NNNにロックオンされました
通学路の角を曲がると、いつもあの子がいる。
ブロック塀の上、白と黒のはちわれ猫が、こちらをじっと見ている。挨拶するでもなく、逃げるでもなく、ただ視線だけを寄越してくる。
「今日もいるんだ」
声をかけても、猫はまばたき一つで応えるだけだった。かれこれ、半年は続いている。
私、朝比奈まどかは、大学二年生。自他ともに認める、だらしない人間だ。今朝も家を出る直前に鍵を捜し回り、結局定期入れの中から見つかった。財布を落としたことは、この一年で三回。サークルの先輩には「まどかは危なっかしい」と、会うたびに言われている。
そんな私を、猫はいつも、値踏みするような目で見てくる。
その日の午後、サークルの飲み会に向かう途中、駅前のロータリーで信号待ちをしていると、視線を感じた。
植え込みの陰から、見覚えのない茶トラが、じっとこちらを見ていた。通学路の子とは、明らかに違う個体だ。それなのに、寄越してくる視線の質が、どこか似ている。
「……もしかして、あなたも?」
声をかけると、茶トラは軽く尻尾を揺らしただけで、すぐに植え込みの奥へ姿を消した。
気のせいだと思おうとした。でも、それから数日のうちに、また別の場所で似たようなことが起きた。バイト先の裏口で、黒猫がじっと私を見ていた。友人の家に遊びに行った帰り道、公園のベンチの下から、灰色の猫が視線だけを追ってきた。
どの猫も、通学路の子とは違う。それなのに、同じ目をしている。
「まどか、最近、猫に詳しくなった?」
友人にそう言われて、初めて自分が、あちこちで猫を目で追うようになっていたことに気づいた。
「そういえば、『ねこねこネットワーク』って知ってる? 略してNNN。猫の『猫調査員』が人間を厳選してて、『優良物件』に認定されると、野良猫が派遣されてくるんだって」
友人は笑いながら、そんな都市伝説を教えてくれた。私も笑って聞き流した。そのときは、まだ。
週末、駅の反対側にある大学の図書館へ向かっていると、旅行者らしき二人組に声をかけられた。
「すみません、この辺に大きな本屋はありますか?」
スーツケースを引いた片方が、地図アプリの画面を見せながら尋ねてくる。人当たりのいい笑顔だった。私はスマホを取り出し、道順を調べようとしゃがみこんだ。
そのとき、視界の端で、もう一人が私の鞄にすっと手を伸ばすのが見えた。
「わっ」
声を上げるより先に、どこからともなく飛び出してきた猫が、その手の甲に軽く爪を立てた。
「痛っ!」
小さな悲鳴とともに、二人は顔を見合わせ、そそくさと立ち去っていった。呆気に取られたまま、足元を見ると、通学路の子とも、駅前の茶トラとも違う、三毛猫がこちらを見上げていた。
「ありがとう……あなたも、なの?」
三毛猫は答えず、するりと路地の奥へ消えていった。
お盆に入ってすぐの夜、久しぶりに弟の夢を見た。
高校の制服を着たままの拓海が、縁側でみかんを剥いていた。死んでからもう三年になるのに、夢の中ではいつも、あの日のままだった。
「拓海」
声をかけると、拓海はいつものように、少し呆れた顔で笑った。
「相変わらず危なっかしいね、ねえちゃん」
「うるさいなあ。分かってるよ、そんなの」
拓海は剥いたみかんを一房、こちらに差し出しながら、ぽつりと言った。
「ねえちゃんが心配過ぎて、見守りをたのんじゃったよ」
「……誰に?」
聞き返したけれど、拓海は答えず、ただ笑っているだけだった。
目が覚めると、枕元がじんわり湿っていた。
夢から覚めても、しばらく布団の中で拓海の言葉を繰り返していた。「見守りをたのんじゃったよ」――誰に、とは聞けずじまいだった。
ぼんやりとスマホを眺めていると、三年前の今頃の写真フォルダが目に入った。実家に帰省したときの、拓海と縁側で撮った一枚。何気なくキャプションを読み返して、手が止まった。
「ねえちゃんはほんとに危なっかしいから、猫にでも見張っててもらわないと」
拓海が笑いながら言っていた冗談を、そのまま自分でメモしていたのだった。当時は聞き流していた。まさか、本当に頼んでいたなんて。
あの日から見てきた、はちわれも、茶トラも、黒猫も、灰色も、三毛猫も。みんな違う個体なのに、みんな同じ役目を担っていたのだとしたら。
私、いつの間にか「優良物件」としてロックオンされていたのかもしれない。
友人が話していたNNNの噂も、まんざら作り話ではないのかもしれない。
次の日の朝、通学路の角で、いつものはちわれと目が合った。
「ねえ」
しゃがみこんで、目線を合わせる。
「うちに、来る?」
はちわれは、少し首を傾げてから、するりと私の腕の中に収まった。まるで、ずっとそうするつもりだったみたいに。




