第五話:嫉妬の讒言と、迫りくる刻限
妹のクララに、クラウディス様との親密な様子を見られてしまった。その日から、私の周囲には、新たな、そして粘着質な悪意が渦巻き始めた。
「お聞きになりました? 宰相閣下に、色目を使って取り入った、恥知らずな令嬢がいるそうですわ」
「ええ、確か、アークライト子爵家の、出来損ないの方でしたかしら」
「聖女である妹君とは、大違いですこと」
宮廷の廊下を歩くだけで、そんな囁きが聞こえてくる。クララが、尾ひれをつけ、根も葉もない噂を流しているのだ。彼女にとって、私が脚光を浴びることは、何よりも許しがたい屈辱なのだろう。
しかし、私には、そんなくだらない嫉妬にかまっている時間はなかった。
呪われた魔剣の暴走まで、残された時間は、刻一刻と迫っている。
私とクラウディス様は、宰相執務室に籠り、対策を練っていた。私は、王宮の古文書館から取り寄せた膨大な資料を、片っ端から【鑑定】していく。呪いを解く方法、あるいは、呪力を安全に霧散させるための、古代の儀式。何か、手がかりはないか。
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・『失われた古代魔法語辞典(第七巻)』
・状態:内容の九割が、後世の創作による偽史。
・価値:なし。焚き付けにでもするべき。
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・『宮廷儀典大全(初版)』
・状態:重要な儀式の項が、意図的に数ページ破り取られている。
・価値:歴史的価値は高いが、現在の目的には不適合。
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焦りだけが募り、時間が過ぎていく。連日、スキルを酷使したせいで、私の体力は限界に近づいていた。目の前が、くらくらと揺れる。
「……少し、休め」
不意に、肩に温かいものがかけられた。見ると、クラウディス様が、彼の執務室に常備しているブランケットを、私の肩にかけてくれていた。
「ですが、時間が……」
「命令だ。君が倒れれば、この国も倒れる。一時間でいい、目を閉じろ」
彼の、有無を言わせぬ、しかし、心からの気遣いが込められた声に、私は逆らえなかった。ソファに横になると、疲労は限界だったのか、すぐに意識は深い眠りに落ちていった。
私が目を覚ました時、窓の外は、すでに夕闇に染まっていた。そして、クラウディス様が、険しい顔で一枚の羊皮紙を読んでいた。
「……どうかなさいましたか?」
「君の家族が、動いたようだ。君の妹、クララ嬢が、神殿の最高司祭に、『姉は邪悪な魔術で宰相閣下を誑かしている』と訴え出た。そして、アークライト子爵夫妻が、それを全面的に支持。最高司祭は、君に、正式な『審問会』への出頭を命じた」
最悪のタイミングだった。審問会に呼び出されれば、丸一日は拘束される。呪いのリミットは、明日の日没。もう、時間がない。
「閣下、わたくしは……」
「行く必要はない」
クラウディス様は、きっぱりと言い放った。
「これは、俺の問題だ。君を、俺の補佐官に任命したのは、俺なのだから」
彼は、私を部屋に残すと、一人で国王陛下の元へと向かった。オルビア公国の罠、呪われし魔剣の正体、そして、私の【鑑定】スキルが、この国を救う唯一の鍵であることを、全て打ち明けるために。自らの立場が危うくなる危険を、彼は少しも顧みなかった。
どれくらいの時間が経っただろうか。
執務室に戻ってきた彼の顔には、疲労の色が浮かんでいたが、その瞳には、決意の光が宿っていた。
「陛下は、信じてくださった。審問会は中止だ。そして、我々に、宝剣の無力化に関する、全権限を委ねると」
私は、安堵の息を漏らした。
「だが、条件がある」と、彼は続けた。
「明日の日没までに、全てを解決できなければ、陛下は、オルビア公国との全面戦争を決意される、と。そして、その責は、全て我々が負うことになる」
もはや、後戻りはできない。失敗は、即、戦争と、私たちの破滅を意味する。
極限のプレッシャーの中、私は、ふと、あることに気づいた。
あの、偽物の起動キー。犯人の魔力が微かに残留していると、鑑定結果は告げていた。そして、今、私が鑑定している、古代の文献。そこに記されている、呪いを解く儀式には、必ず「術者の魔力と、同質の魔力を持つ触媒」が必要だと書かれている。
「……閣下」
私の声が、震える。
「……見つけました。あるいは、これが、最後の希望かもしれません」
私は、衛兵に厳重に保管させていた、あの錆びついた小箱を、取り寄せてもらった。そして、私の、最後の賭けが始まった。
もし、起動キーを盗んだ魔術師ガレスと、宝剣に偽装を施したオルビア公国の魔術師が、同じ流派、あるいは、同じ師の元で学んだ者同士だったとしたら。彼らの魔力には、僅かな「共通の癖」が残っているはず。
私は、小箱に手をかざし、私の【鑑定】スキルの全てを、注ぎ込んだ。
【鑑定】Lv.99。その真の力は、ただ物を見るだけではない。物に宿った、記憶や、魔力の痕跡を、映像として「再生」することさえ、可能なのだ。
私の脳内に、無数の情報が、嵐のように流れ込んでくる。
視界が、白く染まる。遠のいていく意識の中で、私は、確かに見た。
宝剣にかけられた、幻影魔法の、複雑な術式の構造。そして、それを無力化するための、ただ一つの、綻びを。
「……閣下……宝剣の、柄頭にある魔石……それが、呪いの中枢です…ですが、同じ魔力パターンを持つ、別の魔石をぶつければ、共鳴を起こし、内部から崩壊させることが……!」
それが、私の最後の言葉だった。
全ての力を使い果たした私は、そのまま、深い闇の中へと、意識を沈めていった。
残された時間は、あとわずか。国の運命は、私の言葉を信じる、氷の宰相の双肩に、完全に委ねられたのだった。