第5話:無礼討ち
マルテ様は、淡々と調査結果を報告し始めた。しかし、その声色には雷鳴の予感じみた怒りが見え隠れしていた。
「まずはヘルムート坊やの浮気相手、ミリア某さんの方から説明しよう。あまりに謎過ぎたから、気になってたはずだ」
謎の泥棒猫の正体は、フォルベックの人間にとってはもちろん、辺境伯の右腕であるマルテ様にとって非常に不愉快なものだった。
「この手の浮気相手としては順当というべきか、彼女はシュナイダー家の使用人だったよ」
マルテ様の調査は順調に運んだ。というのも、シュナイダー家は領都に大きな屋敷を構えており、その領都は当然のごとくヴァ―ルシュタット伯爵家のお膝元だからだ。彼女にとっては、自分の庭を散策するようなものだろう。
「ただ、公式の家政名簿に細工した痕があってさ、ちょっとシュナイダー家の執事長を呼び出してお話したんだ」
あー、はいはい。お話ね。お話。粛清の魔女と優雅なティータイムを楽しんだ、と。
「すぐに口を割ったよ。ミリアという平民出身の女中は確かにいたけど、彼女は三年前に病死していた」
「それって……誰かが死人に成り代わってるということですか」
「幽霊じゃなければね。で、三年前に何があったかという話なんだけど」
隣の父が、うめくように答えた。
「戦争、ですか。南のモンドラゴン聖王国に対する越境攻撃のため、辺境伯軍は傭兵を募っていた。三年前というと時期的に、講和条約が結ばれて動員が解除された頃でしょう」
「さすがゲルハルト殿、鋭いね」
マルテ様は拍手で父を褒め称えた。お互い、ぜんぜん楽しくはなさそう。
「そう、傭兵たちの仕事がひと段落着いた時期だ。戦争が終わったら多くの傭兵は別の戦地に行くけど、戦後の情勢によってはしばらく稼げない場合もあるでしょ? ひとまず現地に腰かける隊も、いるにはいるんだよね」
戦役が終わって職にあぶれた傭兵が、身分を偽って騎士家に居候している。これはどうやら、そういうキナ臭い話のようだ。
「もしや、と思ってヘルムート個人の別邸も探らせたら、なんとミリア以外にも出自不明の下男が複数匿われてた。しかも死人の口座をいじって、本家の管理する大金庫から小遣いをちょろまかしている。まったく驚きだよ」
空気の焦げた匂いが濃くなってきた。マルテ様は、明らかにキレていた。
傭兵の定住は、治安や受け入れ体制の面から基本的に歓迎されない。ろくな専門技能を持たず、小作農を見下す程度のプライドはあり、腕っぷしだけは強い荒くれ者と一緒に住みたい人間は限られている。戦時に頼れる人材は、言い換えれば平時に居てほしくない人種ということになる。
「届け出のない元傭兵を家に匿って、しかもそいつらと組んで金の無心までしてる。これはもう、ヴァ―ルシュタット辺境伯に対する叛意を疑われても仕方がないね」
必要な軍事力は、常に領主によって管理されている必要がある。たった数人だからお目こぼし、というレベルの話ではない。これを許せば、いつのまにか領主の知らない兵隊百名が居城を取り囲んでました、なんてことになりかねない。
ミリアという女の足跡は掴めた。続く問題は。
「それで、ヘルムートとミリアは何がしたいのか、だけど。単なる反乱が目的なら、わざわざ君とフォルベック家をコケにして注目を集める必要はない」
「幸せアピールをしたかったのでは? その、真実の愛と言っていましたから」
私が答えると、マルテ様は、じっとりとした視線で刺してきた。
「レーナちゃん、本気で言ってる?」
「え……ごめんなさい。男女の心の機微はよく分からないです」
「男女の機微じゃなかったとしたら? つまり、もっと実利的な展望があったとしたら?」
マルテ様が悩ましげに髪をかいたのを見て、私はブドウ酒を勧めた。
「ありがとう……あぁ、要はこのヴァ―ルシュタット辺境伯領とおさらばする計画があったんだ」
「……駆け落ち、ですか?」
「それを言うなら足抜けね」
マルテ様はグラスを戯れに傾け、皮肉げに眉を上げた。
「ネズミに吐かせたところによると、ヘルムートの別邸からシュナイダー家の管理する大金庫まで坑道を掘っていた。現在、大金庫の警備部門は、一族会議中の本家を守るため手薄になっている。そして、一族会議の要因になったのは……」
「ヘルムートの婚約破棄ですか」
順序としてはこう。
まず最初に、ヘルムートとミリアたち元傭兵が結託して強盗計画を立てていた。彼らは三年かけてじっくりと、ヘルムートの別邸から大金庫までの坑道を掘った。
次いで、大金庫からシュナイダー家の警備を引き揚げさせる必要があった。そのためにヘルムートは婚約破棄騒動を起こし、本家に一族会議を開かせた。家の存亡がかかった事件なのだから、あちらもそうせざるを得ない。
なんとまぁ、遠大な計画で。
「うん。なんで奴があんなバカをしでかしたのか、分かったでしょ?」
ここで父が、むっくりと立ち上がった。顔の険しさが増している。
「俺としては、そろそろシュナイダーの本家にご挨拶をしようと考えています」
「おっと、ゲルハルト殿。あまり早まらないでくれ。なぜ本家が守りを固めているか、分かっているはずだよ」
「この三日間あちら側からの謝罪を待っていたが、もう限界だ。このままレーナとの婚約が破談になるのなら、賠償もふんだくってやらねばならん。フォルベック家の復讐を警戒しているというのなら、お望み通り討ち入ってやるのもやぶさかではない」
「騎士の矜持を忘れるなかれ。私の父上は、臣下同士による理性なき血讐を望まない」
父とマルテ様の間に重苦しい緊張が走る。
父は強い。けれどマルテ様の方がもっと強い。そして、ヴァ―ルシュタット辺境伯はマルテ様より遥かに強い。
暴力的な騎士たちを束ねる君主は、もっとも暴力に精通している。逆らえば平等に裁かれる、だからこそ騎士たちは忠誠を誓う。
マルテ様はブドウ酒を一息に飲み干した。赤い舌先が、彼女の唇をぬぐう。
「伯爵家としては、フォルベック家を擁護する構えだ。そこは父上に確認してある。けど、あちらの一族が傭兵番ってのが問題でね……」
彼女が言わんとしていることは、薄々察しがついた。
父やヴィルヘルム叔父さんのような、武闘派の騎士は多くいる。一方、傭兵番をできるような算学に長けた騎士はいくらもいない。金に汚いブタと蔑まれても、事実としてヴァ―ルシュタット辺境伯はあの一族を重用してきた。
恥をかかされたら血で雪ぐ、そこまではいい。
だが、替えの利かない血は流失させられない。
「向こうがヘルムートの首を差し出すことは、まずないと思ってほしい。賠償にしても、領都にある大金庫や宿営の管理に支障をきたさない範囲になるだろう。破産でもされたら、領軍の兵站が崩壊する」
父が机を叩いた。ビビって腰を浮かせたのは私だけで、マルテ様はまばたきすらしなかった。
「実質泣き寝入りではないか! こちらはシュナイダー本家に討ち入っても許されるほどの辱めを受けたのですぞ!」
「向こうから、と私は言ったよ」
マルテ様は、あくまで悠然と腰掛けている。
彼女の肩越しに夕陽が落ち、美しい黒髪に残照が溶けていく。あとに残るのは、薄暮と混じり合った魔女の影。
「これは、両家の体面を守るための折衷案と考えてほしい。シュナイダー本家には、すべて終わるまで黙認するよう話を通してある」
魔女の微笑が、深まった。彼女は誘うように私を見ていた。
「傭兵番の一族は潰させない。レーナちゃんとフォルベック家のメンツも、潰させない。そして、領主に反逆したヘルムート一派は、なんとしてでも叩き潰す必要がある。分かるね?」
結論が、読めてきた。
私が一番嫌いなやり方。名誉ある暴虐。
「レーナちゃんが、ヘルムートを無礼討ちするんだ。それでこの件はきれいさっぱり解決する。君もフォルベック家も名誉を回復できるし、シュナイダー家には大きな貸しを作れる」
ナメられたら、殺せ。たとえ女であっても、掟に従い剣を取れ。それが騎士家の生き様だ。
あー、やだやだ。私は平穏無事に生きたいだけなのに。