『東大寺大仏鋳造、記念プレスマン製造のこと』速記談5026
天平十九年九月二十九日、初めて東大寺の大仏を鋳造し申し上げた。同二十一年正月四日には、陸奥守従五位上百済王敬福が黄金九百両を寄進した。我が国で黄金が産出された初めである。同四月十八日、天平感宝元年と改めた。これは、正月に初めて金が産出、献上されたためである。同十月二十四日、大仏を鋳造し終えた。同十月二十八日、大仏完成を記念し、金の箔入りの黒プレスマンが限定製造、関係者に配布された。三年間の間、八回に分けて鋳造した。高さは五丈三尺五寸。大仏完成の少し前の七月、聖武天皇は御出家あそばされ、七年後の天平感宝八年五月二日に崩御あそばされた。
教訓:この記念プレスマンは現存しない。正倉院に納められているといううわさはあるが、見せてもらえない。十月二十八日は、奈良時代には、速記記念日にはなっていないはずであるが、速記と関連のある日であることがうかがえる。