儚いダイヤモンド
皆様の忌憚ない意見をお待ちしていますので、よろしくお願いします。
ミイラ取りがミイラになるとは、まさにこの状況だと、デニスは思った。彼は手を休め、燦然と輝く、宝石のような星々を眺めていた。
彼らの船、ドリーミング号は予想外の事態により、漂流を余儀なくされていた。それが、三億六千万平方キロメートルしかない地球の海ならまだしも、無限に広がる宇宙という大海である。状況は絶望的だった。
船体に背中から寄りかかり、大宇宙を眺めるデニスのもとに、通信が入ってきた。
「デニス、そっちの状況はどう?」
マルクだった。デニスより六つも年の若い、地中海出身の青年である。彼の褐色の肌を見ていると、いつもデニスは自分が年を食ったと痛感するのだ。
「ああ、船体の応急処置は済ませた。そっちは?」
「節約すれば二ヶ月は持つんじゃないかな。SOSさえ出せれば、何とかなりそうなんだけどな。あと、そっちが終わったらメインエンジンの修理に回れって、船長が言ってるよ」
彼らは気密スーツ同士をつなぐ無線で、顔の見えない会話をしていた。
「そうか。分かった」
デニスは絶望することに疲れ果てた身体に鞭を入れ、船内に戻った。
彼らが漂流を始めてから、六十時間が経過した。その間、船員たちはほとんど眠っていなかった。
「事態はさらにまずいことになった」
船長であるトマスは開口一番、三人の船員に告げた。
「さっき、メインエンジンは息を吹き返した。しかし、レーダーや通信システムは全てダウンしたままだ。これでは航行不能の状況に変わりはない」
船長の言葉を、デニスは虚ろな面持ちで聞いていた。彼はトマスのことを、無能だと思っていた。彼らをこの状況に追いやったのは、確かに災害以外の何ものでもなかった。それは揺るがしがたい事実である。秒速何十キロもある速度で、大量の宇宙塵に打たれたのだ。それは、誰の手によっても避けようのない天災だった。しかし、誰かを恨まずにはおれず、デニスは船の指揮官を呪っていたのだ。
デニスの思いとは裏腹に、トマスは話を続けた。
「しかし、まだ生き延びるチャンスが断たれたわけではない。我らが頼りになる同胞、ジェイムズの活躍により、生命維持装置は修理に成功した」
ドリーミング号の狭い船橋に、彼ら四人は犇めき合うように詰め込まれていた。その中で、船長の隣に陣取る男が口元だけで笑いを見せた。彼がジェイムズである。
彼も、デニスの嫌いな仲間の一人だった。無能だが処世術によって船長という職に就いたトマスの、腰巾着に過ぎなかったからだ。
「ここは確かに、大海原よりも広大で不毛な、大宇宙だ。だがしかし、生き延びる術は必ずや存在する!」
トマスは高らかにそう宣言すると、彼の脳内で作り上げられたプランを発表した。
*
ハッチを閉じ、エアロックに戻ると、デニスは大きく一息ついた。
「お帰り、デニス。どうだった? 何か発見は?」
マルクからの通信に、デニスは落胆の言葉しか返せなかった。
「いや、駄目だ。この七日間、何ら状況に変化はない。倍率をどれだけ上げても、見えるのは綺麗な星々だけだ」
「そうか。まあ、今はこの方法で辛抱するしかないね」
そんな会話をしていると、エアロック内に空気が充填された。デニスはヘルメットを外し、気密スーツを脱いだ。
船橋に戻ってくると、マルクが一人で様々な計算を行っていた。デニスは自分の席に着くと、そこに浮かんでいたチューブをつかんだ。様々な栄養素を含んだ飲み物が入っていて、まずくはなかったが胃を刺激する味がした。
船橋には彼ら二人だけだった。
「全く、あの船長には嫌気が差すね」
マルクはコンピューターに向かったまま、デニスに言った。
「いきなり何を言い出すんだ」
デニスはマルクを咎めるように言った。
「良いじゃん。船長、まだ寝てるしさ。手下のジェイムズはお花とお話し中だし」
悪びれる様子のないマルクに、デニスも気を許した。
「まあ、言わんとしてることは分かるがな」
「でしょ? 馬鹿が船長をしてると困ったもんだよ。苦労するのは俺たち船員だもん」
マルクは遠慮会釈なく喋っていた。それは、デニスには真似できないことだった。もし、この会話がトマスかジェイムズの耳に届いていたらと考えると、躊躇してしまうからである。
しかし、目の前の若者は違っていた。彼は決して、怖いもの知らずというわけではなかった。彼は自信があるから言えたのだ。
マルクは一流大学の出身だった上に、学生時代からアマチュア宇宙飛行士として様々な活動をしてきた経歴があった。つまり、鳴り物入りで入社してきたのだ。
デニスはマルクの才能を恐れていた。すでに能力だけならばデニスより上を行くのは明白だった。彼は自分を追い越されるということに恐怖していたわけではない。彼はマルクの内部に垣間見える、狂気を恐れていたのである。
「そういえばさ、船外に出て何かを発見したら伝えるよう命令が出てるけどさ。何を見つけたら連絡するのかな?」
それがトマスの出したプランだった。
「そりゃあ、他の船とか、コロニーとかの人類が住む施設とか、火星か地球じゃないのか? もっとも、そう簡単に見つかるものではないが」
マルクは訝しげな顔で答えた。
「あとは、モルペウスとか?」
「まあ、当然そうだろうな。それが当初の目標だったんだから」
言って、デニスは思い出した。彼らに課せられていた仕事を。
彼らは会社から、モルペウスと名づけられた太陽系小天体に向かうよう要請されていたのである。しかしそれは、モルペウスの調査ではなかった。数ヶ月前、モルペウスを調査に向かった船が、目標に到達しておきながら連絡を途絶しているため、その調査だった。
「先遣隊は音信不通。第二部隊は航行途中の事故。これじゃあ、夢の神の名前を冠してるけど、さしずめ悪夢の星ってところだね」
マルクは肩をすくめて見せた。
「違いないな」
デニスは無気力に答えた。彼は、思っていた以上に自分が憔悴していたことに気づいた。マルクに言われるまで、自分たちに与えられた仕事さえ忘れてしまっていたのである。しかし、まだ交代まで四時間以上もあった。デニスは小さく、マルクに悟られないよう注意を払いながら、ため息をついた。
*
漂流生活が始まってから、すでに一ヶ月が経過していた。元々、三ヶ月に渡る航行予定だったものの、水や食料が十分に残っているのはマルクの出した制限の賜物である。また、彼らの出す二酸化炭素が循環システムによって酸素に変換されているのは、ジェイムズの事故後処理が手早かったおかげだ。
しかし、ドリーミング号が不安定な状況に置かれていることは、疑いの余地もなかった。通信システムは相変わらず壊れたままで、外部に助けを呼ぶことができないからだ。さらに、水も食料も、船を動かす推進剤も全て有限の資源である。宇宙空間において、それらを補充する術はないのだ。循環させているとはいえ、酸素も同じことだった。しかし、彼らはその中で必死に生きる術を見出そうとしていたのである。
デニスは自室にこもって、限られた時間のうちに最大限身体を休めようとしていた。自室と言っても、筒状に配置された、狭い寝るためだけの空間である。カプセルホテルより狭いプライベートスペースに、身体を固定して休んでいた。それは寝ているようでもあり、突っ立っているようでもある、無重量ならではの不思議な感覚だった。
一人になると、デニスはつい色々なことを考えてしまった。コロニーに残してきた家族のことや、自分の人生の過去に関すること、会社での立場や仕事のこと、そして現在置かれている不運な状況について、無駄だと知りながら、考えずにはおれなかった。鬱屈とした気持ちが、彼の脳内を支配していた。
こうしたとき、必ず彼が達する答えが自己嫌悪だった。彼はトマスの無能に腹を立ててはいたが、同時に自分がそれと同等の無能だということも理解していたのである。このような自己嫌悪と戦うとき、彼はいつも仕事を辞めようという考えに行き着く。しかし、それを実行して明日のパンに悩まされる生活を強いられるよりは、我慢して現状を生きる方がましに思えてしまうため、彼は仕事を続けていたのだ。
デニスは壁に貼りつけてある写真を見た。そこには、彼の一家が笑顔で写っていた。
それを見て、我慢するしかないと彼は思い、自室を出た。また、仕事を再開する時間になったためだ。
船橋には、船員が全員集まった。いよいよ、漂流生活に終止符を打つためにも、彼らは行動を起こすことにしたのである。
「目視によって確認された地球と火星の位置関係から推察しても、僕らの船が最寄りのコロニーか宇宙ステーションに到達するには船体質量が足りないと思います」
マルクが様々な計算の結果を報告した。
「どれぐらい持たないと思う?」
トマスも重々しい口調で聞いた。
「限界まで節約しても、二週間分は足りないでしょう。来たときよりもさらに離れていますから、二ヶ月ぐらいかかるかと思われます。コールドスリープでもなきゃ、二週間飲まず食わずで生きられる人間はそうはいません」
「分かり切ったことを言うな」
トマスは明らかに苛立っていた。
「すいません。そこで、僕が提案したいのは、目視によって確認されたモルペウスに向かうというものです」
「あんな不毛な石ころを目指して何になる?」
マルクはトマスを逆撫でしないよう注意を払いながらも、得意げに自分の意見を述べた。
「モルペウス自体は確かに不毛です。あの小天体には、水はおろか水素さえ補給する手だてはないと思われます。ですが、先遣隊の船がそこにいるはずです」
マルクの言葉に、トマスは何も言わず考え込んでいた。デニスも沈黙を保っていた。しかしそれは、マルクの案を吟味して考えていたわけではない。自分の置かれている状況を、現実味のあるものとして捉えられなくなっていたため、口を挟む余裕がなかっただけである。
そんな二人を尻目に、マルクは続けた。
「先遣隊の船が連絡を途絶させたのは、確かに一切原因が分かっていません。ですが、厳密に言うと連絡が途絶えたというよりは、船員からの連絡がなくなったというだけです。僕らが出航する前に行われた会社側の発表によると、船員からの連絡はないものの、管制塔は彼らの船がモルペウスのそばをランデブー飛行していることを確認しています」
黙り込んでいたトマスが口を開いた。
「つまり、モルペウスには……?」
マルクは力強く笑って見せた。
「そうです。まだ彼らの船がいるはずです。管制塔は、彼らの船が無傷でいることも確認しています。彼らは、僕らよりも長い期間の仕事をするはずでした。つまり、モルペウスは不毛な太陽系小天体ですが、そこに張りついた難破船には、おそらく水も食料も、あわよくば推進剤も残されているはずです」
「よし、それで行こう。マルクはモルペウスまでの距離を類推して計算しろ。俺とデニスはエンジンの調整に入るぞ」
トマスは息を吹き返したように元気になり、すぐさま仕事に移ろうとした。マルクは安心したように息をつくと、船橋のコンピューターと向き合った。
デニスは、言われるがままに船長についてエンジンルームに向かったが、疑問と懸念は拭い去れなかった。なぜ、先遣隊の船は連絡をよこさなくなったのか。モルペウスに行けば、本当に生きて帰れるのか。しかし、それらの疑問は考えても仕方のないことだった。この状況では、何一つ分からなかったからだ。
デニスは考えるのをやめて、無心になって身体を動かした。
彼らがモルペウスを目指し始めてからは、非常に日々が早く経過していった。レーダーを失った宇宙船の飛行は非常に危険を伴うものではあったが、トマスの操船とマルクの航路計算によって、着実に目標に近づきつつあった。また、ジェイムズによって電気系統と生命維持装置は毎日のように整備され、彼らの命に支障を来すこともなかった。
そんな中で、デニスの自己嫌悪はますますひどくなっていった。彼はこの船にいて、自分の居場所を見出せないでいたのである。彼にできることといえば、せいぜい船外に出て目標までの距離を確認し、マルクに伝えることぐらいしかなかった。狭い船内において、彼は針のむしろに座る思いでモルペウスへの到着を待っていた。
「僕の航路計算によると、あと二十時間後には船橋からでも、肉眼でモルペウスの地表を捉えられるはずです」
マルクはみなの前でそう発表した。
「モルペウスに着いたら、速度を落として先遣隊の船に接近する。そこからが本当の勝負だから、みな、気を抜くなよ」
トマスも嬉しそうに語った。
船内は、にわかに活気を取り戻しつつあった。デニスも、モルペウスに着きさえすれば、船外活動の機会も増え、自分の仕事も増えると思えた。それと同時に、この身の毛もよだつような漂流生活にも、ささやかな希望が差し込むかもしれないと思っていた。
マルクの言葉通り、彼らの船はついにモルペウスの重力圏内に入った。トマスはそこで速度を落とし、周回軌道に船を乗せた。デニスは船外に出て、先遣隊の船を探した。
モルペウスは、直径がわずか八キロしかない石質の太陽系小天体だった。直径が小さいため、その周回軌道はモルペウスの地表からかなり近いところを飛ぶことになった。
「あれが謎の小天体、モルペウスの地表か!」
マルクは船橋にいながら、眼前に迫る小天体を見て感嘆の声をあげた。
「噂には聞いていたけど、大したもんですね」
ジェイムズはトマスにそう言った。
「先遣隊はあれの調査に来たわけか。確かに実物を見ると納得もいくな」
トマスも呼応して言った。
アステロイドベルトならどこでも見受けられそうな小天体に、彼らは多大な関心を寄せていた。モルペウスの地表には、無数の亀裂が走っていたためである。所々には、痘痕面のようなクレーターもあったが、地表の大半は亀裂に覆われていた。この星はその異様な様相に、ギリシャ神話に出てくる夢の神、モルペウスの名を与えられたのである。
「先遣隊の船を発見しました! 十時の方角を!」
一人、ハッチの外に出て難破船の捜索をしていたデニスは、自分の発見に興奮して通信を入れた。
「こっちも目標を視認。船長!」
「よし、よくやった、デニス。船内に戻れ。減速して目標の近くに着陸するぞ!」
彼らは活き活きと仕事をこなした。デニスの発見から一時間後には、彼らはモルペウスの地表にいた。漂流生活による疲れもあったが、希望が彼らを突き動かしていた。
先遣隊の船のそばに彼らは船を着陸させ、全員が気密スーツに身を固め、船外に出た。スーツに取りつけられたブースト装置によって、彼らは宙を浮くようにして目標の船に取りついた。
「おかしい。ハッチが開け放しになっている。中の空気は全て漏れている」
その船を見て、マルクは呟いた。
「とにかく、中に入るぞ」
トマスが先陣を切って内部に入っていった。
先遣隊の船は、彼らが乗ってきた船よりも広かった。調査期間が長かったことと、船員の数が多かったことによる差別化である。デニスとトマスは船橋の、マルクとジェイムズは各個人に割り振られた個室の探査に向かった。
船内の照明は消えている部分が多かったが、スイッチを入れると簡単に火を灯した。
「電気系統は生きてますね」
「なぜ船員は連絡を途絶させたのだ」
不可解な思いを抑えられず、デニスは船橋へ入った。
船橋も、照明は切れていた。そのスイッチを探り当てるまで、懐中電灯でデニスは船橋内部を照らしていた。しかし、すぐにその異様さは伝わってきた。
「船長、これは!?」
デニスはゆっくりと懐中電灯を左右に振り、壁や各人の椅子を照らし出した。
「これはひどい……スプラッター映画でも見てるようだ」
船橋のあちこちには、血しぶきのあとがついていて、何人かの死体が宙を彷徨うように浮いていた。
「みんな、死んでるんですかね?」
四人分の死体が船橋で確認された。
「船長、大変です!」
マルクから通信が入った。
「船員が血をまき散らして死んでいます!」
それによって、デニスは惨状が船橋だけにとどまるものではないことを知った。その凄惨な光景に、背筋が凍りつき、吐き気を覚えた。
「こっちも大変な発見をしました!」
ジェイムズからの通信だった。
「死体なら、こっちでも確認している」
トマスは苦々しくそう言うと、奥歯を強く噛みしめた。しかし、ジェイムズは興奮しながらそれを否定した。
「死体だけではありません! ある意味では、もっと大変なものを見つけたんです!」
デニスたちはドリーミング号に戻り、船橋で顔を合わせたまま黙り込んでいた。何と言えば良いのか分からないでいた。長年、宇宙飛行士の仕事に携わってきたトマスですら、今回のようなケースは初めてだったからである。
そんな中、マルクが口火を切った。
「つまるところ、彼らはきっとこれを巡って殺し合いをしたんでしょうね。そうじゃなきゃ、あの血しぶきは納得がいかない」
マルクは先遣隊の船から持ち帰った、透明な石を指で弾いて回していた。
「まあ、そうと見て間違いはないだろうな」
トマスはどこか嬉しそうに言った。
「そりゃまあ、これはすごい発見ですよ。首尾良く会社に戻れたら、私たちは英雄ですよ」
ジェイムズは含み笑いを漏らした。
そんな中、デニスは不満を露わにして言った。
「船長、どうしてすぐに管制塔に通信を入れなかったんですか? あの船の通信システムは生きていたはずだ。こんな発見よりも、今は自分たちの命を最優先に考えるべきではないですか?」
苦々しげなデニスの言葉に、トマスは怒りのこもった視線を投げかけていた。
それを見て、マルクが割り込むように言った。
「さっきはそれどころじゃなかったじゃないか。仕方がないよ。もう一度、あの船に戻ってこの状況を伝えても、別に遅くはないと思うしさ」
それに対し、トマスは緊張を解いたように息をついた。そして、顔に笑みを浮かべて言った。
「まあ、とりあえず状況を整理しようや。この透明な石の塊は、ダイヤモンドだ。石英でも水晶でもなく、間違いなくダイヤモンドだ。ちっぽけな小天体から、これだけの量の宝石が出てきたんだ。向こうの船では大混乱が起きたことは想像に難くない」
トマスがダイヤモンドと言ったそれは、船橋にまとまって浮かんでいた。大小様々だったが、一番小さくても直径が親指の爪ぐらいはあった。中には握り拳より大きなものもあった。それらが優に二十個はあるように思えた。
「この宝石を独占しようとして、あの船ではきっと殺し合いが展開されたのだろう。マルクの言う通りだと、俺も思う。やつらは、そこらじゅうにある工具や刃物を武器にして、お互いに殺し合ったのだろう。それは確かに惨劇だったと思う。おそらく、激しくやり合ったせいで最後の一人も、手傷が大きく力尽きたのだろう」
デニスは、その推理は正しいと思った。
「だが、俺たちにとってそんなことはどうでも良い。生身の人間同士が殺し合ったことは、確かに悲しむべきことかもしれないが、おかげで水も食料も推進剤もたっぷり残っていたし、通信システムも生きていた。これで、生きて帰れる見込みが出てきたんだからな。しかも、何十億ドルにもなり得る価値を持った手土産つきでな」
トマスの言葉に、ジェイムズは歓喜の悲鳴をあげた。
デニスも、トマスの言葉に不快感は覚えたものの、内心を支配していた憂鬱が晴れるのを覚えていた。
しかし、マルクだけは黙り込んでいた。トマスの異変に気づいていたからである。
「だが、勘違いしてはいけない。このダイヤモンドを持ち帰るのは、俺一人で良い。貴様らにその所有権はない」
彼はそう言うと、隠し持っていた拳銃の引き金を絞った。
轟音と共に発射された弾は、瞬時にしてジェイムズの眉間に穴を穿ち、彼を絶命させた。悲鳴をあげるいとまさえ与えなかった。
「船長、何で!?」
デニスは思わず叫んだ。
トマスは笑いながら答えた。
「あの惨劇の原因を知って、俺はやつらに共感したんだよ。至極人間的な最後だったことにな。俺がやつらの立場だったなら、きっと同じ行動に出ただろうと思った。だが、やつらは頭が少し足りなかった。殴り合いは自分の身体も危険に晒すわけだ。だが、弾きならその心配はない。だから俺は、管制塔に通信を入れず、この船に戻ってきたわけだ。おまえらを、確実に殺すためにな」
トマスはそう言うと、デニスに銃を向けた。
デニスは咄嗟に逃げようとしたが、身体が硬直して動かなかった。
「おまえらのような、優秀なクルーと共に航行できたことは、船長として幸せだったぜ。だがな、それもここまでだ」
トマスが言い終わると、再び船内に轟音が響き渡った。
*
「こちら、ドリーミング号。予定通りの航路を順調に航行中。あと十二時間でブライトネス宇宙港に帰港予定です、どうぞ」
管制塔から、少しノイズの混じった声で返答があった。
「了解。ご無事で何より。みながあなた方の帰港を心待ちにしています」
「推進剤は使い切ったから、そう急かさないで」
ドリーミング号の船橋で、マルクは笑いながら通信を返した。
「了解。それでは」
船橋の前面部に開けた窓からは、人口建造物でにぎわう宇宙空間が見えていた。
「どうしたの、デニス。元気ないね?」
かつて、トマスの座っていた椅子に、力なく座るデニスに対し、マルクは聞いた。
「ああ、疲れが出ただけだ。心配はいらない」
デニスは虚ろな表情を浮かべ、俯いていた。
「まあ、もうすぐ帰港できるし。ゆっくり休めば良いよ」
マルクの言葉に対し、デニスは思い切って尋ねた。
「俺たち、あれで良かったんだよな。こうして生きていて、本当に良いんだよな」
しばらくの間、船橋は沈黙に包まれた。マルクは、色々と考えを巡らせてから、答えを出した。
「あれしか、なかったんだよ……」
あのとき、トマスがデニスに銃を向けたとき、マルクが自分の隠し持っていた銃でトマスを撃ち殺したのである。
「何で、銃なんか持ってたんだ?」
「護身のためさ。あの船長のもとでは、いつあんな事態になってもおかしくなかったからね。もしものために持っていただけさ。国民として権利だよ。それより――」
「ああ、分かっている」
彼らは、トマスとジェイムズの死体をロケット噴射に巻き込んで宇宙の塵としていた。それは、二人の間に交わされた秘密の約束となっていた。全てをありのままに公表するよりも、体裁が良いとマルクが判断したのである。
「何にしても、これで僕らの生活は安泰だし。ダイヤモンドは大半が会社の所有物にされるだろうけど、特別ボーナスが出ることは間違いないし。マスコミも僕らに殺到するだろうね。それから、小天体に対する見方も変わって、仕事が増えるかもしれない。死んでいったみんなには悪いけど、因果応報だったと思うしかないよ」
肩の力を抜いているマルクを見て、デニスは彼の神経の太さに呆れていた。
「ああ、そうだな」
力なく返事をしながら、彼はこの仕事を辞める決意をした。
太陽系小天体とは、いわゆる小惑星のことです。八月の惑星再編問題(?)で名称が変わったとのことで、こちらを採用してみました。ちなみに、モルペウスという星については独創です。実在するかどうか、確認しないまま採用してしまったので、ご意見がありましたらお待ちしております。