第二話:聖女救出(所要時間:3秒)
『ああっ! もう! 座標が茶色の裏側なんですけど!?』
ナビゲーター妖精のパッチが、耳元で喚いている。
だが、相馬駆は意に介さない。
彼は今、王都の地下深くに存在するダンジョンの「壁の中」を走っていた。
「黙ってろ。正規ルートだと、地下1階から5階まで降りて、中ボスの『獄炎のオーガ』を倒して、鍵を入手して、牢屋を開ける……その工程だけで推定45分のロスだ」
カケルは、暗闇の中で正確に直角移動を繰り返す。
「だが、ここの座標(X:1024, Y:-500)には判定の穴がある。ここを落ちれば……」
ヒュンッ!
カケルの体が、奈落へと吸い込まれる。
物理演算を無視した自由落下。
目指すは、地下5階の最奥だ。
一方、その頃。
地下5階、冷たい牢獄の中。
「……勇者様」
囚われの身となっている少女、セセリア・フォン・エデンは、鉄格子の隙間から漏れる微かな光を見つめ、祈りを捧げていた。
プラチナブロンドの髪、濡れたようなアメジストの瞳。
この世界を救う力を持つ「光の聖女」だが、今は魔王軍の残党に捕らえられ、生贄の儀式を待つ身だ。
(神託によれば、今日、異界より勇者様が現れ……命がけで私を助け出してくださるはず)
彼女の脳裏には、神ナルシウスが授けた「美しい救出劇」の脚本が浮かんでいた。
傷だらけになりながら、中ボスのオーガを倒す勇者。
血まみれの手で鍵を開け、「遅くなってすまない」と抱きしめてくれる……。
「ああ、待ち遠しい……。きっと素敵な方なのだわ……」
セセリアがうっとりと頬を染めた、その時だった。
ズドンッ!!!!
「きゃあっ!?」
牢屋の天井から、何かが落ちてきた。
石材をすり抜け、轟音と共に床に着地したのは、土埃一つついていないジャージ姿の青年――カケルだった。
「……着地硬直キャンセル成功」
カケルは屈伸運動を一度だけして、目の前にいる呆然とした少女を見た。
「おい。お前がセセリアか?」
「え、あ、はい……? 貴方は……?」
セセリアが状況を理解できずに瞬きをする。
牢屋の鍵は閉まったままだ。中ボスの叫び声も聞こえていない。
なのに、この男性はいきなり「密室の中」に現れた。
「俺は勇者だ(一応)。助けに来た」
「ゆ、勇者様!? でも、鍵は? 外の怪物は!?」
「無視した」
カケルは無表情で言い放つと、セセリアの腕を掴んだ。
「脱出するぞ。ついてこい」
「えっ、でも鍵がないと出られませ……」
「つかまってろ」
カケルはセセリアの腰に手を回すと、なんと彼女を軽々とお姫様抱っこした。
「きゃあああっ!? ゆ、勇者様!?」
セセリアの顔が真っ赤に染まる。
(い、いきなり抱っこ!? まだ自己紹介も、運命の会話もしていないのに!?)
(なんて情熱的なの……! 私が心配で、一刻も離したくないってこと!?)
だが、カケルの思考は冷徹だった。
(NPCの歩行速度は遅すぎる。護衛クエストで足手まといになるだけだ。運搬した方が移動速度を維持できる)
「行くぞ。舌噛むなよ」
カケルは牢屋の出口ではなく、壁の角に向かって走り出した。
「えっ、そっちは壁……ぶつかり……っ!?」
セセリアが悲鳴を上げる直前。
カケルは壁に向かって斜めに走り込み、小刻みに振動した。
ニュルンッ。
「……え?」
二人の体が、固い石壁を水のようにすり抜けた。
気がつくと、そこはすでにダンジョンの外。
青空の下だった。
所要時間、突入からわずか3秒。
「はい、救出完了」
カケルはセセリアを地面に下ろした。
「あ……あぅ……」
セセリアは腰を抜かしたまま、カケルを見上げた。
常識ではありえない脱出劇。
強大な魔法(※バグ)で壁を越え、魔物と戦う危険すら冒さず、ただ私だけを連れ去った。
(誰も傷つけず、私だけを……? なんてスマートで、優しい方なの……!)
神の脚本をぶち壊されたことなど露知らず、セセリアの瞳がハートマークになりかけた、その時。
『貴様ァァァァァッ!! 何をしているゥゥゥッ!!』
天が割れ、美しいバリトンボイスの激怒が響き渡った。
空に巨大な顔――完璧主義の神、ナルシウスのホログラムが出現したのだ。
『勇者カケル! なぜ中ボスと戦わない! なぜ感動の対面会話をスキップした!』
『私の書いた「第1章:地下牢の恋」が台無しではないか!!』
神の威圧に、セセリアが震え上がる。
「ひっ……神様がお怒りに……!」
しかし、カケルは耳をほじりながら空を見上げた。
「うるさいな。イベント長いぞ」
『なっ……!?』
「セセリア、行くぞ」
カケルは再びセセリアを抱き上げた。
「えっ、ま、また!?」
「神の演説イベントはスキップ不可だからな。エリア移動で強制解除する」
カケルは猛ダッシュを開始した。
その速さは、馬車どころか風よりも速い。
『待て! 待たんかこの『裏技師』がァァァッ!!』
神の絶叫が遠ざかっていく。
腕の中で、セセリアはカケルの横顔を見つめ、胸を高鳴らせていた。
「(神様の命令すら無視して、私との時間を優先してくれた……!)」
「(これが……『愛の逃避行』!?)」
『……カケルさん、ヒロインが凄い目で見てますけど、大丈夫ですかこれ?』
パッチのツッコミは、風切り音にかき消された。
(第二話・完)




