」
「……うぅ。もう、美咲ってば。でも、それが一番いいかな。なら、それでいくわ」
どうやらひそひそ話は無事に終わったらしい。
俺の隣には受験の合格発表を待つような真剣な様子の潤がいる。その視線はまっすぐに綾ちゃんに向かっている。
「ふぅ、わかりました。それじゃ三人目は兄さんにお願いします」
思わずガッツポーズを決める潤。硬い表情から一転、表情が喜びにあふれている。
「で、最後の四人目なんですけど、できればダイさんにお願いしたいなって」
「俺なんかを誘うよりも、最後の一人は学校の友達を誘った方がいいんじゃないの?」
「まあそうなんですけど。せっかく当選の通知が来たときに居合わせたんですし、なにかの縁だってことでどうですか?」
まあさっきのひそひそ話が聞こえてたから、その誘いは口実だってことはわかってる。正直に言って信頼してもらえるのはうれしいし、誘ってもらえるのは光栄だとは思うけど。
でも、肝心のゲームがなぁ……。
「うーん……。誘ってもらえるのはうれしいんだけど、俺RPGってあんまり好きじゃないんだよね。MMORPGにいたっては、やったこともないしさ」
俺は格ゲーみたいな爽快感を得られるゲームは好きだが、RPGのような作業が中心になるおつかいゲーはあんまり好きじゃない。だから現実感のある格ゲーが楽しめそうなVRS自体には期待していても、MMORPGの『機械仕掛けの箱庭』には興味が薄かった。
だけどここで坂下さんが妙に気になる言い回しで話に入ってきた。
「でもこのゲーム、ダイさんならたぶん気にいると思いますよ。ね、綾?」
「ええ、そうですね」
「うん? それ、どういうこと?」
「『機械仕掛けの箱庭』はスキル重視型のMMOなんです。そしてなにより――」
坂下さんの言葉の続きを聞いて、俺の中で急に『機械仕掛けの箱庭』に興味がわいてきた。そりゃなんていっても――。
「習得済みスキルを組み合わせて、格闘ゲームみたいな感じの自作コンボを作れるんですよ」 格ゲーコンボを疑似体験できるっていうんだしな。
結局、俺もオープンβテストに参加させてもらうことにした。
五千人のユーザ数のはずが、改稿前は合計五千五百人となっていたため
正しい形に修正しました。




