第1話:婚約破棄
極道やマフィアノワール的な要素を入れた婚約破棄モノです。ざまぁタグは悪役が勝手に破滅するのではなく「殺しに行く」の意です。ゴッドファーザーとか好きでしたらぜひどうぞ。
婚姻とは、家と家との同盟であって。
そう簡単に切ったり捨てたりしていいものではない。
とりわけ、くっつくのが辺境伯に仕える騎士家同士なら。
「レーナ・フォルベック。君との婚約は破棄させてもらうよ」
だというのに、私の婚約者であるヘルムート・シュナイダーは、そう切って捨てた。
夜会だというのに婚約者をエスコートもせず先に会場入りし、私が到着するなり開口一番これである。もう、なに? って感じですが、嫌な予感だけはしていたんだ。
彼は秀麗な顔立ちをニヤニヤと歪め、私の反応に期待しているようだった。
「……えっと、ヘルムート様。今ここで、ですか?」
震える声を抑え、私はそう聞き返した。声が震えているのは悲しいとか悔しいとかではなく、この状況にガチでビビってるからです。
ちらりと視線を回すと、お上品に着飾った紳士淑女たちが眉をひそめて私たちを睨んでいる。きらびやかな照明でも隠しきれないほど、彼らの顔色は青ざめている。
今日は、私たちの主君であるヴァ―ルシュタット辺境伯の主催する夜会だった。郎党たる騎士と令嬢たちの出会いの場になれば、とのお考えで伯爵様が開いてくださっている社交の場だ。
こうした場で若き男女が交流するのはいい。イチャイチャするのもいい。でもケンカしたり婚約破棄を突き付けたりすれば、それは……騎士家の人間として、主君の面に泥を塗るようなもの。
さて、当のヘルムートはというと、私の問いにあっけらかんと答えた。
伯爵様にブチ殺されても知らんぞ! という周囲の圧力などまったく意に介していない様子。
「ああ。お前のような退屈な女は我慢ならないからな。今、ここで、破棄するよ」
「……え、その、私のどの辺が、退屈でした?」
「分からないのか?」
おそるおそる再度聞き返すと、ヘルムートはニヤケ面をひっこめた。そして、ずい、と素早いすり足で私の懐に踏み込んできた。
私が反射的に一歩下がると、ヘルムートは更に踏み込む。二歩、三歩と圧されて、私の背中が夜会場の壁にぶつかった。それを女性にやるのは、一般に乱暴狼藉とされている。男相手でもケンカ売ってるのと同義だけど。
けれど私が一切の不快感を表に出さずに目を伏せていると、ヘルムートは大きなため息を吐いた。
「そういうところだよ……つまんねー女」
彼はそう吐き捨て、私に背を向けた。そして会場のみんなに聞こえるような大声を張り上げた。
「みんな、聞いてくれ! 俺は真実の愛を見つけたんだ! 今日はサプライズで彼女を紹介しようと準備していたのさ!」
他の参加者たちは、もはやヒソヒソ話すらせずヘルムートを遠巻きに見つめるばかり。「俺は知らんぞ」「私のせいじゃないわ」的なオーラがそこらじゅうで立ち込めている。あいにくと、ここにいるのは若手の令息や令嬢、それに従騎士の少年ばかり。
生意気な若造を一喝できそうな大人の男たちは、外の庭でどんちゃん騒ぎをしている。伯爵様がいれば止められただろうけど、あの方は若人たちに遠慮してか自分自身では夜会に参加したがらない。
あとは……伯爵様のご息女、マルテ様なら止められるかも。私たちとそう変わらない歳だけど、冷徹な性格と容赦のない手腕で畏怖されている。しかし彼女はこうした会に興味がないようで、今晩も顔を見せていない。望み薄だ。
えらく冷え切った独壇場で、ヘルムートは高らかに宣言した。
「さぁおいで! 我が愛しのミリア!」
夜会場の扉のひとつが、バーン! と勢いよく開かれた。ヘルムートの掛け声に合わせて、彼の従者が開けたらしい。演出かよ、というのは置いといて。
地味なドレスを纏った少女が、ストロベリーブロンドを元気よく揺らしてヘルムートの元へ駆け寄ってきた。彼女は底冷えするような会場の空気をものともせず、仲睦まじくヘルムートと抱き合った。
「もう、ヘルムート様! 待たせすぎですぅ!」
「はっはっは! 悪かったな、サプライズには時機というものがあるんだよ」
どう考えても今サプライズをするべきではなかったと思うけど、それはさておき。
ミリア。ミリア、ミリア……ダメだ、思い当たらない。社交デビューしてから伯爵様の開く夜会には欠かさず参加していたけど、騎士郎党の息女の中にあんな子はいなかったと思う。周りの紳士淑女も、ぽっと出のこの少女の存在に疑問符が絶えないようだ。
とりあえず、私が問うしかないだろう。婚約者として……いや、破棄されたから婚約者じゃないんだっけ?
「ヘルムート様。そのミリア様とやらは一体どこのどなたですか?」
「平民だ!」
「いや、平民だ! ではなく。その子がどこの家の出身か、ということをお聞きしたいのです」
「答える義理はない。俺は身分や家柄に囚われない漢だからな!」
「……」
ヘルムートは堂々と言い切った。私は二の句を次げなかった。
そりゃつまり、シュナイダー家と我がフォルベック家の同盟とはまったく無関係の女ってことですかい。情婦ってことですかい。
もうね、騎士爵といえど貴族令嬢の端くれですから、私だってこのヤバさは分かりますよ。仮にも騎士家の男が素性の言えない女を連れてくるとかあり得ないからね。家の使用人ならまだマシな方で、行きずりの娼婦だったり歩き巫女だったり、最悪の場合になると国境線を超えてきた敵国のスパイだったりするからね。バルテルシア帝国の辺境防衛を担うヴァ―ルシュタットの人間としてあり得ないからね。
「……わ、わかりました、ヘルムート様。この案件は一旦、持ち帰りましょ? 場所が場所ですし、ね?」
色々心の中で吹き荒れるものはあったけど、私はなんとか声を振り絞った。
空気が、痛い。現在進行形で、私とヘルムート(と、ついでにミリア某さん)は恥をかいている。そして、シュナイダー家と我がフォルベック家と、何より主君であるヴァ―ルシュタット辺境伯に恥をかかせている。
帝国騎士には暗黙の了解がある。
恥をかいたら、血で雪げ、と。
ナメられたら殺せ、と。
確かに私とヘルムートの結婚は、騎士家同士の同盟を重んじた政略結婚だった。でも、お互いそれを理解していたはずだ。ぶっ壊していいものじゃないって。
しかし私の想いもむなしく、ヘルムートは何食わぬ顔で答えた。きょとんと愛らしい顔をしたミリア某さんを撫で回しながら。
「レーナ、何を言ってるんだ? 俺はお前と決別し、ミリアという新たな婚約者をみんなに紹介しに来たんだぞ? これから挨拶回りに――」
もはや言葉の通じない怪物をどう説得したらいいのか、無力感すら覚え始めていたところ。
「騒がしいね」
夜会場に、電撃のような緊張が走った。みんなが一斉に声の方向へ振り返る。
庭先からゆったりと歩いてきたのは、若い痩身の女性。長い黒髪と、感情の読めない黒い瞳。夜に紛れる黒い外套と帽子。影のようでいて、闇を縁取ったような異様な存在感の美女。
みんな、彼女を畏怖している。
「レーナちゃん、侮辱されたようだけど……殺さなくていいの?」
マルテ様は「調子はどう?」みたいな気楽さで私に問いかけた。
マルテ・フォン・ヴァ―ルシュタットは――強く、冷たく、美しく、そして誰よりも騎士を体現している。
ああ、いやだいやだ。ケンカを売られるのも、買わされるのも。
私は平穏無事に生きたいだけなのに。
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(この文言は第一話と最終話にしか入れないのでご安心ください)