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第3話:つまんねー女

 辺境騎士の息女がみんな世間一般に言われる“強い女”かと言えば、そうでもない。

 マルテ様は特別強く、多くのご令嬢は平凡で、私は弱い方だ。腕っぷしどうこうではなく、気高さの問題だ。私は臆病で、事なかれ主義で、卑屈だった。


 ヘルムートには、そういうところを嫌われたのかもしれない。フォルベック家とシュナイダー家の縁談が始まってから三年ほどになるけど、私は彼に対し何も求めなかったし、何も縛らなかった。


 だから正直、浮気される理由は分かる。政略結婚だからって事なかれ主義でなぁなぁにしていたツケを、私は払わされたんだ。

 ヘルムートがあんな大馬鹿野郎だってことを知らなかった。


「可愛いだなんて、もったいないお言葉です。ヘルムートにとって私は魅力的でなかったのでしょう」

「ふぅん」


 マルテ様はつまらなそうに相槌を打った。


 彼女は知っているはずだ。若き女性でありながら辺境伯の右腕を担い、畏怖と実力で騎士たちを取りまとめるヴァ―ルシュタットきっての才女なら。

 「ナメられたら殺せ」という掟を実践する前に、ナメられないよう気高く生きるべきだってことを。


「私には、レーナちゃんはすごく魅力的に映るけどね」

「お戯れを……」

「真剣なんだけどなぁ。レーナちゃんは可愛いよ」

「お戯れを……」

「本気だよ? 君の表情に乏しい顔立ちとか、気性に似合わない情熱的な赤毛とか、鍛錬でちょっとゴツくなった手のひらとか、素敵だと思うけどな」

「お戯れを……」

「お戯れ連打はナシね。次言ったらペナルティでバチッだからね」


 マルテ様の指先で火花が散った。割と制裁の沸点低いな……とはもちろん言わない。

 ごめんなさい、もっと謙遜のバリエーションを増やしときます。最後の方褒められてるのか分かんなかったけど。


 馬車が大きめの石を踏んだ。跳ねた車体に合わせるようにマルテ様は腰を浮かせ――そのまま私に覆いかぶさるような格好になった。

 さらりと長い黒髪が、私の頬をくすぐった。柑橘系の爽やかな香りと、空気が焦げたような雷系の魔力の匂いがした。


「おっと、悪いね」


 マルテ様は薄くはにかみ笑いを浮かべ、自席に腰を戻した。その間、彼女とはずっと視線が合っていた。

 つくづくお顔がいいなぁ、と思いながら、疑問が浮かぶ。

 なんでこの人、私をしきりに慰めようとしてるんだろう。話がズレにズレたけど、本題はヘルムートが婚約破棄という愚行に及んだ背景の方じゃなかったか。


「あの、マルテ様」

「うん?」

「元? 婚約者としてお恥ずかしい限りですが、私はヘルムートに今まで関心を持ってきませんでした。ですが、一点だけ心当たりがあります」


 マルテ様は、それを聞きたくて私を送迎する役を買って出たはずだ。辺境伯の右腕として、ヘルムートが愚行に及んだ背景を探るために。


「以前、ヘルムートの希望で狩りに同伴させられたことがあります」

「女連れで狩りに? デートとしては失格だなぁ」


 そりゃそうですとも。狩りは男の趣味です。


「で? ヘルムートはお上手だったのかな?」


 マルテ様は年頃の少女みたく身を乗り出した。恋バナしてるんじゃないんだけど。


「ヘルムートは狐を一匹、仕留めました。腕前はそれなりだったと思います。でもそれは問題じゃなかったんです」

「というと?」

「彼は私にも、弓を取らせようとしました」


 女が武器を取っていけない、ということはない。騎士家の女たるもの、男手が足りなければ一軍を率いることだってある。そもそも辺境は治安が悪いし、女だって強いに越したことはない。


「その時の私は、ヘルムートに試されていると思いました。彼はあえて二矢続けて外し、三射目で狐の頭を撃ち抜いたから。私が三矢外して彼を立てることのできる女かどうか、試している、と」


 私もヴァ―ルシュタットの騎士家に生まれた身だ。そして、武闘派のフォルベック家の女として、相応以上に軍事教練を受けてきた。手を抜かれたら、すぐに分かる。


 女であっても男に負けず戦うべし、されど女は男を立てるべし。


 治安の悪い辺境において、矛盾するふたつの風潮がぶつかり合うことがある。どちらが優勢かは、家によって異なるというのが正直なところ。マルテ様が辺境伯の右腕として頼られているのも、私が鍛錬を積んでいるのも、前者の気風の家に生まれたからだ。


 もちろん、社会一般の常識になぞらえて強い女を疎ましく思う人たちだっている。私はヘルムートをそちら側の人間だと踏んだ。付き合う男がどちらに属するかは女側が察しておかないと、社交界で苦労する。力さえあれば我を通せると思ったら大間違いだ。


「で、レーナちゃんは婚約者を立てるためにわざと外したってこと?」

「はい」


 私は三射続けて外して狐を逃がし、自虐しながらヘルムートの腕前を誉めそやした。

 あの時、ヘルムートが向けてきた軽蔑の眼差しを覚えている。思い出すたびに動悸が激しくなる。

 自重して、押し殺して、それなりの淑女としてしずしずと人生を歩もうとしただけなのに。


『つまんねー女』


 あの時も、ヘルムートは私にそう言った。自重しないのが正解だったのだ。私は選択を誤り、婚約者に見放された。


「つまりヘルムートは、私と正反対の、自信に溢れた快活な女性が好みなのではないかと。それで、彼の趣味に適合したのがミリア某さんだったのだと思います」

「なるほど……」


 マルテ様は形の良い顎に手を当て、神妙に眉をひそめた。眉間から、また火花が散っている。

 もしかして、不機嫌でいらっしゃる? 私の不甲斐なさが巡り巡って伯爵様の夜会を台無しにしたから?


「ご、ごめんなさい」

「なんでレーナちゃんが謝るの? 悪いのはシュナイダーの坊やだよね?」

「そ、そうですよね! ごごごめんなさい」

「だから、なんでレーナちゃんが謝るの?」

「あっ! ご、ごめんなさ――」


 稲妻みたいにマルテ様の指が伸び、私の唇に軽く触れた。彼女の声が一段、低くなる。


「次、君が悪くないのに謝ったら、別の手段で口を塞いであげようかな」

「――は、い」

「よろしい。あまり私の前で卑屈にならないことだ」

 

 脅された。口、塞がれちゃう。伯爵様の右腕がそう仰せなら、たぶん土とか木の杭とか口にブチ込まれちゃうんだろうな。

 マルテ様は念押しするように私の唇を撫でてから、ようやく指を離した。


「うん、ヘルムート側の機微はだいたい理解した。とはいえ君の見解は、あの坊ちゃんが婚約破棄などという凶行に及んだ理由までは説明できていないね。あれでも、父上が信任する一族の男だ」


 それは、確かに。


 シュナイダー家は傭兵番を生業としている。傭兵番っていうのは、戦時における傭兵の募集や宿営、兵站の管理なんかを行う仕事だ。もともとは退役した騎士の名誉職だったらしいけど、独立傭兵フリーランス産業の発展と共に規模が拡大し、専業化が進んでいった歴史がある。


 専業化が進めば、市場はスキルとコネを有する一族による寡占になる。必然、傭兵番は金に汚くなり、騎士道精神からかけ離れた戦争商人として嫌われるようになる。

 それでも、辺境であるヴァ―ルシュタットで傭兵と手を切ることは難しい。私が生まれる前も生まれてからも、何度だって戦役があった。そしてそのたびに、シュナイダー家の連れてきた傭兵隊が戦線を支えた。騎士同士の一騎打ちで趨勢を決する戦争は、もう絵物語にしか存在しない。


 シュナイダー家は辺境防衛の下支え。ヴィリー叔父さんはブタ野郎とか罵っていたけど、金に汚くとも信用のある一族なのは事実だった。彼らの忠義はヴァ―ルシュタット辺境伯が認めてきた。あの家が、令息にナメた教育をするはずがない。


 となると、怪しいのは。


「やっぱり、ミリア某さんだよね。レーナちゃんも知らない泥棒猫」

「泥棒猫て」

「洗脳魔法かクスリの類か……いや、そんな匂いはしなかったよね」


 魔法を使う気配があれば、魔力が身体から溢れる。マルテ様自身、威圧のためにわざと魔力を垂れ流している節もある。少しでも魔法の心得があれば、誰が魔法を使った、あるいは使おうとしてるかなんてすぐに分かる。


「うーん……不可解な点が多いな。ともかく探ってみるしかないか……」

「きっと単なる痴情のもつれですよ。このような些事でマルテ様のお手を煩わせるわけには」

「騎士たちの規律を正すのが、辺境伯の右腕たる私の役目。素性のしれない女ってことは、敵国のスパイかもしれないじゃん?」


 まぁ……言われてみれば。卑屈になったり恥ずかしがったりしてはいられないか。背景調査の話をしたいがために、マルテ様は私の送迎を買って出たんだろう。


「私の手勢がシュナイダー家とミリア某の繋がりを調査しよう。少し時間を頂く。君はしばらく、傷心のていでおとなしくしておいてほしい。君の父君と叔父君が暴れそうなら、留めておいてね」

「分かりました。当家へのお心遣い、痛み入ります」


 マルテ様はちょっと不機嫌そうに前髪を掻いた。


「君への心遣いなんだけどなぁ」

「え? ご、ごめんなさい……」


 反射的に謝ってしまった。なんで怒られてるのか知らないけど、きっと無礼だったんだろう、と。


 マルテ様のお顔が、すぐ目の前にあった。綺麗で、怖い。


「警告したけど?」


 彼女の桃色の唇が、ランプに照らされて艶やかにちらつく。薄く開かれた口の隙間から、赤い赤い舌先が覗く。


 失礼かもしれないけど――喰われる、と思った。そして、それも悪くないな……とも。ひと息で、狼みたいに噛みつくことができる距離だった。おそれと未知の興奮で、心臓がひどく暴れている。


 彼女の顔は、すぐに離れた。


「……私はレーナちゃんの友として、君の名誉回復を手伝いたい。意味、分かるよね?」

「あ、はい。ありがとう、ございます」


 強い語気と裏腹に、マルテ様は寂しそうに長いまつげを伏せた。


 フォルベック家の屋敷に到着するまで、痛いくらいに私の胸は鳴っていた。


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