<第5話 狼たちの葬送>
四方を岩場で囲まれ、窪地となった場所があった。
そこに煌々と火が焚かれている。
そして、高らかな声が夜空へ向かって解き放たれる。
アオーーーーーゥ……
月明りの夜空へ遠吠えが吸い込まれていく。
アーーーーオゥーーーーー……
人狼族の葬送の唄だ。
声が枯れそうになるまで彼らは唄う。
遠くへ旅立ってしまった家族に届くように。焚火の火の粉に乗って届くのを祈るように。
風の語り部――シャーマンの老人が祈りを捧げながら乾燥させた薬効キノコの粉末を炎に投じ、それが美しく七色に光って天へ登っていく。
その声が止んだ時、ふと、少年が呟いた。
「とうとうボクらだけになっちゃいましたね……ソリル」
少年、風の語り部見習いのツァスは目を伏せた。
泣きそうになっているのがソリルには分かった。
人狼族は一人の例外もなく勇敢であらねばならない。
それができぬ者は追放の掟だ。それはツァスにも分かっているはずだ。
ソリルと呼ばれた女は、それでもツァスを叱責しようとは思わなかった。
元よりソリルはあまり口数の多い女ではない。敵前や戦場以外で激昂はしない性格だった。
そんな彼女に代わり、風の語り部の老人が口を開く。
「……ツァスよ。幼き後継者よ。皆、死にもの狂いで戦ったのだ。その末の死ならば、これは風の吹くままというもの」
彼らの部族の言葉で、風の吹くままというのは、人間の言葉で言う〝運命〟だった。
年輪の刻まれた老木のような彼の皺だらけの顔から発せられるその言葉は、慰めと教えに富んでいる。
「オレ達が滅ぶのは風の吹くままだと? ネルグイ」
しかし、ソリルという女戦士にとって、それは諦観に過ぎて聞こえた。
「戦士よ、まだ滅んだと決まったわけではなかろう」
老シャーマンは静かに答える。
「当然だ」
大きく頷き、ソリルは槍の柄を地面に突き立てた。
「まだ部族には生き残りがいるはずだ。私達のようにわずかに生き延びた者や、奴隷として連れ去られた者達が」
彼女は諦めていなかった。
「彼らを集め救い出せれば、必ず〝風穴の銀狼族〟は蘇る!」
勇敢は美徳でも、滅びは美徳ではない。
ソリルは命ある限り抗うつもりでいた。
だが、そうでない者もいた。
「無茶ですよ……できっこない」
ツァスは膝小僧を抱えて弱音を吐いた。
「僕らを襲ってきた鉄鱗ども、王国から更に派遣されてきた連中でした。奴ら本気で僕らのテリトリーを奪うつもりなんだ。つまり根絶やしにするつもりってことですよ!?」
鉄鱗というのは、彼らの言葉での騎士のことである。元々は鎖帷子や紋様の入った甲冑が動物の鱗に見えたことから形容されたそのままの意味だったが、敵意のこもった言葉となって久しい。
「しかも逃げ込んだここだって〝森の暴君〟の縄張りです。いつまた怒りに触れるか……」
この臆病な言動。部族の気の荒い仲間に咎められることも多かった。
しかしソリルは、そんなこの子が自分を見捨てなかったこともまた、覚えている。
口にすることよりも、実際に取る行動こそその者の本性だ。勇ましい言葉など安全な時にはいくらでも並べられるのだから。
ソリルは気分を害した様子もなく、彼に答えた。
「それだ、ツァス」
「え?」
ツァスが少女のような顔を上げる。
「〝森の暴君〟を打ち負かした者がいたじゃないか」
ソリルは立ち上がり、少し離れたところにある枯れ木の幹に縛り付けている捕虜のもとへ向かった。
そこには、奇妙な灰色のだぶついた服を上下に着た人間族の男がいる。
「彼が味方になってくれれば〝森の暴君〟の縄張りをオレたちのテリトリーにできるかもしれない」
「それこそ無茶ですよ!」
ツァスは愕然とする。
思わずソリルのもとへ駆け寄る。
「人間族ですよそいつは!?」
「鉄鱗の仲間ではないんだろう。人間族の中でも種族が違うようにも見える。彼は……」
ソリルはこの男と初めて遭遇した時のことを思い出す。
「……オレ達のことを助けてくれたように見えた」
「だとしても、僕らを助ける理由がありません! 何か裏があるはずだ!」
ツァスは憎しみの目で縛られている男を睨んだ。
「人間族なんていつもそうだったじゃないですか……! 融和だの言っておいて最後は騙し討ちで僕らを皆殺しだ」
彼は腰からナイフを抜く。
遺跡から出土する鉄を溶かして打ち直した切れ味の良い一品だ。死んだ仲間からもらい受けた形見でもある。
「生贄に捧げてしまいましょう」
彼の目には暗い復讐心が宿っていた。
「こいつ、敵じゃなかったとしてもろくに言葉も理解できなかった。味方になって戦力に加わるとはとても思えません」
ソリルにもその懸念がないではない。初めて彼に相対した時「助けてくれたのか……?」と尋ねたが、理解しているようには見えなかった。
「それはオレも分かる。だが、あの魔法があれば〝森の暴君〟が来ても撃退できる。今のオレたちには欲しい力だ。それに……」
ソリルはしゃがむと、不思議な人間の男の顔を覗き込んだ。
「ぐー……ぐー……ふひひ……」
締まりのない顔だった。
人狼族なら赤子でもこんな間抜けな顔はしない。
強力な魔法を操っていた癖に、その印象はどこかちぐはぐだ。
「戦士の勘だが、こいつは危険な存在とは思えないんだ。ネルグイはどう思う?」
彼女はネルグイにシャーマンとしての見解を尋ねる。
「この付近は古代遺跡が多く古来より不可解な出来事が多いと聞く。あの〝森の暴君〟も遺跡より漏れる瘴気によって生まれた魔物だという伝承もある。その者の奇妙な身なり、そして我らとの奇妙な巡り合わせ……偶然か必然か、まだ風は読めぬな」
「〝災いの大地〟の怪異か……」
生まれた時からこの〝災いの大地〟で暮らしてきたソリルでも、その説明のつかないものの多さは諦めるしかない。
太古の昔に滅んだ魔法文明の遺跡や遺物があちこちに眠り、凶暴な魔物や変異種がうろつく危険地帯。
人間族はソリルら人狼族のことをそんな魔境に生きている魔物の一種だと認識している節があるが、それも無理からぬことかもしれない。
魔物並みにたくましくなければここでは生存が不可能だからだ。
「こんな怪異は見たことがないが」
彼女は槍の穂先でちょっとつついてみた。
すると、びくんとそれに反応して顔を上げる。
「目を覚ました……」
「ウワ!? ナニコレ! シバラレテンダケド!?」
身動きが取れないことに気付くと、人狼族には理解できない言葉で何か驚いている。
「縛られとるのが心外といった様子じゃな」
シャーマンのネルグイが焚火の向こうからそう声を掛けてくる。
ソリルにもそんな気がした。
この男、妙に感情が分かりやすい。良く言えば裏表がなく、悪く言えば年の割に幼稚だ。
「おい、貴様」
彼女はできるだけ怖がらせないように肩に槍をかけ、男の目を見た。
「ウヒ!? ナニナニ、ナンナノ!?」
「オレの名はソリル。〝風穴の銀狼族〟の戦士だ。お前の名は何という?」
「ナンテイッテンダロ……?」
「やはり分からんか……」
自らを指さし、名を教える。
「名前だ。名前。オレはソリル。ソリルだ」
「ソ、リル?」
「そう、ソリル」
今度は男を指さす。
「お前は?」
「ウメタロー」
「ウメタロー?」
「イエース、ウメタロー」
「変わった名だな。やはり鉄鱗どもとは違うようだ」
そんなやりとりを見ていたツァスがしびれを切らす。
「話にならないですよ! こんな奴、とっとと頭の皮剥いで晒し首にしてやればいいんだ!」
二人の間に割って入ると、ツァスはナイフを手に男の黒い髪をひっつかむ。
「イヤー!? ヤメテッ! ラブアンドピース!」
「やかましい!」
「おいツァス、止せ」
三人がもみくちゃになっていた時だった。
ぐうう〜〜〜〜……
気の抜けた音が辺りに響き渡る。
三人がぴたりと固まった。
「ほっほ、どうやらそやつ、空腹のようじゃな」
焚火の向こうから、シャーマンのネルグイが笑って声を放った。




