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第2話:ナメ殺の掟

 普段は夜会に顔を出さないマルテ様がなぜこんなところにいるのか。いや、そんなことはいい。


 誰もがマルテ様の恐ろしさを知っている。彼女が来訪した途端に空気がビリついたのは、錯覚ではない。彼女は電撃を操る強大な魔女であり、辺境伯の右腕として騎士たちの綱紀粛正を担っている。自分がそこにいることを、その存在の圧力を他者に知らしめるために魔力を垂れ流しているのだとか。


 つまり、彼女はいつでも騎士の規律を乱した者を“制裁”する用意ができている。人呼んで、『粛清の魔女』。


 夜会の参加者たちはみんな、凍り付いていた。マルテ様は、伯爵様の夜会で無礼を働いた輩が誰であれ何人であれ、その頭上に雷撃を落とすことができる。たとえ自分に瑕疵がなかったとしても、下手な口を訊けば即死するかもしれない状況で雑談などできやしない。

 この状況の原因を作り出したヘルムートですら、ムカつくニヤけ面のまま閉口している。彼がミリア某さんを紹介したい「みんな」のリストにマルテ様は入っておられたのかどうか知らないけど、さすがに心の準備がまだだったようだ。


「どしたの、レーナちゃん。剣が欲しいなら貸してあげるよ」


 マルテ様は悠然と私に歩み寄り、自分の腰に提げた剣を軽く叩いた。


 ナメられたら殺せ……という帝国騎士の不問律は、もちろん字面通りの意味ではない。無策でケンカを買うのでは、下賤な賊と同じだ。

 騎士家の人間たるもの、無礼には誇りをもって応じなければならない。


 つまり、これはマルテ様の冗談。私は騎士の娘として、試されている。不貞の咎が誰にあるのか、粛清の魔女は値踏みしておられるのだ。男の浮気は男が十割悪いでしょって? そんなの時代と文化によるんだよね、残念ながら。マジで勘弁してください。


「いいえ、マルテ様。お戯れを」


 愛想笑いを引き攣らせながらも、なんとか声を絞り出す。


「ヘルムート様は少々、酔っておられるようです。控えるよう申し上げなかった私の落ち度です」

「ふぅん、そうなんだ?」


 マルテ様は形のいい眉をおどけたように上げ、わざとらしく驚いてみせた。

 知らんけど。私もさっき会場に来たばっかだから。でも酔っぱらってた方がまだマシなので、そういうことにしておきたい。

 ヘルムートに視線を送る。「余計なこと言うなよ!」の念を込めて。

 ところがヘルムートは気を取り直し、マルテ様にバカ正直に話し始めた。


「いいや。マルテのお嬢、俺は素面シラフだ。俺はレーナ・フォルベックとの婚約を破棄し、ミリアと結婚する。さっきそう宣言したところだ」

「すまない、ヘルムート。私の勉強不足でごめんだけどさ……そのミリアさんとやらはどこの誰なの?」

「平民だ!」

「平民だ、では困るね。行きずりの娼婦とか、そこらの農家から攫った娘とか、あるいは敵国のスパイとか、色々と勘ぐってしまうじゃない」


 マルテ様は薄笑いでゆったりと構えている。けれど、絶大な魔力が漏れ出ている。彼女の眉間に青白い火花が散って、場の全員を硬直させる。

 対するヘルムートは、貼り付けたようなニヤケ面を崩さない。ヘラヘラと、ヘラヘラと。


「やだなぁ、お嬢。ミリアは気高い女ですよ、そこのレーナと違ってね」


 やめろ。

 ヘルムートが内心私をどう思っていようが構わない。これ以上、和を乱すな。

 私が、いいや、フォルベック家が引き下がれなくなる。


 マルテ様はヘルムートとの会話を打ち切り、私の方に意味深な目くばせをした。

 その時、会場の入口がにわかに騒がしくなった。庭で飲み会をしていた上の世代の騎士たちが、頃合いを見て若者たちに酒を勧めにきたのだ。

 そして間の悪いことに、騎士たちの先頭には私の叔父であるヴィルヘルム叔父さんやフォルベック家の家臣たちがいた。


「おやレーナ、こりゃ一体なんの余興だい? 珍しくマルテのお嬢ちゃんまでいるしよう」


 ヴィルヘルム叔父さんは会場の空気に戸惑い、ずんぐりした赤ら顔を傾げた。

 自然と叔父さんの視線は私やマルテ様の向こう、ミリア某さんの肩を抱いているヘルムートに吸い寄せられる。


「……レーナよう、俺っちの目にゃあ、お前さんの婚約者が知らねぇ女を侍らせてるように見えるんだが」


 ヴィルヘルム叔父さんの声が、剣呑な鋭さを帯びる。


「シュナイダーの小僧、てめぇレーナをコケにしてんのか? それともフォルベック家をナメてやがんのか?」

「やめて、ヴィリー叔父さん」


 ドシンと足音を響かせ、ヴィルヘルム叔父さんはヘルムートに詰め掛かる。私は慌てて立ち塞がった。ヘルムートのためじゃない。


「なんとか言えやクソガキがァ! 戦争するか!? おお!? 俺っち一人でシュナイダーの騎士ども全員血祭りに上げたっていいんだぜゴラァ!」

「やめて! ここでケンカしちゃダメ!」


 後ろに控えていたフォルベック家の家臣たちが両脇からヴィルヘルム叔父さんの腕を拘束する。普段はクールな従卒のジークさんも、いつも穏やかな執事長のハンスさんも、猛牛のごときヴィルヘルム叔父さんの怒りように辟易している。

 叔父さんは『血祭りヴィリー』の名で知られる辺境伯騎士団きっての武闘派。魔法なんかはからっきしだけど、ケンカと殺人において右に出る者はいない。無礼者には容赦しないし、暴れ出したら止めるのは大変だ。


「離せ! あのクソガキ、うちの可愛い可愛いレーナを侮辱しやがった!」

「落ち着いてくださいヴィリーのオジキ! マルテ様が見ておいでですよ!」

「俺っちは元からシュナイダー家との婚姻には反対してたんだ! 知ってるんだぜ、あの腑抜けた傭兵番のブタ野郎どもが、伯爵様に隠れて何やってるかをなぁ!」

「だからって、伯爵様の夜会で暴れていいわけないでしょーが!」


 やばいやばいジークさんとハンスさん押されてる。私も叔父さんの巨岩みたいなビール腹にしがみついて押し留めにかかる。


「ほんっとにやめて!」


 三人がかりでもヴィルヘルム叔父さんの進撃を止められない。ここで暴力沙汰を起こせば、後で伯爵様にどんな裁きを下されるか分からないってのに!

 肝心のヘルムートは――逃げてない。ヘラヘラしながら、私たちの奮闘を嘲笑っている。ミリア某さんも、きょとんとした顔でヘルムートに撫でられるがまま。ひょっとして、危険を察知する本能がぶっ壊れていらっしゃる!?


「これ以上私に恥かかせたら、本気で怒るよ! 叔父さん!」


 これで止まらなかったら、奥の手を使うしかない。叔父さんに恥をかかせることになるけど、ここで家同士の戦争をおっぱじめるよりはマシだ。


「……クソッ」

 

 願いは通じたようで、叔父さんは悪態を吐きながらも脚を止めた。


 ちょうど、その場に立っていたマルテ様の脇を通り過ぎる寸前だった。もしここを超えれば、決定的にマルテ様と伯爵様の顔に泥を塗りたくるところだった。

 ヴィルヘルム叔父さんは私とマルテ様を交互に見比べ、「すまねぇ」と呟いた。


 マルテ様は冷徹な眼差しを私たちに向けていたけど、事態が落ち着いたのを見て大きく手を叩いた。みんなが彼女に注目する。


「少し早いけど、今日の夜会はお開きにしようか。宴は賑やかでいいんだけどね……酒に吞まれる者が相次ぐようなら、私は父上に具申しなきゃいけない」


 叔父さんがバツが悪そうに立ち去る一方、ヘルムートはヘラヘラした表情のままミリア某さんを連れて退出していった。

 夜会に参加していた若手の令息令嬢たちは、ほっとしたように雑談を再開しつつ帰宅の準備を始めた。


 ◇◇◇


 私はマルテ様に連れられ、彼女の用意した馬車で屋敷まで帰されることになった。


「フォルベック卿に挨拶がしたいな。ヴィルヘルム殿には承諾を得ているから安心していいよ」


 私の父に挨拶したいですって。こんな状況じゃなきゃときめいちゃったかも。

 こんな状況じゃなきゃ……。


「……」

「なにかな、レーナちゃん」

「い、いえ」


 馬車の中、膝を突き合わせて対面する。マルテ様は長いおみ脚を組んで私のパーソナルスペースを圧迫してくる。それでも膝同士がギリぶつからないあたり、さすが伯爵家の馬車。


「レーナちゃんってさ、可愛いよね。なんで婚約破棄されちゃったの?」


 それは別に、女性同士だからという慰めの文句ではなかった。

 マルテ様の薄笑いはひどく穏やかなのに、彼女から溢れ出た魔力が肌に突き刺さる。

 これってなにかの尋問ですか? なんか、圧が怖いんですけど?

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