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<第14話 辺境伯の娘 その1>


〝災いの大地〟の縁はこの世界における人類文明の最果てである。

 そして〝災いの大地〟より漏れ出てくる魔物を防ぎ、国土を守るため、ここに国境を持つ国々の多くが城を構えて防衛部隊を配置していた。

 リーリオ王国辺境領、辺境伯の居城であるアーザ城もその一つである。


「戻らんな」


 その城壁に立つ城兵の表情は、霧の立ち込める〝災いの大地〟に広がる森林のように晴れない。


「まさか、蛮族共を相手に全滅……」

「滅多なことを言うな。王都から派遣された精鋭騎士団だぞ。あり得ん」


 兵士らは数日前に蛮族掃討のために出撃した部隊の帰還を今か今かと待っていた。

 辺境領を守る、いわば土着の部隊ではなく、蛮族掃討のために王都より派兵されてきた精鋭の騎士団である。

 その装備、馬と甲冑を備えた精鋭が、徒歩で革製の防具くらいしか持たない人狼族を相手に負けるとは考え難い。


 何かあったのでは?


 そんな噂が、ここ数日アーザ城では囁かれていた。


「っ!? 誰か帰って来たぞ!」


 しかしその日、遂に〝災いの大地〟から一人生還者が現れた。

 城壁の兵士らが騒がしくなる。

 見れば、傷だらけの馬がゆっくりと歩んでくる。

 その背中に乗っている騎士には片腕がなく、必死に傷口を止血した包帯は赤黒く染まっていた。


「門を開けろ! 跳ね橋を掛けるのだ!」


 城壁の兵士らが口々に叫ぶ。


「エルネスティーナ様に報告だ! 急げ!」

「はっ!」


 伝令が城壁から天守閣キープへと駆けた。

 天守閣は城の中枢である。

 特に堅牢に作られており、城主の部屋もここにあった。

 八階建ての立派な天守閣のその八階。そこまで兵士は息を切らして駆け上る。


「エルネスティーナ様! ご報告がございます!」


 そこにいたのは金髪のショートカットの人物。

 男物のチュニック、その腰をベルトで締め帯剣したスタイルは、騎士の普段着である。


「何事ですの?」


 だが、紡がれた言葉は、旋律のような少女の声だった。

 その人物は城主のベッドの側から振り返る。

 深い緋色の瞳を宿し、薄く桃色の口紅の引かれた口元。

 見れば、チュニックのシルエットは男性の硬いそれではなく、なだらかな膨らみを描いている。

 耳には、華美にならない程度のイヤリングも見て取れた。

 男装の中でも、女性性を失わないその人物の性格が察せられる。

 年の頃は二十歳は超えていないだろう。まだ少女といって差し支えない幼さを残した風貌だった。


「〝災いの大地〟へ派遣された王都騎士団の生存者が一人、帰還しました!」

「何ですって!? すぐに案内なさい!」


 彼女もその報告を驚きをもって迎えた。

 だが、慌てて階下へ向かおうとするのを、一瞬、踏みとどまる。


「父さま、行って参りますわ」

「あ……ああ……フロール……気をつけてな」


 そこにいるのは、やつれはてたアーザ城の城主にして辺境伯その人である。


「ええ。父さま」


 フロールと呼ばれた彼女だったが、それは彼女の名ではなかった。

 フロールは彼女の母の名だ。

 そして、もう何年も前に亡くなっている。

 それを指摘することもなく、辺境伯の娘・エルネスティーナは部屋を後にした。


 ・

 ・・

 ・・・


「〝ウッド・ドラゴン〟と遭遇して全滅したですって!?」


 医務室として設置された兵舎で、帰還した騎士の話を聞いたエルネスティーナは驚愕していた。


「はい……申し訳ありません。人狼族が奥地へ奥地へと撤退するのを、深追いし過ぎました」


 やはり、とエルネスティーナの懸念は当たっていた。

 周囲では他の将校らが口々に重傷の騎士に詰め寄った。


「それで、人狼族は!?」

「殲滅できたのか!?」


 瀕死の騎士はそれでも、最後の力を振り絞って答える。


「ほとんどはウッドドラゴンに我らと同じく蹂躙されました。ですが……」

「何があったのですの?」


 気の毒に思いながらも、エルネスティーナも彼に尋ねる。


「突然、見たこともない魔法を使う者が現れ、人狼族の戦士団長とシャーマン達を救ったのです」


 予想外の情報にその場がざわつく。


「ヤツはウッドドラゴンに恐ろしく巨大な岩石を魔法で持ち上げてぶつけ、見事に退けました」

「どういうことですの? 〝災いの大地〟の奥地に、なぜ人狼族の味方をする者が?」

「分かりません……灰色の服を着た、ひ弱そうな男でした」

「魔法使いのローブ姿ということかしら?」

「違います、なんというか、だらしのない服装で……」


 騎士の息は荒く、慌てて看護のシスターが割って入る。


「これ以上はなりません! 命に関わります!」


 エルネスティーナがハッとする。


「……その通りですわ。今日はもう止しましょう」


 彼女の言葉に、他の将校達も不承不承頷いた。

 兵舎を出た彼女は付き従う将校らに命じる。


「軍議を開きますわ。各指揮官は広間に集合してくださいまし」

「御意。ところで……」


 将校の一人が躊躇いがちに尋ねる。


「レアオン殿下にお声がけは?」

「やむを得ませんわ。殿下は今どちらに?」

「おそらくご入浴中かと」

「はあ……淑女のわたくしより長風呂とは呆れましたわ」


 この辺境領は〝災いの大地〟の最前線。人狼族が相手でなくともいつ魔物の襲撃があるか分からない危険地帯だ。

 悠長に湯に浸かっている騎士はほとんどいない。


「いいですわ、わたくしが直接おうかがいします」

「よいのですか?」

「仕方ありません。いくらここがわたくしの領地とはいえ……」


 彼女はどこか諦めたような様子で呟いた。


「あのお方は王子殿下にあらせられますから」


 気が進まなかったが、来客用の部屋へと足を向けた。


 ・

 ・・

 ・・・


 高位の来客があった時にしか使われない部屋の前には、厳重な警備が敷かれていた。

 警護である親衛隊の騎士がエルネスティーナの姿を認めると、ほとんど詮索もせずに中の主へ来客を告げてドアを開ける。

 こんな特別対応をするのは、彼女相手だけだと噂されていた。

 部屋に入った彼女は相変わらず慣れない気分だった。

 持ち込まれた調度品はどれも高級品ばかりで、目がくらくらする。

 いつも資金不足に喘いでいる辺境領の城には似つかわしくないまであった。

 もっとも、見方を変えれば、豪華で夢のような空間とも言える。

 舞踏会に馴染めなかった自分の方が、貴族の女としては異端なのかもしれない。

 そう、異端だ。

 ここにいる男性に、微塵も心惹かれないことも。


「この城のワインは安物だね。王都から取り寄せた上物がある。君も飲まないか? エルネス」

「ご遠慮しておきますわ、殿下。それにこのアーザ城のワインは嗜好品というより籠城時の非常用飲料です。熟成は二の次なのですわ」

「はは。凄いね。まさに常在戦場というわけだ」


 部屋には上等な香油の匂いが漂っていた。

 そのソファに気だるげに横になるのは、風呂上りで薄着な男性。

 すらりと背が高く、青い空色の髪は濡れて少しウェーブがかっている。

 やや垂れ目がちな目元はどこか甘く、引き込まれるような蠱惑的な魅力を秘めていた。

 貴族の青い血を思わせる白く透き通った肌は、少女のエルネスティーナにも劣らない。


「堅苦しい呼び方は二人きりの時はいいよ。魔法学園で学んだ仲じゃないか」

「そうも参りませんわ。殿下は先輩でもありますので」


 エルネスティーナより少し上の青年の域に達した若者は、つれないなあと苦笑する。


「で、何の用だい? 君の頼みなら無下にはしないよ」


 リーリオ王国王位継承権第一位。

 簡単に言えば、第一王子はそう言って妖艶に笑った。

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