第三話:宰相補佐官の、初仕事
宰相補佐官。
その辞令が、私の実家であるアークライト子爵家に届けられた時、家族は、信じられないという顔で私を見た。
「セシリアが……宰相閣下の補佐官ですって……?」
「何かの間違いでしょう! そんな大役が務まるはずがありません!」
母と、妹のクララがヒステリックに叫ぶ。父は、ただ呆然と辞令を見つめている。私は、そんな彼らに一瞥をくれると、王宮から与えられた、新しい制服に袖を通した。もう、妹のお下がりのドレスを着る必要はないのだ。
「……行ってまいります」
誰に言うでもなく呟き、私は、一度も振り返ることなく、家を出た。背後で、母が何かを叫んでいたが、もう、私の耳には届かなかった。
私の新たな職場は、宮廷魔術師団のあの古びた塔とは比べ物にならない、王宮の中枢にある、宰相執務室の一角だった。磨き上げられたマホガニーの机、整理整頓された書棚、そして、隣には、膨大な書類を氷のような冷静さで捌いていく、クラウディス宰相その人がいる。
「おはよう、アークライト嬢。早速だが、仕事をしてもらう」
彼は、挨拶もそこそこに、一枚の羊皮紙を私に差し出した。それは、宮廷魔術師団に所属する、全魔術師の人事ファイルだった。
「君が指摘した、起動キーの盗難事件。犯人は、この中にいる。君のその『目』で、誰が嘘をついているのか、見つけ出してもらう」
それが、宰相補佐官としての、私の初仕事だった。
私は、一人ずつ、魔術師たちと面談することになった。もちろん、表向きは「業務内容のヒアリング」という名目で。
「ちっ、なんで俺たちが、あんな地味スキル持ちの小娘に、仕事の説明をしなきゃならんのだ」
「宰相閣下も、何を考えているんだか……」
魔術師たちの態度は、案の定、非協力的で、侮蔑に満ちていた。しかし、今の私には、彼らの言葉はただの雑音にしか聞こえない。私は、ただ、彼らの持つ杖や、身につけている装飾品に、意識を集中させた。
そして、何人目かの魔術師と面談した時だった。
その男、上級魔術師のガレスは、温和な笑顔を浮かべ、私の仕事に理解を示す、数少ない人物だった。
「いやはや、セシリア嬢。君のおかげで、あの豚小屋が片付いて、我々も助かっているよ」
だが、彼の言葉とは裏腹に、私の【鑑定】スキルは、明確な警告を発していた。彼が腰に下げている、小さな革袋。
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・『遮蔽の魔術袋』
・状態:内部に強力な認識阻害の魔術が付与されている。特定の魔力パターンを隠蔽する効果あり。
・価値:極めて希少。闇市場で高値で取引される、犯罪者の御用達品。
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(……見つけた)
私は、平静を装いながら、会話を続けた。
「ありがとうございます、ガレス様。ところで、その腰の袋は、素敵なデザインですわね」
「ああ、これかい? ただの小物入れだよ。大したものではないさ」
彼の笑顔が、わずかに引きつる。私は、確信した。
面談を終え、クラウディス宰相に報告すると、彼は「やはり、君を補佐官にして正解だったな」と、満足げに口元を歪めた。
「ガレス上級魔術師。彼は、長年、宮廷の魔道具を横流しし、私腹を肥やしていたようだ。そして、その不正に気づき始めた部下を、今回、転移魔法の起動キー窃盗の犯人に仕立て上げ、追放しようとしていたらしい」
全ては、私の鑑定結果と、宰相の持つ情報網によって、裏付けが取れた。
その日の夕方、何も知らずに執務室で研究を続けていたガレスは、衛兵によって、静かに連行されていった。最後まで、なぜ自分の犯行が露見したのか、理解できないという顔をしていた。
事件解決の報告を受け、宮廷魔術師団長は、私の前で深々と頭を下げた。
「セシリア嬢……いや、セシリア殿。君の力を、我々は完全に見誤っていた。本当に、申し訳ない……」
私を嘲笑していた他の魔術師たちも、今や、畏怖と尊敬の眼差しで、遠巻きに私を見ている。
宰相執務室に戻ると、クラウディス宰相が、珍しく窓の外を眺めていた。
「君のおかげで、また一つ、国の膿を出すことができた」
「わたくしは、自分の仕事をしたまでです」
「……謙遜は、美徳ではないぞ。特に、俺の前ではな」
彼は、こちらに振り返ると、私の机に、小さな包みを置いた。中に入っていたのは、王都で一番と評判の菓子店の、チョコレートだった。
「……これは?」
「補佐官への、今日の働きに対する、ささやかなボーナスだ。受け取っておけ」
彼はそう言って、またすぐに仕事に戻ってしまったが、その耳が、ほんのりと赤く染まっているのを、私は見逃さなかった。
冷徹な氷の宰相が見せた、不器用な優しさ。
その甘いチョコレートの味は、虐げられてきた私の乾いた心に、じんわりと、温かく染み渡っていくようだった。
宮廷の闇を暴く、私の新しい仕事。それは、一筋縄ではいかないことばかりだけれど、この人の隣でなら、どんな困難も乗り越えていける。
そんな、確かな予感が、私の胸に芽生え始めていた。