第一話:出来損ない令嬢と、埃だらけの職場
「いいこと、セシリア。お前は今日から、宮廷魔術師として王宮で働くのですよ。我が家の恥さらしであるお前を、こうして王宮に奉公させてやれるのです。この温情、決して忘れぬように」
実の母親から投げつけられた言葉は、氷のように冷たかった。
子爵令嬢セシリア・アークライト。それが私の名前。そして、私の持つスキルは、ただ一つ。【鑑定】。
この世界では、十歳になると、誰もが神からスキルを授かる。ある者は炎を操る【火炎魔法】を、ある者は国を守る【聖騎士】の才能を。そんな華々しいスキルが尊ばれる中で、私の【鑑定】は、物の価値を漠然と判別するだけの「地味スキル」「外れスキル」として、一族の嘲笑の的だった。
妹のクララが、治癒の力を持つ【聖女】のスキルを授かった日、私の存在価値は、完全に地に落ちた。家族からの食事は、使用人以下の粗末なものになり、ドレスは妹のお下がり。会話もなく、まるで家にいない存在かのように扱われる日々。
そんな私が、なぜ宮廷魔術師に?
それは、宮廷魔術師団が深刻な人手不足に陥り、貴族の子女から半ば強制的に人員を供出させるよう、お達しが出たからだ。我が家が、喜んでその「生贄」として差し出したのが、私だったというわけだ。
(……別に、どこでも構わないわ)
あの息の詰まる家から出られるのなら、どこだって天国だ。
私は、誰にも見送られることなく、たった一人で、王宮の門をくぐった。
案内された先は、王宮の隅にある、古びた塔。宮廷魔術師団の執務室だというその部屋は、足の踏み場もないほど、羊皮紙の巻物や、用途不明の魔道具で溢れかえっていた。部屋の隅には埃が積もり、インクの匂いと、カビ臭い匂いが混じり合っている。
「ああ、君が今日から入る新人か。適当に、そこの資料でも整理しておいてくれ」
上司らしき魔術師は、私に一瞥をくれただけで、すぐに自分の研究に戻ってしまった。他の魔術師たちも、自分の世界に没頭しているのか、新人の私に興味を示す者は誰もいない。
(これが、私の新しい職場……)
あまりの惨状に、思わずため息が出た。
けれど、私にはやるべきことがある。まずは、このカオスのような部屋を、どうにかしなければ。
私は、手始めに、床に散らばった羊皮紙を手に取った。
その瞬間、私の脳内に、無機質な文字が浮かび上がる。
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・『宮廷費予備申請書(三年前のもの)』
・状態:インクの劣化、羊皮紙の損傷あり
・価値:史料的価値なし。廃棄推奨。
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次に、近くにあった古びた壺を鑑定する。
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・『古代王国時代の魔力貯蔵の壺』
・状態:内部に高純度の魔力が残留。表面の汚れが魔力循環を阻害。
・価値:国宝級。適切な処置を施せば、王都の魔力供給を三日間は維持可能。
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(……やっぱり)
私の【鑑定】スキルは、レベルが上がるにつれて、ただの真贋判定だけではなく、その物の状態、来歴、そして、その物が秘めている「真の価値」までをも、詳細に読み解けるようになっていたのだ。家族にはずっと隠していたが、私のスキルレベルは、すでにカンスト状態のLv.99に達している。
国宝級の魔道具が、埃をかぶって床に転がっている。重要な申請書と、ただのゴミが、一緒くたに積み上げられている。この職場は、非効率と、無駄の温床だった。
「……面白くなってきたじゃない」
私の唇に、何年ぶりかの笑みが浮かんだ。
このスキルは、決して「地味」なんかじゃない。使い方次第で、この国すらも変えられる、とてつもない可能性を秘めているのだ。
私が黙々と資料の整理と、物品の仕分けを続けていると、不意に、部屋の空気が張り詰めた。
入り口に、一人の男性が立っていた。
「……ここは、相変わらず豚小屋か」
氷のように冷たく、しかし、よく通る声。
プラチナブロンドの髪を後ろに流し、金の縁取りが美しい、純白の宰相服に身を包んでいる。その若さとは不釣り合いなほどの威厳と、全てを見透かすような、鋭い紫色の瞳。
若き宰相、クラウディス・フォン・リーベンクロイツ様。
平民出身でありながら、その類稀なる頭脳で、異例の速さで出世した、国一番の切れ者。彼の前では、どんな不正も、怠慢も、決して許されないという。
その彼が、なぜここに?
クラウディス宰相は、部屋の惨状に深くため息をつくと、やがて、黙々と作業を続ける私の姿に気づいた。そして、私が仕分けた「廃棄推奨」の羊皮紙の山と、「要保管」の資料の山を、興味深そうに見比べる。
「君は、新入りか」
「は、はい。本日より配属になりました、セシリア・アークライトと申します」
「……この仕分けは、君が?」
「はい。あまりにも乱雑でしたので、勝手ながら…」
彼は、私が仕分けた「要保管」の資料の中から、一枚を手に取った。それは、他の古い書類に紛れ込んでいた、来年度の重要な予算案の草稿だった。
「……なぜ、この一枚だけを、重要だと判断した?」
彼の紫色の瞳が、私を射抜く。試すような、鋭い視線。
私は、息を呑んだ。ここで、スキルのことを話すべきか? いや、まだ駄目だ。
「そ、その……なんとなく、です。他の書類とは、インクの匂いや、羊皮紙の質が、違うような気がいたしましたので」
苦しい言い訳。しかし、クラウディス宰相は、それ以上は追及せず、ただ、ふっと、口元に微かな笑みを浮かべた。
「……そうか。面白い嗅覚をしている」
彼はそれだけ言うと、本来の目的だったのだろう、他の魔術師に何事か厳しい指示を与え、嵐のように去っていった。
一人残された部屋で、私は自分の心臓が、大きく音を立てているのを聞いていた。
あの人だけは、違う。
他の誰とも違う、鋭い観察眼で、この部屋の「異常さ」と、そして、私の「特異性」に、気づき始めている。
出来損ない令嬢の、埃だらけの職場での、静かな改革。
それは、この国で最も冷徹で、最も美しい、若き宰相様との出会いから、静かに幕を開けたのだった。