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第4話:騎士らしさ

 マルテ様、顔が良かったな。


「お嬢、レーナお嬢」


 あと、髪がいい匂いだったなぁ。どこの香水だろ。領都で手に入るかしら。


 ヘルムートに婚約破棄されてから三日。

 マルテ様にシュナイダー家とミリア某さんの調査をお任せしてから三日。

 まだ三日しか経ってないのか。現実感がない。別段枕を濡らすこともなく、毎晩ぐっすり眠れてる。私は婚約者にコケにされた情けない女……という実感を持って生きるのは、どうやら難しいらしい。だって婚約破棄された人間なんて身の回りで見たことないもの。


「おーじょーう」


 目の前で、パンッと手を叩かれた。


「おおう!?」

「今日のお嬢、頭の中が春めいてますね」


 従卒のガウが、いぶかしげに毛むくじゃらの耳をぴこぴこさせた。


「……ガウってば、ほんとに頭がいいね」


 誤魔化し半分、そのモフモフの耳を揉む。

 亜人、コボルト。犬の頭を持つ獣人。戦いが得意で忠実なため兵隊に向く一方、知能は低いとされる。

 彼らにとって春とは「なんか定期的にあったけぇ時期あるよな」レベルの認識であり、恋に思いを馳せる青い芽生えの季節であるという文化的な解釈ができる個体は多くない。


「お嬢が勉強を教えてくれたからじゃないっすか。それよか、道の真ん中で立ち止まるのは良くないっす」


 おっと、巡視中だったんだ。

 本来は女の仕事ではないけれど、フォルベック家では鍛錬の一環で歩かされる。当然街をただえっほえっほと散策するだけでは終わらない。教会で孤児の遊び相手をしたり、主婦のお悩み相談を受けたり、娼婦の生活指導をしたり、祭日にはパン焼きを手伝ったりしなきゃいけない。


「ガウ、私疲れちゃったな。どっかで休憩してから帰ろ?」

「え? まだ四時間しか歩いてませんよ?」

「普通の貴族令嬢って、休みなしで四時間も街を巡回してたら脚から血を噴き出して死んじゃうらしいよ」

「え? でもお嬢の脚はそこらのお嬢様よか何倍も太――」

「うるさい! 疲れたって言ってんの!」


 ガウのモッチリした耳を引っ張って手近な旅籠屋に連行。こういう時だけ内弁慶で済まないと思いつつ。


「おやおやレーナ様、今日もお勤めご苦労様です!」


 顔なじみの店主のおじいさんが、揉み手しながらカウンターから出てきた。

 ……もっとこう、さ。「今日もお美しくいらっしゃいますね」みたいなことを言われてみたい人生だった。怖がられたくないから平民カタギの人に指摘なんかできないけど。


「いつものブドウ酒、蜂蜜ショウガ入りで。ガウにはバターミルクをお願いします」

「はいよ! サービスしときますから、ゲルハルト殿によろしくお伝えくださいね! おらおらフォルベックのお嬢様がお入りだ、野郎どもテーブルを開けな!」


 旅籠屋はいつも客や下宿人で賑わっている。みんなが楽しそうに飲み交わしている雑多な雰囲気は好きだけど、私が入るとみんな遠慮してしまう。


「ささ、どうぞお嬢様!」


 下宿の衛兵さんたちはニコニコしながら二人分の席を開けてくれた。

 平民は騎士家に遠慮すべきで、騎士家は平民に遠慮してはならない。それがメンツというもので。


「あはは……どうも」


 居心地の悪さを愛想笑いで隠しながら、たっぷり注がれたブドウ酒に口を付ける。ガウの方は私の気持なんかまるで知らず、大好物のミルクを一息で飲み干した。


 お代のコインを店主に差し出したら、「ツケでいいですよォ~!」って突き返された。ツケといっても、この店主は後で父に請求書を送ったりしない。私がゲルハルト・フォン・フォルベックの娘だから奢ってくれてるんだ。


 やだな。

 嫌なのは、ここでコインを無理やり店主に押し付けられない自分の弱さだ。それはヘルムートの前で狐を撃てなかった弱さであり、彼に浮気されても本気でブチギレなかった弱さでもある。

 波風を立てない生き方というのは、押し寄せる誰かの波に揺られ、吹き付ける誰かの風に流されるということでもある。こんなんばっかりだ。


 みんな私を振り回す。ヘルムートも、知らねえ泥棒猫も、父や叔父も。

 まったく、どうかしてる。


 陽が一番高くなった頃、旅籠屋の外が騒がしくなった。馬の足音と、やかましい男たちの罵声。聞き覚えのある声だ。


「おうおう寄ってけ見ていけよ! 腐れ盗賊の市中引き回し虐殺ショー、絶賛巡業中だぜ!」


 外に出てみれば、やっぱりヴィルヘルム叔父さんだった。馬の後ろにズタボロの男を牽いている。もちろんこの辺の人じゃない。流れの賊だろう。色々吐いたり漏らしたりしているようで、鼻の良いガウが「ウーッ」とうなりながら毛を逆立たせた。


「よう、レーナ! 浮気されて塞ぎ込んでんじゃねえかと心配してたんだぜ!」

「お、叔父さん……そういうこと大きな声で言わないで」


 市中引き回し虐殺ショーのせいで野次馬がめちゃくちゃ集まってるのに。どうせ遅かれ早かれ知られることではあるけど。


「おっと悪い悪い! だが元気そうでなによりだ!」

「うん。お勤めはちゃんとしなきゃ」

「気晴らしはできてるか? この盗賊を引き回してみるってえのはどうだ?」

「……遠慮しとく。その人もう死んでるでしょ」


 盗賊はぴくりともしない。普通の貴族令嬢が四時間歩き回れば脚から血を噴き出して死んじゃうってのは嘘だけど、普通の人間が朝から昼まで……少なくとも四時間以上も引き回されれば、全身から血を噴き出して死んでしまう。

 ようやく後ろを振り返ったヴィルヘルム叔父さんは、あちゃーっってな感じで自分の額を叩いた。


「おいおいもう死んじまったのかよ、骨のねぇ賊だな!」


 骨はあるでしょ。たぶん全身砕けてるけど。


「ちと早ぇが、屋敷の前に吊るしとくかぁ」


 ヴィルヘルム叔父さんはひょいと死体を掴んで馬に載せた。野次馬たちもこれ以上見世物はないと察し、散っていった。

 罪人は騎士の家の前に吊るす。ナメ殺の掟。あーやだやだ。うちの屋敷に出入りするたびに死体とご挨拶しなきゃならないなんて、どうかしてる。


「レーナもお勤めが終わったんなら乗ってくかい?」

「い、いい。歩いて帰る。ガウもいるし」


 グチャグチャの死体と一緒に馬に乗るなんて、絶対嫌。


 ◇◇◇


 私とガウが屋敷に戻ったころには、門前に立派な吊るし首が飾られていた。今日もフォルベック家は騎士の務めを果たしましたよ、という証明である。ちなみに普通に不潔なので、家の人間は吊るし首があるときは別の出入口を使う。


「おっ。お嬢、なんかいい匂いしますぜ」


 ガウが鼻をひくつかせた。


「なんの匂い?」

「焦げたミカンっす」

「! それって」


 それって切り分けると、何かが焦げた匂いと柑橘系の香水の匂いってことじゃなかろうか。

 裏門に回ると、案の定ヴァ―ルシュタット家の馬車が停まっていた。はやる気持ちを押さえ、ガウの後頭部をわしゃわしゃと撫でる。


「ガウ、お疲れ様。今日はもう休んでいいわ」

「え? でもお嬢、巡視から帰ったら剣の鍛錬をしなきゃ……旦那に怒られますよ」

「お客様がお越しなのに、当主の娘が庭で剣振ってたら失礼でしょ!」


 ガウを従卒たちの宿舎へと押し返したら、自分はこそこそ自室へ戻る。手早く着替えて化粧を直し、いそいそと応接間に向かう。


 どら声の父と歓談しているのは、やっぱりあの怜悧な声。

 応接間に足を踏み入れると、相変わらずの黒ずくめに身を包んだ女性が、小さく私に手を振った。


「やぁ、レーナちゃん」

「いらっしゃいませ……マルテ様」


 調査の件だろう。めちゃくちゃ早い。

 彼女は昨晩と変わらない薄い微笑みで、上座にゆったりと腰掛けていた。父を差し置いてその席に着くことを許されるのは、ヴァ―ルシュタット家の人間だけだ。

 私の帰宅を今知った父は、別段驚くこともなく鷹揚に手招きをした。


「帰っていたか、レーナ。見ての通りマルテのお嬢がお越しだ。お前も掛けなさい」

「はい、父上」


 言われるまま席に着いた私を、マルテ様はしげしげと眺め透かした。上から下へ、また上へ。


「……どうなされました?」


 彼女はわずかに、虚を突かれたように目を丸くした。


「あぁ、いや。レーナちゃんは今日も可憐だね」


 ぼんやりすることが、彼女にもあるのだろうか。すぐに彼女は、余裕の微笑を取り戻した。

 お戯れを、と言おうとしてぐっと飲み込んだ。あの晩の、馬車での記憶が蘇ったから。それで反応がひと呼吸遅れたら、父のデカすぎる笑い声が割り込んだ。


「ガハハ! マルテのお嬢を見習って、もっと騎士の娘としての貫録を身に着けてもらいたいものですよ!」

「人には人のらしさがあると思うけどね……まぁいいや。レーナちゃん本人が来たことだし、本題に入ろう」


 マルテ様は軽く首を回し、姿勢を正した。窓から差す陽が傾き、彼女の薄笑いに影を落とす。

 それは、粛清の魔女の顔だった。


「ヘルムート・シュナイダーの狼藉について、私なりに裏を洗ってみた。こちらが得た情報を踏まえ、レーナ・フォルベックおよびフォルベック家の名誉回復のため、伯爵家としての方針を伝えたい。これより私の言葉は伯爵の言葉と思え。ゲルハルト殿、レーナちゃん、前提はよろしいかな?」


 父と私は、同時に頷いた。


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