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第6話:頭おかしいじゃないですか

 ナメられたら殺せ、という掟は領主法によって明確に保証されている。俗に言う、無礼討ちだ。

 もちろん無闇に私闘を許可しているわけじゃない。侮辱された事実や復讐の正当性の事実確認を受け、復讐の際には領主に監督される必要がある。あの夜会の時点で私やヴィルヘルム叔父さんがヘルムートをブチ殺せば、無礼討ちとは認められなかっただろう。


 マルテ様は改めて居住まいを正し、私たちにはっきりと告げた。


「ヴァ―ルシュタット辺境伯の名において、ヘルムート・フォン・シュナイダーに対するレーナ・フォルベックの無礼討ちを認める。監督人はこの私、マルテ・フォン・ヴァ―ルシュタットが務める」


 宣誓だった。彼女が伯爵様の名を出したら、それはもう決定事項だ。怒りに奮い立ったはずの父も、すごすごと腰を下ろした。

 フォルベック家からすれば願ったり叶ったり、憤る理由がなくなった。領主のお墨付きで管理された、“誇りある手討ち”ができるのだから。


 マルテ様が私に向き直った。彼女の手が差し出される。


「痴れ者の首を以て、貴女きじょの名誉回復とする。剣を執る覚悟があるならば、辺境伯代行たる私の手に接吻なさい」


 その手を取れば、誓約は成される。覚悟を問われてこそいるものの、覚悟のない者は騎士家の人間として許されない。彼女の指先は、忠誠を求めている。


 私に選択肢など、ない。騎士の蛮習を恨みつつ、私は騎士の娘として生かされている。それくらいわきまえている。好きに生きるとか、私らしくとか、おとぎ話のお姫様みたいな生き様は、ちゃんちゃらおかしいんだよ。

 この世に自由な人間がいるとしたら、それは誰かの人生に理不尽を押し付けているだけだ。


 マルテ様の白い手の甲に、口づけする。

 冷たい肌だった。


「よろしい」


 私を見下ろすマルテ様は、どうしてだか喜悦にも似た表情をしていた。


「レーナちゃんなら、受けると思っていたよ。ところで無礼討ちの作法は、騎士家の者なら知っているね?」

「はい」


 不本意ながら、これから私が何をさせられるか、熟知しております。父や叔父の背を見て育ったもので。

 簡単に言えば、正々堂々と復讐しろ、みたいな作法だ。奇襲や毒、火攻めなど卑劣な手段はご法度。供回りは親族と家臣から四名まで。無関係の人間に危害を加えてはならない。討ち入る側は、相手に手向かわれることを許容しなければならない。

 そして、何より大事なのは。


「手ずから恥をすすぐこと、ですよね」


 私が、ヘルムートとミリアの首を刎ねなければならない。

 あー、いやだいやだ、なんてものじゃない。大層おぞましい話だ。


「分かっているならいい。人を斬ったことは?」

「……ない、です」

「あ、言葉の綾ね。槍とかクロスボウとか魔法とかでもいいから、人を殺したことある?」

「ありません」

「じゃ、今まで大事に育てられてきたわけだ」


 マルテ様の言葉は本心からのようだったけど、父はきまりが悪そうに咳払いした。


「うちにはヴィルヘルムをはじめ血の気が多い騎士が多いものですから、なかなか獲物を回す機会に恵まれませんでしたが……レーナが土壇場で処断をいとうことなど、ございません。そのように育てました」

「レーナちゃんの覚悟を疑っているわけではないよ。ただヘルムートはともかく、別邸にはミリア含めて元傭兵たちが詰めている。戦争帰りっていうのは、それだけで強いよ?」


 父が私を流し見た。無言の圧を感じる。

 私は目を伏せることができず、おのずから姿勢を正した。

 言わなきゃならないのか。自分で。なにも、誇らしくなんかないのに。


「私は……大抵の傭兵より強いので大丈夫です。ミリアや他の元傭兵がどれほどの腕かは存じませんが、戦役後に食い扶持に困る程度の輩には負けません」


 マルテ様の目が、すぅっと見透かすように細まった。

 言いたくなかったな。特に、マルテ様には知られたくなかったな。でも、騎士家の娘としてそう育てられ、求められたからには、表明する義務がある。

 強さは義務だ。自由じゃない。


「私には、魔法の才能があります」

「それは初耳だね」

「隠してきましたから」


 マルテ様のように圧倒的な魔力をひけらかすことで畏怖を集める者もいる。その反対に、いざという時のために必殺の術を隠しておく私みたいなタイプもいる。運用方法が違う。


「どんな魔法か、聞いてもいい?」

「殺気を隠す魔法です」


 曖昧模糊あいまいもことしているなぁ、と我ながら思う。でも、そうとしか言いようがない。


 人間に限らず、闘争を行うすべての生物は相手の“予兆”を嗅ぎ取る能力を持っている。それは筋肉のわずかな動きや視線のブレかもしれないし、緊張から発する汗の匂いかもしれない。魔法の心得がある者なら、体表に溢れ出た魔力の流れでどんな攻撃かを察知するだろう。

 いわゆる殺気、と総称される感覚の正体はこれだ。私はこれを完璧に隠すことができる。波風立たせずに生きたい、という私の陰キャ気質が生んだ才覚といえる。


「本来人間が当たり前に発している殺気を隠すということは、相手が身構える前に致命の一撃を決められるということです。武術において“殺気の見えない攻撃”に対応するのは、手練れであるほど困難です」


 剣の達人は、莫大な経験からの予測によって打ち合いを制する。逆に言えば、予測させなければ経験則を乱せる。


 あの夜会において、キレたヴィルヘルム叔父さんを止める手段はいくらでもあった。足を引っかけて床に頭から飛び込ませて、叔父さんの鼻を叩き折るのは簡単だった。叔父さんだって普通は体術の構えを取られたら攻撃を警戒するけど、私相手には不可能だ。


 ヴィルヘルム叔父さんのような、長い付き合いと武の心得がある人であっても、私の本質を見抜くのは難しい。初見の元傭兵たちや、私を嫌って遠ざけたヘルムートに見破られるいわれはない。


「私の強さのタネは、知られれば知られるほど効果を失います。ゆえに現状、私と父しか知りません。この件は他言無用でお願いします」

「……なるほど。余計な心配だった」


 マルテ様は静かに席を立った。すっかり陽の落ちた窓を眺める。


「無礼討ちは、明日の夕刻に決行する。シュナイダーの本家は明日いっぱい一族会議を開いているから、ヘルムート側もそれに合わせてくるはずだ。装備や供回りの支度を済ませておくんだ」

「承知しました」


 話は付いている。最初から私に選択権などなかった。まぁ予想は付いていたけど。


「さて、今から領都に帰るのも億劫おっくうだし、泊めてくれるかな」


 くるりと振り返ったマルテ様は、先ほどまでの冷ややかさをひっこめて淑やかな笑みを浮かべていた。


 ◇◇◇


 食堂に家の者を集め、マルテ様をもてなすことになった。客が伯爵家の者ということもあって、執事長のハンスさんがじきじきに腕を振るった。父と同じ騎士のヴィルヘルム叔父さんはもちろんだけど、従卒のジークさんやガウもマルテ様が招かれたので同じテーブルに着くことを許された。

 夜会に興味が無さそうだったから、集まりが嫌いなのかと思っていた。けれど、大勢で料理を囲む彼女の顔は、いつになくほころんでいた。


 ドカ盛りのローストビーフを前に、マルテ様はこの辺じゃあまず見ないようなテーブルマナーを駆使して綺麗に切り崩していった。ナイフ一刀流の下品な男衆から、どよめきが上がる。


「助かるよ。私、普段は粗食なんだ。その方がカッコいいから」

「カッコいいから……?」


 聞き返すと、マルテ様はちょっと恥ずかしそうに目を伏せた。


「イメージ作りのためさ。飯を喜んでモリモリ喰う人間より、喰わない人間の方が恐ろしいだろう?」

「分からなくは、ないですけど……」


 騎士たちの規律を正す彼女は、人に畏怖される必要がある。そこに人間味は必要ない。

 そんな彼女の複雑な内面を知ってか知らずか、フォルベック家の男衆は彼女にどんどんご馳走をよそっていく。お偉いさんの娘を接待しよう、みたいな下心は一切なく、「細いからもっと喰え」の精神である。

 それでいいのかと思ったけど、マルテ様は嬉しそうだった。


「川魚のフライでございます」

「ありがとう」

「山羊の後ろ身もどうでっか!?」

「ありがとう」

「クマの腿肉も喰ってみてくだせえ! 俺っちがこないだ仕留めてよぉ、あんときゃステゴロで殴り合ったもんで――!」

「ありがとう」


 祭日の宴なんかよりよほど豪勢な食事を、みんなで綺麗にたいらげた。マルテ様のスマートな身体のどこにあの量が収まったのかさっぱりだけど。


 食後、酔い潰れた男衆の介護を使用人たちに任せ、私たちは夜風に当たろうと軒先に出た。

 涼しい風が一陣、お酒で火照った頬を撫でていく。

 マルテ様の黒髪がふわりと浮いて、目元にかかった。


「賑やかな人たちだった」


 彼女はぽつりと、呟いた。


「レーナちゃん、家が嫌い?」


 ひどく優しい声がした。

 驚いてマルテ様に向き直ると、乱れた前髪の奥に、やはりひどく優しい眼差しがあった。


「というよりは、騎士の風習自体が嫌いなのかな?」

「なにを、おっしゃるのですか」

「名誉とかメンツとか、どうでも良さそうだったから」


 試されている。


 いつも呪いのように、私は人の言動に自分の評価を透かしてしまう。うまくやらなきゃ、正解を引かなきゃ。答えは簡単、「私は騎士家の人間として喜んで無礼討ちに臨みます」と言えばいい。


 でも、私はどうかしていた。酔っていた。

 マルテ様の優しい声と瞳に晒されて、いつもの選択肢が頭にでてこなかった。

 一度後ろを振り返って、家人が近くにいないことを確かめる。それから深呼吸。マルテ様は待っていてくれた。


「……だって、頭おかしいじゃないですか。メンツのために人殺すとか、蛮族じゃないですか」


 マルテ様の優しげな瞳が、すうっと細まった。

 彼女は少し背伸びをして、私の耳元に唇を寄せた。爽やかな香水と、焦げた魔力の匂いと、お酒の香り。


「分かるよ」


 ヴァ―ルシュタットに名高い粛清の魔女は、ひそやかにそうささやいた。


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